第26話 そして相棒は剣を振るう

 まずその異変に気付いたのは、藤田だった。一人の教団員をナイフでいなした所で、曽根崎の様子を見ようと壇上を見上げたのである。そこで彼は、祭壇の裏で蠢く影を見つけたのだ。


 あれは、なんだ?


 しかし、それをはっきりと認識する前に、教団員の拳が飛んできた。慌てて避けながら、藤田は柊に目線を送る。柊は頷くと、目の前にいた教団員をバールでなぎ払い、壇上に向かおうとした。


 だが、その時にはもう遅かった。


「シンジ! 逃げなさい!!」


 あらん限りの声で叫んだ柊が見た先にあったのは、曽根崎の首を絞めようと彼の背後に立つ、教祖――竹田龍三郎の姿だった。









「聞こえるか、景清君!」


 死ね、死ね死ね、死ね、死ね。


「そっちは君に任せたぞ! 私は私のやるべき事をやる!」


 死ね、死ね、しね、しね、し、ね、し、す、す、すべ、すべき、すべき、すべきこと、は?

 ゆれる、ゆれる、からだが、ゆれる?なんで?


 ――あんたにそこまでいわれたら、ぼくだってやるしかないだろが。


 バチン、と音がして景色が変わる。僕は、いつかあしとりさんに取り憑かれていた時に見た夢の中に立っていた。

 ……まるで、漫画で見たような精神世界というヤツである。あしとりさんの時の経験が無ければ、ただ壊されゆく思考からシフトできなかったかもしれない。だからといって、あの出来事を肯定できるわけでもないが。


「な、なんだ、これは。どういうことだ?」


 少し離れた所で、龍三郎様が辺りを見回して狼狽えていた。恐らく、相手の精神にダイブし、こんな形で抵抗されたのは初めてなのだろう。


 まあ、実のところ僕もどうやったかよくわからない。


 僕は、白い靄をかき分けるように、一歩一歩龍三郎様に向かって歩いて行った。


「景清」


 あちらも、僕に気付いたようだ。その顔は笑っていたが、どこか引きつっているように見えた。


「お前の中にこんな場所があるとは。神たる器の才能といえよう」

「……」


 殴れば出て行くだろうか。殺せば消えるだろうか。いや、今回の相手は黒い男ではなく人間だ。可能だとしても接触によるリスクは避け、残存させることなく追い出したい。


 ならばどうする?


「……龍三郎様」

「どうした」

「お願いがあります」


 あの人なら、恐らくこうするだろう。僕は、龍三郎様の目を見つめて言った。


「僕の中から、出て行ってください」

「……それで、儂が引き下がると思うか」

「その耳が飾りでなければ、ですが。ここは僕の世界です。あなたを追い詰め、潰してしまうことなど造作もない」


 淡々と、感情を込めずに伝える。黒い男を相手した時のように、右手にナイフを生成してみせた。

 しかし、龍三郎は余裕である。逆に、身の丈ほどもある刀をその場に出現させた。

 ――自覚は無いが、やはり僕の精神の半分以上は乗っ取られているようだ。


「……その小さな刃物を儂に刺してみろ。どうせ肉体に戻ったところで、老い先短い命なのだ。儂はお前の精神にこびりつき、永遠に苦しめてやろう」


 おぞましい笑みだ。サディスティックで、気持ちが悪くて、とても同じ人間とは思えない。彼ならば、確実にそれを実行するだろうと直感的に理解できる。


 だけど僕の心は、そんな状況とは裏腹に不思議と落ち着いていた。


「……神の器に必要なものって、この模様以外にありますか?」


 勉強熱心な生徒のごとく、僕は彼に尋ねた。この思いがけない質問に老人は肩透かしをくらったのか、笑うのをやめて眉をひそめた。


「精神を殺し、器を空にすることだ。お前は今その段階に入っている」

「や、それもわかってます。他にありませんか? 例えば、開祖の血縁者じゃないといけないとか、輸血されたらダメだとか」


 僕の一言に、龍三郎様の顔色が変わった。元々顔に出やすいのか、それとも精神世界の出来事だからかわからないが、これは都合が良い。僕は、アタリをつけて片手を彼に差し出す。


