戦火(いくさび)の章

六角編

第一話 甲賀の蛇・上

 天下一てんかいち剣豪けんごうとなるために、ひがしかうことに決めた一刀斎いっとうさい

 柳生やぎゅうて、秋風あきかぜ大和やまとやまを、まよいなくすすむ。

 けものり、かわみずのどうるおし、かげねむること五日いつか

「……ここは、どこだ」

 みちに、まよっていた。

 一刀斎は山育ちである。それゆえ山道やまみちには自信じしんがあったのだが、こうもおなじような景色けしきつづくと自分がしっかりすすんでいるのか、あるいはもどっているのか、それともまわっているのか検討けんとうがつかない。

「もしやけものみちはいったのがいけなかったか」

 おもかえしても、それが原因げんいんであることはちがいない。気温きおんからして、さほど高所こうしょにいるとはかんがえにくい。そろそろ人里ひとざとに出てもおかしくないのだが。

 しかし、もうそろそろ日がしずむ。どこかでやすまねばならないが、どこか都合つごうい木のうろ洞穴どうけつでもないかと、あたりをまわしてみる。

 ──と、その時。

「……む?」

 くさが、れた。こんやのめしかとおもったが、けもの特有とくゆう気配けはいがない。かぜかと思ったが、今は無風むふう

 こしかめわりをかける。周囲しゅういめぐらせてみても、いままでとなにもかわりない。特別とくべつななにかは、かんぜられない。

 だが、どうも違和感いわかんぬぐえない。

 いま一度いちど気をっても、なに一つ変わりない。

「……ふむ」

 一刀斎は、腰の甕割から手を離す。

 ――それと同時どうじに、その場に伏せた。

「ッ!」

 伏せた瞬間、化生けしょうわめき立てるような音がり、一刀斎の頭があった場所を鋭い何かがとおり抜けた。

 ちがいない。この森には、なにかがいる。

 どこにいるかとさぐった時、背後に再び、化生けしょうごえ

「ぐっ!」

 さっと退いて見てみれば、わずかな木漏れ日がうつし出したのは、見紛うことなき大蛇だいじゃ姿すがた

 その蛇は地をうことなく空中くうちゅう飛翔ひしょうしている。

 蛇はその身を揺らしながら退しりぞいていき、戻る先には、全貌ぜんぼうがつかめぬくろかげ。蛇はその黒い影に纏わり付き、一体いったいした。

 それにはおぼえがあった。先日せんじつ柳生やぎゅうていあらわれた曲者くせものと同じ。

「シッッッ!」

「なに……!?」

 一刀斎は、己の目をうたがった。

 黒い影の、手がびた。うように空中くうちゅううそれは、さきほど一刀斎のあたま千切ちぎらんとした蛇である。

 どんな験力げんりきの使い手なのか、あの影は、己の腕を蛇へと変えてみせた。

 だがしかし、心まで驚疑きょうぎふるわせることはなく。

 一刀斎の手は、甕割のつかにかけられている。

ふんッ!」

 蛇のちいさいあたまめがけ、甕割をはなつ。とらえ──

(いや、はずしたッ!)

 蛇はくびおおきくげて、甕割のさきをかわす。まさに変幻自在へんげんじざいの動きである。

 蛇がえだに身を巻き付けて体勢たいせいを立て直し、その首をまっすぐこちらに飛ばしてきた!

「来い!」

 甕割をかすみかまえる。この大蛇おろちがなんであれ、あの黒影くろかげがなんであれ、こんなところで食われるわけには──!

