俺氏、後輩ちゃんと甘々なキスをす……しなかった。夢だった

まほろば

最高の目覚めだった。いや割とマジで

 「――。――んぱい」

 「……?」


 どこか遠くで、俺を呼ぶ声が聞こえた。

 いつからだろう。俺はどこまでも温かく、柔らかな光の空間の中に居た。流れる光は時になだらかに、時に激しく変化を繰り返し、その度に俺は肌寒くなったり、また暖かくなったり。


 「――せんぱい。せんぱい、起きてください。ね?」


 心地よさに身を委ねていると、遠くの方から、誰かが俺を呼ぶ声が聞こえた。

 耳に残る、甘い甘い砂糖菓子の様な声。その声の主を、俺はよく知っている。


 早坂美来はやさかみく

 

 今は同じ大学に通っている後輩で、都立青豊高校に通っていたころからの知り合い。たった一人しかいなかった天文部に入部した、俺の可愛い可愛い大事な後輩でもある。

 そして俺にとって、手放したくない女性ひと


 「せんぱい。こっち向いてくださいよ」

 「ええ?」


 光の園は瞬く間に姿を消し、俺たちはいつの間にか、海の見える丘にいた。

 ――いつ、俺は着替えたんだろう?

 白いシャツに、深い緑色のスラックス。シャツの上には、灰色のカーディガンを羽織っていた。俺の向かいに座る美来は、これまた真っ白なワンピース姿だ。アイツにしては珍しく、腕を露出している。それがなんとも寒そうに見えて、俺はカーディガンを脱ぐと美来の肩に掛けた。

 それだけで嬉しそうに微笑む後輩に、俺はこの手で抱きしめてやりたい衝動が湧き上がってくる。それをなんとか抑えて、遠くの地平線へと視線を向ける。


 昨日の天気予報では、今日は一日中雨が降ると言っていたのに、空を見る限り快晴だ。どうやら的中率90%以上を誇る自慢のお天気レーダーも、今日に限っては役に立たなかったらしい。

 俺はそのまま、空の蒼と海の青が交わる境界線を眺める。ほんのわずかに弧を描く光の筋を見続けていると、吸い込まれそうな気がした。


 「もー。せんぱい、意地悪してるんですか? ほら、いい加減腕が疲れちゃいますよ」


 美来の甘えるような声に、我に返る。

 俺はいつの間にか、カラフルなビニールシートの上に胡坐をかいていた。手には、少し大きめのおにぎりが握られている。美来と俺の間には、美味しそうな料理がふんだんに詰め込まれた弁当箱が3つ、並べられていた。はて、俺はいつの間にお弁当を作ったんだろうか。

 そこまで考えて、俺は

伸ばす腕の先、箸に挟まれた大きな大きな唐揚げがある。そうだ、俺たちは今、ピクニックに来ていたんだ。


 「ああ、悪い悪い。――あむ」

 「どうですか? 美味しいですか?」

 「うん、美味い。やっぱり美来は、料理上手だな」


 俺が褒めると、美来はサッと頬を染めて照れる。恥ずかしそうにする美来の姿を目に焼き付けておきたくて、俺はおにぎりを頬張るのも忘れて美来に手を伸ばす。

 下を向いてしまった美来の顎にそっと触れ、軽く持ち上げる。嬉しさと気恥ずかしさで緩んだその表情は、とても可愛らしかった。瞳に溜まった涙をそっと拭って、今すぐ、ぷるぷるとした唇にむしゃぶりつきたいくらいには、俺の理性がどうにかなりそうだった。


 「美来」

 「――はい、せんぱい」

 「キス、していいか?」


 大きな目がさらに大きく見開かれ、耳が朱色に染まった。美来の桜色の唇が何かを言いかけて、色っぽい吐息だけが漏れる。それを了承の証と受け取った俺は、目を閉じる美来に顔を近づけ――。





 ビッー! ビッー! ビッー!


