仁科君4
母さんはぼくが部活を辞めたことを知っていた。怒っているみたいだった。ぼくがなにも相談しなかったからだという。でも何を言えばいいんだろう。何をどう言えばよかったんだろう? わからない。
自分と兄さんの違いは、こういうところだと思う。兄さんならうまく説明して、母さんを納得させられる、ぼくにはできない。そもそも兄さんは部活をやめたりしないから、根本からぼくと違う。
どうしたらよかったんだろう。どうしても母さんはぼくのすることには納得してくれない気がする。学校に行く道すがら、ずっと、ぼくと兄さんの違いをを考えてた。
「落ち込んでんの?」
鈴木が珍しくぼくのクラスに来て言った。ぼくの今の席は廊下側だから、開け放たれた窓越しに会話ができる。鈴木は窓枠に腕を組んでぼくの席を覗き込む。
「授業抜けて帰るか」
「ダメだよ、親にバレる」
「あーそ」
鈴木はなんか、こういうところがある。後先考えないというか、深く考えないというか。
「放課後うちくる?」
「なんで」
「いや、別に深い意味ないけど」
でも、ぼくを気遣うような言葉が彼の口から出たのが意外だった。こうやって話すようになってから、初めてのことではないか。
鈴木は教室の中を軽く見渡すと、言った。
「お前せっかく佐多と同じクラスなのに、話しかけたりしないの?」
「しないけど。恥ずかしいじゃん。周り人いっぱいいるし」
「いっぱい? たかが四十人もいないじゃん」
「まぁ、それはそうなんだけど」
ときどきは話しかけたりしてるし。してるし。
「それって好きっていうの?」
「え」
え。それはお前も同じじゃないか?
「好きだよ。好きだし」
「具体的にどの辺が?」
「え、それはこう、なんていうか、存在自体が尊いっていうか」
「へぇ」
「見てるだけで癒されるっていうか」
「じゃあハムスターとかうさぎと一緒だな」
「え?」
「愛玩動物ってことだ」
「や、それは違うけど」
「違わないよ、一緒じゃん」
「観賞用ってことだよな」
鈴木はひとりごとみたいに呟いて、なにも言わずに立ち去った。
言われたセリフがぐるぐると頭の中をめぐる。え、このままじゃぼく鈴木のこと好きみたいじゃん。って思って考えるのやめた。チャイムが意識を遮る。ぼくは佐多さんの席をちらりと見た。太陽光を浴びてキラキラする髪が神々しい。佐多さんは可愛い佐多さんは神。真言を唱えるとなんだか元気が出てきた。すがすがしい気持ちでぼくは教科書を開く。
その日の昼休み、佐多さんが当番をしているはずの図書室に行った。佐多さんは罪と罰を読んでいた。ぼくが目に入った瞬間の佐多さんは明らかに動揺していて、黒目がぐぐぐ、って動いた。漫画みたい。もう一人の図書委員の人は、懸賞雑誌を見ながらはがきを書いている。
「あ、その本面白そう。どんな内容?」
ぼくは控えめに声を出したつもりだった。佐多さんは一瞬びくっとして、それから、「高利貸しの家主を殺す若者と娼婦の話」と教えてくれた。佐多さんの口から娼婦とかいう言葉が出たことに、今度はこっちが動揺してしまった。
「あ、あのさ。本を読みたいんだけど、なにから読んでいいかわからなくて」
佐多さんは首をかしげる。
「えーっと、なにかおすすめ、ある?」
「どんな本を探してるの? 物語? それとも、」
「面白くて読みやすいやつ」
佐多さんは、席を立って、こっち。と本棚に案内してくれた。それから用心深く、本棚の棚を軽く叩いてから、そうっと一冊の本を手に取った。
「吾輩は猫である?」
「そう。夏目漱石」
「昔の千円札の」
「そうだよ」
「あの、時間があったら、一緒に座って読まない?」
佐多さんは困ったように、もうひとりの図書委員の方を見た。それからぼくに視線を戻して、眉根をくっと寄せた。
「ねぇ、仁科君」
「え?」
名前を呼ばれた瞬間、心臓がずくんと動いて時間が止まったかと思った。
「最近あの子と仲いいね、なんだっけ、あの、ほら、髪の黒い、まっすぐな」
「鈴木?」
「そうそう、鈴木君」
仲いいね、と言った佐多さんの声が軽くうわずった。
「ああ、なんかね、そうなんだよ。話が合うっていうか」
「普段ふたりでどんな話するの」
君の話だよ。とは言えずに、なんとなくごまかした。
「佐多さん、鈴木のこと知ってるの?」
「あ、ううん。その、意外だなぁって。仁科君と鈴木君って、意外な組み合わせ」
「そう? 佐多さんから見ておれってどんな感じ?」
「おだやかそう。のんびりしてる。真面目そう」
「じゃあ、鈴木は?」
佐多さんは口ごもった。
「あんまり、好きじゃないかなぁ」
内心嬉しくなってガッツポーズをした。
「佐多さん普段、どんな本読むの?」
「色々。小説とか新書とか、エッセイとか」
「教室でも、いつも本読んでるよね」
「まぁね、付き合い悪いよね。感じ悪いってよく言われる」
なんて返事していいかわからなくて、黙ってしまった。これだからぼくは、友達ができない。できても続かない。冗談も通じないし、面白くないから。
だからモテないんだろうな。
「モテたい」
心の声がふわっと口をついて出て、あわてて押さえたけど、時すでに遅し。佐多さんはきょとんとぼくを見ていた。ぜっっっっっっったい聞こえてる。
「も、も、モテる人ってどういう人だと思う?」
という質問に置き換えてごまかしてみるけど、やっぱりはっきり、モテたい、と聞こえていたと思う。
「優しい人?」
「あー、佐多さんはそういう人がタイプな感じ?」
「いや、そういうわけでも、ないと思うけど」
「じゃあ、どういう人が好きなの?」
「できるだけ、ふつうの、人」
なんだそれ、すごい難しいな。でもぼく普通だし、普通というと、ぼく、可能性あるかもしれないな……。
「佐多さん好きな人いる?」
思い切って口にした言葉に、佐多さんは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていた。
「え、なぜ?」
「聞いてみたかった。」
「いない、と思う」
「そうなんだ」
平然と、そうなんだ。と口にしたものの、心の中では猛烈にガッツポーズを決めていた。これはもう、ぼくには輝かしい未来しか残っていない気がする。
「この本借りていくよ」
佐多さんに貸し出し手続きを頼んで、教室に戻る途中、嬉しさのあまり鼻歌がこぼれた。
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