俺より可愛い奴なんていません。

下田 暗

一章 出会い……そして、拉致…………

俺より可愛い奴なんていません。1-1

「付き合ってくれ!!」


昼下がりの日曜、人の行き交う松木まつぎ駅近く、立花たちばな 葵あおいは1人の男性に告白されていた。


葵に告白する男は、葵の通う学校ではそれなりに有名で、かなり女子にモテていた。


そして、去年卒業式に制服のボタンを女子にせがまれ、ボタンを全て失うという伝説を残し、卒業して行った。


そんな彼が必死に頭をさげ、耳まで真っ赤にし、男である葵に告白していた。


中々返事のない事を不審に感じたのか、少し顔をあげ、チラッと様子を伺っていた。


(おっと……、早く答えないと……)


葵は驚いた表情からスグにいつもの演技の作り顔をし、ニッコリと笑った。


「え、私を好きでいてくれたの? うれしい……」


葵の笑った表情と作り声である可愛らしい声で「嬉しい」という言葉を聞き、男は不安そうな表情から一気に明るい表情へと変わった。


「え? え!? じゃ、じゃあ……」


「ごめんなさいッ!」


男が何かを言い終える前に葵はスパッと遮るように言葉を発し、男は急な出来事に頭がついていかず、表情は固まった。


「私ね、実はね……」


葵はそう言いながら、相手の男の手を握りゆっくりと自分の股間へと持っていった。



(何度やっても最高だな……あれは……)


葵は先程の男性とあの後スグに別れ、駅に向かって歩いていた。


(あの瞬間が最高に快感なんだよなぁ〜、やめらんねぇ……)


葵は先程の男との出来事を思い出しては快感に浸っていた。


葵の性癖はかなりおかしかった。


葵の趣味は女装であり、その容姿を使って恋愛ごっこのような事をする事が彼の最高の趣味だった。


葵は男にしては綺麗顔で生まれた事をいい事に、芸能人のメイクまでも仕事で務めるスタイリストの姉からメイクを学び、それもあってかかなりレベルの高い女装ができた。


都会にその女装で遊びに行った時はタレント事務所に務めるものにスカウトされた程だった。声に関しても元々低い声ではなく、少し作れば女性の声として違和感が無いほどで、あとは葵が身につけた女性らしい仕草なんかで誤魔化せていた。


(ん?)


葵は歩いていると、チラホラと視線を感じていた。


(きたな……)


葵が感じていた視線は同じ同性である男性からの熱い視線だった。葵はその視線を受けなれており、また葵の大好きな視線だった。


(見てる見てる。まぁ、そりゃそうだろうな、美し過ぎるからな)


葵は更に上機嫌になり、調子に乗り始める。


葵に視線を送る、辺りを見渡しても少し飛び抜けたカッコイイ容姿を持つ男性に目線を送った。


すると、葵とその男性は目が合い、男は驚いた表情を浮かべた。


葵はそれを見ると確信し、ニッコリと微笑みかけた。


葵の笑顔を見た男は一気に顔が真っ赤になり、たまらず葵から視線を逸らしていた。


(いったな……。ありゃ、今夜は寝られんレベルだな)


葵は男を確認し、相手が今夜睡眠が取れなくなることを少し気の毒に思ったが、スグにそんな考えは消え去り、また1人、男を虜にしたことで更に葵は自分に酔いしれてた。


(さて、もう時間もあんまりないし、とっと帰るか)


葵は自分が興奮状態にある事に気づき、このままでは家に着くのが遅くなることを察し、一息つくと落ち着きを取り戻し、駅へと視線を移し歩き出した。



これは、昔のトラブルからそれをきっかけに女装に目覚め、変態へと昇華した青年の物語。



季節は春。


桜木高等学校には、入学式を終えまだ日の浅い新入生が緊張した面持ちで登校しているのがあちらこちらで見かけられていた。


友達に成り立ての子達でお互い気を使いながら会話し登校する者や、まだ上手く馴染めていないのか1人で登校する者、その中で上級生はいつもの様に仲間と登校する者や下級生を狙っているのかチラチラと視線を送る者達もいた。


