第2話 不幸な魔法使い


 季節は春。つい先日始業式を終え、日曜日のお休みを挟んだ次の日のこと。

 桜の木は未だその花びらを満開に咲かせており、玄関を出ると制服の袖に白桃色の小さな花びらが風に吹かれて一枚落ちてきた──花の女子高生。


「わぁ、綺麗だなぁ」


 花びらを指先で摘み、私は降ってきた些細な幸せに心を踊らせた。匂いをかいでみるが、特に匂いはしない。それでもちょっと風流な感じがして気分がよかった。一週間の始まりとしてこれほど縁起のいいことはあるだろうか。今日はいいことが……いや、悪いことが起きなさそう。そんな予感がした。


「行ってきます」


 玄関で行儀よくお辞儀をするお手伝いさんに向けて挨拶をすると、私は新品の皮鞄の感触を確かめながら家を出た。先日、不慮の事故で壊れたスクールバッグの代わりに買ったこのバッグは前回のものより幾分頑丈そうに思えた。そうして高揚した気分のまま、雲一つない快晴の空のもと私は背の高い厳かな家の門をくぐる。家に門があるんなんて普通じゃないと思われそうだけど、その通りだ。何を隠そう私の家は代々続く名家で、この辺り一帯の地主だったりする。家は広いから、お手伝いさんが住み込みで掃除などを行ってくれていて、だからさっきのように朝のお見送りをしてくれてたりする。まあ、お手伝いさんと言いつつ、分家のお姉さんやお兄さんたちなんだけども。


 通いなれた砂利道をトコトコと歩き、今日のお弁当の中身を考えたりしていると、不意に胸騒ぎがした。ゾクゾクとした感覚が体中を駆け巡り、心臓が鷲掴みにされたかのようにその場から動けなくなる。胸の鼓動は激しく、全身の毛は逆立つ。背筋が凍るこの感覚…………そろそろ来る頃だろうか。まるで他人事かのように頭だけは冷静に事に当たれるようになってしまった自分が少し悔しい。『どうか神様、ぬるいやつでお願いします』と私は胸中で神に祈った。私が神に祈るのはちょっと変な気もするが、この際そんなのはどうでもいい。キリシタンでもないというのに片手で十字架を切ると、予想通り、予想外のことが私に降りかかる。


 通学路の脇の雑木林、奥が見えないその茂みから、何かがこちらに接近してくるのを私は感じた。感じた次の瞬間にはその何かは猛スピードで茂みから飛び出してくる。ついに正体を現したそれは──興奮しきった茶色いイノシシだった。鼻息を荒くし、そいつは一心不乱に私の足元めがけて突き進んでくる。


「(あっ、今日はハズレの日だ)」


 身体よりもよく回る頭で諦めの一言を浮かべると、私はこれからくる苦痛を甘んじて受け入れることにした。そんな私の決意を知ってか知らずか、イノシシは頭を縦に振り加速する。使い物にならない私の運動神経ではイノシシの突進をかわすことは不可能で、ラグビー選手顔負けのタックルを右足に受けた。およそ猛獣の勢いに見合わない衝撃が全身にかかると共に、私の体は宙を舞った。


「(痛ったー!これ絶対骨折してる!)」


 視界がぐるりと回る中、私は最後に残ったわずかな冷静さに頼って、地面の向きを確認する。周りに人はいない。これは助かったと私は心の中で片手を掲げる。今日の不運度で行くなら、首から地面に落ちること必須だ。虚弱体質の私では、命に係わる事故になる。それでも絶対に死なないという確信はあるが、痛いのは好きじゃない。周囲に人がいないのを確認すると、私は空中に指を走らせる。地面に激突しようかと思ったその瞬間、私の体は物理法則を無視し、ぐるりと回転して地面に横たえられた。落下の衝撃はある程度和らげたつもりで、脇腹は打撲程度で済みそうだった。しかし、膝程のスカートの一部は引き裂かれ、足にできた深い裂傷からは赤い体液が滴り落ちた。


 私は上野恋鐘。高校二年生。趣味は特になくて、特技は災難に遭うこと。そして、ちょっぴり人より不運な…………魔法使いの女の子。


 落ち逝く意識の中、私は一人、虚空に向けて自己紹介をするのだった。

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