仁科君2

 バレー部を辞めた。馴染めなかったのだ。誰が悪いわけでもない。運動するのはぼくには向いてなかった。チームプレーだって。適性がなかった。ただそれだけ。でもみんなは、そうは思ってくれないみたいだった。馴染めない、ぼくに問題がある。そういうことに、なるのだそうだ。


 部活を辞めてから佐多さんへの恋心が加速した気がする。他にすることがない、というのがぼくの注意を佐多さんに向けた。観察すればするほど、佐多さんが巧妙に人を避けているのが分かった。誰の特別にもならないように心掛けている、というのか、佐多さんはその他大勢でいたいみたいだった。かといて近づいても避けられる感じではない。真面目に答えてくれる。不思議だ。


 ただときどき、人の視線をふっと避けたり、背の高い男子や男の先生に怯えたりする。




 部活を辞めたことを家族には言えなかった。だから毎日河原で時間を潰して帰っていた。することがないから宿題をしたり、本を読んだり、それでも時間が余るので、寝ていた。夏の間に伸びきった草の端が、徐々に色褪せ、枯れて柔らかくなっている。手触りがいい。


「暇そうだな」


 声をかけられて驚いた。

 あの男子だった。美術室で、うわ、思い出しただけでしんどい。佐多さんを見る目が気持ち悪いとか言われたんだった。顔が真っ赤になるのを感じる。気持ち悪いと言われたところで、佐多さんを観察するのはやめられなくて、ぼくはだから、依然気持ち悪いまま。だからなんだよ。ほっとけよ。


「だからなに」


 つい思っていることがそのまま口に出てしまった。男子はちょっとたじろいだみたいだ。お? こういうやつには強気に出るといいのか? 意外だった。


「なにってこともないけど、暇そうだなと思って」

 とか言いながら、そのままぼくの隣に腰を下ろす。

「暇だよ、ほんと暇。部活辞めると中学生ってこんな暇なんだと思った」

「すぐ慣れるだろ」

 で、結局こいつ誰なんだろう。まあいいか。

 長い沈黙に堪え得られてなくて、ぼくは体を起こしてそいつの顔を覗き込んだ。

「お前も佐多さんのこと好きなの?」

「は?」

 そいつのきょとんとした黒目が丸くて、なんだか面白いな、と思った。

「いや、自分が好きな相手のことを好きな奴のことって、わかるじゃん」

「あー、え? あ、おー。」

 すごくわかりやすく動揺しているので、たぶんそうなのかな? と思った。まぁ目立つし。佐多さん。なにせ背が。全校集会のときでも、合唱のときでも、一人だけぽこんとデカい。

「こう、なんだろう。おれたぶん、佐多さんのことが好きな自分が好きなんだよね。佐多さんのこと考えてると落ち着くし、なんかそれだけで満たされる」

「へー、キモ。生来のストーカー気質って感じで、くっそワロタ」

「ストーカーって。こういう純粋さってなんか、思春期のときだけに許された特権、みたいな感じするじゃん」

「純粋っていうか、自己完結の自己満だろ。キモい」

「いや、おれのことばっか悪い風に言うけど言うけど、自分だって同類でしょ」

 男子は複雑そうに顔をゆがめた。ぼくはなぜか、少しだけいらだっていた。

「ねぇ、ほんとに名前なんて言うの?」

 いい加減名乗るべきだと思う。

「え、なんでお前に教えないといけないの」

 いやそうに、という感じでもなく、心底不思議そうに彼は言った。

 ムカつくやつだな、ほんとに。腹が立ったのでカバンを奪い取り、ファスナーを開け、国語の教科書を探り出し、鈴木祐一と書いてあるのを見つけた。ぼくは思わず吹き出しそうになった。

「ふっつーーーーーーーーーな名前!」

「うるせぇな」

 肩の辺りを殴られた。けっこう痛い。本気のパンチだ。名前のこと、案外気にしているらしい。あんまり言わないでおいてやろう、と思った。


「まぁでもそういう、自己完結と純粋さをはき違えてるみたいな勘違いからは早めに脱却するべきじゃない? 青春ってつけたらなんでも許されると思うなよ」

 鈴木はそのまま、精神的離乳、みたいなフロイトてきななんかあれの話を延々と続けた。

 鈴木君わろわろ。ぼくは思わずのけぞった。面白過ぎた。


「なんか面白いね。中身スッカスカなのに言葉だけ大仰おおげさでさ」

 ぼくが言うと、鈴木はわかりやすく顔をゆがめた。

 そしてふい、とそっぽを向いた。

「いいこと教えてやろうと思ったけどやめた」

「え、なになに」

 気になる。ぼくは鈴木の方に体を寄せて教えるように迫った。

「ムカつくから嫌」

 鈴木は相変わらずつんとしている。

「教えてって!」

 必死になるぼくを、ちらりと横目で見て、それからふぅ、とわかりやすく息を吐くと、彼は向こうの方を指さした。

「土手の方見て」


 鈴木の指先の方、土手の方を見る。


「あ! 佐多さん!」


 鈴木が指し示す方向には、颯爽と自転車を漕ぐ佐多さんの姿があった。

 え、何、移動経路と時間を把握しているの?

 やっぱ鈴木こいつ佐多さんのストーカーじゃん。ほんもの。


「この時間駅に行くまでの道を自転車で走ってる」

「すげぇな、お前。鈴木君はストーカー歴どれくらいなの?」

「まぁここ、数週間くらいかな」

 ぼくたちは無意味にハイタッチした。

 悪いことをしている仲間意識、みたいな。なるほどなー、これまでどういうことかわからなかったけど、仲間がいると安心する、元気が出る、楽しくなる、ということはわかった。とするとぼくは今まで仲間を知らなかったんだろうか? そんなわけないよ。ははは。


 佐多さんは長い髪を遊ばせながら優雅に自転車を漕いでいた。日差しの下で、心地よさそうに川沿いを吹き抜ける風を浴びながら、まるでそれは生まれてきた嬉しさとか楽しさがそのまま体の外に表現されているみたいな、学校でいる時とは正反対の様子だった。今の彼女が恐れるものは何もないみたいだ。とても神々しくて、あんなにきれいな女の子に生まれてきたら、ぼくもなにか、青春を楽しんだり謳歌出来たりしたんだろうか? そんなことを考えながら、佐多さんの後姿を見送っていた。


 やがてぼくは、草の上に背中を預けた。頭の上にはぽっかり浮いた雲が次々流れていて、川の流れは緑がかって穏やかだった。



「鈴木は佐多さんのどういうところが好きなの?」

 鈴木は少し考えて、言った。

「頭が悪そうなところ」

 ふーん、と興味のなさそうな相槌を打ってしまって気まずくなった。

 やっぱり、佐多さんの真価に気がついているのは、ぼくだけだと思う。




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