いい日

真白 悟

第1話

 人は一日一日死に向かって生きている。

 死が終わりというのであれば、今何かを成すことは全て無駄だと感じてしまう人もいるだろう。

 だけど、それは終わってみるまでわからない。

 わからないからこそ、人は頑張れるし、生き続ける内は努力し続けるのだろう。


「でも、夢なんてないんですよね」


 そうだ。僕には目指すべき道というものがまるで見えていない。

 何を残すべきかもわからないし、どうするべきかもわからない。

――それはつまらないことなのだろう。


「それでも、生きるためには働かないといけないし、そのために夢は必要だよ」


 先生は当たり前のようにそう言った。

 しかし、僕にとってそれは、あまりにも厳しい意見だ。

『夢』、それは言葉にするのは簡単だし、見るだけなら誰にでも出来ることだろう。

 僕だって、そんなものを持っていた時期はあった。

 だけど、『夢』というものはいつかは覚めるもので、永遠に覚めないなんてことはない。


「どうして夢が必要なんですか?」

「……君はやりたくもないことのために生きていけないだろう?」

「大人は夢なんて見てないです。見てるのは現実だけじゃないですか……」


 僕は嫌な生徒だ。

 大人を困らせる嫌な子供で、屁理屈ばかりのべる空気の読めないやつなのだろう。

 だけど、それでも理解できないことに納得できない。

 先生もそのことだけは理解してくれている。

 理解しているといっても、面倒くさいと思っているに決まっている。その証拠に、先生は大きくため息をついた。


「現実を見ることが出来るのは、夢を見たものだけだよ。夢から覚めなきゃ現実なんて見れたものじゃない」

「言っている意味がわかりません」


 哲学的なことを言う先生に、僕は理解が追いつかない。


「じゃあ、君は、夢ってなんだと思う?」

「寝てる時に見るやつでしょ?」


 僕はわざと間違ってみせた。

 こんな茶番に付き合わされている先生を怒らせて、早くこの時間を終わらせたかったからだ。


「……わかっているだろう?」


 先生は僕の顔を覗き込んでいう。

 そこに怒りの感情はなく、どちらかといえば心配があるみたいだ。

 僕はそれでも、この面談を早く終わらせたいとだけ考えていた。


「夢は希望で、叶うことが少ない願いです」

「なるほど、たしかにそうだ。夢はあまり叶わないだろう……努力しても絶対に叶うとは限らない。つまらない世界だよね?」

「興味ないです」

「だろうね、だけど、夢がないなんてことはありえない……ただ覚めただけだろう?」


 先生の言うとおりだ。

 僕の夢は覚めてしまった。冷たく冷めた夢はもう二度と燃え上がることなどない。

――きっとこれからの人生は下らない。

 新しい服がいつかは褪めるように、夢もいつかは覚める。

 誰しも、夢を現実にすることは出来ないし、最高の目覚めを迎えることなど奇跡的だろう。

 誰だって夢は諦めたくないし、諦めたとしても、長い人生のなかでずっと引きずることになる。


「覚めても、現実なんて見たくありませんけどね」

「わかるよ……私も夢を諦めた人間だからね。でも、だからこそ、君には夢を諦めて欲しくない」

「……っ!」


 先生の言葉に頭がぐちゃぐちゃになる。

 夢を見るのは楽しいことだ。だけど、同時に辛いことでもある。特に、長く見た夢から覚めた時、現実は容赦なく僕を襲うだろう。

 だったら、最初から夢なんて見たくない。

 僕は唇を噛み締めて、先生を睨みつける。


「夢なんて……意味ないじゃないですかっ!」


 思わず怒鳴りつけてしまった。

 僕のことを思って言ってくれてる、そんなことはわかっている。

 それでも、僕は我慢できなかった。


「全て無駄だとわかって、それでも夢をみることに何の意味があるんですか!? 時間を浪費して、それからの人生後悔して過ごすんですか……?」


 僕がそう言い切った時、先生はにこやかに笑っていた。

 それが無性に腹にきた。

 だけど、そんな僕を先生は穏やかな口調でなだめる。


「落ち着きなさい……人生には無駄なことしかないんだよ。夢に生きようが、現実を見ようがいずれにせよ、後悔することになるだろう。だからって、人生の先輩である私にも、どちらが正解だなんて言えはしない……私が後悔した道は歩いて欲しくない。ただそればかりを考え、エゴだとわかっていても、押し付けたくなる。だけど結局、どちらを選ぶか、それは自分でじっくり考えるべきなんだよ」


 先生はにっこり笑い、僕の頭を撫でた。



――――懐かしい夢を見ていた気がする。

 郷愁ノスタルジーを感じる夢だ。帰りたくもない故郷の夢だが、不思議と不快感はない。

 人生で最高の恩師が出てくる夢だったからだろう。

 結局夢を叶えることは出来なかった。

 だけど、先生には感謝している。きっと夢を追わず現実を見ていたら、僕は一生を後悔して生きていくことになったはずだ。


 だけど、夢を追ってきたからこそ、夢を諦めた時も後悔はなく、最高の目覚めだった。

 だからこそ、今日見た夢だって『最高』だったし、あの頃に帰りたいなんて思うこともなかった。

 楽しいくも辛い時間は、終わった後も力になる。

 だけど、つまらなくも、長い現実はどうだろう。体験していないからわからないけど、力にはならないかもしれない。

 そんなことを考えながら、僕は最高の朝に大きな欠伸をした。


「さて、教師の朝は早いことだし、さっさと準備をしよう」


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