いつか出逢ったあなた 27th
ヒカリ
第1話 高原夏希
俺の名前は高原夏希。
生まれたのは、ロンドン。
リトルベニスと呼ばれる運河の近くで、時間の流れがゆっくりと感じられる穏やかな景観の街だった。
父はたいそうな金持ちの日本人で、そのせいで仕事に追われて忙しいのか…めったに会う事はなかった。
母はイギリス人で、とても美しい女性。
ブロンドの髪の毛にブルーの瞳、きれいな声の持ち主で、近くの高級ホテルのバーで、シンガーとして働いていた。
俺が学校から帰ると、母はいつも発声練習をしていた。
それを間近で聴いていたせいか、俺もいつしか歌う事が日常になっていた。
母と二人きり。
金に困ってはいなかったが、たまにしか帰って来ない父に不満はあった。
夜中に目を覚ますと、母が泣いている事が多かったからだ。
なぜ母を一人にするのだろう。
なぜもっとそばにいてやれないのだろうか。
こんな事なら、金は要らないから、もっと家に帰れる仕事をしてくれと言ってみようか。
本気でそう悩んでた俺に…三ヶ月ぶりに会った父は言った。
「じゃあ、日本に来ないか?」
日本…
なぜそんな事を言われるのか分からなかった。
俺は英語も日本語も喋れたが、母は英語のみ。
しかも仕事も持っている。
日本に行く気もない。
俺は、もどかしかった。
一人で泣くぐらいなら、環境を変えればいいのに。
勇気さえ持って一歩踏み出せば、何かが変わるはずなのに、と。
その後も母は日本に行く気はないと言い張ったし、俺にも日本の事は考えるなと言った。
だが…俺は日本に興味があった。
教科書に出てきたわずかな情報では物足りず、図書館であれこれと日本の文化を調べたりもした。
知りたいのは当然だ。
俺には、日本人の血が流れてる。
父が生まれ育った国だ。
そんな俺の日本への知識が増え、憧れも増して来た頃…
母が、体調を崩した。
日に日に痩せ細る母。
俺は父に連絡を取ろうとしたが…母がそれを拒んだ。
なぜ。
なぜ、ダメなんだ。
そう問う俺に、母は信じられない事を言った。
「あの人には、家庭があるの。」
…は?
家庭って…
「あの人は、日本に家庭があるのよ。あたしは愛人なの。」
「…嘘だ…」
「本当よ…あたしみたいな愛人が、たくさんいるのよ。高原は、そんな人間よ。だから、頼りにしないで。」
「……」
信じられなかった。
父は無口な男で、たまに帰って来ても大した会話はなかった。
だけど、いつも日本の土産をたくさん持って帰り、勉強も教えてくれた。
それが…
父と思っていた人は、母の夫ではない…?
さすがに、うちひしがれた。
少なからずとも、俺は父を尊敬していたからだ。
それから、俺から父に連絡をする事はなかった。
気が付いたら、父とは二年会わなかった。
だが…
俺が15歳の時。
母が他界した。
まだ36歳だったのに。
途方に暮れた。
近所の人や、母の勤め先の人達は優しくしてくれたが、これからの事を思うと不安で仕方なかった。
そんな時、父がやって来た。
誰かが連絡をしたのだろう。
泣き腫らした目で、俺を見て。
「一緒に日本に帰ろう。」
と言った。
帰ろう?
それは、あんただけだろ。
そう言いたかったが…
他に頼る人もいない。
ちっぽけだった俺は、父親に養ってもらう他なかった。
高原家の養子として迎えられた。
兄と弟が出来た。
兄の
父の片腕として働いていたため、めったに会う事はなかった。
弟の
二人の母親…父の本妻は、地味な人だった。
俺に辛く当たる事はなかったが、二人きりになるのを避けられていたようにも思う。
当然だ。
仕方ない。
もしかしなくてもマザコンだったと思う。
だから、たまに母が恋しくてたまらなくなる時があった。
義母に抱きしめてもらいたかったが、まさかそれを願い出る事は出来なかった。
ましてや、日本にそんな文化はないだろうし。
幸い、俺はモテた。
女の子と付き合っては、甘えた。
ただ、残念な事に長続きしない。
日本の女性は、甘えられるより甘えたいらしい。
頼りがいのある、強い男が好きなようだ。
俺も、本当はそうなんだけどな。
今は少し寂しいだけなのにな。
そう思って、本気で付き合うのはやめた。
ただ、抱きしめてくれるだけの女の子がいればいい。
日本の学校は窮屈だった。
俺は歌が歌いたくて、学校をサボっては、ライヴハウスや楽器屋を回った。
どんな状態でもいい。
歌える場が欲しい。
そして16の時…楽器屋で見つけた、一人の男。
ピアノの試し弾きをしていた。
…なんだ、こいつ。
見た目、全然ピアノ弾きには見えないが…
この滑らかな指捌き。
確か、最初に聴いたのはベートーベンだった。
拍手をもらった男が続いて弾いたのは、ジャズだった。
…この男のピアノで、歌いたい。
そう思った俺は…
「おまえ、いくつだ?」
いきなり、エラそうに話しかけた。
ぶっちゃけ、社交辞令も知らない。
真っ向勝負だけが俺の武器。
俺の言葉にその男は面食らっていたが。
「…16…」
小声で答えた。
「ピアノ、上手いな。おまえのピアノで歌いたい。どこかで一緒に何かやらないか?」
俺が早口でそう言うと、そいつは俺を上から下まで見て。
「…あなた、誰ですか?」
不審な顔をした。
そりゃそうか。
もろに外人の顔立ちで、似合わない学生服を着て、いきなり初対面でタメ口。
「高原夏希。16歳。星高一年。」
手短かに挨拶をすると。
「…島沢尚斗。同じく16。桜花高等部の一年。」
ピアノ弾きは、ニコリともせずに言った。
そして、続けて。
「ありがたい誘いだけど、今はピアノやってないんだ。」
首をすくめた。
「え。なんで。こんなに上手いのに。」
「実は、バンド組んで…キーボード弾いてるから…」
「バンド…ジャズバンドか?」
「いや、ロックバンド。」
意外な言葉が飛び出した。と思った。
これだけピアノが上手いのに、ロックバンド?