そして、上級生であり、現在2年生の男子生徒、神崎かんざき 大和やまともまた下級生をジロジロと見ている人の1人だった。


「お、おい! 葵! あの子! あの子可愛い!!」


大和は興奮した面持ちで一緒に登校していた立花 葵の肩をバシバシと叩きながら話しかけた。


「うるせぇな〜朝から……つか、その下級生ガン見すんのやめろ。その顔で…………捕まるぞ?」


「どういう事だよッ!!」


葵は明らかに嫌そうな表情を浮かべながら可愛い子探しをしている大和をうざがり、大和は葵の辛辣な一言に引っかかりすかさずツッコミを入れた。


「いやぁ〜いいよなぁ〜、俺も先輩だよ〜。部活とかでさ! 可愛い後輩とか入ってきたりしてさぁ〜! なんか、夢広がるよなッ!!」


「夢広がるってお前、男子バレー部じゃん……女の後輩なんて入ってこないし、うちの高校女バレないし、後輩の接点まるで無いじゃん」


想像で浮かれる大和に葵は呆れた様子で答えた。


葵達の通う桜木高校には女子バレー部は存在せず、よって大和は、こと部活においては後輩の女子どころかそもそも女子と関わることはほぼ無いと言っても過言ではなかった。


そして、葵は浮かれる大和を鬱陶しく感じ、早く萎えさせようとわざと大和に現実的な事を言っていた。


「分かんねぇだろ? マネージャーで来るかもじゃん!? 可愛い後輩マネ! 最高じゃね?」


「戸塚とづかが許さねぇな」


「あ………」


まだまだ浮かれる大和にトドメを刺すように葵が言うと、大和は何かに気づいたように一気に冷めた様子で言葉を漏らした。


戸塚というのは桜木高校の男性教員であり、男子バレー部の顧問を務めていた。


戸塚は四十代の教員だったが、いささか考えが古く、学校内での恋愛禁止をうたっている数少ない珍しい教員だった。


しかし、他の教員は大してそこまで生徒同士の恋愛事情に口を出すことは無く、一線を超えなければ問題無いと考える教員が多く、一般的な考え方だった。


そして、たった1人の少数の意見が通ることは無く、学校での恋愛禁止はならなかった。


戸塚はそんな事もあり、せめてもの思いで自分が顧問を務めるバレー部にのみその条件を出した。


その結果、男子バレー部は恋愛禁止となり、周りから不運な部活と言われてきていた。


そんな戸塚だからこそ、女子のマネージャーなど許すわけも無く、大和の夢は儚く散っていった。


「戸塚めぇ〜……俺達の夢を奪いやがってぇ〜……」


大和は恨めしそうにこの場にいない戸塚に恨み言を言った。


しかし、こんな時代錯誤な体制を組んでいてもバレー部が部員が少なくなり、廃部にならないのは戸塚の手腕が大きいのが原因だった。


戸塚は厳しいが嫌われている教員では無かった、特にバレー部には。バレーに関しては無知だったが、顧問になった事で勉強をし、生徒に丁寧に教え、熱い教員でもあった。そして、今の桜木バレー部はそれなりに強い部活になっていた。


その事を葵も知っていたため、大和もこんな恨み言を言ってはいるが戸塚を信頼しているんだろうなとそんな考えが過ぎった。


「そういや、今年のバレー部はどこまでいきそうだ? 」


葵はせっかく部活の話になったので大和についでに尋ねてみた。


「ん? もちろん全国だろ!! 去年は惜しくも行けなかったが、今回はいける!」


桜木高校の男子バレー部は県大会を優勝し、県代表として地方の大会に出場したが、惜しくもベスト8敗退という形で終わっていた。


大和も1年ながらベンチ入りを果たしており、試合にも流れを変えるポイントとして出して貰ったりしていた。葵も何度も大和の試合の応援には行っていたため、その事はよく知っていた。


「そっか……頑張れよ……」


葵は大和のバレーだけは心から応援していたため、茶化すこと無く、少し恥ずかしそうにしながらエールを送った。


葵が大和にギリギリ聞こえるか聞こえないかぐらいの小声で呟くと、先程まで、ギャーギャーやかましかった大和が、急に黙り込んでいた。


葵もそれに気づき大和の方を向くと、大和はギョッとした表情を浮かべながら葵を見つめていた。


「な、なんだよ……」


「なんだよってお前……、気持ちわりぃよ! お前がそんな事俺に言うなんて……鳥肌たったわ!」


大和は大袈裟に両肩を摩り、戸惑う葵に答えた。


「はぁ? お前……人がせっかく…………」


大和の反応に葵は真面目に答えた事を後悔し、ため息混じりに愚痴をこぼした。


「いやいや、あの葵が素直になる事が怖ぇよ!」


「もう、二度とお前にあんな事言わねぇ……。負けてしまえ」


「なッ! 冗談でもそんな事言うんじゃありません!!」


葵と大和はいつものようにたわいのない話でじゃれ合いながら登校し、気づくともう互いの教室についていた。


「あ、そういや、葵。他のクラスの奴から聞いた事なんだけど、なんかもうそろそろ修学旅行の実行委員決めるらしいぞ?」


大和は自分たちの教室に近づくと思い出したように、修学旅行の話題に触れた。


「は? 気が早くないか? 9月だろ? 修学旅行。まだ4月だぞ?」


「いや、ほら、夏休み挟むだろ? だから早いうちにどんどん色々決めてくらしい」


「ふ〜ん」


葵は立候補しない限り、委員になる事はまず無いと知っていたため、他人事のように気の抜けた返答をした。


「俺、立候補しちゃおっかな〜」


「は? お前、部活は?」


大和の突拍子の無い言葉に葵は全く理解できないと言った様子で大和に聞き返した。葵がそう考えるのも当然の事で、現在の男子バレー部は去年の功績から期待されており、練習もどんどんハードになっていき、それでどころでは無いはずだった。さらに、ベストとはいえレギュラー入りしていた大和は余計に余計な事に手を出してる暇は無いはずだった。


「いや、だって高校最後の修学旅行だよ? やってみたいじゃん……それに〜」


大和は真剣な様子で話していたが、後半どんどんと顔がニヤけていき葵はなんとなく大和の考えが読め、ため息をついた。


「実行委員って男女1人ずつじゃん? 芽生えるかもしれないじゃん?


いやぁ〜なんかいいな!」


「またそれか……」


妄想でニヤケながら話す大和に葵は頭を抱えた。


「まぁ、お前が実行委員になんてなったら次の日戸塚に強制的に外されてるだろうな」


「え? い、いやぁ〜流石にそこまではねぇだろ……。ハハハ…」


葵の適切な指摘に大和も否定しながらも、その時の事が容易に想像出来たのか、笑顔が引きつっていた。


「恋は諦めろ……」


「嫌だ!!」


葵達は話しながら教室に入っていくと、明るい女性の声で話しかけられた。


「あっ、おはよ! 立花くん! 神崎くん!!」


葵達はその声に導かれるように、お互い会話をやめ、声の方へと視線を移した。


すると、そこにはニコニコと可愛らしい表情で挨拶をする女子生徒の姿があった。


「お、おはよう! 二宮にのみやさん!!」


葵達に話しかけたのは二宮にのみや 紗枝さえだった。二宮はクラスの学級委員を務める優等生で、成績はもちろん良く顔もクラスで1、2を争うほどに可愛らしかった。


そのため、もちろん男子からはモテ、性格の良さから女子からもモテるクラスのアイドルといっても過言では無かった。


そんな彼女が挨拶してくれた事に神崎は喜びを隠しきれず、傍から見ても分かるほどにキョドっていた。


「おぅ……おはよう二宮。んじゃ、また後でな大和」


葵は社交辞令のように二宮に軽く挨拶を返すとこれ以上関わる気が無いのか素っ気なく大和に別れを告げ、葵の態度に親切な二宮は少し困惑したような残念そうな表情を浮かべているのが最後に一瞬見えたが、気にとめず葵は自分の机に向かっていった。


