第十八話 窮鼠(1)
「ぜえ……はぁ……!!」
わずかばかりの
その中に紛れて、己の荒い呼吸が響いて聞こえた。
しかし、乱れた呼吸で胸や肩を動かせば、気付かれる。呼吸を浅くも長くし動かぬように気を付けながら、舌を打つ。
「ちくしょう、しくじった……」
そこまでは、
「おい! こっちの鍵がはずされているぞ!」
「こっちもだ、戸が開いている!」
「なんてこった、裏の戸が空いているぞ!? もう盗まれたあとか!?」
「
混乱させる為に、他の倉の鍵を壊して戸も開け放していた。
お陰で「外」はてんやわんや。いつもならほくそ笑むところだが、千治は倉の中でひっそりと息を潜めていた。
ひときわ暗い天井近くで、影に溶け込んだ窓をじっと見ながら。
(旦那、奥の倉は……)
(あれは
遠くに聞こえた
当然だ。倉貸し
千治は
十手の
これならば打ち込む為に打って音が鳴るようなことがない。
鎹を足場にし、登る度に鎹を打つ。腹に
窓を開ける。幅は
千治は懐から、
その中心に木箱をおき、縄を握って慎重に、そして手早く
縄を鎹に結びつけ、今度は自分が、縄を
この間、五分と経っていない。驚くほどの
後は、屋敷の外に出るだけ。
倉の裏から、表の様子をうかがう。
……人目が多い。戸から出るのは無理そうだと、残った鎹を塀に打ち付けた。
塀の高さは倉の半分程度。この程度、登ることなど
「なにをしている!」
「っ──!」
「……まさか、千治、か?」
「ちぃ……!」
この倉の持ち主で草間屋の店主である、父親の顔。
見たくなかった。良心が
「お前いったい、なぜ」
「なぜもはぜもねえってんだよ!!」
目を剥いた千治は、己の体重の半分以上はあるはずの箱を、持ち上げ振りかぶる。
千治の腕では、父親まで投げつけることなどとうていできない。──はずだった。
「らあ!」
「んな……!」
しかし千治は、
その背中の持ち主の名を、呼びかけて。
「旦那様! どうしました!」
「っ……」
騒ぎに気づいたのか、
「……影縫だ! 外に逃げたぞ!!」
「見つけた、影縫だ!」
こちらを指差すのは、丁稚の頃から見知った男。最近手代になった
「おらぁあ!」
かつての笑みが頭を過ぎる。だがしかし千治は、その笑みを浮かべた顔目掛けて縄を結んだ十手を振り投げる。頭を庇った手代の手を
そんなことを思ったのは、一瞬で。そんな思いを置き去りにするように、一心不乱に逃げ出した。
哀れではある。雇い主の悪行など知らぬ身で、巻き込まれてしまったのだから。
父親には顔を見られた。もう戻れる場所はない。稼業としてしまうのがいいだろう。
ああそうだ、ならばいっそう、
「ここにいたぞ!」
「ようやく見つけたぞ、
「っ!」
路地を抜けたら、右と左に二人がいた。気を散らしていなかった。周囲を探っていなかった己の落ち度──だというのに。
「なんでここにいやがる!」
当たり散らすように叫んで、紐にくくった十手を振り回す。十手は
用心棒達は息をのみ冷や汗を流しながら、ジッとこちらを睨ん《にら》でいる。
……目の端で、右の男が頷いた。その理由に気付いたのは。
「ふん!」
「んなっっ!」
棒の手で、十手についた紐を巻き取った時。
荒い竜巻が収まった瞬間、左側の男が迫ってきた。
さきの
野太い棒の手が、高く掲げられ、千治の頭めがけ振り下ろされる。
──打たれる!
カコーン……!!
……そう、覚悟していたのだが。樫の木が
左側から来た用心棒が、白目を剥いて倒れ込む。その背の向こうに、立っていたのは。
「止めとけそれは。さすがに死ぬだろうが」
「一刀斎、なん……」
「お前、影縫の仲間か!?」
「いや違う」
千治の
しかし訊いた言葉は届いていたようで、その目はじっと千治に向けられていた。
仲間ではない。それはきっと、千治自身にも当てられた言葉だ。
「なら、
「──そうなるか」
目を伏せて
「おらあ!」
用心棒から奪った棒を、一刀斎へと振り付ける。
しかし
「………ッ!」
「……おいそこの!
いきなり出てきた大男になぜ
だが、しかし。
「るぁあああ!」
「がっぶっっ……!!」
翻された六尺の棒は、迫り来る男の胴を打ち付ける。肉が潰れる音が耳に
細腕で振るわれた樫の棒は、今の一振りで折れ壊れる。
──やはり、
この感覚。覚えがある。これはまるで、川の向こうの村で暴れていた
「……お前の武器は
「俺は、ネズミだぞ」
瞳の白に、赤い筋が
「
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