空は赤い

立見

空は赤い


「ホントは青いんだよ、この空って」

 テルは塗り絵の一部を指さしながら言う。そのページは、湖の中に立つ塔と水辺に遊ぶ妖精が描かれたものだった。天頂には太陽が輝く、真昼の幻想的な情景。けれど、その空は黄昏を思わせる茜色に塗られている。

 指摘されたシオトは、キョトンと首を傾ぐ。

「空は赤いよ」

 ムキになるでもなく、あっさりとシオトは返す。雲は白い、カラスは黒い、檸檬は黄色い、そして空は赤い。当たり前、というように。

 でもさ、とテルは言いつのった。

「太陽が真上にあるんだから、この絵は昼間の絵なんでしょ。朝や昼の空は、青いんだよ」

「例えば、今ここに幽霊がいるとする」

「ん?」

「俺にもテルにも、その幽霊は見えないし、触れない。だとすれば、そんなものいないのと一緒だろ?

 青い空も同じ。俺は実際には見えない。だから、俺にとって夜以外の晴れた空は、【赤】しかない。青い空は、存在しない」



 シオトと一緒にいる記憶は、全て夕暮れ色に染まっている。オレンジとピンクが混じった陽射しが柔らかに照らす、静かな空間。時折、二人の笑い声が響くだけの。

 シオトは、夕方にしか目覚めない。その他の朝昼夜はただ昏々と眠り続ける。テルがシオトと友達になるずっと前からそういう体質だったようで、病気といっても名称はない。似たような症例は他にあるが、毎日決まった時刻に数時間しか意識が覚醒しない、というのは今のところシオト以外にはいないらしい。

 日が暮れ始める四時過ぎ辺りから、最長で五時間。それが、シオトが一日のうちで意思を持って活動できる時間だった。

 だから、遊ぶのはもっぱらシオトの病室でだった。テルが持っている大人が趣味でするような綺麗な塗り絵を二人で塗ったり、持って来たDSやトランプで遊ぶこともある。学校に通っていないシオトに、テルが勉強を教えることも稀にあった。

「シィちゃん終わった?」

「まだ」

「おっそ」

「テルが話しかけてくるから」

 計算練習がびっしりと載ったワークブックから顔を上げて、シオトは苦々しい顔をする。珍しい表情に、テルは思わず吹き出した。

「勉強苦手だけど、算数だけならシィちゃんに勝てるな。私だったらそれ、十分で解けた」

「だから別に、分かんない訳じゃないってば…」 

 ぶつぶつ言っているシオトをよそに、テルはランドセルから新しい塗り絵帳を取り出す。そして、嬉々としてシオトに見せた。

「これ、また新しいシリーズ出たんだよ!今度は童話がモチーフなんだって。すごくない?白雪姫のやつとか、すっごい細かいんだよ」

 ほらやっぱ邪魔してくる、という顔をしたけどシオトはあっさりと鉛筆を手放し、ワークブックも閉じた。

「だったら今回は色鉛筆で塗る?」

「クレヨンがいい!一番綺麗になるし」

「手汚れて怒られるやつ…」

「それシィちゃんだけだし。洗うの面倒くさがってあちこち触るから」

 

 テルとシオトが友達になったきっかけも、塗り絵だった。病院の待合室に、テルが忘れていった塗り絵帳をシオトが拾ったのだ。後日テルが気づいて探しに来たときに、たまたま塗り絵帳を持ったシオトがうろついてなかったら二人は一生会わなかったかもしれない。しかも返された塗り絵帳は1ページだけシオトが勝手に塗っていて、しかもテルよりもずっと綺麗で上手かった。怒ればいいのか驚けばいいのかよくわからず、結局「これどうやって塗ったの?」と尋ねて、それからテルはよくシオトの病室へ遊びに行くようになった。

 この時の塗り絵も、シオトはクレヨンを用いていた。ただ普通に塗るだけだと、クレヨン特有のザラザラと粒子の荒い様子が残る。けれど、シオトはその上から指の腹を使って擦る。そうするとムラがなくなり、ぼかされたような淡い色彩が浮かび上がる。細かい部分は色が混じってしまうが、それさえも陰影がかって見え、より幻想的な雰囲気となる。

 シオトは夜の絵を覗いて、空は全て赤く塗った。ひとえに赤と言っても、暮れはじめの白みがかった橙色や、太陽が沈む直前のどろどろに溶けた紅色など様々だ。テルは毎回「これって青いはずだけど」と言いつつ、シオトが描く赤い空は気に入っていた。


 テルは毎日、学校が終わるとシオトのいる病室に通っていた。シオトが起きる頃に訪ねていって、陽が沈む頃に帰る。病室に、先客がいることは多くはなかった。テルに会うまで、シオトはほとんど一人で夕方を過ごしていたらしい。シオトの母親らしき人を見かけたことはあるけど、シオトはあまり家族のことは話さなかった。

 

 中学生になり、それは唐突に始まった。

 テルが病室を訪れると、シオトが既に起き上がっていることが増えたのだ。聞くと、少しずつ起きている時間が伸びているらしい。原因も改善方法も分からない病気だけれど、症例が類似している他の病気では、突然に治癒するといった例もあったらしいので、シオトももしかするとこれから治っていくのかもしれない。

 それを聞き、もちろんテルは喜んだ。シオトが限られた時間の中ではなく、ごく普通の生活を送れたらと何度も考えたことはある。シオトは自分の体質について、「変な病気」と言って笑うだけだ。それでも、やりたいことも行きたい場所もあるはずだった。

 けれど。


「テル、もう来なくていいよ」

「ほら、よく分からないけどちょっとずつ良くなってるみたいだし」

「中学生だし、部活とか入ればいいよ」


 症状が改善するにしたがって、シオトはテルを遠ざけ始めた。顔を合わせるたび、もう来なくていいといった事を必ず口にする。


 ショックだった。

 どうしてそんなことを言うのかわからなかった。

 このままシオトが普通の生活を送れるようになれば、テル以外にも友人は増えるだろう。人ともっと関われるようになる。そしたらもう、自分はいらないのだろうか。

 でも、疑問を口にすることは出来なかった。どう言えばいいのか分からなかったし、もし肯定されれば。


 その日、初めて陽が暮れる前にシオトの病室をあとにした。初めてシオトと言い争いになって、喧嘩別れのように飛び出してきた。 

 病院の外は一面真っ赤な夕陽に照らされて、空では遠くに灰色の雲が泳ぐ。

 視界からどうしようもなく揺れて、ぼやけた端からこぼれていった。遠くで、甲高いブレーキの音が聞こえた気がした。


 最後に映ったのは、赤い空だった。


 

 


 









 

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