たれよ!!」

 ヒュンと、虚空こくうおとこえた。それは先の蛇の鳴き声に等しく、いや、それよりなおするどい。

 瞬間、甕割を握る腕にほかの蛇がまとわりついた。

 おそいかかってきた影の仲間かと思いきや、こちらにらい付こうとしていた大蛇のくびもまた、もう一頭いっとうの蛇に咬み落とされている。

「な、んだ……?」

 腕に絡む蛇は、一刀斎のその剛力ごうりきさえもおさみ、そのうごきを完全かんぜんに止めている。

 そしてようやく、この蛇達の正体を一刀斎は掴めた。

 ──くさりだ。それも、よろいがごとき堅牢けんろうさをほこる、うろこの如きくさり

手荒てあらめてしまい、もうわけない、外他とだ一刀斎いっとうさい殿どの

 新しく飛んできたのは、謝罪しゃざい言葉ことば

 当惑とうわくする一刀斎のまえあらわれたのは、そのくさり一端いったんにぎった黒衣こくいの男。

 細身ほそみで、武将ぶしょうともそうともおもえぬ、異質いしつ存在そんざい。その男には、おぼえがあった。

 あの日、柳生邸のつどったものなかにいた男であり、その場で、今のように皆に謝罪していた──。

われ望月もちづき出雲いずも、この甲賀こうかまう五十三ごじゅうさん筆頭ひっとう当代とうだい甲賀こうか三郎さぶろうである」


 一刀斎は、五日いつかぶりにゆかかべ天井てんじょうのある場所に居着いつけた。ろうそくがらす部屋の中はおよそ八畳はちじょう。いたって普通の、今まで見てきたものと変わらぬ造りである。

 雨風あめかぜさえしのげれば床下ゆかしただろうと問題ない一刀斎であったが、さすがに遭難そうなんすえこうしっかりした場所に至れたのは、幸運こううんという他ない。

 だが一刀斎は、決してくつろぐことはなかった。

「すまぬ、外他とだ殿どの。甲賀の者が気をいた」

 思わず甕割に手をかけた。部屋に入ってきたのはこの屋敷、そして甲賀の長という男、望月出雲である。

 部屋の外まで来ていたことに、全く気づかなかった。

「……これは失敬しっけい気配けはいを無くすのが、癖になっておるので」

 慇懃いんぎんに頭を下げる望月出雲。いつもあやまってばかりいるが、さげすむことが出来ない。この男は、とかく異質いしつである。

 ――一切いっさい気配けはい呼吸こきゅうが読めない。目の前にいるのに、まるでいしころや草木くさきのように思えてならない。

 謝意しゃいですら心の底からのものなのか、それとも取りつくろうためのものなのかが分からなかった。

警戒けいかいするのもかるぜ。筆頭ひっとうは心をふうじることにかけちゃあ逸品いっぴんだ。だけどやたら折目高おりめだか口調くちょうなのは、余計よけい軋轢あつれきまないためのもんなんだ。かってくれや」

 今度こんどは、めた。

 望月出雲に続いて入ってきたのは、軽薄けいはくそうな男だった。としわかく、一刀斎とさほど変わらない。一方でからだほそく、その手と足は、短いどうはんしてやたらながかった。その体型たいけいには、おぼえがある。

「……さっき、おそいかかってきたのはお前か」

「げ、ばれてら……」

三郎さぶろうまる

 ばつの悪そうな顔をした男は、望月出雲に名を呼ばれまいをただす。

 するとおどけた調子ちょうしはどこへやら。真面目まじめかおで、頭を下げた。

「すまん、てっきり二十一にじゅういっ連中れんちゅうだとおもったんだよ。にいさん、そっちの方から来たからさ」

「二十一家?」

「外他殿はおぼえているだろうか、あので我が言っていたことを」

 望月出雲にかれ、一刀斎は脳裡のうりさぐる。

 いわく、この甲賀は合議ごうぎせい筆頭ひっとうかくこそいるものの、複数ふくすうの家が同等どうとう発言はつげんけんを持っている。

 望月出雲はあの柳生やぎゅう会合かいごうでは織田に付くと意思いし表示ひょうじしていたが……。

「……六角ろっかくとやらに、恩義おんぎがあるとか言っていたな」

「ああ、今から八十はちじゅうねんも前の話だけどよ」

「我より三代さんだいまえの話だ。当時とうじ将軍しょうぐんによる六角ろっかく征伐せいばつおり、我ら甲賀五十三家は、六角家の窮地きゅうちおうじ、そのわざを振るい六角家を助けた。結果けっか、我らは六角家によって甲賀の地を安堵あんどされた」

