最後の曲が響くステージで

一繋

最後の曲が響くステージで

 生きることは、劇的なんかじゃない。


 最後の曲が流れだして思ったのは、そんなことだった。


 私がアイドルでいられる、最後の3分間。


 この卒業ライブに至るまで、ずっと悩んでいた。


 地下アイドルは、残酷な生き方だ。辞めたいと思っても、実際に触れ合ってきたファンの顔が浮かんでしまう。


 いま目の前で、悲しさと情熱が入り混じった顔でサイリウムを振っている人たち。私は生涯、この光景を忘れないだろう。


 少なからず時間とお金を使って応援してくれる人が、目の前にいるリアリティ。こんな親しい距離感で声援をもらえることは、私を動かすと同時に私を縛った。


 この人たちに失望されないように、楽しんでもらえるように。


 そんなことばかりを考えていたら、いつからか「私」がいなくなってしまった。


 アイドルでない「私」が、どんどん無価値なものになってしまった。


 もし、なにかの間違いでメジャーシーンにいけて、中野サンプラザや武道館でライブをやれるくらいになっていたら……アイドルと「私」を切り離すことはできたのかな。


 きっと何も変わらないだろう。


 去年の話だ。私たちはそこそこ大きいキャパのライブハウスに向けて、活動を加速させていった。


 その舞台に向けて何ヶ月も必死にレッスンを重ねて、身の丈以上の集客を達成して、やりきった。歌いきった。踊りきった。


 そこでゴールじゃなかった。


 受験のように、合格をしたら新しい生活が始まるわけじゃなかった。


 賞レースのように、翌日から仕事が増えるわけでもなかった。


 それもそう。そのライブハウスの舞台に立ったアイドルは何組もいる。ただの通過点に過ぎないんだから。


 ここからどこへ行けばいんだろう。


 通過点のひとつに過ぎないライブハウスでこんなに体力と時間をすり減らしたのに、もっと上のステージへ?


 悲しいけれど、うちのグループにそんな力はない。


 もっと大きなキャパを埋めようと思ったら、もっと体力と時間を使う必要がある。けど、アイドルの寿命は短い。


 たどり着いたときにはもう……そこで終わってしまっていると思う。


 私は、地下アイドルを卒業する決心をした。


 ブームは確実に終わりに近づいていて、業界全体が縮小しているといわれている。


 実際に現場にいてもそう感じる。同時期に活動していたグループは、ほとんどが解散や活動休止をしてしまった。卒業をする子はもっと多い。


 このままアイドルの魔法にかかっていても、きっと手のひらには何も残らない。


 一発屋ってよく言うけれど、その一発すら打ち上がらない私たちには本当に何もない。


 だから、戻れなくなる前に終わらせないといけないんだ。


 だってアイドルの私が終わっても、「私」は続いていくのだから。


 最後の曲は、アウトロに入った。


 サイリウムがステージに向けて掲げられて、私たちは祈りのポーズで締める。


 ここで幕が下りて、私も含めてブラックアウトすればどんなに楽だろう。


 電車に乗って誰もいない部屋に帰り、シャワーを浴びて、寝る。


 翌朝、目が覚めて何者でもない私と向き合う。


 生きることは、劇的なんかじゃない。


 アイドルの魔法が解けた絶望ですら……きっとそう。

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