 ――西暦2135年、9月1日。

 俺こと楠木努は、腕時計型の携帯端末・《アルキメデス》から鳴るアラームで目を覚ました。

 ……なんだ、あの夢。俺はさっきまで見ていた夢を思い出して、1人赤面する。

 夢の中の美来は、どこまでも『女』だった。桜色の唇や、俺に全てを委ねているようなあの表情、あれを見せられたら、俺は即落ちる自信がある。そうでなくても片足半分突っ込んでいるのに、まさかこんな夢を見るなんて。

 もしかして、溜まっているんだろうか。最近はご無沙汰だったからなあ。思わずズボンの中を覗き見るが、別にパンツはどうもなっていなかった。


 まずいまずい。思わず、後輩みくで〇〇するところだった。



 纏まらない思考を整理しようと、俺は風呂に向かう。服をそこら中に脱ぎ散らかし、ユニットバスに取り付けられている蛇口をひねり、シャワーからお湯を出す。


 (……夢の中の美来、可愛かったなー。俺、もしかしなくても美来にぞっこんだったりする?)


 シャワーを浴びるうちに目が覚めてきた俺は、風呂から出て体を拭き、朝食の準備に取り掛かる。

 今日の朝ごはんは、ご飯と塩鮭の切り身。それと生卵に味噌汁。ついでに昨日買った浅漬けの残り。


 朝食を食べている時も、頭の中は後輩のことでいっぱいだった。

 美来にカーディガンを掛けてやった時の、あの嬉しそうな顔。俺に唐揚げを差し出している時の、不満そうな顔。そして、キスを待っている時の、あの顔。

 俺としては最高の目覚めだ。いや、割とマジで。だって考えても見ろ?

 あの可愛い後輩と、デートしてるんだぞ? ご飯を食べて、あーん、なんてしてもらってるんだぞ? あまつさえ、キス直前までいったんだぞ?

 夢の中でも、あいつの色んな顔が見れた。それだけでも、今日の活力になるから。

 

 朝食を終えて、久しぶりに本屋にでも行こうかと準備をしていると、唐突に《アルキメデス》に通信が入った。

 相手は、美来だ。


 《はい、おはよう》


 声は上ずっていないだろうか。イントネーションが変になってはいないだろうか。いつも、どんな風に喋っていただろうか。俺は笑えるほど緊張しながら、ヘッドセットのスピーカーをonにする。


 《せんぱーい。おはようございます、早坂です》

 《声で分かるぞ。それで、どうしたんだよ?》

 《今日、本屋に行くんですよ。それで、先輩も一緒にどうかなーって。どうです?》


 ヘッドセットから聞こえてきた早坂の声に、どきりとする。

 いつも通りの、アイツらしい元気な声なのに、今日は違って聞こえた。

 もちろん、それが俺の勘違いだってことは、分かり切っていたのだけれど。俺は壁に設置されている時計の時刻を確認する。

 今は、8時21分。一度美来のアパートまで行かなければいかないから、本屋に着くのは9時頃か。

 俺は机の中から自転車の鍵と部屋の鍵を取り出しながら、美来の誘いを受ける。


 《……おう、いいぞ。俺もちょうど出かけようとしてたところだから》

 《わ、先輩が珍しくやる気だ。どうしたんですか、空から杖でも降って来るんですか》

 《じゃあな。強く生きろよ》

 《わーっ! 冗談です、嘘です! えっと、じゃあ一緒に行きましょう。ね?》


 美来の甘えるような声に、思わず息を呑む。

 ああ、その声だ。夢との中と同じ、砂糖菓子のように甘い声。

 誰にも渡したくない、誰にも聞かれたくない、俺にだけ向けてほしいその声。

 それを皮切りに、俺の中で美来という存在の価値が凄まじい勢いで膨れ上がっていくのを感じた。2倍から40倍へ。100倍から5000倍へ。


 《分かった。取り敢えず、お前のアパートまで行く。そこから、一緒に行こう》

 《――ぁ。はいっ!!》


 美来の弾む声が心地よい。

 俺は財布が入ったポーチを腰に巻くと、部屋に鍵を掛けて駐輪場に向かう。

 昨日の天気予報では、今日は1日中雨が降ると言っていたのに、空を見上げる限りでは雲一つない青空が広がっている。的中率90%以上を誇るお天気レーダーも、今日に限っては役に立たなかったらしい。


 「さ、行こうか!」


 自転車にまたがり、力を込めて漕ぎ出す。

 あいつの家までは、どんなに急いでも10分は掛かる。だが、その時間さえ楽しみになっている俺が居た。

 昨日とは違う自分に違和感を感じながら、俺は待っているの元へと、自転車を走らせたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺氏、後輩ちゃんと甘々なキスをす……しなかった。夢だった まほろば @ich5da1huku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