「う〜ん。やっぱり嫌われちゃってるのかな?」


葵の態度から二宮は困った様子で、大和に相談するように訪ねた。


「い、いやいや! そんな事無いですよ! アイツシャイなんで照れてるだけです。ホント脳内年齢小学生なんで」


大和は二宮が気にする事ないよう笑って明るく答えた。


大和の言ったことは気休めでは無く半分本当の事で、葵は特別、二宮を嫌っているわけでは無かった。


「そうかな。そうだといいけどな……」


元々女子に対して冷たく、あまり関わろうとしない葵を噂などで知ってた二宮は今日もまた軽くあしらわれた事を残念に思い、いつか普通に会話出来ることを夢み、葵の後ろ姿を目で追いながらそう呟いた。


そして、そんな3人の朝の出来事を教室の隅で1人の女子生徒が目撃していた。


「立花……。彼ももしかして……」


その女子生徒はそう呟くとニヤリと不敵な笑みを浮かべ、二宮とは違う表情で彼を見つめていた。


その日は結局修学旅行の実行委員を決めるような話は上がらず、いつも通り何も大した事は起こらず、その日の学校は終わっていった。



松木駅、午後十時。


夜になり、昼間とはまた違った賑わいをみせる松木駅。仕事終わりの社会人も多く、帰宅途中のスーツを着た大人や逆に仕事終わりで飲み歩いている様子の社会人、制服でぶらつく青年達の姿もチラホラ見受けられた。


松木駅はどちらかと言えば都会のため、遊ぶ場所もそれなりにあり、人が集まる理由は確かに存在した。


そんな松木駅に葵はまた女装をし出歩いていた。


大した用事ではなく、姉に頼まれたちょっとしたお使いだけだった。少しぶらつく程度の買い物だったが、葵はいつも通り女装をバッチリ決めて歩いていた。


(見てる見てる……。男も女も…、ハハハッ、あまりの美しさに声もかけられないだろ。そこで一生見てろ)


葵の格好はいつも通り目を引いていた。若干ハロウィン衣装と見間違える程の私服で、若干ゴスロリのような見た目の服を着ていた。周りを見渡しても少し浮いているその格好は、普通の人が着たら痛さを感じざるを得ないが、バッチリと着こなしてしまう葵にはその痛さを感じる前にまずその姿の称賛の感想が出てきていた。


葵も最初の方は恥じらいを持っていたりもしたが、もうそんな羞恥は無くなり堂々と道を歩いている。


(やっぱり外出る時はこの姿の方がいいな)


葵はその姿のままよく訪れるコンビニへと入っていった。


コンビニに入るなり、葵が来る前に来店していたお客や店員などからチラチラと視線を向けられるのを感じ、葵は益々気分が良くなった。


姉から頼まれていた物は化粧水だったため、一直線に化粧品コーナーへと向かい、姉がいつも使っている化粧水を取ると葵はレジへと向かおうとした。


レジへと視線を向けるとそのには男性の若い店員が接客しており、一瞬葵と目が合うと彼はスグに目を逸らした。


(フフフッ……、見てやがったな……)


葵は彼が自分と目が合うと焦った様子で目を逸らした事から自分を見つめていた事を推測した。女装をしてから人の目線には特に敏感になった葵のその推測は十中八九の確率で当たった。


葵はその場で立ち止まり少し考え込むと、何か思いつき、悪巧みなのか悪い笑みを浮かべた。レジへ向かう前に窓際の本が陳列されているコーナーへと足を運び、本を1冊手に取ると、レジへと向かった。


「い、いらっしゃいませ〜」


葵がレジに来たことに気づくとカウンターの青年は急ぎ気味にバーコードリーダーを手に取り、お会計の準備をした。


「これ、ください」


葵は普段の格好の時はコンビニ程度で何か言葉を発したりする事は無かったが、今は女装をしており悪巧みを実行している最中だったため、わざと声を出しながら品物をカウンターに置いた。


「はい!」


葵の言葉に反応するように青年は元気よく受け答えし、仕事に取り掛かった。


しかし、勢いよく仕事に取り込んだ青年だったが、葵が提示した品物を見て、一気に表情が変わった。


彼はそれを見た瞬間、最初は驚いた様子で数分の間その商品を見つめ固まってしまい、次はハッとした様子で気がつくと今度はオロオロと慌てたような、戸惑った様子に変わった。


葵は少し俯きの彼の表情全てを見ることは出来なかったが、彼が顔を赤くしている事はわかり、彼は耳まで真っ赤になっていた。


葵がレジに持っていった商品はアダルト雑誌だった。


表紙には「フィストは一日にしてならず」という文字が目に入りやすい明るい黄色い文字でデカデカと書かれていた。


その雑誌はアダルト雑誌の中でもマニアックな物に分類されるようなもので、かなりハードなSMをジャンルにしていた。


そんな男性がレジに持ってきてもギョッとするような雑誌を、ゴスロリっぽい服をきた綺麗な女性が持ってきたとしたら慌てるのも当然だった。


青年は本当にこの商品で間違いがないのか、葵に確認をとりたそうにしていたが、物が物のため話題にもあげるのも気が引けるといったような様子で、葵は言葉を交わさずとも青年が何を考えているのか手に取るように理解出来た。


数秒の間オロオロとしていた青年はようやく動き出し、確認を取るのを諦めたのか、そそくさと品物を袋に突っ込み、見なかったことにするようだった。


「え、えっと……、2点で1580円です」


「はい」


青年の告げた言葉に葵は返事をすると財布を取り出し、1000円札を2枚取り出し、カウンターにおいた。


「お預かりします」


青年はそう言うと、慣れた手つきでパパっと会計を済ませ、おつりとレシートを持ち、葵に向き直った。


「こちら、420円のお返しとなります」


葵は青年の言葉を聞き、手を出し青年からおつりを受け取とるのを待った。そうして差し出された手に青年はレシートをお皿のようにしてその上に釣り銭がいくように置いた。その時、葵も行為ではなかったのだが、自然と手が触れてしまった。


「ヒッ!」


青年は悲鳴のような驚き声をあげ、スグさま手を引き、葵はその声を聞き逃さなかった。


(いや、お前。ヒッ!てなんだよ……。普通お前みたいのからしたら、ウホッ!だろ)


