途切れた町と幻想の鳥

桜森湧水

第1話

 濁った雲が月を隠している。

 レンガ造りのビルヂングから零れるランプの灯り。

 狭い道路はセピア色。ここは石畳の街。


 人気のない通りを歩き、地下へと続く階段を降りた。

 

 ロープにぶら下がった豆電球が駅のホームを照らす。

 電車に乗り、次の駅へ向かった。

 途切れ途切れになったトンネルを抜ける。


 名前のない駅に降り、改札へ。


 その先は森だった。


 色を忘れた緑の中を進んでいくと、湖があった。

 白とピンクの花を、幼い少女が摘んでいる。

 ウェーブのかかった髪とフリルの付いたワンピース。


「やあ。お嬢さん」


 声を掛けると、少女がこちらを見た。

 怯えも、戸惑いもない。

 輝く碧眼が私を捉えて離さない。


「私のことを知っているかい?」


 少女は首を振った。


「おじさんは誰?」

「私は君を探していたんだよ」

「探偵?」


 そんなところかもね、と笑ってごまかすと、少女は立ち上がった。


「私はメアリー! ねぇ! 探偵さん! お願いがあるの!」

「どんなお願いかな?」

「あのね! ナイチンゲールを見つけて欲しいの!」


 ナイチンゲール……サヨナキドリの別名でも知られる小鳥だ。


「それが君の探し物?」

「うん。ずーっと探しているんだけど見つからないの」

「わかった。探すのを手伝ってあげよう」


 少女はにこりと笑い、こっちよ! と私の手を引っ張った。




 森の奥へ進んでいく。

 行く先は暗く、見通しは悪い。

 しかし、歩みを止めることはない。


 草木が道を譲るのだ。


「ナイチンゲールを見つけたらどうするつもりだい?」

「プレゼントするのよ」

「誰に?」


 森を抜けると、そこは墓場だった。


「ここにいるはずなの。ほら! 鳴き声が聴こえたでしょう?」

「私には何も聴こえなかったよ」

「そんなはずはないわ!」


 少女は私の手から離れた。


 漆黒のフェンスに区切られたグレイヴヤードへ駆けていく。

 後を追う。

 墓石の上にいたカラスが飛び立った。

 

 少女が鳥を指差した。


「ほら! いたわ!」

「違う。あれはただのカラスだよ」

「そうなの? あ! でも、あっちの空に!」


 反対の空に浮かぶ月を指差した。


 まだら雲が逃げるように消えていく。

 無表情な白い月。

 そこに赤い線を引くように、小鳥が飛んでいった。


「ほら! あれはどう? 探偵さん」

「ナイチンゲールは赤くない」


 そう告げると、少女は大声で泣き出した。


 周囲の空間が歪んでいく。

 私と少女を包み込むように。

 空を見上げると、石畳の街があった。

 後ろを振り返ると、色を忘れた森がある。

 周囲から墓石が消えた。

 黒いペンキに塗りつぶされたような空間に、私と少女は立っている。


 気が付くと、すぐそばにベッドがあった。


「さあ、メアリー。もうおやすみするんだ」

「いやよ! まだ見つけていないもの!」

「ナイチンゲールを見つけて、誰にプレゼントするつもりだったんだい?」


 泣き喚いていた少女が、ぴたりと止まった。 

 私の顔を見てにやりと笑う。

 

「もちろん。オスカー、あなたによ」


「私はナイチンゲールなんて欲しくないよ」

「そんなこと言わないで!」

「君が安らかに眠る。それが私の望みだよ」


 ――ああ、オスカー!


 そう叫ぶと、少女は勢いよくベッドに倒れ込んだ。

 柔らかなシーツは彼女の身体を包み込み、食べてしまう。

 少女の重力に引きずり込まれるようにして、ベッドは消えた。



 

 ひとりになった私は暗闇の中を進んでいく。


 つま先が黒い壁に当たった。

 懐からペーパーナイフを取り出し、黒いカーテンを裂いた。

 地下へ続く階段が現れる。


 ゆっくりと降りた。


 裸電球のぶら下がった駅のホーム。

 電車に乗って途切れた街を走る。

 次の駅で改札を抜け、色を忘れた森へ足を踏み入れた。


「あ! あなた探偵さんね!」


 湖のほとりにいた少女が微笑んだ。

 私は首を横に振る。

 怪訝な顔になった少女は少し考えた後、何かを思い出したように両手を叩いた。


「もしかして……オスカー?」

「そうだよ」

「まあ! どうして? そんなおじさんになっちゃったなんて」


 少女は私に近寄り、優しく頬を撫でてくれた。


「君に会うため、長い旅をしていたんだ」

「そうなの? 私も連れて行って欲しかったなぁ」

「いつも君はそばにいたよ。でも、忘れてしまったみたいだ」


 少女は頭に手を当て、難しい顔になった。


「無理に思い出さなくてもいい。それより、今からでも僕と一緒に旅に出かけないかい?」

「ええ、もちろんいいわよ」

 

 今度は、私が彼女の手を取り、森の奥へ進む。

 森が徐々に色を取り戻していく。

 暗く閉ざされた道に光が広がる。


「ふふふ」


「どうしたんだい?」


「だってオスカーったら、すっかりおじさまなのに『僕』だなんて」

「おかしいかな」

「ええ。でも、そのほうが私は好きよ」


 森を抜けると、真っ白な病院があった。

 中に入ると、いつもの喧騒が聞こえてくる。

 僕とメアリーは長い階段を上り始めた。


「ねぇ、オスカー。なんだか眠くなってきたわ」

「寝てていいよ。あとは僕に任せて」

「そう。じゃあ、おやすみ」

 



◇◇◇




 目を覚ました僕は、すぐに隣で寝ているメアリーの顔を見た。

 まだ目を覚ましていない。

 ベッドから身を起こす。


「落ち着いてください。脳を揺らすのは危険です」


 看護師に咎められた。

 病室には主治医と看護師がいた。

 いつものように。


「先生。彼女の容態は?」


 仰向けのまま尋ねると、医師はゆっくりと首を横に振った。


「今回も反応がありません」

「そんなはずは! 彼女は私のことをしっかりと認識していました!」

「夢の中で変化があったのなら進展でしょう。ただ、いつ目を覚ますかはなんとも言えません」

「いったいいつまでこんなことを続ければいいんだ! もう何度目だ!」

 

 頭の電極をむしり取った。

 そのケーブルはコンピューターを介してメアリーの脳と繋がっている。

 私が彼女の頭の中、セピア色の街に通うようになって数十年経っていた。


「どうして彼女だけがこんな目に遭わないといけないんだ!」


 感情のままに怒声を上げる。

 身体を医師に抑えられた。

 看護師は私の手を握った。

 その時、私の頭の中に少女の声が響いた。


 ――目を覚まして!


 視界に白い天井が映る。

 線を引くように、赤い鳥が飛んだ。

 ハッとして、看護師の顔を見た。


 間違いない。


 彼女こそが……。




 ◇◇◇



 目が覚めた私はやはり病室にいた。

 

 主治医がいる。

 看護師がいる。

 そして、メアリーがいる。


「ぇあぃい」


 上手く発音できなかった。


 メアリーが大粒の涙をこぼした。

 目尻の皺から頬へと伝う。

 とめどなく溢れる。

 彼女は微笑む。

 ほうれい線がくっきりと表れた。


 手を繋ぎたい。


 ここが現実だと信じさせてくれ。

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途切れた町と幻想の鳥 桜森湧水 @murancia

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