最後の3分間
洗井落雲
1.
頬杖を突きながら、私はモニターを見つめる。
モニターに映るのは、私より年下……高校生くらいだろうか、それくらいの年頃の少女だ。口元は白い、大きなマスクで隠されていて、
「はい、こんにちわこんばんわ! りあむんです!」
何がおかしいのか、笑いをかみ殺しながら、よくわからない挨拶をする。
彼女が居るのは、きちんと整理された(ように見える。少なくとも、画面に映る範囲は、清掃されているのだろう)室内で、おそらくは、彼女の私室なのだろう。彼女はテーブルについてこちら――つまりカメラを見ていて、そのテーブルの上には、見慣れぬ箱のようなものがある。
「はい、今日はですね! 新発売の、この、激辛カップラーメン! こちらを食べて、レビューしていきたいと思います!」
そう言って、少女は箱――カップラーメンのパッケージを、カメラに押し付けるように、持ち上げた。ピントが合わない。無様にぼやけた画面に、私はあくびをかみ殺す。
「見てください……刺激的なため、お子様や辛いものが苦手な方はご注意ください、って書いてあって、なんか、ビックリですね!」
言いながら、彼女はパッケージをがさがさと動かしては、別の面をカメラへと押し付ける。全部ピントが合ってない。
「えーと、じゃあさっそく、開けてみたいと思います!」
お世辞にもスムーズとは言えぬ手つきで、彼女はパッケージの上部、蓋と思わしきところを、べり、と引きはがした。
「うわぁ」
小声ではあったが、明らかにドン引きした彼女の声を、カメラは拾っていた。
「あ、うん、見てください! 麺まで真っ赤で……ビックリです! すごくからそう!」
彼女はカメラへと、カップ麺の中身を見せつける。奇跡的にピントが合ったその画像は、思わずうわぁ、と声をあげたい気持ちもわかるくらいには赤く、果たしてこれが本当に食べ物なのだろうか、と疑わしい気持ちが、私にすら湧くような代物だった。
「えーと、じゃあ、お湯を入れてみますね」
と、画面外に手を伸ばすと、電気式の湯沸かし器を手にして、テーブルの上に置いた。よし、と小声で呟いて、容器へとお湯を入れていく。
「おー……これは……辛そうな……げふっ、えふっ! うぇ、マジ? まだお湯入れたばっかじゃん、馬鹿じゃないの……?」
どうやら、辛み成分の満載した湯気を吸って、むせかえったらしい。小声での文句は、高性能なカメラのマイクがしっかりと拾っていた。っていうか、すげぇな、マスク貫通するのかよ、あの辛み成分……。
「えーと、あー……えと、これで、3分、待ちます!」
そう言って、彼女は、画面外からタイマーを取り出して、3分にセット。
「楽しみですねー……」
そう言って、動きを止めた。
無言。
無言。
無言。
動画を再生しているパソコンが壊れたんじゃないか? と思う位に、無言。とはいえ、何やらカップラーメンの容器を、上からのぞき込んだり、横からのぞき込んだり、ちょこまかと落ち着きなく動く際に生じる衣擦れの音が大きく響いていて、とりあえず、再生機器の故障ではないのだと教えてくれた。
思わずあくびをしながら、何でこいつはこんな動画を撮影したんだろうか、と考える。これはもしかしたら、何かいじめを受けていて、この動画を撮影させられているんじゃないだろうか。そうでもなければ、こんな毒にも薬にもならない動画、この世に残しておこうとは思うまい。
さもなければ、これは何らかの拷問で……と考えたところで、馬鹿らしくなった。むしろ、この動画を見せつけられている私が拷問を受けている側だ、と言えるだろうし。
せめて何か喋れよ、と胸中で毒づくものの、それが彼女に届くはずはないし、録画された映像である彼女にはどうしようもあるまい。ひたすらに苦痛、面白みのない、無言の3分間は、少しずつ、這いずるナメクジみたいな速度で進んで行く。
と、突然、結構な音量でタイマーが鳴り響いたので、私は思わず、びくりと肩を震わせてしまった。画面内の少女も、びくり、と肩を震わせている。
「あ、できたみたいですね! じゃあ、さっそく」
さて、彼女はべりべりとカップラーメンの蓋をはがして、
「うっわ……」
今度はわかりやすく絶句した。
