モテ期襲来

八島清聡

第1話 これが神のやることなのかよ



 突然だが、俺は死んだらしい。

 ……最後の記憶を辿れば、たぶん死んだんだと思う。そうとしか考えられない。

 死因はどうってことはない。朝起きてご飯を食べて、長年住み慣れたボロ家を出て、いつものように港でカモメにエサをやっていたら、なぜか防波堤に突撃してきたマグロ漁船に轢かれてしまったのだ。

 ドーン、バーンと撥ね飛ばされて、グチャ、バキッって音がして……頭が割れるように痛くなって……。

 って、そのまんま頭がカチ割れたんだろうな。そしてブラックアウト。真っ暗闇に放りだされた。

 今だってなんにも見えない。手足の感覚もないし、やっぱ死んだんだろうな。そういうことなんだよな。


 でも、実をいえば、俺はもういつ死んでもよかった。いいことなんか何もない人生だったし……。

 生まれた家は超がつくほど貧乏で俺自身も不細工で、引っ込み思案のネクラで口下手で、学校ではいじめられて友人もできなかった。お金がないから進学もできなくて、地元の工場に就職してからは働きづめで。仕事もとろくて、先輩や上司に怒られてばっかりで。

 それでも人並みに恋愛して結婚したいなぁ……と思っていたけれど、何の取り柄も金もない俺を好いてくれる人は一人も現れず、とうとう独り身で終わってしまった。

 親兄弟が死んでからは世間との交流もなく、趣味といえば、晴れた日に港へ行ってカモメにエサをやるくらい……。つーか趣味なんかコレ?

 でも俺、カモメにはモテたんだよ。本当に。俺を見るとマッハで飛びついてくる子もいて。肩や手に乗って、毎回じゃれてきて。可愛かったなあ。エサ目当てとわかっていても、差し出したパンくずを食べているのを見ると、俺を必要としてくれている気がして嬉しかったんだ。

 もしかしたら俺の最期を看取ったのもカモメなのかもしれない。

 人としては、とてつもなく寂しい人生だったな……。

 焼死とか溺死とか、苦しい死に方じゃなかったのが救いかな……と思ったその時だった。


 

 あたりが急にパアア……と明るくなった。

 ふわふわした白い影みたいなものが近づいてくる。眩しくて直視できない。

 影は俺の前まで来ると言った。

「私は神。汝はマグロ漁船に轢かれてしまい、この時の狭間に導かれた」

 なんと現れたのは神だった。

 にわかには信じがたいが、本人が言うんだからそうなんだろう。

「あ、はい。わかりました」

 俺は素直に自分の死を受け入れた。

「何か思い残すことはあるか。あるに違いない。絶対あるであろう、か弱き人の子よ」

「いえ、別にないです……。もう死んでもいいです。俺が死んで悲しむ人もいないし」

「……え、マジで?」

「はい、マジで」

「なんだぁ……つまんね」

「つまんねてなんですか」

「え~だって、こういう時はさ~『ヤダヤダ、死にたくなーい。僕ちゃんまだまだ生きたいんだもーん! お願い、神様仏様生き返らせてェ!』みたいに、汗と鼻水垂れ流しながら泣きわめく輩に非情に引導を渡すのが面白いんじゃん。まさに人の運命を司る全知全能のGODてかんじで。この仕事にやりがい搾取を感じる瞬間だよ。汝、そーゆー風に達観してるのよくないと思う」

 ……なんなんだこの神。とてつもなく軽薄である。やりがいじゃなくて、やりがい搾取感じるなよ。

「汝、本当にないの? 生きている間にやりたかったことや、やり残したこと。未練や煩悩」

「うーん。ま、あえていうなら女の子にモテたかったかな」

「女にモテたい、とな?」

「その、結局一度もそういうチャンスなかったから」

「もしかして生涯童貞? わーお! 風俗にすら行けなかったスーパーチキン?」

「……」

 く、屈辱だ……。でも本当のことだから仕方ない。


 神はヒュウと口笛を吹いた。

「わかった。じゃあ汝の願いを叶えてあげる」

「いや、今そんなこと言われても……。俺はこれから死ぬんですよね?」

「うん、色んな意味でハジケるね」

「いやいや……臨終の時に女の子にモテても意味ないでしょ」

「諦めるな。モテる時間はあるから大丈夫」

「どれくらいですか」

「ざっと3分間」

「……へ? はい? さ、3分? そんな短い時間で一体どうするんだよおおおっ!」

 俺は思わず叫んでしまった。そりゃモテさせてくれるというなら存分にモテたい。

 女にモテてこそ、男に生まれた甲斐がある。

 けど3分てなんだよ。3分で何ができるんだよ。


「3分じゃ何もできないですよ。女の子に出会って秒で告って、抱き合ってチュウくらいでタイムアウトでしょ。それじゃ最後までできないじゃないですか」

「最後て……。汝な~女にモテるのと、セックスするのはまた別の話じゃないの?」

 呆れる神に、俺は猛然と食ってかかる。

「何言ってるんですか。なんだかんだ言って最終的にはそれしかないでしょ。一人でも多くの女とセックスに至って初めて、モテ男のモテ具合が証明されるんですよ。一事が万事! 一挙一動! 女に好かれまくって、尽くされまくるハーレムこそが最強のモテ人生」