青年は悪気があったわけではなく、葵がマニアック過ぎる本を買ったことに怯えていたわけでもなかった。ただ、触れた事に驚き、咄嗟にでた言葉がそれなだけだった。


青年は明らかにやっちまったといった表情で、葵はまんまと怯えられたと勘違いし、今までいい気分だったのを最後の一言でぶち壊しにされた気分だった。


そのまま、葵は周りには感じさせなかったが明らかに不機嫌になり、スグにコンビニから出ていった。


(あぁ〜あ、なんか最後に台無しになったな)


葵はコンビニを出ると、ため息を吐き、気落ちした様子でコンビニから離れていき、葵が離れたコンビニでは、先程の青年が葵とは違った理由でガックリと葵以上に気落ちしていた。


「ウホッ、綺麗……。お人形さんみたい」


コンビニから出てきたゴスロリ美少女に扮した葵が家に向かい歩き始めるのを、1人の娘がたまたま見かけ、女子とは思えない声をあげた後、自然と感想をこぼした。今の葵がそんな事に気づくことはなく、視線にも気づかないまま、歩いていった。



ピコピコとお客が来店する度に、それを知らせる音と共に1人の娘がコンビニへと来店した。


自宅から1番近いコンビニはここで、彼女はよくこのコンビニを利用していた。彼女は普段は桜木高校に通う生徒で、現在は2年生だった。


名前は橋本はしもと 美雪みゆき、長い黒髪が特徴で佇まいは高校生にしては大人びた様子で、顔も美人顔なため、男子からの人気はあった。


しかし、その人気は彼女自体が基本大人しく、引っ込み思案のようなところがあるため、周りとの交流があまりなく、地味や暗いという印象が邪魔し、密かなものだった。


コンビニに来店するなり彼女はいつも来ていた時の雰囲気と少し違うことに気がついた。


若い男性2人組で来店しているお客は何か凄い事がザワザワとしており、他の来店している客も興奮冷めやらぬといったような様子で落ち着きが無く、レジに立つ男性店員は何故か項垂れていた。


(なんでしょう……)


美雪はその不思議な雰囲気に気を取られたが、スグに何が原因かなんとなく想像できた。


(まぁ、芸能人みたいな風貌でしたし……、いや、もしかしたら芸能人だったのかも……。頼めば写真は……)


美雪はこの状況を起こしたのは先程コンビニから出てきた謎のゴスロリ美少女だと理解すると、写真を撮れなかった事を残念に思い少し間ガッカリした。


美雪は(まぁ仕方ない)とスグに諦め、自分の買いにきた物を探した。美雪はまず雑誌コーナーへと赴き、自分の好きな雑誌や興味を引きそうな見出しをした雑誌を探した。


適当に手にとっては、パラパラとテキトーに読み、戻すのを何回か繰り返すと、ある雑誌に目がいった。


その雑誌の表情には「新学期に馴染めない新入生の悩み解決」と小さく左下に書かれていた。


おそらく数ページにしか及ばない小さなコーナーなため見出しにも大きく書かれていなかったのだろうが、美雪はそれが目にとまり、思わず雑誌を手に取った。


雑誌をめくり、そのコーナーを探すと後ろの方に見つかり、思った通り小さなコーナーで数ページは疎か、たったの1ページに過ぎないコーナーだった。


美雪はその少なさに少しガッカリしたが、読み進めていった。


そこには、大した事は書いておらず、本当にこれを読んでこの問題が解決出来るとは思わなかった。美雪は内容にもガッカリし、雑誌を戻した。


「友達……。」


美雪は思わずため息と一緒に呟いた。


美雪はまだ新学期には慣れてなく、クラス変えで新しくなったクラスにまだ馴染めていなかった。


まだ4月だとはいえ、美雪の状況はあまりよろしくなく、他の生徒達は馴染めており美雪は遅い部類に入った。


美雪には顔見知りなところがあり、自分から誰かに話しかけるのは苦手だった。


前回のクラスでは最初の席の近くに明るい子がおり、その子が話しかけてきてくれたため、その子を中心に輪が広がり、友達作りに頭を悩ませる事が無かった。


割とグイグイと強引に話しかけてくるような子だったが、美雪からしたらそれは有難く、憧れたりもした、そして、明るいその子は今でも友達だ。


(なんで私1人だけ、違うとこなんですかね〜……)


前のクラスでの女性友達はみな散り散りになってしまい、美雪は綺麗に誰とも同じにならなかった。


美雪は再びため息を吐き、雑誌コーナーを離れていった。


(あ……、そういえば。彼も私と同じで溶け込めてないような気が……)


美雪は歩きながら、今度は朝の出来事を思い出していた。美雪が思い出していたのは、学校の登校時間に教室で起きた出来事だった。


立花たちばな 葵あおいが二宮にのみや 紗枝さえに話しかけられ、葵が素っ気なく返事をした場面。


葵は女子が心底嫌いだった事から出た態度だったが、美雪には自分と同じで顔見知りであるがためにとってしまった行動に見えていた。


(男子とはとても仲良さそうにしてるし、女子に対してだけ人見知りだったのでしょうか……)


美雪は何故か葵に親近感が湧いていた。


「仲間を見つけたみたいで少し嬉しかったな……」


美雪は軽く呟きながら壮大な思い違いをし、いつか人見知り仲間として葵と仲良く出来たらいいななんて思いも思い浮かべていた。


そして、美雪はそんな想像をしながらも、コンビニでの買い物を終え、コンビニを後にした。



松木駅 周辺


葵はコンビニを後にし、真っ直ぐ自宅へ向かって歩いていた。


松木駅近辺は明るく見放しがいい所が多いが、少し離れると狭い路地などが多く存在し、人気のない通りなんかもかなりあった。


葵は近道のため、そんな裏路地を歩き、家に向かっていた。


(はぁ〜、しかし、勢いで買ったとはいえどうするかこれ……。興味もまるでねぇんだよな……)


葵は袋に入っている先程悪巧みに使用したアダルト雑誌を一瞥し、この後の処理に困っていた。


(使おうにもこんなブスじゃ燃えないし……大和にやるか……、あの飢えに飢えたあいつなら処理してくれるはず)


葵は本の処理を考え、一瞬大和でも扱いに困るかと考えが過ぎったが、大和の性癖を信じることにし、結局他人にぶん投げることを選択し、この問題は葵の中で解決され、これ以上考えることは無かった。