この頃の俺には偏見があった。
ロックなんて、と。
母のジャズやブルースを聴き慣れていただけに、ロックはただの騒音ぐらいにしか思えなかった。
それが…
「一度、練習に来る?」
「え?」
「ちょうど、ボーカルが抜けたばかりなんだ。」
「……」
ロックなんて歌えるか。
そんな気持ちでいたのに…
ついて行ったのは、メンバーの一人の家の倉庫。
粗末なドラムセットと、小さなアンプ。
キーボードも小さなおもちゃのような物だった。
だが…
「…なんだ…これ…」
ベースとドラムとキーボード。
三人の奏でる音楽に、俺は魅了された。
ロックなんて、とバカにしていたのに。
そして…一曲目が終わる頃には口にしてしまっていた。
「俺をメンバーにしてくれ!」
こうして、俺は同じ年のメンバー三人のバンドに無理矢理加入した。
まだ俺は自分の歌も聞かせてないのに、三人は快くOKを出した。
「高原って、みんなになんて呼ばれてんの。」
二度目の練習の時、ベースの
シマウマと書いてトウマ。
初めて名前を聞いた時は、笑ってしまった。
ニックネームが『ゼブラ』と言うから、これまた笑ってしまう。
漢字が違うだろ。って。
「え?みんなって?」
「学校で。」
「高原。」
「ふーん…見た目全然高原じゃないのにな。」
まあ…そうだな。
このナリで日本語ベラベラ喋ってるのも、よく驚かれる。
ま、その前に学ランが似合わないっつーの。
「ライヴで客に呼んでもらいやすい方が良くないか?」
「ライヴ?」
驚きの単語が出てきた。
ライヴって…
「何、おまえらライヴとかしてんの?」
「ああ…五回ほどした。」
「ボーカルいないのに?」
「その時はいたんだよ。」
「へえ…すげえな…」
ライヴ。
出てみたい。
聞いてみると、その『ゼブラ』もライヴ用につけたニックネームらしく、本人は結構気に入っているらしい。
ドラムの相川とキーボードの島沢は、下の名前そのまま『ミツグ』と『ナオト』だ。
「じゃあ、俺もナツキでいい。」
「見た目外人だから、ナッキーの方が良くね?」
「あ、ホントだ。ナツキより、ナッキーって感じだ。」
…ナッキーって外人はいないと思うが…
それは黙っておいた。
母は俺を『ニッキー』とか『ニック』と呼んでいた。
周りも、そうだった。
それで、夏希という名前は父がつけたのだと分かった。
母は一度も正しく発音できた事はない。
とりあえず、ニックネームは決まった。
次は、と言うか、本当はこっちが先だろって言いたいけど。
俺の歌を聴いてもらう番だ。
ナオトにもらったカセットテープで覚えた、Deep Purple
大物らしいが、俺はその存在さえも知らなかった。
調べてみると、Deep Purpleにはギターヒーローが居るのに、このバンドにはギタリストがいない。
それでも何とかなるのは、ナオトの腕のおかげだ。
「じゃ、やってみようぜ。」
ミツグがスティックでカウントを取って、まるでオモチャみたいなキーボードをナオトが弾く。
オモチャみたいなのに…なんでこんなに豪華に聞こえるんだ?
これまた誰かが持って来たような、カラオケセットのマイクとスピーカー。
俺はマイクを手にして、シャウトした。
一瞬、三人が顔を上げてキョロキョロとした。
それから、笑顔になった。
長い長い一曲。
俺は自分で書いた歌詞カードを見ながら、フルコーラス歌った。
何度も、ナオトのキーボードに鳥肌を立てながら。
だけど曲が終わると…
「ナッキー!!おまえすごい!!鳥肌立った!!」
そう言って…ナオトが抱きついて来た。
「えっ…」
「すっげーいい声!!」
「……」
つられたように、ゼブラとミツグも駆け寄って来て。
「英語、さすがだなあ!!外人みたいだったぜ!!」
「まあ…俺、イギリス生まれのイギリス育ちだし…」
「マジで!?」
「ライヴしよーぜ!!絶対俺ら成功するって!!」
一気に盛り上がった。
ロックをバカにしてた俺だが、この日を境に、ナオトから色んなバンドのカセットテープを借りては聴きあさった。
「なあ、ギター欲しくね?」
「そうなんだよなー。音楽屋で見張ってるんだけど、なかなかいい奴が見当たらなくて。」
「ギグしたバンドの中からスカウトするとか?」
「もめ事になるのは嫌だからなあ。」
毎日が充実して来た。
初めて父に感謝した。
俺を、養子にしてくれてサンキュー。
…あ、ちょっと軽いか。
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