第二十話 窮鼠(3)

 子どもの頃からあきないの勉強もそこそこに、好き勝手に遊び回っていた。路地裏やら水駅すいえき倉庫そうこぐんやら、はては知らない者の屋敷の庭やら。それこそネズミのように、あちらこちらに紛れ込んだ。商都しょうとの中で、自分の足跡がついてない場所はないだろうと千治は確信してる。

 そんな中、父親に連れられた農村のうそんで、「面白そうだから」と麦のたねきに混ざった。

 一人で座してそろばんはじきや帳簿ちょうぼの付け方を教えられるよりも、老若男女ろうにゃくなんにょと肩を並べて体を動かす方が、千治せんじには性に合った。

 一歩引いて遊んでくれない数人の丁稚でっちよりも、一緒に遊んでくれる一人の少女との時間の方が、充実じゅうじつしていた。

 あちらこちらに耳目じもくを配り、他人に紛れて心をつかむ。人に親しむその気質は、算術さんじゅつ会計かいけい帳簿ちょうぼ筆記ひっきよりも商才しょうさいで活きるものであり、千治の父も敢えて、むしろ期待きたいして、二つのことを教えた。

 「仁徳じんとく」という規矩きくと、「義理ぎり」という尺度しゃくどである。

 一言で言うならば、善性ぜんせいだ。少々しょうしょう堅苦しいものだったが、意外にも千治は素直に受け入れることが出来た。

 人に好まれるなら丁度ちょうど良い。なにより悪事あくじは人に嫌われる。従うのなら、倫理りんりに沿う方が気が楽だ。

「楽に、楽しく」。そう生きる為には、仁心じんしん義心ぎしんは必要であった。そう判じて身につけた。

 ――――それが今ではどうしたことか。悪徳あくとく商家しょうかに腹を立て、善行を積むが如く盗みを始めた。やり過ぎたかも知れないと、最初の夜は後悔もした。

 だがしかし町人や職人は、「ざまあ見ろ」「ありがたい」と笑っている。それがどうも楽しくて。気付けば何度も盗んでいた。

 しかし――。

「お前今、楽しくないだろ」

 つい先日あったばかりの剣客けんかく舌鋒ぜっぽうが、なにかを塗りたくられ、凝り固まった心に突き刺さる。

 そして。

「つまらなそうな顔をしているお前を、穂波殿は嫌いと言っていたぞ」

 そのきっさきは遠慮無く、に植え付けらえた悪虫あくちゅうを貫いた。

 己の意志と思い違えた「行動」を起こさせていた寄生虫の腹をく。

 だがしかし、虫は死滅しめつに至らない。最後の足掻あがきで、その心を掻きむしる――!


