リボルビング・ランプ

たつおか

リボルビング・ランプ

 相打ち──しかしながら上出来なのかもしれない。


 壁面の一角に背を預けたままだった俺は、やがて立っていることもままならなくって地に沈んだ。

 両膝を立てて尻もちを着く姿勢のまま、相手の攻撃が通った右わき腹を見る。


 既にそこから流れ出た出血が下半身を赤一色に染め上げていた。内臓器に損傷はなさそうだが、それでもこの出血量は致命的だ……おそらくはあと3分といったところか。


 ふと視線を前に投げれば、すぐ目の前では今しがたまで戦っていた敵兵が倒れている。

 なんてこった……女だ。今さらになってそのことに気付く。

 想像していたよりもずっと幼そうに見えた。歳の頃は俺とそう変わらないように見える。

 血だまりの中に横顔を押し付けた状態でうずくまるその表情は涙に歪んでいた。


 そんな表情が俺の目には意外なものとして写る。

 おそらくこの敵兵は──彼女は、生態アンドロイドだ。


 DNA操作により無から生み出され、そして培養液のゆりかごの中、数か月のスピードで成長する。

 その用途は主に兵士の代替品──重火器や爆撃機と変わらない。

生体構造こそは人を模して造られているものの、体に流れる循環液は人間の血液とは違う。寿命だって5年が良いところだとも聞いた。……所詮は『物』だ。

 そんな『物』が今際の際に、斯様な感情めいた表情を見せていることに俺は驚いたのだった。


 そこに浮かんでいる表情それは恐怖や、あるいは悲しみを湛えているようにしか見えなかった。感情なんて無いものだと思っていたのに。

 しかしながらそんなことを考えるのも詮無いことであると気付く。

 彼女もまた瀕死であることが分かったからだ。


 見れば俺と対称になる左わき腹から出血していた。あの様子だと俺と同じか、あるいは彼女の方が先に逝くのやも知れない。

 そうこう考えていると、彼女を見つめている俺の視界に別の映像がノイズ交じりに融け込んできた。

 何か新型の兵器や光学機器の類かとも思ったが、それは違った。

 どうやら、『走馬燈』とやらが見え始めたらしい。


 目の前にはつい今しがたまでの、彼女との壮絶だった戦闘のワンシーンが再生されていた。

 いよいよ以て最後の時が近いというのに、まるで実感が湧いてこない。どこか他人事のように思えているのが少しおかしかった。


 しかしながらそれも悪くないように思う。 

 こんな終わり方にもしかし、俺は自分の人生におおむね満足していたからだ。


 父母は愛情をこめて俺を育ててくれたし、友人や兄妹達と過ごした日々はそのどれもが素晴らしいものだった。そしてこの戦争に参加する前日には、想い焦がれてやまなかった女(ひと)とも褥を交わすことが出来た。

