最後の夜に。

眞壁 暁大

第1話

「三分というのは無体じゃないかね」

「三分だけでも言い分を聞いてやるのだ、十分な温情であると思うが」

 我が家を踏み荒らした若い兵士はそう言い放つ。

 張り替えたばかりの畳が軍靴に踏み荒らされてささくれ立っていた。

 よその家、自分に近しい者たち、朋友たちの家もこの調子なのか、益体もないことを考える。

 どうにも現実感が湧かない。寝入りばなを文字通り叩き起こされたものだから、まだ覚醒しきっていないのは自覚しているが、それにしたってツクリモノめいた景色である。つい先程まで喊声をあげて屋内を荒らしまわっていた男たちが、私と対峙する兵士の背後に幽鬼のように控えている。あの獣のような銅鑼声をあげていたとは思えぬほど、小柄な兵士たち。まるで子供のような兵隊。

 だいたい、私と対峙している兵士自体があまりに若すぎる。もしも本当に、当人が言うように軍の総意でもって「義挙」を決行したのであれば、今ここに対峙している人間は最低でも士官でないとおかしい。自分をことさらに重要人物だとも思わないが、下士官ですらない兵士と対峙するのでは、やはり釣り合いが取れていない。

 その釣り合いのなさに落ち着きを取り戻す。兵士たちが踏みしめている軍靴はホンモノ、握りしめている小銃もホンモノ。

 軍が総出で決起したという言い分の真偽はひとまず措くにせよ、私を害しようとする意思だけは間違いない。


 さて、どうするか。


 私をころそうとしていることは間違いない。間違いないし絶体絶命という状況ではある。あるのだが、無駄にその状況に猶予ができてしまっているのがどうにも困る。

(初手を間違えたんだよな)

 私は兵士たちに最初にかけた言葉を悔いた。

(なんで「話せばわかる」なんて言ってしまったのだ)

 恨みを買っていることは百も承知だった。誰から買っているかは知らないが、怨まれるのが仕事のようなものだ。その辺は割と達観していた。いつかこういうこともあるんじゃないかな、というのはつねづね考えていたから、辞世の句もすでに用意してある。


 そうだ。

 遣り残した大事なもんがあったじゃないか。襲撃されたときに

「うるせーぞ何時だと思ってんだ!」

 などと怒鳴らなくてよかった。イキリかえっている兵隊に蜂の巣にされていたら辞世が世に残らなかったかもしれない。

 これを後世に残すためにこそ、咄嗟に「話せばわかる」などと落ち着き払ったフリができたのだろう。人間最期は普段の心掛けがモノをいうのだ。


「ちょっと、書斎に行ってもいいかね。辞世を認めたい」

「いいぞ」

 兵士の許可を得て、机の抽斗から用意しておいた辞世を取り出す。


「ちょっと、いま何時かね?」

「午前の3時だが?」

「ふむ」

 深夜に死ぬことを想定していた候補だけを残して残りは抽斗に戻す。


「私はこの後どのように殺されるのだね」

「問答無用で害してよいと言われている。銃殺が穏当なところか」

「これから殺す相手に向かって、それが穏当とは……なかなかキツイ男だなきみも」

「我々は命令に従うのみだ」

「そうかい」

 気が滅入る。

 滅入るが用意してあった銃殺時の候補を選り分けて、ボツの辞世はふたたび、抽斗へ戻す。――いや、待て。


「きみ、私を殺したあと、この屋敷の家探しなどするかね」

「貴様を害することだけを命令されている、それ以外は特に指示されていない」

 ということなので、別にボツ原稿が大量に見つかって恥ずかしい思いをすることはない、ということだ。ひと安心。なんと言ってもギリギリで軽妙荘重な辞世を読むことこそが粋である。死ぬ前にダラダラと捻って幾つも詠んでいたというのがばれては無粋である。


「ところで話とは何なのだ。もう三分経ちそうだが」

「ああ、話というか。これだ、この辞世だ。どれが良いと思う?」

「どれどれ」

 若い兵士は候補として残した数首を矯めつ眇めつしていたが、

「おれには、わからん」

 そういうとぷい、と出ていってしまった。どうしたものか、私が呆気にとられているうちに寝室で待機していた兵を数人連れてきた。

「貴様らはどれが良いと思うか」

「拝見します」

 兵たちは私にではなく、若い兵士に断ってから候補の辞世を審査し始める。

「拙い出来だな」

「単調にすぎる」

「詩情がまったく感じられぬ。節穴越しに覗いてもここまで味気ない風情はなかろう」

 言いたい放題であった。私は反駁する。


「どれも生前にじっくり推敲を重ねた珠玉の品だ。一体どこが拙いというのか」

「これが珠玉ですか」

 兵の一人が鼻で笑った。たいへんに苛立たしい。

「では兵隊、おまえはいったいどのようなモノが詠めるというのだ」

「そうですな……」

 鼻で笑った兵が数瞬考え込んだ後、一句詠む。

 粗野で下品な銅鑼声をあげていた一員とは思えぬほど詩情あふれる句であった。

 にも拘らず他の兵は「詰めが甘い」だの「直截にすぎる」だの手厳しい。

 言い合いの流れの中で、他の兵どもも思いつくままにいくらか詠みあげて、そのいずれもが立派な出来栄えであったため、私は自分の一世一代のつもりで用意していた辞世が掌中で色あせていくのを感じた。

 

「恥をしのんで訊ねる。どうすればそのように情感のある句を詠めるか」

「簡単ですよ。この一瞬、いまこの時を切り取るのが歌でしょうに。前もって用意しておくというのが、まずいけない。詩の心がない」

「む。然れども、このような場合に備えるのは人情ではないかね」

「そう言いますがね、どんなにアタマ捻ったって今この時の情景なんて想像もつかんでしょう?」

 たしかにその通りだった。いろいろな状況を想定してそれにふさわしいだろう辞世をいくつも用意してはいたが、今この瞬間の情景にピッタリ当てはまるようなものは一つもない。どこか過剰であったり、あるいは欠落していたりで、ちょうどいい具合に今を現し詠めているものはない。

「なるほど」

 兵に教えられるとは思ってもいなかったが、これは大きな発見であった。


 今この瞬間を切り取ることにこそ、全身全霊を傾けなければならないのだ。


 私は、リーダーである若い兵士に向きなおる。


「どうやら私が間違っていたようだ。蒙を啓かれた気がする。あらためて辞世を詠みたい」

「もう三分経ったぞ」

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最後の夜に。 眞壁 暁大 @afumai

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