「……それなら、僕は神の器の不適合者です。輸血というほどではありませんが、今の僕の体には、他の人の血が混ざっていますから」


 最後に見た阿蘇さんの姿を思い出す。彼は、僕を絶対に守ると誓いながら、自分の血がべったりついた手で僕の手のひらに傷をつけた。彼には、何か確信があったのだろう。結局、あの人には守られてばかりだ。


 僕の手のひらについた小さな傷を見た教祖は、眼球が飛び出しそうなほど目を見開いて後ずさりした。どうやら、僕のイメージがダイレクトに彼に伝わっているようである。真偽を説明する手間が省けて助かるな。


「……バカな。ならば、貴様は器には……」

「その言葉を聞いて安心しました。しかし、そんなに血というものは大事なもんですか」

「当然である! 儂は、儂の血は尊く選ばれ洗練された……!」

「別に否定はしませんよ。自分の事をどう思おうったって自由ですし」


 老人の持っていた刀は、先ほどの半分まで縮んでしまっている。一方、僕のナイフはちょっとした剣ぐらいのサイズになっていた。

 その剣の切れ味を確認するように刀身に指を這わせながら、僕は言う。


「……でも、思うんですよね」

「何がだ」

「あなた、僕が曽根崎さんと深い関係にあるって言った時、動揺したでしょ。あの時、何を想像してたんですか?」

「なっ……!?」

「言わなくてもわかりますよ。だってあなたと僕は今、精神を共有してるんですから。……まあ、普通ならそういう想像をしますよね」


 ニヤリと笑う。悪ふざけとはいえ、あんな不審者男とそういう関係であってたまるものか。まあ債務者と債権者という関係も、できれば御免被りたかったが。


「――つまり、あなたは普通なんですよ、龍三郎様」

「……なんだと」

「僕からしてみれば、ですけどね。一瞬でもそんな関係を思い浮かべたなら、俗物も俗物。僕や曽根崎さん、その他大勢と同じただの人間です」

「不敬な! 生まれ損ないの不浄が、教祖たる儂に向かって何を……!」

「そして、同じ人間ならば、僕は選べる」


 ――そうだ。今までの僕は、僕より尊く偉い人間ばかりに囲まれて生きてきた。より生きるべき人間を優先させ、選んできたのだ。


 だが、一人の人間が、僕をモノではなく人間だと断言した。


 いつか柊ちゃんに言われた言葉が蘇る。

 “ アンタは、何を選んだっていい。”

 今度こそ、僕は彼女に怒られない選択ができるだろうか。


「……アンタの言葉と、あの人の言葉。どちらを選ぶかなんて、考えるまでもないんだよ」


 今や僕の剣は、背丈の二倍ほどもあった。……これ現実世界に持って帰りたいな。とてもかっこいい。

 一方、老人の刀は親指ほどのサイズになっている。もはや、ちょっとしたおもちゃだ。

 どちらが優勢かなんて、一目瞭然だった。


 僕は軽々と剣を振るって老人の前に一歩踏み出すと、自分の思うカッコいいポーズと共にタンカを切った。


「あまり僕をナメるなよ! 消え去れクソジジイ!!」


 剣を向けられた老人は、敗北感と無念に顔を歪めると、弾けるように消滅した。









 曽根崎は、動かなかった。否、動くことができなかった。

 呪文を唱える副作用で、彼はその場に縛り付けられてしまっていたのだ。しかし口だけは勝手に動き、逆さ語は未だ大音量で施設中を駆け巡っている。


 だから、柊の警告が耳に届いた時、曽根崎は覚悟した。ここで、自分の命は潰えるのだと。

 相手は龍三郎だろう。祭壇裏の抜け道を知っており、ここまでやって来る人間はそいつしか思い当たらない。ということは、景清はヤツを追い出したのだ。まったく、厄介な相手に見事な勝利である。


 さて、自分もやるべきことはやった。後は、彼らが無事に逃げられるよう祈るだけである。

 いよいよ首にロープがかけられ、曽根崎が自らの運命に身をゆだねようとした、その時だった。


「……ちゃんと忘れずに持ってて良かった。藤田さんには感謝しなきゃな」


 足元で、声がした。同時に、背中から凄まじい絶叫が上がる。


「剣は持ってこられませんでしたが、金槌もまあまあ威力ありますね。特に、おじいさん相手には」


 端正な顔で、とんだ発言をするものである。老人の足を金槌でへし折った景清は、呆気にとられた顔をする自分の相棒を見上げて、ニッと笑ってみせたのだった。

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