そして、決断するなり葵はポケットからケータイを取り出し、SNSのアプリケーションを開き、大和に通信が出来る画面までもっていった。


葵は「物凄いアダルト雑誌が手に入った、DVD付きだ。部活に勤しむ雑食の君に与えよう」とだけ打つと送信し、返事を特に待つことはなくそのまま、ケータイを閉じた。


「さてと……」


葵はケータイを閉じ、ポケットに戻し呟くと、今度は後ろに意識を集中させた。後ろを振り返る訳ではなく、あくまで進行方向を向き、歩幅を変えることも無く歩いたまま、自分の後ろから聞こえてくる音に全神経を集中させた。


(やっぱりつけられてるよな……)


葵は音をきちんと聞き分けると自分の足音とは別にもう1人後ろから足音がするのがハッキリとわかった。普段なら別に気にもしないが、この足音は先程のコンビニを出てからずっとなっていた、いくら進行方向が同じだったとしても、ここまで一緒なのはおかしいと葵はそう考えた。


「まぁ、思い過ごしならそれでなんでもいいんだけどッ!」


葵はそう呟いた次の瞬間、走り出した。服が服なので走りやすくは無く、荷物も持っていたためいつもよりも遅かったが、すぐ目の前に曲がり角があったためそこに駆け込んだ。


つけていた相手は、葵の思った通り葵をつけていたのか、葵が曲がり角に駆け込むと足音の感覚は短くなり、明らかに走って追ってきているのが振り向かなくてもわかった。


(やっぱな)


葵は曲がり角に駆け込むとそこで急ブレーキをかけ立ち止まり、相手が来るのを組み待ち伏せた。しかし、葵はどんどん近くなる足音を聞いた時、待ち伏せた事を少し後悔した。


(待て? 1人じゃない……?)


葵はてっきり1人かと思っていたが、葵が逃げ込み、相手が走って追いかけ始めると何故か足音は数人になっていた。


葵が聞く限りでは3人以上は確実に走ってこっちに向かってきているのがわかった。


葵は逃げようかと思ったが、直ぐにその考えは捨てた。この服装では逃げ切れそうにないのと、常識的に考えれば、自分のこの風貌から女だと思って相手は追いかけてきていると考えられたからだった。


(最悪正体バラせば萎えて失せるだろ……)


葵はこういった状況は始めてたが、女装して男に絡んだことなど何度もあったため自信があった。


葵が待っているとスグにそいつらは姿を現した。


「おっと! 待ってやがったか……」


曲がり角を曲がるとすぐに葵が仁王立ちで待ち構えていた事に相手は驚き、急ブレーキをかけて葵の前で止まった。


先頭の声を出した彼が止まると後ろからついてきていた男性2人もそれに続いて立ち止まった。


葵は声をあげた男の顔を見ると、何処かで見たような顔つきだった。しかし、スグに消え失せる者を思い出す必要は無いとそれ以上は思い出す事はしなかった。


「何かな? 私に何か用?」


葵はいきなり普段の男口調で話す事は無く、まだ女装と合わせた声で演技をした。


「何か用?だと? こいつ……」


葵の毅然とした態度が気に入らなかったのか男は明らかに苛立った様子で呟いた。


「先輩……、ホントにコイツですか? どっからどう見ても女じゃないっすか。てゆうか、それならそっちの方が俺達はやりがいあんすけど。」


先頭に立つ大柄な坊主の男の後ろに立つ、髪が金髪な男は大柄な男に敬語で話しかけ、話しかけながらも葵が気になってしょうが無いのかチラチラと横目で様子を伺っていた。


大柄な男を挟んで金髪の男とは反対側に立つ、もう1人の男も口はひらなかったが葵が気になってしかないというのは態度で感じ取れた。


立ち位置からして、先頭に立つ大柄な男が1番立場が上なのか、少し後ろに控えて両方に立っている男達はその下っ端のような様子だった。


「騙されんな。俺もコイツにたぶらかされた」


金髪の男は言葉からして葵の事を男だと知っているもののまだ疑っている様子で、大柄な男は葵を知っているのか男だと断定し、先程から葵に敵意を向けていた。


(なんだコイツ……。俺を知ってんのか?)


葵は知り合いだと分かると大柄な男の顔を見て、思い出そうとした。


「まじか〜……。これが男って……、もう俺これから先どれが男でどれが女か分かりませんよ〜」


金髪の男は、何か彼の中で大きな自信を無くしたのか、大きくため息をついて落ち込み呟いた。


「な、何か分かりませんが、用の無いなら私はこれで……」


「ふざけんなッ!! 用がねぇわけねぇだろ!」


葵は今頃になって自分が厄介な事に足を突っ込んだ事をハッキリと自覚し、逃げようとしたが、大柄な男に大声で怒鳴られ止められた。


「おい、お前。いや、葵。俺の事を忘れたとは言わせねぇぞ」


名前を呼ばれ大柄な男は確実に葵を知っていた事が確定し、いまだに葵は彼にピンと来ていなかった。


「俺にお前みたいな奴の知り合いはいないぞ? それに口振りからして分かってると思うが俺は男だ」


葵は開き直り、もう作ったような声や演技はせず、普段通りの男の時の仕草を取りながら、口調も友達と話す時となんら変わらない感じで話した。


葵が演技するのをやめると、葵が男だと分かっているようだった大柄の男の後ろに控える2人の男性はやはり残念そうに肩を落としていた。


大柄の男とのやり取りでそれどころではなかったが、葵は後ろの1人の男が「知っていても辛い」などと呟いていた事もしっかりと聞こえていた。


「ホントに覚えてないらしいな。あんだけ俺に恥じ掻かせやがって。俺の名前は東堂とうどう 勇次ゆうじだ!!」


東堂と呼ばれる大柄な男はどうだと言わんばかりに自分の名前を発した、葵は東堂と話す内に若干、東堂に見覚えがあるような気がしてきていたが、そんな素振りは見せず、しらを切った。


