最後の三分クッキング

おぎおぎそ

最後の三分クッキング

 チャカチャッカチャッカチャ♪ チャカチャッカチャッカチャ♪ チャカチャッカチャッカチャッカチャッカチャッチャッチャッ♪


 テレビから流れてきたお馴染みのメロディに、思わず作業の手を止める。もうこんな時間か。少し休憩して、テレビでも見ようか。

 食器洗いをいったん中止し、手に付いた洗剤を洗い流す。濡れた手のひらをエプロンで拭いながら、ちゃぶ台の前に腰を落ち着ける。

 画面の中では三頭身のハゲた永沢君のような人形が軽快な音楽と共にぐるぐる回っていた。その音楽に合わせ、タイトルが声高に流れてくる。

 いつ見てもタイトル詐称の甚だしい番組だな、と思う。三分で料理ができるような印象を与えておきながら、たいてい作り置きのものを「事前に用意しておきました~」とか言いながら出してくるからな、あいつら。あんなん三分でできるわけがない。料理をなめるな。愛は食卓にはない。

 普段ならその日紹介する料理が映し出されるシーンまできた。三分で完成するはずのない料理があたかも三分で生み出されたかのような顔をして映し出されるシーンだ。

 だが今日はなぜかそのカットが入ることは無かった。おや、と思い少し身を乗り出してしまう。

「三分クッキングのお時間がやってきました。突然ですがみなさんにお知らせがございます」

 アシスタント役の女性が、料理家風の男性の隣で神妙な面持ちでそう言った。

「三分クッキングは今日が最終回となります。皆さま、大変長らくの間誠にありがとうございました」

 続く言葉に、思わず飲んでいたお茶を噴き出しそうになった。最終回? 地球が滅んでも変わらずに放送を続けていそうなこの長寿番組が終わるだって? 信じられない。

「今日は最終回ということで、番組開始当初と同じように生放送でお送りします。先生にも最終回にふさわしい特別なメニューを教えていただきたいと思いますので、お楽しみに。講師は料理研究家の佐藤としお先生です」

「どうも」

 視聴者の戸惑いをよそに、アシスタントはてきぱきと番組を進行していく。ちょっと待て、ちょっと待て。視聴者はまだ飲みこめてないから。この番組の終了って二行で終わらせていい出来事じゃないから。

「佐藤先生、今日は何を教えてくださるんでしょうか」

「あ、ちょっと料理の前に一言よろしいでしょうか」

 佐藤先生とやらが少々申し訳なさそうな表情でアシスタントの進行を遮る。佐藤先生のお手本のような中年顔にカメラが寄っていく。

「えー。私はこの番組の講師として、五年前からお世話になっているのですが……。ずっと気になっていたことがありまして……」

 佐藤先生はそこで一度言葉を区切る。

「……何が三分なんですかね、これ」

 ぼそっと呟くように放った一言は、その音量とは反対に、はっきりと視聴者の鼓膜を震わせた。

 思わぬ展開に、アシスタントも困惑の表情で問い返す。

「……とおっしゃいますと」

「いや、明らかにおかしいでしょ⁉ ずーっと、ず―――っと思ってたけどさ、この番組十分枠じゃん⁉ まあ、コマーシャルやら何やらで十分間全部を料理につぎ込んでいるわけではないとはいえ、それでも確実に五分以上クッキングでしょ⁉ 何堂々とサバ読んで三分クッキングとか言っちゃってんの⁉ 視聴者製作陣スポンサー誰一人違和感を覚えなかったの⁉ この異常事態に‼」

 おーぅ。言ったなーこの人。言っちゃったなーこの人。この番組の最も闇が深い部分に手を出しちゃったなー。

 ぶっちゃけて言えば、視聴者は皆一度は疑問を抱いたことがあるはずである。私だって、ついさっき似たようなこと思ったばっかりだし。

 でも、多くの人にとって「言われてみれば気にならないことも無いけど、まあどうでもいいや」程度の認識であったことも確かだ。二十四時間テレビだって厳密には二十四時間じゃないし、ごはんですよはご飯じゃない。けれど、それに文句をつける人間はほぼいない。それらと同じくらいの扱いなのだ。

「いやそれはですね……」とたじろぐアシスタント。

「そもそも、作り置きのものを用意してる時点で、ものによっては三十分クッキングとか普通にありますからね⁉ 私が毎回何時にスタジオ入りしてるかわかってます⁉」

 もはやブレーキの利かない佐藤先生。話すたびに激しくなる動きにカメラが追い付かない。

「最終回ですし、ここで一度謝っておいた方がいいんじゃないんですかね」

 佐藤先生から謎の提案が入る。

「謝る……ですか……?」

 涙目のアシスタント。

「ええ。謝りましょう」

 佐藤先生はこくりと頷き、カメラに向き直る。

「えー。今まで皆さんに『三分クッキング』という名前で親しまれていたこの番組ですが、実際には放送時間も調理時間も三分を超過していましたことを、ここに深くお詫び申し上げます」

