仁科君6
死にたいという女の子を前に男が何を言えるだろうか。うつむいたままの佐多さんに「ふーん、そうなんだ」「それはなんで?」とか、何とも思っていない風を装って聞き返すことしかできなかった。
なんで、という空気を読まない質問に、佐多さんは戸惑っているみたいだった。
内心、しまった。と思いながらも、ぼくは取り繕う術を知らない。ただじっと彼女の口から言葉が出てくるのを待った。
「理由なんか、ないよ。わかってたら、死なないよ」
と佐多さんは言った。そうだろうか? とぼくは首をひねった。新聞やワイドショーには、心労や借金苦、生活苦、オーバーワークなどが自殺の原因に挙げられているけど。それって理由じゃない?
「なんかいろんなことがわーって頭の中にあって、全然まとまらなくて、意味わかんなくて、どうしていいかわかんないから、とりあえず死にたいんだよ……」
「あ、そう」
そうなんだー、とぼくは視線を落とした。どうやって答えていいかわからない。
「仁科君は死にたくなったりしないの?」
佐多さんがぼくの顔を覗き込んだ。しばらく黙って考えてみる。記憶を掘り返して浚ってみる。
……。
死にたくなったりしない。
しない。
しないぞ? これって変なのかな。無神経とか。そういうことなんだろうか?
「いいなぁ」
返事をしないでいたら、佐多さんはなんとなく察したみたいで呟いた。
「いいのかな。なんか、人生を真面目に生きてない気がする。生きるか死ぬか悩んでないのは、人生から逃げてる気がする」
ぼくは言った。
「なにそれ」
「いや、とくに深い考えはないけど。そう思ったので」
「うーん」
佐多さんはぐるりと目を回して、
「でも死にたいって思ったことがないっていうのは、いいことじゃない? より向き合っている気がする。生きるということに」
「いやいや、それは違うでしょ、唯々諾々と流されるように生きてるよりも、立ち止まるべきか、そうではないかとか、考えている方が、よっぽど真面目に向き合ってると思うけど」
佐多さんは納得していない顔をしている。それからふと顔を上げて、
「仁科君は好きな人いるの?」
と聞いてきた。いやいますけど。それはあなたですけど。言ってしまっていいものか? いやもう、どうしたらいいんだろう。わからない。え、これってコイバナの流れなのか? あこがれの、佐多さんとの、コイバナの。
「そういう佐多さんはいるの、好きな人」
勇気を振り絞った一言に、佐多さんはさっと視線を下げて、黒目をかすかにふるわせて、困ったような、悲しそうな、よくわからない顔をした。あ、これはいるんだな、好きな人。とさすがの勘の悪いぼくも察した。
「そうかー、それはじゃあ、生きなきゃね」
「なぜ?」
「恋ってなんか、続くでしょ」
「え?」
「生きてる限り、続くものだから」
何言ってんの? という感じで佐多さんがぼくの顔を見た。ぼくも自分で何言ってるかよくわからない。
「恋は生きる動力だよ。たぶん」
佐多さんは胡散臭いものを見る目でぼくを見ている。ぼくもこんなことを言う人間はめんどくさくて信用ならないと思う。なんでこんな恥ずかしいことを言っているんだろう。恥ずかしい。穴があったら入りたい。消えたい。もしかしてこれが、死にたいという気持ちなのか? 佐多さんの気持ちに少し近づけた気がして嬉しいけど、恥ずかしくてたまらなくて、心臓がばくばくして、居心地が悪い。あ~柄にもないこと言っちゃったもう無理だよ消えたい恥ずかしい。
そんな風に思ってると、佐多さんが言った。
「仁科君の恋ってどんな感じ?」
「え、普通だよ。普通にその、ときどき喋ったり、なんかおすすめしてもらったり、それで楽しくなったり悲しくなったり」
「じゃあ、一緒だ。私もおなじ」
佐多さんはふふふ、と可愛らしく息を吐いて笑った。その笑い声が、なんだかすごく安心しきっていて、嬉しそうだったので、あ、完全にこの人の好きな人は、ぼく以外の誰かなんだなと思って、そうかー、もしかしてぼくだったらいいな、と思ったけど、そんなことはなかったんだね。そこまで考えて、一瞬頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなった。でも目の前のはにかむは佐多さんがすごく可愛らしくて、がんばれ、って言いたくなって、でも言えなくて、ぼくは笑った。
***********
その日の帰り道に、初めて鈴木の家に寄った。三階建てのバカでかい家だった。え、もしかしてこいつ、すごい育ちのやつなの? 引くというか、緊張した。
家の中はしんとしてて、広い玄関も殺風景だった。観葉植物がほこりをかぶっている。背の高い靴箱にハイヒールがこちらに背を向けて、たくさん並んでいた。十センチ以上ありそうな細いヒール。赤い靴底。キラキラしたビーズ。
なんか、すごいな。靴専用の、高そうな棚。
玄関側にクロークがあって、うわー、うちと違う。
吹き抜けの階段。無音の家。家の人は留守みたいだ。こんな広い家だと、落ち着かない。
「廊下の突き当りが俺の部屋だから。飲み物入れてくる。てきとーにしてて」
鈴木はそう言って階段を降りて行った。言われた通り、突き当りの部屋に向かう。三階建てってどうなってるんだよ。こんな広い家、どうやって住んでるの?
ためらいながらドアを開けると、真っ暗な世界が広がっていた。音楽室に防音のためにかかっているような遮光カーテンが引かれている。人感センサーなんだろうか、勝手に明かりがついた。それもオレンジの、ほの暗い照明で、心もとない。
パイプベッドと、金属の棚。服をかけるラック、部屋の真ん中にシンプルなガラステーブルがぽつんと置かれている。棚には骨格標本や、大きな魚の標本、小さな動物の頭蓋骨が並んでいる。道端で拾ったのか? カラスの黒い、大きな風切り羽が棚に置かれていて、小学生みたいだと思った。
黒いクッションが置かれている。なんとなくそこに座る。
部屋全体が黒とシルバーで統一されていた。ところどころに赤い小物がある。本棚には美術に関連する書籍がたくさん並んでいた。大きくて、カラフルで、高そう。やたらリアルなサメのぬいぐるみとか、拷問器具についての図鑑とかがあった。なんだかそこはかとなく厨二っぽい……。
鈴木っぽいな、と思って、ぼくはなんとなく安心した。
ほどなくして鈴木が部屋に入ってきた。オレンジジュースを運んできている。意外と人並みの気づかいを見せてくれたことに安心した。ちゃんと友達として認識されている。
「で、なんか落ち込んでるみたいだけど」
鈴木は赤いクッションの上に腰を下ろして言った。
「え、なんで、わかる?」
鈴木は唇の端を歪めて笑った。
「顔に書いてある」
お前は人と比べて特にわかりやすい。と鈴木は言った。
「佐多さん、好きな人がいるみたいなんだよね」
ああ、と鈴木はこともなげに言う。
「知ってたの?」
「まぁ」
「ショックだわ」
言ってくれてもいいのに。と言うと鈴木は笑った。いつもの人を馬鹿にしたみたいな笑い。ぼくは平気そうな鈴木がふと不思議になる。
「お前は凹まないの?」
「え? なんで」
鈴木は心底不思議そうに聞き返した。ぼくもあわてて言い直す。
「いや、なんでもない」
強いな。好きな人に好きな人がいるくらいなんてことないってことか。それこそ本当の愛なのかもしれない。なんか、ぼくが目指しているのって、そういう愛な気がしてきた。そうだ。そういうことだ。そうなんだ。ぼくは拳を強く握った。
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