「見てください、これ……すっごく……辛そうですね……」
なんというか、こいつは致命的に語彙がなさすぎる気がする。私も人のことは言えないが。
さておき、彼女はありがたいことに、そのラーメンの中身を見せつけてくれた。子供がクレヨンで塗ったくったみたいな、ドギツイ、どろどろとした赤い色のスープと麺が、そこにはあった。これは例えるなら、ラーメンではなく、マグマだ。
彼女は引きつった笑みで箸を突っ込んで、ぐるぐるとかき回した。彼女、これからこれ食べるのか。可哀そうに。そこは少しだけ、同情する。
「えーと、じゃあ、実際に、食べてみたいと思います!」
意を決した表情で、彼女はマスクをとってから、ゆっくりと、箸を持ち上げた。絡みつく、原色の赤の麺が、殺人的な存在感を放ち、見るものを威圧する。今度は私が、うわ、とうめく番だった。彼女はゆっくりと、ゆっくりと、持ち上げた箸を口元へと運び――。
「はいはい、君たち、つまらないかもしれませんけどね、ちゃんと見てくださいよ」
そこで、この講義の担当教授が声をあげて、動画を一時停止した。彼女は、あの恐ろしいラーメンを口に運ぶ手前で、固まっている。
「良いですか? 君たちも知っての通り、カップラーメンの制作技術は、すでに失われています。ほんの……と言っても、君たちには実感がないとは思いますが、30年前、異常太陽フレアの発生による磁気嵐により、地球の電子機器が一斉に故障したことがありました。この時、文明のほとんどをデジタルが担っていた人類は、これによって大きな痛手を受けることになります。とりわけ甚大な被害を受けたのは、情報の保存分野です」
教授が教科書へと視線を落とすのを確認し、私はこっそりと、大あくびをした。
「すでに大半の情報は、デジタル保存に移行し、アナログな保存方式がほとんど失われていた時代です。磁気嵐の直撃により機器は破壊され、同時に、保存されていた様々な情報が失われ、これにより、多くの技術の再現が不可能になったのです」
カップラーメンは一例です、と、教授は言った。
「現在の人類は、どうやっても、『三分で食べごろになる乾燥めん』を作り上げることができないのです。どうやって作ったのか、その技術は失われました。ロストテクノロジーというと、遠い昔の事や、創作物の話かと思いがちですが、技術というものは、適切な保存と、継承がなければ、あっという間に消滅してしまう、脆いものなのです。皆さんに見てもらった動画は、現存する、当時カップラーメンがまだありふれたものであった頃に撮影された、実際にカップラーメンが出来上がるまでの貴重な動画資料です。研究者の間では、『最後の3分間』と呼ばれています。人類史に残る、最後の、カップラーメンができる時間……つまり3分間の映像というわけですね」
この教授の話は長い。ぶっちゃけた話、カップラーメンなどと言うものは、私が生まれた時点でこの世に存在しなかったし、なくて困るようなものではないから、消えてしまった所で痛手になるとは思えない。
技術の保存が、と教授は言うが、別に消えてしまうのなら、それは必要ではなかったという事なのだから、消えても誰も困らないだろうし、むしろ新しいものをどんどん生み出せばそれで済む話じゃないだろうか。
私が再びのあくびをかみ殺そうとしたところで、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。教授は、ふむん、と声をあげてから、
「では、今日の講義はここまでです。次回までに、近代におけるロストテクノロジーについて調べ、まとめ、レポートとして提出するように」
と、資料の片づけに入ったので、私は今度は思いっきり、伸びをした。
次はお昼休みか。学食に行って……何を食べよう。定食にでもするかな。
ぼんやりとそんなことを考え、立ち上がった私は、麺を持ち上げたまま一時停止している、『最後の3分間』の彼女と目が合った。
「……ラーメンにすっかー」
私はそう呟いて、教室を後にした。
最後の3分間 洗井落雲 @arai_raccoon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます