あなたのことを、絶対に好きにならない

瀬川

佐倉美千乃の場合

 彼との出会いは、今思えば出来すぎた偶然だった。



 私はその日、デパートに洋服を買いに来ていた。何を買おうとは特に決めていなくて、色々な店を入ったり出たりしながら、うろうろとさまよっていた時だった。

 膝下十センチぐらいのスカートを履いていた私は、裾を何かに引っ張られたのを感じて後ろを振り返る。しかし、そこには誰もいなかった。不思議に思って、私は首を傾げる。気のせいか、そう判断して前を向こうと思ったのだが、また裾を引っ張られた。


「何でっ? ……って、あらま」


 誰もいないはずなのに、どうしてそんなことが起きるのか。心霊現象の類かと思ったのだが、すぐに違うと気が付く。

 目線を下げて地面近くを見たと同時に、その正体に私は笑ってしまった。


「どうしたの? もしかして、誰かとはぐれちゃったのかな?」


 そこにいたのは、三歳ぐらいの男の子だった。

 くりくりとした大きな目が、私をまっすぐに見つめている。周りには、男の子の親と思われるような人はいない。

 どう考えても迷子だった。

 私は男の子と同じ目線になるために、ゆっくりとしゃがみ込んだ。そして怯えさせるとまずいので、ことさら優しい声を意識して話しかける。

 男の子は全く泣く気配が無く、ただ私を見ていた。もしかして話せないのだろうか。そう心配した時に、ようやく口を開いた。


「ママ」


「へっ?」


 しかし言われた言葉と共に、弱々しく抱きしめられて驚いてしまった。

 ママ、この子は今ママと言ったのか。そして、何故私は抱きしめられているのか。柔らかい感触と共に、ミルクのような匂いがした。それは良かったのだが、状況が全く理解できない。


「えっと、私はママじゃないよ。君のママは、探しているはずだからね。一緒に見つけに行こうか。……えーっと、迷子センターはどこだろう」


 しかし勘違いだけは正しておかないとと思い、私は男の子の背中をなだめるように優しく叩きながら言う。

 返事は無かったけど、抱きしめられる力は強くなった。それは、どっちの答えなのか不明だった。それでも訂正してばかりだと駄目だと思い、迷子センターに行くために立ち上がる。

 立ち上がるには、自然と男の子の体も持ち上げることとなる。それでも嫌がっていないので、私はまた背中を優しく何度か叩いて歩き出した。


「お名前は何て言うのかな? 私の名前は、佐倉美千乃さくらみちの。よろしくね」


「……こうた」


「こうた君って言うの。今日はママと来たの?」


「……パパ」


 デパートには何度も来ているけど、迷子センターなんてどこにあるか知らない。だから案内板を確認しながら行かなければならないので、会話をして間を持たせた。


「そう、パパと来たの。それじゃあ、パパは心配しているね。早く見つけてもらおう」


「うん、ママ」


「ママじゃないんだけどね……」


 会話をしている内に、こうた君も話をしてくれるようにはなった。しかし何故か、私のことをママと呼ぶのは止めてくれない。あまりにも言われるので、否定するのを諦めた。

 こうた君と出会ったのは三階、迷子センターは下の階にあるので、エスカレーターで降りようとする。


「浩太!」


 しかしその前に、こうた君の名前を呼ぶ男性の声が後ろから聞こえて来た。

 私はすぐにお父さんだと察して、こうた君を渡すために後ろに振り向く。数メートル先、こちらをじっと見ている私と同世代ぐらいの男性。彼は私と目が合うと、驚いた顔をしてこっちに走ってきた。

 そのあまりに必死な顔に、もしかしたら誘拐していると勘違いされたのではないかと思った。

 最近は物騒な事件が多いので、そう思われても不思議ではない。

 だから、ちゃんと迷子センターに届けようという意志があったと説明をしようと、口を開いたのだが。


「さくら! さくらなのか!」


 何故か抱っこしていたこうた君ごと、男性に力強く抱きしめられてしまい話が出来なかった。

 抱きしめられたこともそうなのだが、さらに私を驚かせたのは、初対面のはずの男性が何故か名前を呼んできたこと。

 私は少し固まってしまい、そしてすぐにパニックになりながらも男性の胸を押した。


「え、えっと。こうた君のお父さんですよね! 迷子になっていたこうた君を見つけたので、迷子センターに行こうと思っていたんです! 見つかって良かったですね! それじゃあ!」


 その言葉を息継ぎしないで言い切って、私は抱きしめていたこうた君を渡し、その場から立ち去ろうとした。

 男性はいい人そうに見えたけど、あまり関わってはいけないと本能で感じたせいだ。

 いきなり人に抱きついてくる人なんて、普通の人間なわけがない。

 反射的に男性はこうた君を受け取ったので、立ち去れるはずだった。


「待ってください!」


 しかし逃げようと走る前に、手首を掴まれてしまう。


「あの、突然すみません。は、話を聞いてくれませんか」


 私は逃げるのは諦め、話を聞くことにした。

 数秒前とは、考えが百八十度変わっているが、そうなるのも仕方がない。眉を下げて必死に何かを言おうとする男性の姿に、胸を動かされたのだ。

 昔から人の弱い部分を見せられると、ついつい何でもしてあげたくなってしまう。直したいと思っていた、悪い癖みたいなものだった。


「き、聞きます。だから手を離してください。少し痛いです」


「わっ! すみません! 必死だから強く握りすぎました。……痛かったですよね」


 掴まれた腕は少し赤くなってしまった。しかしそれを見た男性の方が、顔を青ざめさせているのだから、やはり悪い人では無さそうだ。必死に謝る姿も、とても好感が持てた。

 私は腕をさすりながら、大丈夫だという意味を込めて笑う。


「……やっぱり……似ている」


 男性はそんな私の顔をマジマジと見てきて、そうポツリと呟いた。


「似ているって、誰にですか? それと私の名前を知っているってことは、前にどこかで会ったことがありますか?」


 話をすると決めたからには、疑問に思ったことを遠慮なく尋ねる。

 ここまで来たら、全て説明してもらうまで帰れなかった。


「あ。そうですよね。……えっと、私とあなたは初対面です」


 疑問を尋ねると、慌てて男性は私を見続けたまま、話をし始めた。

 その顔を見て、本当に今更ながらだが、彼の顔立ちは整っていて好きなタイプだと思った。今までパニックになっていなかったから、全く気づいていなかった。まじまじと見れば見るほど、本当に格好いい顔をしているのがわかる。

 そんなどうでもいいことを考えながらも、話はきちんと真面目に聞いていた。


「でも私には、あなたが他人だとはどうしても思えないのです」


「どういう、意味ですか」


 男性はこうた君を片手で抱っこして、もう片方の手で私の手を握った。


「急に言われても戸惑うのは分かります。でも言わないと後悔しそうなので、言いますね。……あなたは二か月前に亡くなった妻、桜にとてもよく似ているんです。まるで双子のように、瓜二つだ」


「ママ、ママ」


「……へ?」


 こうた君が私に向かって、必死に手を伸ばしている。それは抱っこをせがんでいるのだと、すぐに分かった。

 しかし男性から言われた言葉を、私の脳はいつまで経っても理解しようとしてくれない。

 妻に似ている?

 ママ?

 一体何を言っているのだろうか?

 再びパニックになってしまった私は、あまりにも驚きすぎたせいか気を失ってしまった。

 最後に見えたのは、必死に私に手を伸ばす男性とこうた君の姿で。



 これが男性、名前は一ノ瀬涼太さんとその息子の浩太君、二人との初めての出会いだった。

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