第十二話 熱毒

「伊東、一刀斎とな?」

 天下一、と。そう豪語した一刀斎いっとうさいを見る井手いで伝鬼房でんきぼうの目は、真円のように丸かった。

 目を見開いてこそいるいるが、それは驚愕によるものではないだろう。

 二つの瞳にくっきりと、一刀斎の身体が収まっている。一つ一つを見極めるではなく、一度に全容を見定めようとしている目だ。

 己を構築しているものが、全て吸い取られているようにすら感じる。

 面構えはやたらと整っていながらも、その目はやはり、正真正銘、武芸者のものである。

 ――――強い。

 勘解由左衛門かげゆざえもんに続いて、これほどまでに鋭い気魄を発する武芸者と相見えるとは思わなかった。

 これが、東国の武人。纏う気質がまるで違う。

 無論、西国にも相当な達者は存在していたし、彼等の闘気も到底とうてい侮れるようなものではなかった。

 それでもなお感じるこの差異は、修めた武が宿す信条しんじょうが、理合が生み出すものなのか。

 あるいは東国という武のちまたで腕を鍛えたが故に生まれる矜持きょうじなのか。

「――うむ、俺も諸国を回り多くの武芸者と交流した身、その名前、旅をしている間に聞いたことはあるな! 向かうところ敵がなく、数多の決闘を生き延びた無敵の剣豪と!! なるほど確かに、天下一とはうそぶくでもなくのたまうでもなく、紛う事なき真実まことと見た!」

「相変わらず喧しいな。もう少し声を抑えられないのか、お前は」

 半眼でにらむ勘解由左衛門に、悪気は無いが同意したくなる。

 六尺ほど離れているが、それでも唾が飛んできそうな大声である。小さな風でも吹いたのかもしれないが、伝鬼房が喋るごとに前髪が揺れたような気もする。

 さすがは数町離れていても声が聞こえただけはある。

「それで、なんで勘解由左衛門がその天下一と共にいるんだ? 確かお前はいま小田原おだわら北条ほうじょう相手に刀槍の稽古をしているんじゃあなかったか?」

「以前一刀斎殿と手合わせしてな、その精妙せいみょう技に魅せられて弟子入りしたのだ。……条件付きではあるが」

「条件? 衣食住いしょくじゅうでも養ってるのか?」

「勘解由左衛門殿から新当流のやりわざを手習いしている」

「ほう!! ……ほう?」

 伝鬼房が、またもや目を丸くする。

 それはさっきとまるで逆、間違いなく驚嘆の目である。

「つまりなにか? 勘解由左衛門、お前は己の師に、天下一の剣士に、己の業を教えていると?」

「それが私の新しい師だ」

「剣以外はからきしでな、それ以外も学んでみれば、おれはより天下一を高みに押し上げられるだろう。それにおれは勘解由左衛門殿と違って弟子を取ったことがないからな。どう教えれば良いかも分からん。だから、槍を教わりつつ師がどう言うものかの手本になってもらおうとな。よく言うだろう、師も弟子に育てられると」

 それは指導を通して自分も学んでいくという意味であり、弟子に直接教えを受けるという意味ではないはずである。

 とにもかくにもこの男は、「未熟だから手本を示せ」と、弟子に教えを乞うている。

「……かは、カッハッハッハッハッハッハ! いやはや前代未聞であるな!! 己の弟子を師にするとは!! 伊東一刀斎という天下一の剣豪は!!」

 一刀斎には、はじも矜持もない。

 己の武を高めることになるならば、それら二つは捨て置きさえする。

 天下一を誇るが故に、天下一となるために要るものを貪っていく。なんとも見事な精神である。

 これほどまでに澄み渡った精神は、そう見られるものではない。

「ふむ、やはり可笑おかしいことらしいな」

「しかしなにも悪いことではあるまい! そうまで武に真摯しんしで己を殺げる者はいない。やはり貴殿きでんほどとなれば一目いちもくしただけでは計り知れんな!! 剣と精神こころ合致がっちしている者ほど、見かけだけでは実力は分からないものである!!」