「う、ぁああああああ!!」

 頭を抱えてえた千治が、十手じってを掲げて迫り来る。

 気配けはいあばれ、その視線しせんさだまらず。細腕ほそうでふくれて血道けつどうが浮かぶ。

 しかしその心は。張り詰め固められた覚悟かくごはとうに、乱れている。

「がぁあああああ!」

 気配が、視線が、十手が、てんでんばらばらに襲いかかる。

 しかし気配は恐れるにたらず。もうの目に付きそう意味は無く。

 ただ、揺れる十手のみに気を張れば良い。

ェイ!」

 本来絡め取る物であるはずの十手のかぎに、およそ一尺の竹をからめ。

 前足を起点に後ろ足をさばいて転じ。

フンッッッ!!」

「ごぁ……!」

 およそ二尺の竹でもって、へその上をしたたかに打ち付ける。

 ――気剣体きけんたい不一致ふいっちならば、剣にさえ気をつければ良い。惑う気と遅れる体は、きょと捉えればざつなもの。

 真にこちらに迫り、こころほのおを乱す剣だけに、意識を配ればどうということはない。

 腹を打った竹は「スパン」と爽快そうかいな音を立て、力は彼方かなたに逃げていった。

 千治せんじはらおさめていた食い物を、胃液いえきを絡ませ吐き出した。

 ――一瞬、その吐瀉物としゃぶつの中でなにかがうごめいた気がした。一刀斎は目をこらしてそれを見るも、特に妙なものはない。

「ご……おえ……がふ……」

 ひたいに冷や汗を浮かばせて顔をしかめてうずくまる。……さすがに、臓腑ぞうふはじけてはいない……だろうか。

「む……」

「おいいたぞ! あそこだ!」

 あちらやこちらやそちらから、敵意てきい警戒心けいかいしんを振りまく連中れんちゅうがやってくる。草間屋にやとわれた用心棒や、騒ぎを聞きつけた街の者だろう。

「な、まさか千治坊ぼっちゃん……」

 ぞろぞろとあらわれた中にいた中年の男が、うずくまる千治を見て口をあんぐり開けている。おそらくは草間屋の番台ばんだいだろう。

 手代てだいや街人たちも、倒れ込む千治を見て明らかに当惑とうわくしていた。

「……ここまで、かよ。無様だなあ……」

 俯く千治の横顔は、諦めたのか、己を嘲るように笑っていた。

 そんな千治の片腕を、一刀斎は掴む。

「立てるか。……立って、言うべきことを言え」

「……悪ぃ、ホントに、迷惑掛ける」

 さっきまでの気の乱れは、あの一撃で吹き飛んだらしい。その目は痛みに歪んでいるが、生き生きとしている。

 立ち上がらせた千治に肩を貸し、顔を上げさせる。

 傷つく千治を見る街人達は、みなとうてい信じられないと言った様子でざわついている。

 そんな街人達を見渡して。千治は。

「……そうだ、俺が影縫だ! 天下に銭を巡らせず、渡すべき者に銭を回さず、銭を溜め込むごく悪人あくにん商人あきんどどもから金をったのはこの俺、草間屋の、ネズミの千治だ!!」

 空になった腹に空気を溜め込んで、子刻で眠る街を叩き起こすように吼え上げた。……ネズミは、決して叫びはしない。千治は今、いっぱしの人として己を示した。

「な、なにが極悪人だ! オレの金を奪いやがったお前の方が!」

「うるせえ! 銭ってのは使って、天下を巡るから意味があるんだよ! 銭を使わねえってことは、銭を殺してるってことに他ならねえ。偸盗戒ちゅうとうかいを犯した俺と、それにあわせて殺生戒せっしょうかいまでやりやがったお前ら、五十歩百歩だろうがよ!」