「で、その戦いで特別とくべつ気に入られたのが二十一家なのさ」

 望月出雲と三郎丸の話を聞き、ふむ、とうでむ一刀斎。二人の話と、あの会合を総括そうかつするに。

「……甲賀は今、れているのか」

「そういうこと」と、三郎丸がゆびらす。真面目だったのはさっきの一瞬だけで、あとはおどけた調子に戻っていた。望月出雲がにらみ付けるが、当の本人はどこ吹く風だ。

「すまない。外他殿」

「構わない。……話を戻すが、その二十一家と他の五十三家が対立している、ということか」

「ああ」と、三郎丸がうなずく。

正確せいかくには、我を初めとするしん織田おだが二十二、はん織田おだが二十一家、ほか様子見ようすみ少数しょうすうだが、我が望月とえんのある信州しんしゅうへという意見いけんもある」

「なるほど、親織田そちら優位ゆういか」

「だけど、反織田の抵抗ていこうはげしいのさ。実は、六角当主は今、この甲賀にいて、反織田を主導しゅどうしてる。今では山をはさんでにらみ合いだ」

 三郎丸の言葉に、一刀斎は目を丸くする。よもや、すぐ側に対立する者がいるとは。

 二人は落ち着き払っていて、危機ききかん緊張きんちょうかんを全く帯びていない。

「六角は織田に滅ぼされたと聞いていたが」

「滅ぼされたも同然。というのが正しい。元より十四代将軍を支持しじしていた三好派だった六角家は、崩れた三好家と同じく凋落ちょうらく一途いっと辿たどるのみ」

「で、筆頭は落ち目の六角に見切りを付けようって決めたのさ」

「…………お互い、なんであったな」

 どうやら、少々ややこしい問題がある場所にまよい込んでしまったらしい。柳生で思わぬ幸運こううんがあったかえしがここに来たか。

 また、望月出雲にとっても一刀斎の存在は思わぬ出来事だろう。余計よけい手間てまがひとつ増えたことになる。

「どこか行く場所があるのなら、一度いちど伊勢いせほうくだり、うみ沿いにくのが良いかと。この三郎丸を案内あんないに行かせよう。いいな?」

「おうよ、巻き込んじまったびだ。しっかりと送り届けるさ」

大事だいじのところ、ありがたい。ところで、ひとつ良いか」

 先程さきほど会話かいわで、引っ掛かった場所があった。

 なんだろうかと、望月出雲と三郎丸が一刀斎を見る。

「三郎丸、俺が、反織田の者だと思ったと言ったな」

「ああ、東から来たからな」

 聞く前に、答えが出てきた。

「おれは、東から来たか」

「ああ、たしかに、東から」

「……そう、か」

 ……望月らと出会えたのは幸運だったのかもしれない。

 このままでは、真っ直ぐ大和に帰るところであった。


 翌朝よくあさ、望月出雲の屋敷から出て初めて気づいた。

 これは、ほぼしろだ。

 へいたかく、ほりは鋭い。そしてにわには、かくれられるような植え込みなどが一切なかった。

 おそらくほかにもなにかいくさそなえがあるのだろう。

 ただの土豪どごうかと思いきや、なかなかたか地位ちいにいるのがうかがい知れた。

 村の者も対立たいりつ最中さなかだというのに仕事しごといそしみ、子供たちはくらべやいしげをしている。その様子は、柳生のさととなにもかわりない。

 ただ、違うとすれば。

「ここは牧場まきばがあるのか?」

「ああ。甲賀は元は信濃しなのきょう中継ちゅうけいでよ。信濃ってのは立派りっぱな馬の産地さんちでさ、そこから京におくられる馬はここに一度いちどあつめられたのさ。あれはその名残なごりだぜ。もちろん、今もいるけどよ」

 三郎丸は昨日の影のようなくろ装束しょうぞくではなく、木こりの様な仕事しごとに身を包んでいる。そういえば、あの黒装束はなんだったのか。

「お前、木こりなのか」

「あん? いや、これは変装へんそうだ。本業ほんぎょうは、昨日きのうてのとおり、しのびだよ」

「……忍とは、なんだ」

 三郎丸が、足を止めた。口をあんぐりと開け、目玉めだまとさんほどに飛び出させて。なんとも滑稽こっけいな表情である。

 なぜそんな顔をしているかさて分からず、一刀斎は「どうした」とく。

「あーいや……ひまなときはこの山ん中でのんびり暮らしてる連中だよ。戦になったら働くけど。半農はんのう半士はんしだよ」

「ふむ……そうか」

 言葉をさぐ素振そぶりから、何かをめているだろうことはさっしがつく。だが、半農半士というのは少なくとも真実しんじつであるのはわかる。あとはどれだけうそ秘密ひみつがあるかだが、そこをさぐるつもりはなかった。