 頭を下げる先生。アシスタントもどうしていいかわからないのか、とりあえずそれに追随している。

 別に謝るほどのことでもないと思うが……。まったく最近の世の中は不祥事やら何やらに敏感になりすぎている気がする。そんなにペコペコしなくてもいいのに、と思わずにはいられない。

 というか、この放送後に謝罪しなければならない立場におかれるのは番組の方ではなく、間違いなく佐藤先生のほうだと思うのだが……。SNSが普及している今、炎上はもはや不可避だろう。料理研究家らしいが、はたしてこういった炎の扱いはいかほどか。

「えー。ということでね。放送時間も残りがちょうど三分ということで。今日は最終回ということなので、きっちりと三分以内に完成する特別料理をご紹介しようと思います」

 頭を上げた佐藤先生が、ちゃっかりアシスタントの仕事を奪いながら本題へ移行し始めた。怖い。テンションの振れ幅がもはや怖い。

 ちょっと泣き始めていたアシスタントが自分の仕事を思いだしたのか、涙を拭いて話し始める。健気だ。

「何を教えてくださるんでしょうか」

「みそきゅうです」

 ……はい?

「えーっと、先生――」

「みそきゅうです」

 佐藤先生は固まっているアシスタントを尻目に用意を始める。

「材料はこちら。まずきゅうり――」

「ちょっと待ってください‼ 先生、新鮮魚介のパエリアの予定じゃ――」

「え? あんなの三分じゃできないし。下準備だけで、すぐに時間溶けてくわ。それとも何? ほとんど完成している状態の料理にちょろっと手を加えるのが君の思う料理番組なの?」

「それは……」

 あーあーもうその辺にしておきなよ。泣いちゃうよ、その子。てかもう泣いてるよ。目が真っ赤だよ。

「ということでね。気を取り直して。本日のみそきゅうですが、材料はまずきゅうりです。当然ですね。なるべく新鮮なものを使うようにしてください。色づきが良くイボがゴツゴツしているものを選ぶと良いでしょう」

 佐藤先生はそう言いつつきゅうりを取り出す。見事なきゅうりだ。

「きゅうりは丁寧に洗ってください。それから水気を切り、適当なお皿に盛り付けてください。小さいお子さんがいらっしゃる場合は、食べやすい大きさに切っても構いません」

 ダイレクトにきゅうりを皿に乗せる。盛り付け、という言葉に対する冒涜のような盛り方だ。

「つぎは、お味噌です。市販のものを小皿に少量盛ってください。お好みでマヨネーズを混ぜたり、鷹の爪を散らしても良いでしょう。っと、ここで今日のポイント!」

 なんでこんなにニコニコしてんのこの人……。

「お味噌を盛る際は、少しみそをほぐす! これがポイントです。食べるときに『あっ味噌つけすぎた!』っていう事態を未然に防ぎましょう!」

 マジでなんでこんなにニコニコしてんのこの人。となりでアシスタントちゃんがまだ泣いてるんだぞ。人の心が無いのか?

「さ、これで完成です。無事三分以内に出来上がりましたね。こちら、みそきゅうです」

 カメラがきゅうりに寄っていく。むしろなぜこれに二分半近い時間がかかったのか疑問だ。

「えー。みそきゅうですが、こちらテキストには掲載されておりません。ご了承ください」

 カメラは再び佐藤先生を映し出す。ニコニコ笑顔の料理研究家、泣き止まないアシスタント、机に乗ったきゅうり。未だかつてこれほどカオスな放送回が、この番組にあっただろうか。泥を塗るどころの話ではない。もはやこの佐藤とやらが泥みたいなものだ。

「ではみなさん。またいつかどこかでお会いしましょう。その日まで、さようなら~」

 そのままなんとなくそれっぽい感じで番組は数十年の歴史に幕を閉じた。最後まで進行役がアシスタントに戻ることは無く、泥が全てやり通した。


 チャカチャッカチャッカチャ♪ チャカチャッカチャッカチャ♪ チャカチャッカチャッカチャッカチャッカチャッチャッチャッ♪


 お馴染みのメロディを聞きながら、私はふーっと息を吐きだす。ちょっと休憩のつもりが逆になんだか疲れてしまった。怒涛のジェットコースター的な展開に振り回されてしまった感がある。

 ふと思う。

 今まで意識したことは無かったけど、私がこの番組に求めていたのは、「変わらないもの」への安心だったのだろう、と。日々変わり映えはせずとも、忙しい主婦業のなかで、いつも変わらないということに対しての安心を私はこの番組から得ていたのだ。

 この三分間、もとい十分間の番組が提供してくれていたのは、今晩の献立ではなく優しい安らぎだったのだ。

「……さっ。洗い物の続きでもしますか」

 日常が消えてしまうことへの恐怖を少しだけ感じながら、私はいつも通り、家事をこなすことにした。

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