「東堂? 誰だ?」


「は!? 名前を聞いても思い出さないのか!?」


「知らん。」


「ふっざけんな!! 公道であんな派手に振っといて!」


葵のあまりの思い出さなっぷりに東堂は益々イライラを募らせていき、東堂の最後の言葉に葵はついに思い出し、東堂と何があったか全て思い出した。


葵はつい先週、いつものように女装で街を歩いていた所、この東堂という男に公開告白されたのだった。


東堂は何故か白のスーツ姿でバッチリ決めており、他にも何人か人を引き連れており、その連れすらも黒スーツ姿だった。


手には何故かバラの花束を持ち、葵にその花束を渡し、跪き葵に愛を囁いたがもちろん自分以外まるで興味の無い葵の返事はNOであり、公衆の面前だということもあり周りからもかなり注目される失態だった。


「わかった、思い出したよ。でも、あの公然わいせつはお前がただ自爆しただけだろ? 訴えられなかっただけ感謝しろ」


葵は思い出せば思い出すほど自分欠点を感じず、逆に急に現れ、前から好きだったといきなり告白し、勝手に撃沈した東堂のただの勝手な逆恨みだとしか思えなかった。


「公然わいせつじゃねぇよ!! 変な気もたせやがって」


東堂が恨み言を言うと東堂の味方であったはずの後ろに控える2人は何故か首を傾げ、東堂とは違うように思っている様子だった。


「いやぁ、でも先輩。こないだのアレはちょっと……」


「自分もあれは……」


東堂が必死に訴えかけている隣で付き添いの2人は東堂のサプライズ告白を思い出し、何か面白い事でも思い出したのか、途中笑いを堪えながら呟いた。


「かなり目立ってましたしね〜あの白スーツ」


「えっとぉ、何でしたっけ? 作戦会議で言ってたアレやんなくてほんっと良かったっすね。あの巷で噂の、フラッシュモブ!!」


「バッ!バッカお前それ、前段階でボツになったやつ! 今言うなよ、笑っちまう……、ククク…。」


「フラッシュモブ提案した時は、ホント大丈夫か? この人って思いましたもん。」


付き添いの2人はあの失敗談で盛り上がり裏話まで始め、今までは東堂に気を使ってか声を抑え笑っていたが、もうそんな配慮は無くなりゲラゲラと笑い合いながら赤裸々に話していった。


葵もあの出来事の裏でそんなことが起きていたと知ると東堂を哀れに思い、またその後告白して振られていた事を考えると面白く思え、思わずプッと声を出し笑ってしまった。


「おめぇら……」


何故か1人話していた東堂が途端に笑い者にされるこの状況になり、東堂は恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤に染め上げ、怒りの篭った声で呟くと、ゲラゲラと笑っていた2人はスグに笑うのをやめ、真剣な面持ちに戻った。


「な、何お前まで笑ってやがる!」


「そ、そうだぞ! 先輩の事を散々コケにしやがって。」


東堂が本気で怒っている事を気配で感じた2人は、今度は馬鹿にして笑っていた葵へと矛先を向けてきた。


「コケにしてたのはお前らだろ……」


「うるせぇ!! 先輩、どうしますか?コイツ……」


葵は適切に突っ込むと金髪の男は逆ギレし、東堂の様子を伺った。


「もちろん、ヤル!!」


「わっかりました! 了解っす!!」


「うす!」


東堂の言葉を聞くと、2人はハッキリと返事をし答え、葵に近づいていった。


「ちッ! なんだよ!」


「オラ! 抵抗すんな!!」


葵に近づいた男が葵の片腕をサッと逃げないように掴むと、もう1人の男も葵のもう片腕を掴んだ。


葵は抵抗したが元々そんなに力が強くなかった事もあり、あっさりと捕まってしまう。


「オラ! 跪け!」


男の声と共に左から足が飛んできたと思った瞬間、葵は左足の裏を蹴飛ばされ、足がガクッと曲がり、左ひざを地面につき跪く体制になった。


腕は捕まれ、両方から肩を抑え込まれ、膝を着いた状況からは葵は立ち上がれず、睨むようにして東堂を見た。


「てめぇ、何するつもりだ」


葵はこれから東堂に殴られ、蹴られる事を想像し、覚悟したが決して引くことはなかった。


「心配すんな痛い思いはさせねぇ。ただ、お前を犯すだけだ。」


「ッ!? はぁああ!!?」


東堂の言葉に葵は一瞬自分の耳を疑った。葵は確かに見た目はとてつもなく美少女だったが、大前提に男で、それに男とバレた今は声も作らず演技もしてない、態度は男そのものだった。


葵はそれでもなおそんな事をいう東堂を理解出来ず、頭が真っ白になった。


「お前! 何考えてやがる!! 男だぞ!? 俺は!!」


葵は今まで以上に押さつけてくる2人を振りほどこうと体を揺さぶり、大声で叫ぶようにして東堂に発した。


「分かってる、それがどうした? もう、もはやお前が女であれ、男であれどうでもいい。その見た目をしてさえいれば」


「ふっざけんな!!! クソ!! 離せ!!」


東堂の目を見た葵は彼が本気で言ってるとわかり、身の危険を初めてここで大きく感じ、大声で叫んだ。


叫び、もがく葵に東堂はだんだんと手を伸ばしてきた。


「てめぇ、頭ホントにおかしんじゃねぇのか!?」


「初めて、そんな焦った表情を見たぞ。最高だな」


葵に罵倒されるが、東堂は逆に滝付き、笑顔になっていった。


「こんっのクソハゲ!! 俺に、触ってみろ?ぶっ殺してやる!!」


「なんとでもいえ、とゆうかハゲてねぇ……」


東堂はそう言うともう葵の相手をするのをやめ、更に葵に近づいていった。



中鶴駅近くのコンビニを後にした橋本はしもと 美雪みゆきはレジ袋を手に家へと向かい歩いていた。


(夜食べると分かっていてもコンビニに行くと買ってします)


美雪は買うつもりは無かったが、スナック菓子を買ってしまい、新発売という言葉と目新しい味だったとゆう事もあり、買うまでは悩んだりせず、買ってしまった今になって悩んでいた。


(気をつけないとブクブクと……、ヤバイ、想像しただけでヤバイです……、ホントに気をつけなければ……)