「でも3分しかないからね。セックスしたいなら問答無用で即ハメするしかないよ。出会って30秒で合体」

「どこの出会い系スパムメールだよ。犯罪臭しかしないし」

「挿入して1分あればイケるでしょ」

「めちゃ早漏! 俺、童貞なのに早漏設定!」

 だめだこの神。なんとかしないと、と思ってもなんともできない……。

「大体、俺が出会う女はどこにいるんですか。こんな死に際で誰と出会うの?」

 神はおもむろに腕を組み、首を傾げた。

「それな~。今はどこも人手不足で、モテ期派遣も追いつかないんだよね」

 モテ期派遣てなんだ。今時の神は人材派遣業まで営んでいるのか。たったの3分でいくらピンハネするんだ。

「もうさ、女の子の形をしているなら人外でもいいよね? よーし、それでいこう!」

 ……じ、人外? 人間じゃないの?

 それってもしかして清純派エンジェルとか、露出度の高いエッチなサキュバスとか?

 ちょっとばかり夢があるような……と期待したところで、俺は再び闇に包まれた。



 ***



「……」

 次に目を開けると、そこは病院らしき建物の、白亜の病室のベッドの上だった。

 マグロ漁船に轢かれたはずなのに、俺は事故にあった時の服装のままで横たわっていた。

 右手にこそ点滴を受けていたが、体のどこも怪我をしていないようで、痛みも感じなかった。

「こりゃなんだ……? どういう……」

 独り言を言いながら、起き上がろうとしたその時だった。

 何か柔らかいものが、胸にドスンと飛び込んできた。

「ああ、やっと目覚めたのデース! 良かったのデース!」

 舌ったらずな声に目を凝らせば、それは……金髪碧眼ツインテールでFカップはあろうかという巨乳美少女だった。俺は仰天した。

「え、は……? ど、どちら様?」

「覚えてないのですか。わ、私はあの時助けていただいたかもめデース!」

「かもめ……?」

 美少女はブルーの大きな目に涙をため、尚も俺にすがりついてくる。

「あなたはマグロ漁船に轢かれた時、咄嗟に私を抱いてかばってくれたのデース。おかげで私は命拾いしましたデース! あなたは大きく跳ね飛ばされて、放り出された貨物のマグロがスプラッターになったのデース!」

「スプラッター? 解体ショーみたいなもんか?」

 ということは、あのドーンバーンの後の肉が潰れるような音はマグロだったのか。

 もしかして俺は奇跡的に無傷で済んだ……?

「私は命の恩人であるあなたにお礼がしたくて神様にお願いしたのデース! 神様は願いを叶えてくれたのデース! 嬉しいデース! ずっとあなたを愛してたのデース!」

 そう言いながら、カモメちゃん(仮名)は俺をぎゅうぎゅうと抱きしめる。

 やわらかなおっぱいが押しつけられ、そのぽわんぽわんとした弾力ときたら……うおおおおおおっ! 

 ヤベエッ! 俺は、俺は今モテている~~~~っ! 

「か、カモメちゃん……本当に俺が好きなの?」

「はい、好きデース。あなたになら何をされてもいいのデース」

 うおおおおおおっ! 来た――っ! 本当にモテ期が来た――っ! 神様スゲー!

 しかも俺は無傷。今から3分後に死ぬような気配もない。

 目の前にいるのは、間違いなく美少女(カモメだけど)。

 俺と彼女は両思いで、このままカモメちゃんを押し倒してラブラブチュッチュして、セックスに持ち込んでも全く問題はない。


 ……なんだけど、そこで俺は非情な現実を思いだした。一つだけ問題があった。

 俺、あまりにも健康で病気らしい病気もしてこなかったおかげで……無駄に長生きしちゃって……今年97歳なんだよね。もうすぐ3ケタの大台。

 ここ30年なんて、股間のアレはぶっちゃけ排泄にしか機能していない……んだった。

 いいや、諦めるな。気合を入れろ。……勃て、勃つんだ! 奮い勃て! だ……だめだ、うんともすんとも反応しない。畜生、勃たねええええええ―――っ!

 くそう、神め。なんでジジイのままで生き返らせたし。どうせなら20歳くらいの精力絶倫のイケメンにして戻してくれよおおおおっ!

 ああっ、でもいいや……。

 こうしてカモメちゃんに出会えてモテて、両想いになって抱きあえて……俺は今たまらなく幸せだ。世界がバラ色に輝いている。ようやく春が来た。

 何もいいことなかった人生だけど、97歳にして思う。俺はこの世界に生まれてよかった。

 男に生まれてよかったああああああ―――っ!


 その後、カモメちゃんは俺にキスの雨を降らせ、俺はカモメちゃんのおっぱいにぎゅうぎゅうに圧されて窒息死しそうになった。

 ……もしかして死ぬってこういうこと?

 そういや、神も「マグロ漁船に轢かれた」「思い残すことはあるか」とは言ったけど、俺が生物的に死ぬとは明言しなかったもんな。

 そうだな、神よ。俺は死んだ。死んだよ……。

 人間は本当に幸せな時、「もう死んでもいい」と思うものなんだな……。


 しかし――

 神の粋な計らいもここまでだった。


 数十秒後、カモメちゃんは呆気なくただのカモメに戻ってしまった。

 彼女が人間であれた時間は、およそ3分……。


 こうして、俺の最初で最後のモテ期は終わった。

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モテ期襲来 八島清聡 @y_kiyoaki

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