「それは語ったところで分かりきれるものでもあるまい」

 一刀斎は、腰に差した甕割を腰へと押し当てた。

 いつでも素早く、刀を抜き付けられるように。

「なるほどそれはもっとももであるな!! 武人の腕を見極める手段など、端からこれ以外にはないものな!!」

 対する伝鬼房は手に持つ薙刀なぎなたを車輪のようにぐるりと回し、刃先を天を天に向ける。

 それは見事な薙刀捌き。あれほどの刃が先に付いていながらも、重さにまるで振り回されている様子がない。一閃一閃、描いた軌跡に乱れがない。

 真夏の空気がひりついた。肌を炙るのは互いの闘志。元から熱かった空気が苛烈に燃え上がり、空からの日射と石畳からの熱波ねっぱと合わさる。

 天と地と人との熱で、今にもぜそうなほどに空気が灼熱を帯びていた。

 ――――だが。 

「……まあ、なにはともあれ、一刀斎殿、我々は真壁に到着したばかり。ろくな飯も食べていない。それに、ここは山への参道さんどうです。今抜けば往来の邪魔にもなりましょう。主馬之助も主馬之助だ、血気盛んなのは構わないが、順序を守れ。まずは客人を持てなすのが第一だろう」

 勘解由左衛門かげゆざえもんが、この空気に動じることなく割って入る。

 いや、額に浮かべている汗は、この暑さだけのものではなさそうだ。ある程度の緊張を感じ、冷や汗を垂らしながらも、勘解由左衛門は一言申してきた。

「…………それもそうだな。気が逸った」

「うむ、昔のよしみだ勘解由左衛門の顔も立てねばなるまいよ!」

 その意気に応じなければ不義理である。夏と闘志の熱に脳がやられ、こころまでもがその熱という毒に冒されてしまえば元も子もない。

 こころ粗熱あらねつが邪魔となるのは、この前にあった勘解由左衛門との相対で感じたものでもある。今回その勘解由左衛門は端から見ていたと言うこともあってか、よく止めてくれた。

「それでは天下一の遣い手殿、仕合はまた後ほど」

「飯の後の腹ごなしにでも、やるとしようか」


「ほう、天下一の遣い手殿も天文十九生まれ! 俺と同じではないか、妙な奇遇もあったのもな!」

「全くだ」

 鯉濃こいこくの汁を一口呷りつつ一刀斎は同意した。

 鯉を輪切りにするのが鯉濃だが、その輪の塊がやたらと大きい。肥沃なのは大地だけではなく、川や池も生気に満ちているのだろう。

 村の旅籠屋はたごやに泊まるから出してくれと頼んで、仕方なく出てきたものとは思えない。相当な飯である。

「おう? どうやらここの飯が気に入ったようであるな!! 実はここの旦那は飯作りが趣味であってな、素材からして拘る男よ! こいししに良いものしか出さん! 俺もしょっちゅう飯をたかりに来る」

 大きな肉塊に、伝鬼房は齧りつく。骨さえ噛み砕いているらしくバリボリと顎から音が鳴っている。

「勘解由左衛門も……確かその頃であったか?」

「私は十七年で、一刀斎殿や主馬之助より二つ早い」

 勘解由左衛門は太い骨を丁寧に除きつつ、皮でくるんだ身で、底に沈んだ味噌を掬いながら口に運ぶ。

「生まれたのは早くとも、新当流で師の元に着いたのは同じ頃、私の方が多少早かった程度でした」

「しかし、勘解由左衛門が新当流以外の業を学んでいたとは。文を全く返さぬものだから知らなかったぞ!」

「最近のことであったからな」

 筆忠実ふでまめである勘解由左衛門が文を返さないとは、やはりよほど思うところがあるらしい。

 この真壁に着て、勘解由左衛門の好漢ぶりはめっきり現れず、眉も真一文字になったままだ。

 だが、ここまで一刀斎を案内したのもまた、勘解由左衛門本人である。

「そういえば、なぜ勘解由左衛門は天下一殿をここまでお連れしたのだ?」

「一刀斎殿にお前のことを話したら、興味を抱いた様子だったからな、それで引き合わせてみようと思っただけだ。一刀斎殿も改めて、私に付き合っていただき感謝します」

「いや、構わない」

 会うかと訊かれ、会おうとしたのは一刀斎もそうである。

 そう、会うかと勘解由左衛門はうている。文も返さぬ相手に、勘解由左衛門は一刀斎を会わせようとしていたのだ。

 自分も案内として、顔を合わせることになるにもかかわらずだ。

 その理由は、先ほど聞いた。

『私は見てみたいのです。己の腕一つで身を立てた二人が相対すれば、どうなるのかを』

 脳裡のうりに蘇る、勘解由左衛門の発した言葉こたえ

 己の腕一つで、身を立てた武人。勘解由左衛門の口振りや、先ほど相対したときの間隔などで、井手いで伝鬼房でんきぼうが相当な達者であるというのは想像が付いている。

 あとはその腕が、どれほどなのか――――。

「…………ふむ」

 こころがぞわりとした頃には、一刀斎は大きい腕を持ち上げ中の具材を掻き込んでいた。

 早く、この男と、天流てんりゅうという薙刀を扱うこの男と相対すべきだと。他ならぬこころが告げていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る