二幕

第二幕 一場 独り

 男はふと目を覚ました。男の目の前には、墓が一基そびえるように立っていた。



 不思議な気分だった。まるで何かがあったような。何かがいたような。そんな気分だった。何もかもが、後の祭りのように感じた。

 そこで、初めて周りを見渡してみる。枯れた雑草しかない平地だ。その他には、この目の前にある墓一基のみ。献花さえもなく、例に漏れず周りは雑草まみれ。何もない、ただの墓場だ。


「ここは、何処だ。」


 そう。今まで何をしていたのかなど、この男には記憶が無い。一つも無くなっていた。自分の名前、自分のこと、全て。

 この場所で何かをしていたことは覚えていた。しかし、その“何か”がどうにも思い出せない。

 ここで、男は墓に改めて注目した。そこに彫られた名前に、どこかで見覚えがあったからだ。消えた記憶の中に、何かが引っかかるような、そんな感じがした。


 その名は、“椛”。


 この名を見るに恐らく女だ。男は既視感を覚えた。見たことがある、もとい、聴いたことのある名前だった。懐かしささえ覚えるような。そんな名前だった。

 男は、無性に気になった。それが一体何なのか。この気持ちは、この思いは何なのか。




 確かめるために、男は墓を掘り返すことにした。この思いは何なのか。それを突き止めるために男は意を決した。

 素手で必死に掘り起こす。別に何も知らないような人間のはずなのに。男は、必死に墓を掘り返していた。おかしな話だ。無限に流れ込んでくる無意識によって勝手に、――もはや意識的にとも言えるほど、――腕が下へ下へと掘り進めていく。顔も知らない、名しか知らぬような女である。正直なところ、そこまで必死に掘り返してまで見るような義理はない。冷たいことを言うようだが、あくまでこの男の好奇心として掘っている、というある意味“一心不乱”なことである。

 そのはずだった。

 ようやくその死体が姿を見せ始めた。男が渇望していた、誰とも知らぬ死体である。男はまた必死に残りを掘る。砂がもう、爪の奥まで入り込んでいた。 

 それからまたしばらく経った。

 ようやく、その死体の全体が見えた。


 その死体は、というより、その骸骨は、“男”だった。


 所々折れてしまってはいるが、骨の太さ、長さなどから見える体つきや、ひびの入った頭蓋骨は間違いなく、紛れもなく男だった。

 男は、一体何か分からなかった。間違いない。墓標に書かれている名前は間違いなく女の名だ。男は、それに見覚えがあった。心のどこか、記憶のどこかに、その女への覚えがあったからだ。






 しかし、実際のところ土の中から現れたのは紛れもなく男だった。


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