「黙れ盗人ぬすっと! ろくでなしが!」

「口ばっかり達者に動かしやがって、オレの金を返せ!」

 一部の商人が遠巻きにどやしつける。千治は目を伏せ、「当然だろうな」と、甘んじて受け入れる。

 だが、しかし。

「金を使わないのは殺すこと、本当に千治は上手いことを言う」

「あるはずの金が使われねえんじゃ、俺らの商売もあがったりだ」

 他の商人達が、がなり立てた男達を睨みつけ、

「ああそうだ。元はお前らがあくどい商売してたのが悪いんだろうが!」

「自分のことを棚に上げてんじゃあねえ! いや、自分だけじゃあねえな、売る品だって棚から下ろしちまいな!」

 街人達は、商人に同調しだす。

 悪徳商家たちはたじろぎながら、それでも負けじと奥歯を噛みしめて。

「だ、だがあいつだって溜め込んで……!」

「千治のことだから後でばらまくに決まってんだろ! あの千治だぞ!」

「千治は遊び人だが、義理ってモンを分かってる奴だ。それにあそこまで吐いた。自分をさておいてああ言い切るのは千治には無理だよ」

 いくら足掻こうが、普段の人徳じんとくの差が出ていた。

 日頃ほっつき歩きながらも、人に親しみしかと接してきた千治と、しっかり店を開けつつも、利己りこに囚われ己の利潤りじゅんばかりを考える男達。

 ――人と商いをするのを忘れ、銭集めだけに執心しゅうしんした結果がこれ。

 千治は形の良い丸みを帯びた菱形ひしがたの目を、大きく見開き己を守る人々を呆然と見ていた。

善因ぜんいん善果ぜんが悪因あくいん悪果あっか。だな」

 人ごみの奥から、一際ひときわ通る声が響いた。

 騒がしかった人々が、一瞬にして押し黙る。往来を左右に分かれて出来たひとの谷間を、顔にえくぼが染みついた壮年の男が歩いてくる。

 目の形が、千治のものと同じであった。

「……親父おやじ

 千治が、ぽつりと呟いた。――やはりこの男が、草間屋の主。

 影縫せんじの働きを見て、「金の倉貸し」をしていた問屋といや

 自分らのの登場に、悪徳商人はそのかお歓喜かんきそうを浮かばせた。

「ああ、俺らの大将のお出ましだ! いいかお前ら、お前らが大好きな千治の父親もな、俺らの仲間だ! 俺らは草間に金を預けてるんだよ!」

「千治」

 沸き立つ悪徳商人共とまたもざわつく街人達の視線を無視し、一刀斎に体を預ける千治をしかと見る。

 だが千治は、その父親と目を合わせなかった。こう近ければ分かる。

 やはり父親の成した事を許していないのか、焼け石のような怒りの気配ねつを放ってる。だがその熱は、どこか泣いている。

「――――盗むのは、直接的すぎる。頭を使え。

「え……」

 溜息交じりに吐かれた言葉の意味を、う前に千治の父は悪徳商人の方へと向き直る。

「…………くっはっはっはっはっ! お前達は本当に莫迦ばかだ。まさか本当に、親切や稼業かぎょうで、金を預かったと思っていたのか!!」

 周囲を気圧すような大笑おおえごえを上げながら、千治の父はその目鼻口をカッと開く。

 その言葉の意味を理解できぬのか、人々はたじろぐばかり。周囲を見渡し、心の底から愉快そうに笑った顔は、千治の笑顔とまるで同じである。

「まだ分からないか。私は、

 その一言で、ようやくことに気付いた悪徳商人達の顔から血の気が引いた。

 商人も目を見開いて、察しの良い街人は、笑いを堪えるため口を抑える者までいた。千治も気付いたようで、肩をふるわせて「ホントにアホをやったのは俺の方か」と鼻から空気を漏らした。

 だが一刀斎は、分からない。

「……なんだよ親父、そういうことなら、さっさと言えよ……」

「すまん千治、どういうことだ」

「つまりは、だ」

 千治の父が、帳簿を懐から取り出した。

「どの商人が隠し金を作り、金の流れを止めているか。それを探り、調べ、整え、織田家へと報告する。――どこぞの莫迦のように考えなしに盗み出しては埒が明かない。一網打尽いちもうだじんさらえるのが手っ取り早い」

「……………………ああ」

 しばし間を置いて、一刀斎はようやく得心とくしん素頓狂すっとんきょうな声を上げた。

 つまり千治の父は不正に手を貸したのではなく。

 手を貸すように見せかけて、どの家が商いを誤魔化しているかを調べて地域を支配する織田にしらせ、突き出すつもりだったのだろう。

 ……どうやら千治に、仁義を付属ふぞくさせたのは、あの父らしかった。


 真実を知って暴れる悪徳商人が、街人達に取り押さえられている。

 ――なるほど、こうなるか。

 顔上半分を隠す面の奥で、その目が歪んだ。

 金を預かる倉貸しを入れ知恵したが、どうやら草間屋は思った以上に善良ぜんりょうだったらしい。

 知恵を利用され、善行に使われた。

「……善果を悪因にするどころか、悪因を善果に転じさせますか。いやはやまったく……」

 がたい。

 予想できないことではなかった。話していても腹を割った様子ようすはなかった。一つ二つひねりはいれるだろうと考えていたが、善悪を引っ繰り返してみせるとは。伊達にこの商都有数の問屋の主であるわけではなかったか。

 だが。そんなことは、どうでもいい。

(なるほどだ)

 千治との立ち合い。あれは千治の素人しろうと加減かげんに惑わされた所を見ると、あの一刀斎は心髄しんずいまで武を取り込んでいるのだろう。

 あの最後の太刀……いや、竹捌きは見事であった。待の中に懸をしかと秘めていた。

 まだせいぜい二十歳前後だろうが、練達していると言って良い。

 だが。

(しかしだ)

 ――他の達者たっしゃと比べれば、まだ途上とじょう。育てば末恐ろしいがしかし。

 この今を末にすれば、問題ない。

 種から養分を奪う雑草ざっそうは刈らねばならない。

 実る前の種を食う鳥獣ちょうじゅうは殺さねばならない。

 ――出来た実を掠め取る存在そんざいは、手ずから討たねばならない。

「…………!」

 頭の中で策を練ろうとしたその瞬間。

 人垣ひとがきの先、そのただなかにいた一刀斎がこちらに振り向いた。

 偶然、いや違う。間違いない。あの眼はしかと、こちらを見据えている。

 ――ああどうやら、そうそう時間はないらしい。

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