「そういえば、変わった武器を使っていたな」

「槍や刀じゃあ本業ほんぎょうの武士には勝てねえからよ。搦手からめてや裏をかくための武器をおれらは使う。俺のはくさり飛刀ひとう。そのわざは、甲賀ウチだと「蛇」って呼ばれてる」

 蛇。それは、昨日の印象通りのものだ。

 空中を這い回り、鋭いきばでもって相手をる。この三郎丸はかなりの達者たっしゃだ。あの鎖を、まさしく生きている蛇のように自在にあやつっている。

 しかし、それよりも達者なのは。

「望月殿も、同じのを使ったな」

「――――」

 飄々ひょうひょうとしてつかみ所がなかった気配が、ピンと張り詰める。甲賀の山に、秋の風が吹いた。

 しかし、それも一瞬いっしゅんで。

「筆頭は、俺の蛇の師匠だ。正直言ってあそこまで上手くは使える気がしねえなあ。さて、ちょっくら道が厳しくなるから、しっかり着いてきな!」

 村の外は、もう山だ。振り返って見れば甲賀の村はどこへやら。

 三郎丸はれた様子で山道を迷いなく進む。一刀斎もれたみちれたものだしきたえた足腰あしこしがあるものの、ああも軽妙けいみょうには動けない。

 会話をめ、そののがさぬようしっかりあとに付く。


 山に入り、半刻はんこくほど歩いたか、道はなだらか、ほぼ平坦へいたんになり、歩調ほちょうも落ち着いてきた。三郎丸が鼻歌はなうた交じりに、かたらの草花くさばな手折たおる。

甲賀こうか薬草やくそう宝庫ほうこでさ、ほら、これなんかはねつく」

「ほう……おれは柳生やぎゅうから来たが、その山も薬草がおおいと聞いたな」

「柳生ね。そりゃそうさ。あそこの山の薬になる草は、ほとんどここからかぶけしたもんだしな」

「そうなのか」

 おどろいた様子の一刀斎に、三郎丸は「ああ、そうさ」と笑う。普段ふだん調子ぢょうし愉快ゆかいげながら、どこか、ほこらしげに見えた。

「今の柳生とは疎遠そえんになったが、俺のじい様の代までは色々いろいろ協力きょうりょくしてたんだぜ。なんせ柳生は──」

 言いかけて、三郎丸がふと歩みを止める。

 どうした、とは聞かない。纏う気配が、さっきまでのお気楽きらくなものとは打って変わる。その異常には、一刀斎も気づいた。

「敵か」

「……ああ。ったく、どういうことだ、なんでこんなとこに──けろ!」

「もう避けている!」

 ほぼ同時に、二人は反対はんたい方向ほうこうに身をばす。

 すると二人のいた場所に、無数むすうつぶて飛来ひらいした。どれもこれもかどするどく、よほどのいきおいでされたのか、ものによっては地面じめんにすらめり込んでいた。

 続いて、頭上から声が響く。

「ほぉう、まさか、がここにいるとはな」

 一刀斎たちが、声の方を見上げる。

 木の上に、男が立っている。年の頃は一刀斎らと同じ。にんまりと口角こうかくを上げ、目尻めじりを下げる笑顔はいやらしい。だがしかし、一刀斎にはその顔が、とうてい「笑っている」とは思えなかった。

「なんで、お前がここにいるんだ」

 三郎丸が奥歯おくばめ、のどから声をしぼり出した。そのみならぬ様子に、「何者だ」と、一刀斎がたずねる。

「あれは。……俺と同じ、「甲賀こうか三郎さぶろう」の候補だった男だよ」

 三郎丸が、袖から鎖飛刀を出し手に取った。

 三郎坊さぶろうぼうと呼ばれた木の上の男もまた、三郎丸と同じものを握っていた――――。

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