美雪は今後このような調子でコンビニに行くたびにお菓子を買って食べる事を続けた数年後の自分の体型を想像し危機感を感じていた。


美雪は今は太っているわけではなく、むしろ痩せていて、モデル体型と言っても過言でもないほどのプロモーションだった。


それでもこういったスナック菓子のカロリーは恐ろしいのか、傍から見たら大袈裟だと言われる事も美雪にそれほど深刻な問題として捉えていた。


美雪がそんな事を考えながら歩いていると自分が今歩いている人気の多い大通りからいくつにも分かれている外れた小さな路地へと差し掛かった。


中鶴にはこういった大通りから外れていく小さな路地がたくさん存在し、その多くが人が少なく暗い通りが多かった。


逆に言えば美雪が歩くこの大通りはそういった小さな路地が沢山ぶつかる通りでもあった。


美雪は特に気にせず歩いているとその小さな路地から叫び声のようなものが微かに聞こえた。


「ん?」


気づくか気づかないか人によるほどの小さな声だったが反響し、美雪の耳には届き、美雪は声のした路地の方へと意識を向ける。


美雪は今度は注意して聞き耳をたてると、やはり人の怒鳴り声のようなものが美雪の元に届いていた。


辺りを見渡しても街ゆく人々は気づいていないのか、特に立ち止まっている人は見受けられなかった。


(気のせいじゃ……)


美雪は声が気になり、声のする方へと向かい路地へと入っていった。


美雪がどんどんと中へと入っていくと、声は大きくなっていった。


そして、それがどうやら人の叫び声だと分かり、美雪は驚いた。


一大事だと思い込み、美雪は向かうスピードをあげ、駆け出した。


声へと近づいていくと何を叫んでいるのかだんだん聞き取れるようになってきた。


「……っざけんな!! ハゲ!!」


美雪が聞いた声は低く、男が怒鳴っているように聞こえていた。


美雪の想像だったが、喧嘩か何か揉め事が起こっているとそんなふうに考えていた。


美雪はついに声のすぐ側までやって来ることができ、物陰から顔を少し出し、声のする方へと視線を向けた。


そして、そこで起きていた事を目撃し、美雪は驚愕とした。


「あれは……、もしや襲われて??」


美雪が見た光景には、ゴスロリの服を着た女性が男二人に抑え込まれ、1人の大男がそのゴスロリの女性に手をかけようとしていた所だった。


その光景はまさに、強姦をしようとしているようにしか見えなかった。


女性は嫌がり、必死に抵抗し叫んでいるのがよくわかった。


美雪はこんな状況は後にも先にもこれっきりであり、どうしていいか分からず、パニックに陥った。


「嘘……、そんな事って…、と、ともかく助けないと……!」


美雪は恐怖で震えながらもポケットからケータイを取り出し、警察へと連絡した。


しかし、ケータイはスグにはかからず、美雪は更に焦っていく。


「ど、どうしてこんな時に、は、早く!」


美雪は声を押し殺しながら喋り、ケータイを急かすようにブルブルと小刻みに振った。


すると、スグにケータイは目的の所にかかった、時間にしたら数分の出来事だったが美雪にはえらく長く感じていた。


「どうなさいました?」


ケータイがかかると落ち着きのある女性の声が聞こえてきた、こちらまで落ち着きを取り戻しそうなその声だったが、美雪はそれどころではなく、どんどんと気持ちは焦っていった。


「あ、あの、ひ、人が! 女の子が襲われていて!」


「分かりました。では、そちらの住所をお願いします」


焦る美雪に女性はマニュアル通りの対応をするように答えていった。


「中鶴駅です! 早く!!」


美雪は冷静では無く、普段の美雪ならばそれだけじゃ情報が足りないという事も分かりきっている事だったが、今の美雪はとにかくスグに来て欲しいという気持ちが優先してしまっていた。


「お前ぇ、マジで触ったら殺す!」


葵(ゴスロリの女)は東堂(大柄な坊主の男)に向かってまだ罵声を浴びせていた。


プライドが高い葵は女装している時は特に、自分の許可した人間以外に触られたりするのを心底嫌がっていた。


そしてそれが下心から来るものなら尚更嫌悪感は増した。


「生意気だな! どういう立場か分かってんのか!? アァ!!?」


東堂はいまだに調子づいたことを言う葵に苛立ち、葵のウィッグを鷲掴みにし、叫んだ。


「ッ! 触んなっつの!! 」


「あッたまきたっ!! こいつ、マジでヤル!」


東堂はそう言って葵の服に手をかけようとする。


「マズイです! ホントにマズイですって! 警察さん、早く!!」


一部始終を見ていた美雪は更に焦り、少し声が大きくなる。


「ん? 誰だ!?」


美雪の少し大きくなった電話の声を東堂の仲間は聞き逃さなかった。


美雪の声のした方を見ながら金髪の男は指摘した。


金髪の発した大声に、東堂は焦ったようにぐるりと翻り、美雪の方へと振り返った。


襲われていた葵までもが美雪の方へと注目する。


美雪はヤバイと思い、体を一気に物陰に隠した。


「ん? どうした?」


葵を押さえつけていた金髪じゃない方の男が金髪の男へと話しかける。


「今、そこで話してる奴がいた。オイ!! 分かってんだよ! 出てこい!!」


金髪の男は美雪のある方へ更に大声で叫びかける。すると、物陰からゆっくりと人が出てきた。


美雪は恐怖と焦りで小刻みに震える足を押さえつけ、強姦をしようとする男達の前へと立った。


美雪は緊張すると表情が強ばり、背筋がピシッと伸びる癖があり、ガチガチに緊張している今はその癖が全て出てしまっていた。


美雪はこれらの癖に悩んでいたが、綺麗顔の美雪がそれらをすると、何処か大人っぽさが出てきており、ピシッとしたその佇まいは何処か頼りになるようなそんな雰囲気すらかもし出しており、今はその癖がいい方向へと働いていた。


「女?」


東堂は呟くと、美雪はビクりと軽く体をはねらせた。


女と言う言葉に美雪は嫌な想像が次々と思い浮かんで止まらなくなってしまった。


自分も今のゴスロリの女性と同じ目に合うのでは無いのかと思うと怖くてたまらなくなった。


しかし、そんな不安も緊張で表情には出ず、ポーカーフェイスを保てていた。


「ん? こ、コイツ! ケータイ持ってやがる!!」


金髪の男は美雪の手元に視線がいくと、ケータイを持っているのがわかり、そこから微かに声が聞こえた事とこの状況から間違いなく誰かに助けを求め、通話していた事まで理解出来た。


