第4話

「私のピアノの先生が亡くなったのです。それも殺されたのです」

宮城静江は表情を変えずに衝撃的なことを話し出した。

静江が中学二年生のときのことだった。5歳のときから習っていた、音楽大学の助教授がある日自宅のレッスン室で死んでいるのを家族が発見した。胸には刃渡り20センチのナイフが突き刺さっていた。

「私が学校から帰ると母親が酷い顔で玄関にうずくまっていたのです。どうしたのかと聞くとピアノの先生が亡くなったというのです。びっくりして、どうして、と聞きました。母親はこう言いました。あなたには話せないと」


静江は無表情だった。それが大塚には恐怖だった。どうしたらこんなに無感動に酷いことを話せるのだろうかと考えた。

「とにかく私は混乱して自室に引きこもりました。夕ご飯も食べられませんでした。父親が深夜帰宅してから、私の部屋にやってきて、ピアノの先生が殺されたこと。まだ犯人は捕まっていないが、お前は気を確かに持って、ちゃんと食事をしなさいということを私に諭したのです」


犯人が捕まったのは三日後だった。


「その犯人というのが、私のクラスメイトの菊池という男の子だったのです。私はもう限りなく落ち込みました。菊池という男の子とは幼馴染で、親しくしていましたから」


ピアノを一生懸命教えてくれた先生が殺されただけでもショックだったのに、そのうえ犯人が幼馴染の男友達となれば、静江の衝撃は計り知れないものだったろう。


「それは大変な心痛だったでしょう」


大塚はこの老女の尋常じゃない人柄のことは忘れて同情をした。


「一週間は家の外には出られませんでした。その間に刑事さんが来て私に話しを聞きたいということだったのですが、父親がそれを止めたのです。普通の家庭なら警察は引き下がらなかったのでしょうが、父親は県会議員をしていましたので警察も配慮したのだと思います」


「どうして菊池という子は犯行に及んだのですか」


「菊池さんが逮捕されてから一度も会わなかったのです。だから真相は分かりません」


「では処分はどうなったのですか」


「まだ少年の歳ということで、刑務所には行かなかったのだと思います。父親が詳しく話さなかったので分かりません」


「少年事件でも当時としては重大事件だったでしょうから、その子も含めて家族はその土地には住んでいられなかったのではないですか」


大塚がそう言うと静江の表情が固くなった。


しばらく顔を下に向けて無言が続いた。


多分、一分間もしなかっただろう。だが、大塚には息が詰まるような時間だった。


何か不安に思うことを自分は言ったのだろうか。


心が動揺した。


静江がゆっくりと顔を上げた。


また、薄気味悪い目を大塚に向けていた。


「じつはその菊池という子はその後すぐに死んでいるのです」


大塚は驚いて席を立とうとするほどだった。


展開が急すぎる。


心理カウンセラーとしてこれまでに様々な相談者と面会してきたが、このような話をする人はいなかった。


これが、普通の人同士での会話だったら耐えられたのかも知れない。


だが、心理カウンセラーとして相談者に的確なアドバイスと、必要ならどのような治療をしなければならないかを考えなければならない。


果たして今の自分にこの相談対象者とちゃんと対峙していけるのだろうかと心配になっていったのである。



#5に続く。




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