 その時に俺は『必ず戻る』と約束をし、そしてあの女もまた『待つ』と言ってくれた。……どこからどう見ても、戦死する男のパターンだ。思わず笑ってしまう。


 俺がこれから見る人生最後の映画は、そんな幸せだった日々の再確認だ。

 それの先を見られずに死んでしまうのは惜しい気もするが、終わり方としてはこれ以上もない。

 ならばそれを楽しもうと気楽に思っていた俺だが──直後、困惑に囚われる。


 今しがたの戦闘が終えた後に始まったものは……どこか病室然とした壁をガラス越しに見つめる光景だった。

 益々以て混乱を覚える。なぜならば、こんな光景は自分の記憶には微塵として無いシチュエーションであったからだ。


 そして同時に、とある最悪の想像が俺の頭をよぎった。


 そうして眺め続ける映像には終始、変化らしい変化は現れなかった。

 時折り視界の左右を、白衣に身を包んだ研究者然とした男女が過ぎ去るだけの光景……そして変化が現れたのは、その回想も終わりに近づこうと言う時であった。

 かのガラス越しに女が一人、俺を覗き込んだ。


 その記憶の再生に俺の胸は大きく不整脈を高鳴らせる。

 何故ならば目の前にいた女こそは──俺が『恋人』として認識している人に他ならなかったからだ。

 なおも女は俺の顔を見つめ続けた後、鼻を鳴らすようにして小さく微笑んだ。


『明日の朝には送り出されるのね……』


 気だるそうに一言。


『こんな作り方をしてしまってごめんなさいね。でも『記憶』だけは最高のものを用意してあげるわ。……こんな人生でも、十分に満足できるような過去を用意してあげる』


 やがては目の前が暗転した──俺は再び、現在へと帰還した。

 しばし言葉も無かった。頭の中もすっかり空転してしまっている。

 そして気付いたのだった。


 俺もまた、生態アンドロイドであったという事実に。


 言いようのない怒りが全身を駆け抜け、その一時は肉体が死の淵から復活するような錯覚すら覚えた。

 あいつらは俺を……否、生命を蔑ろにした。


 命に生まれ方も作られ方もない。この世に生を受け、自分自身というものを持ったのならば、そこに有性無性の貴賤などは無いのだ。

 みな等しくに尊ばなければならいものなのだ。

 それを奴らは物として扱い、あまつさえ殺しの道具として使用した……決して許されるべきではない。

 俺の中で生じた怒りは収まることなく、残り僅かな俺の命を燃焼させるかのようであった。


 その時になってふと気付く。


 視線は再び前方へ投げられ、その先に倒れる彼女へと注がれた。

 おそらくは彼女もまた俺と同じ境遇であったのだろう。


 大切な場所や人を守るために戦いへ身を投じたはずだ。そんな偽りの記憶を植え付けられて、今ここで死のうとしている。

 俺はそれに対して怒りを覚えたが、彼女はきっとそれが『悲しみ』だったのだ。

 全てに裏切られ、全てが嘘の世界の中で一人寂しく死んでいく自分を憐れんでは、きっとそれがいたたまれなくなったに違いない。


 それを考えた時、俺は動き出していた。

 あとどれくらい生きられるだろう? どれくらい動けるものなのだろう?

 四つん這いになって一歩ごとに喘ぎながらそんなことを考えた。


 やがて彼女のすぐ隣までつけると、俺も震える両腕に支えを無くして倒れ込む。

 すぐ目の前に、そんな俺の接近に驚く彼女の顔があった。

 つい今しがたまで殺し合っていた俺達がこうまで接近しては鼻先をつき合わせている状況がおかしくて、俺は場違いにも苦笑いを一つ浮かべる。

 やがて震える唇で俺は伝えた。


「死にたくねぇだろ……? どうせなら、最後にもう一勝負しようぜ」


 言いながら俺は、腰元に装備したバックパックの中から一本のドレーン管を取り出す。

 救急器具のはずのそれは、本来なら輸血用パックから体内へと血液を循環させるためのアイテムだ。

 その片側を、俺は己の傷口へと差し込んだ。

 鋭い痛みと、さらには新しく発生した鈍痛の持続するそれに呻きを漏らしながら、もう片方も彼女のわき腹へと突き立てる。


「ッ? あぐうぅ……ッ!」


 先ほど俺と相打ちになった時に出来た傷だ。その痛みたるや俺が感じる通りである。


「これから……俺の血をお前の中に送り込んで、お前の中に循環したそれを再び貰う……」


 告げられる俺の思惑に、彼女は息をのんで顔を蒼ざめさせた。

 その理由は俺とて分かっている。


 いかに同じ身の上の『生態アンドロイド』とはいえ、その開発も制作もまったく違う隣国同士のアンドロイドだ。

 体をめぐる代用血液は少しでも成分が違えば、途端に凝固して多臓器不全を引き起こすことだろう。

 それでもしかし、輸血のパックも無い今となっては互いの血流を共有して血圧を安定させる以外に、この失血状態の窮地を脱する手段は無い。


 俺はただ、彼女の目を見つめた。

 言葉など必要もないし、その時間も無い。彼女とて俺の思惑と、そしてそのリスクはとうに理解している。

 そして彼女のとった答えは──


「……お願い……!」


 手を伸ばし、ドレーンのスタートボタンに置かれた俺の手を握りしめることだった。


「はぁはぁ……生き残ったら、一緒に飯でも食いに行こうか……」


 言いながら、俺はボタンを押す。

 まずは俺から血液を吸引してそれが彼女の中に送られる。


「ぐぅッ……ぬうぅ……!」


 一気に体が冷めていく感覚にとらわれる。あわやこのまま死んでしまうかと思った矢先、右手に生じた強い感覚に何とか意識が保たれる。

 見ればそこには、


「ごはん……一緒に、行こう。ワタシ……何でも好きだよ」


 彼女が俺の手を握ってくれていた。

 たかがこれだけのことなのに、こんなことで力が湧いてくることが不思議だった。あの研究所で貰った偽りの記憶なんかよりも、こっちの方がよっぽども現実離れしているというのに。

 それでもしかし、これこそは嘘偽りのない俺の記憶であり、そして生命だ。


「名前は……?」

 尋ねる俺に、


「エチカ……」


 彼女は──エチカは応える。


「いい名前だな……俺は、ハルだ」


 俺も応えた。より強くエチカの手を握りしめる。

 同時、エチカの体を駆け巡った血液が再び俺の中に戻ってくるのが分かった。

 互いの中を行きつ戻りつする血流を感じながら、いつしか俺は深い眠りに落ちようとしていた。

 それはエチカも同じらしく、猫が暖を求めるように俺の胸元に額を寄せている。


 このまま眠ってしまって次に目覚めることが出来るのだろうか?

 しかし、こうしてエチカと眠りに落ちるのも悪くない気分だった。

 いつしかそんな嗜好すらもが眠りに融け始める。


 目が覚めたら約束通りに飯を食べて、それから俺達を生み出したクソ野郎どもを殴りにでも行こうと取り留めも無く考えては、次々とそれは消えていった。

 そんな意識が遠のく直前、俺は彼女が離れてしまわぬよう強くエチカを抱き寄せた。


「ハルぅ……」


 エチカもまた同じくに俺にしがみつく。

 生態アンドロイド達に残された最後の3分が、終わろうとしていた。



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