52・泣くもんか

 私たちはソフィーという女性の自宅へ向かった。

 一般的な住宅街の一画にあり、彼女はそこに暮らしていた。

 年の頃は三十歳前後。

 どこか神秘的な黒紫の瞳と、同じ色彩の波のかかった長い髪をしている。

 服もスカートも黒紫で、そんな服装の中で奇妙に家庭的なエプロンだけが白い。

 肌は透き通るように白く、顔は少しふくよかな感じの、母性的な美女。

 そしてなにより目を惹くのが、その胸だ。

 うん。

 大きい。

 キャシーさんよりもさらに一回り大きい。

 私は自分のペッタンコを撫でる。

 くそう、泣くもんか。

 ふと横を見ると、ハードウィックさまがソフィーさまから目を背けなにやら、

「いけない。ダメだ、ジョン。僕には妻がいるんだ。他の女性の胸に目を向けてはいけない。誘惑に勝つんだ、ジョン」

 とか言ってるし、ブレッドさまは、

「愛というのは危険なもので、理論を見失わせてしまうもので、理性を狂わせてしまうもので……しかし これは……おおぉ……」

 とソフィーさまの胸を凝視しながら、小説のシャーロック・ホームズと似たような科白をぶつぶつ言っている。

 今回、この二人は役に立ちそうにない。

 私が質問をしよう。

 とりあえず、二人の頬を抓っておいた。

「どうぞ、粗茶ですが」

 ソフィーさまは私たちを客間に招くと、紅茶を出してくれた。

「ありがとうございます」

 まず気分を落ち着けるために一口。

 紅茶の香りと共に、ほんのりと蜂蜜の甘味が口に広がる。

「わあ、おいしいです」

「ふふふっ、自家製ですの」

 温和に微笑むソフィーさまは、まるで聖母の様。

「それで、私に聞きたい事というのは、なんでしょうか?」

 さあ、事情聴取だ。

「はい。あの、お仕事はなにをなされているのですか?」

 当たり障りのない、なおかつゲームと現実が一致しているかどうかの、重要な質問。

「養蜂です。小さなお店ですが、蜂蜜の専門店を開いていますの」

 蜂蜜の専門店?

 賭博場カジノに務めているわけではないということ?

 ゲームと違う。

「では、ジョルノ曲芸団サーカスで起きた事件はご存知ですか?」

「ええ。あの日はなにがあったのか知らなかったのですが、後で新聞を読みました。怖いですわね。刃物で刺されるなんて、想像しただけで、痛くなってしまいそうです」

「曲芸団員のモランという方をご存知ですか?」

「はい、知っています。少し前、お知り合いになりましたの」

「事件当日、貴女はモランさまと一緒に行動を共にされていたそうですが、その事情を詳しく聞かせてほしいのです」

「いいですよ。まず、私がモランさんとお知り合いになれたのは、街の料理店レストランで相席になったからです」

 昼食時で混雑していた料理店は、客を捌くために、モランとソフィーさんの相席をお願いしたそうだ。

 承諾した二人は、それぞれ料理を注文し、相席になったのもなにかの縁かもしれないし、食事が運ばれてくるまで無言でいるよりかはと、他愛のない話を始めた。

「正直、あの方のお話は聞き取り難かったのですけど、ともかくその時、モランさんが曲芸団の方だと知ったのです。それで、ちょっと私に曲芸団を案内していただけないかと、お願いしてみました。娘に曲芸団を見せてやりたかったもので」

「お子さまは、曲芸団にご興味をお持ちなのですか?」

「はい、興味心身です」

「お子さまは今、どちらに?」

「主人と一緒に、建国祭を楽しんでいると思います」

「ご主人の仕事は?」

「官庁に勤めております」

 賭博場とは関係なさそうだ。

「モランさまとはどれくらい親しいのですか?」

「はっきり言うと、ただの知り合いという程度です。会ったのは料理店の時と、曲芸団の時の、二度。その時間も、合計して二時間程度。これでは、友人と呼ぶのは難しいのではないでしょうか」

「そんな人に、曲芸団の案内をお願いしたのですか? 初対面の時に」

「んー」

 ソフィーさんは上を向いてなにかを考えていたが、やがて、

「正直に言います。上手くいけば、娘に曲芸団サーカス無料タダで見せてやれるんじゃないかと考えたんです」

「どういう意味ですか?」

「モランさん、私の胸ばかり見てましたから」

「……は?」

「自分の胸が、多くの男性の視線を集めている自覚はあります」

 その言葉に、ブレッドさまとハードウィックさまが、思いっきり目を逸らす。

「ふふっ。モランさんも、料理店で相席になった時、私の胸を見てばかりいたんですよ。本人はバレていないつもりみたいでしたようですけど、見られてる方はすぐに分かります。それで、ちょっと胸を強調して見せて、曲芸団を案内してくれたら、胸を触らせてあげると、仄めかしてみました。そうしたらモランさん、鼻の下を伸ばして、すぐにお願いを聞いてくれました」

 なんと!

 この人、聖母の様な顔をして、悪魔の様な誘惑を。

「私が娘を連れて来た時のモランさんの顔ったら。うふふふっ、おかしかったわぁ」

 娘さんのこと言ってなかったのか。

 それ誤解するよ。

「で、胸は触らせてあげたんですか?」

「いいえ。私の胸を触っていいのは主人と娘だけです」

 この人、淫魔より性質たち 悪いかも。

「ですが、悪いことはできないものですね。私と娘が観る予定だった午後の公演は、事件のために中止。結局、ショーは観損ねてしまいました」

「お子さまはがっかりなさったでしょうね」

「ええ。泣き出しそうになってしまって。それで公演が再開したら、必ず見せに連れていくと約束しました。三人分の予約席も取れて、娘は喜んでいます」

「それは良かったですね」



 その後、ソフィーさまから詳しい話を聞いたが、結局モランの証言を裏付けるだけだった。

 モランさまは必ず人目のある場所を案内しており、また案内している間、二人から離れたことはなかったそうだ。

 ソフィーさまが金銭を受け取って口裏を合わせているわけではないようだし、モランさまが犯人であると言う糸口さえ掴めなかった。

 犯人は誰なんだろう?

 ゲーム通り、モランさまなのだろうか?

 それとも 他の三人?

 あるいは、まったく別の人?

 それに犯行方法は?

 事件の真相は深まっていくばかりだった。

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