金髪の男が叫ぶと、他の仲間の2人もビクリとし、ケータイに視線が集まる。


「つ、通報か!? やべぇ!」


東堂は思った以上に動揺し、押さえつけられていた葵はそれを見逃さなかった。


「おい、早く逃げないとヤバイんじゃないのか?」


「う、うるせぇ!! お前は黙ってろ!」


葵に焚き付けられ、東堂は葵を黙らせるように大声で叫んだ。


その行動から葵は明らかに東堂は動揺しているという事がわかった。


「そんなこと言ってる場合か? なぁ?」


葵はそう言って今度は、物陰から現れた女性に話を振った。葵は便乗して欲しくて美雪に話を振り、美雪は葵の意図を掴み、首をブンブンと縦に振った。


美雪の必要以上に頭を縦に振るその行動を見て、葵は少しモヤッとした不安が出てきていた。


そして、その不安は的中する。


「そ、そうです! つうひょうしまゃひた!!」


美雪は強張る体を必死に押さえ込み、精一杯答えたが、短い言葉でも噛み噛みで声も途中裏返ってしまい、少々頼りなさが伝わってきた。


以前、緊張のおかげでポーカーフェイスは保てていたが、思いっきり噛んだ恥ずかしさと緊張で顔を真っ赤にしていた。


(だ、大丈夫か? あいつ)


美雪の姿に何故かピンチの葵は逆に冷静さを取り戻し、美雪の事を心配するまで余裕が出来ていた。


「クッ! せ、先輩!! ど、どうします!?」


金髪は明らかに面食らい、動揺した様子で東堂に今後の方針を聞いた。


「ど、どうするって、逃げるしかねぇだろ!」


東堂は当たり前の事を聞くんじゃねぇといったような様子で答え、その場を離れる決断をした。


(逃げろ逃げろ、とっととどっか行け)


葵は心の中で安堵し、東堂達をおちょくった。しかし、次の瞬間、葵が予想もしてなかった事が起きる。


「だが、その前に……」


東堂が逃げるかと思われたその時、呟くように言うと何故か葵に振り返り、葵はその瞬間、嫌な予感を感じた。


「コイツだけは痛い目に遭わせないとな」


東堂はそう言って再び葵に触れようとした。


「は!? 何言ってんだ! 早く逃げろよ!!」


「そ、そうっすよ、東堂さん!! 警察来ちゃいますよ!」


葵は何考えてんだコイツと言わんばかりに東堂に突っ込み、金髪の男も葵と考えは一緒だったのか、便乗し、逃げる事をすすめた。


「だ、大丈夫だ! スグに来やしねぇよ!」


東堂は2人から焦らされたが、スグに逃げる事を拒んだ。


「5分ですませる!! 任せろ! 速さには、て、定評があんだよ。おらぁ」


東堂は連れを落ち着かせるように宥めるように言おうとしていたが、所々噛み噛みで焦っているのは言わずとも伝わった。


「バカじゃねぇの!? そんな余裕ねぇっつの!」


「な、何言ってんすか! 5分もありゃ警察なんざスグっすよ!! 逃げましょう」


葵は自分の身の危険を、金髪の男は警察が来るかもしれない危険を感じならそれぞれに焦り、必死に東堂を説得しようとする。


「うるせぇ!! お前は黙ってろ葵! だ、大丈夫だって! 5分とも言わず、1分!1分でもいける!!」


「無理ですって、こんな状況でなんでそんな自信あるんすか!! まず立たないっですって!!」


「いやホントいける! 驚くほどイケる!! イケる未来しか見えない」


東堂は葵に怒鳴り散らし、その後に仲間を逆に説得し返し、金髪の仲間はどうしてそんなにしてまで葵にこだわるのか、この状況で何故そこまで自信が出てくるのか、そして、どう考えたら逃げるよりも先にそんな考えが出てくるのか、東堂いう人間がまるで理解出来ないといった様子だった。


東堂がついにパニクり、訳の分からない事を言い出したところで、東堂達にとって最悪の音が路地に鳴り響く。


それは、パトカーのサイレンの音だった。


美雪は正確な位置を伝えていなかったが、これとは違う事件が近くで起こったのか、あるいわ美雪の通報に答えてくれて近くにパトカーがサイレンを鳴らしてくれたのか分からなかったが、美雪や葵にとっては最適なタイミングだった。


「さ、最悪だ……」


「ほら! 先輩、逃げましょうってッ!!」


東堂はこの世の終わりのような表情を浮かべており、金髪の男はそんな東堂に必死に呼びかけ、東堂の服を引っ張りその場から逃げようとした。


もう1人の男も逃げようと葵から離れ、2人が離れた事によって葵はやっと解放された。


「こ、こっちです!! 早く!」


葵が解放された事に美雪は気づくと、手を素早く振り、葵に逃げるよう呼びかけた。


葵もそんな美雪に気づき、一応東堂達に逃げる事がバレないように気を使い、足音を立てずそれでいて早足に素早く美雪の方へと向かった。


幸い、逃げようとする葵を東堂達がしつこく追ってくることは無く、彼らは彼らで違う方向へと逃げていった。


「逃げます!!」


葵が美雪の所へと辿り着くと美雪は焦った様子で葵に語りかけ、葵の手を握り、走り始めた。


東堂達が違う方向へと逃げた今、葵は逃げる必要は無いんじゃないかと思い、一瞬美雪にその事を伝えようとしたが、それはやめた。


よくよく考えるとこの後、警察がこの場に来ることになるため、想像しなくとも面倒な事になるのはスグにわかった。


(ん? こいつ……)


美雪は緊張して真顔のまま表情が固まっていただけだったが、葵はその美雪が先程は思いっきり噛みまくっていたが、それでも何処か余裕のあるように見えていたが、美雪から繋がれた手から微かに彼女の手が震えているのを感じた。


それは、女の子なら当然といえば当然の恐怖から来ている震えだというのは考えるまでもなく分かった。


葵は美雪に手を引かれるがまま、その路地を後にして行った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る