第9話 あなたの望む幸せは

 大魔法を使ったというのに、私たちは何一つ事故を起こすことなく、新幹線で東京に帰ってくることができた。すぐに死が襲ってくるのかと思ったけど、そうではなかったらしい。魔法をかけた対象者である紺ちゃんが隣にいたから、運命も私に手出しできなかった可能性も考えられる。時刻は午後六時。本当に大阪で新喜劇を見ただけで帰ってきた。紺ちゃん曰く、「高校生が夜遅くで歩くのはあかんやろ。そこらへんはウチもわきまえとるで」だそうだ。妙にしっかりしている。おかげでまだ日が落ちない内に帰ってこれた。レンガ造りの大きな駅にさよならすると、私たちは今朝来た道を逆に辿った。


 しばらく歩いたところで、分かれ道が現れる。紺ちゃんの家は左、私の家は右。本人には自覚がないだろうけど、紺ちゃんと話ができるのはここが最後だ。1人になったその時に、私の身に人生最大の不幸が襲い掛かるはず。足を止めて、紺ちゃんの腕を取った。


「紺ちゃん、今日は本当にありがとうね」

「ええんやで。ウチも新喜劇見てみたかったんや。お金の方はいつ請求……」

「えー!? お金は気にしないでいいって紺ちゃん言ってたじゃん!」

「冗談や! ナイスツッコミやで、恋鐘。文化祭のネタ、恋鐘をボケにしてたんやけど、ツッコミでもええな」

「もうそこまで考えてたのー。私、出来ればツッコミがいいかも。ボケるのってちょっと恥ずかしいから…………今日の新喜劇見て思った」

「ははは、考えとくわ! じゃあな、恋鐘! 明日もいっぱい話そうな! あと、明日は今日みたいに寝ぼけて学校来たらあかんでー」

「今日は早かったから仕方ないの! じゃあね、紺ちゃん…………今まで本当にありがとう」


 最後の台詞を紺ちゃんに聞かせることなく、私は精一杯の演技で紺ちゃんに笑顔を向けた。紺ちゃんもそれに合わせ、夕日に負けないほどの気持ちがいい笑顔を向けて手を振った。そうだよね。私たちの最後はそうやって笑顔で締めくくらなくちゃ。これから紺ちゃんは『幸せ』になるんだ。笑顔は幸せの証だよ。私が死んだらその笑顔に少し曇りが出るかもしれないけど、それも少しの間だ。そこから先は笑顔で溢れる人生を紺ちゃんは送ってくれるだろう。紺ちゃんが完全に見えなくなるまで私は手を振り、流れ出す涙、鼻水を彼女に悟られないように吸ってごまかした。そしてついに紺ちゃんが曲がり角で見えなくなった。


 不意に私の胸の中に急に襲い掛かる虚無感。もう取り返しがつかない。私の人生は既に彼女に捧げてしまったのだ。できることなら痛みを感じることなく死なせてくださいと胸の前で十字を切って神様にお祈りすると、私は紺ちゃんと逆側に歩き出した。


 歩き出してすぐに、ゾクゾクと寒気を背中に感じ始めた。これがいつ襲い掛かるか分からない死に至る不幸に対する緊張感であるのか、いつも通り不幸の前の予兆なのか、判断はつかない。しかし、この後すぐに不幸が私を襲うのだという確信が、長年の勘で磨かれた感覚によって裏付けられた。両側を石垣によって囲われたコンクリート道が長く続いている。そして、少し行ったところに交差点が見えた。ああ、きっとあそこだな。なんとなく察してしまうのだ。これまでの十六年、こんな人生だったから。


 私は目に涙を溜めたまま今にも止まりそうな足を無理やり動かし、前に進んだ。これまで幾度となく「死にたい」と思っていたはずなのに。死にたくても死ねない不幸を何度恨んだか分からないのに。私の足は今、どうしようもなく重たかった。一度幸せを知り、それを私が掴むことができないと絶望して尚、その光に手を伸ばしてしまう。しかし、もう賽は投げられている。盆からこぼれた水が元に戻らないように、私の死はもう変えられない。バクバクと鳴りやまない心臓を服の上から抑え込み、私は冷静を保とうと必死に堪えた。


「諦めなさい、上野恋鐘! お前はもう死んだんだよ。世界で一番大切な人間を幸せにして死ねるなんて、こんな光栄なことはないでしょ! お前の人生は決して無駄じゃなかったんだよ!」


 自分に言い聞かせるように、私はそう叫ぶ。言葉というものは強いもので、そうすることで私の気持ちは少し軽くなったように感じた。これならもう少し頑張れる。私は意を決し、持てる力全てを使って、交差点まで走り出す。運動は得意な方ではない私は途中体勢を崩しそうになりながらも、魔法で転ぶのをギリギリ避けてガムシャラに走った。そして……交差点を勢い良く飛び出した。


 私の目に最初に飛び込んできたのはトラックだった。それも小さいやつじゃなくって土砂を運ぶような大きいやつ。間違いなく私を一発で天国に送り届けてくれる最高のやつだった。これならきっと死ぬ時にも痛くない。死の直前でスローモーションになる世界の中、私はそんなことを考えていた。最後の最後で優しくなった運命様に少し感動を覚えながらも私は…………私は………………やっぱり死にたくない!


 溢れる涙を振り乱しながら、私は叫んだ。


「紺ちゃんっ!!」


 望んでも遅いというのに、私は彼女を呼んでしまう。そして、迫りくるトラックは…………私に当たる直前で、常識では有り得ない速度で右折をし、向かいの石垣に衝突しドゴンッという大きな音を立ててその動きを止めた。寸でのところで引かれずに済んだ私は、全身の力が抜ける感覚に見舞われその場でへたり込んだ。


 どうして? 私は今のトラックに引かれて死ぬはずじゃ…………まさか。


 私は私の魔法のことを一番よく知っている。だから、今トラックが私のことを跳ねなかった……いや跳ねることができなかったのは何故なのかすぐに理解した。理解してしまい、私は顔を真っ赤にしてその場で俯いた。


「(そうか……紺ちゃんの幸せには私が……)」


 辺りには交通事故の野次馬たちがすぐに集まってくる。ガヤガヤとした雑音に紛れて、遠くで私を呼ぶ声が聞こえた。


 不意に後ろを振り向くと、紺ちゃんが汗を流して走って来ていた。彼女の気持ちを知った手前、恥ずかしくてちゃんと彼女を見ることが出来ない。紺ちゃんは座り込む私の肩を掴むと、怪我はないかと腕まくりをしたり制服の下を調べたり、とにかく必死に私の安全の確認をした。ちょっとおせっかいな彼女の行動を受け入れていると、急に安心感が私の中で込み上げてくる。そして緊張の糸が途切れた私の目からは再び涙が溢れだした。嗚咽が止められない。もう自分の感情が抑えきれなかった。


「怖かったよおおおおおお!」


 十六年分の思いが溢れ出す。私が大声で泣くと、紺ちゃんはがっちりと私の顔を抱きしめた。紺ちゃんの胸の中で、気付けば私は泣きつかれて寝てしまうのであった。

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