第24話 信頼

 目の焦点が合わない。恐怖と悲壮と歓喜が代わる代わる僕の足元で点滅しては去っていく。昨日から誰かが僕を殺そうとしているせいだ。彼の責任にしてしまったからまだ良かったが、それなら尚更刻み埋めてしまうべきだったのだ。

 お前の脊髄のように。お前の脊髄のように。


「ハハヒハハハハヒ」

「貴様! 景清君に何をした!」

「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」


 笑え笑え笑え笑え。さすれば救われるぞ。さあ明け渡せこうして儂が来てやったのだ早くその精神を削り奪ってしまおうではないか神のために神たるくとぅぐあのために。


 ダメだ。僕は僕でこの体も精神も僕のもので、指一本誰にも触らせやしないに決まっているるるるるる。


 この日の為に生かされてきた無駄で無駄な役立たずの命に素晴らしい終幕を与えてやるというのがわからんのかなんというなんというなんという傲慢。


「神の使いが降りられた。教祖様に神の使いが降りられたぞ」

「器の様子も変だ。神の使いは器に指令を出しているのだ」

「今の内に男を捕らえよ。捕らえられぬなら殺してしまえ」


 やめろやめ! 手を出してただでバットを殴って絶対にお前ら残らず!


 しぶといな何故だ? 精神を殺して追い詰めてかき乱して何故まだ残る?


「景清君、しっかりしろ! ……時間が無い。詠唱が終わってしまう!」


 僕は構わない捨てて嫌だ行ってマイク叫んであなただけでも嫌だ僕もどうか。


 死ね。死ね。死ね。死ね。役立たずめ。穀潰しめ。


「ここまでだ。潔く死ねよ、怪異の掃除人」


 ……そねざき、さん。










 龍三郎が何か囁いた瞬間、老人の体はぐにゃりとその場に崩れた。まるで魂でも抜けたかのように、既に彼の人格はそこに無い。

 気にはなったが、それより重大な異常を察知した曽根崎は早々にこの老人を打ち捨てた。自分の背中に立っていた青年が、突然頭を押さえて苦しみ始めたのだ。


「景清君、どうした!?」

「ヒ……ギッ……ヒヒ……」


 苦悶の表情を浮かべているにも関わらず、その口からは笑い声が漏れている。曽根崎は、直感的にそれが龍三郎のものであると悟った。

 龍三郎は、呪文を使って景清の精神に入り込んだのだ。


「ハハヒハハハハヒ」

「貴様! 景清君に何をした!」

「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」


 老人に掴みかかるが、その体は脱力したままで動かない。やはり、これはただの抜け殻のようだ。

 体を殺してしまうか?いや、それでは精神の戻る先が無くなり、彼の精神に龍三郎が一生残ったままとなるかもしれない。

 ならば、どうする? どうすれば彼の中からこの男を追い出せる?


 必死で頭を回転させながら最適解を探す曽根崎だったが、答えを導き出す前に遠巻きに見ていた教団員らが、異変に気付き始めた。


「神の使いが降りられた。教祖様に神の使いが降りられたぞ」

「器の様子も変だ。神の使いは器に指令を出しているのだ」

「今の内に男を捕らえよ。捕らえられぬなら殺してしまえ」


 まずい。

 多勢に無勢、しかも教祖と景清がこのような状態になってしまえば、人質の意味も無い。では、景清を抱えてマイクのある壇上に走るか? しかし彼の中にはあの老人の精神が宿っている。景清の腕を使い、自分の首を絞めないとは限らない。

 だが、ここに置いておけば、いずれやってくる教団員に連れ去られ二度と戻っては来られないだろう。呪文の詠唱を阻止した所で、腹いせに殺されるに違いない。


 どうするべきだ?


 堂々巡りする思考の中、ふと流れている詠唱の一節が耳に飛び込んできた。同時に、倉庫で頭の中に叩き込んだクトゥグア召喚の呪文書に書かれていた文字が、鮮明に思い起こされる。

 曽根崎は、景清の両肩を強く掴んだ。


「景清君、しっかりしろ! ……時間が無い。詠唱が終わってしまう!」


 景清は、変わらず薄気味悪い笑い声をあげている。……届いていないのだ。龍三郎に精神を汚染され、壊されている。このままでは、空になった彼の中にクトゥグアが顕現してしまう。


 座り込んだ景清の肩を押さえたまま、歯を食いしばって絶望に陥りそうな結論を脳の外に追いやる。……まだだ。まだ私が思い至っていない道があるはずだ。必ず――。


 その時、軽い金属音が、曽根崎の耳を捉えた。


 無意識に音の出所を探ると、景清の左足首辺りで目が止まった。何かを掴んだ彼の左手から、赤い血が垂れている。どうやら、彼はそこにあるものを、手の平から血が出るほどに握りしめているようだった。


 そこで、ようやく曽根崎は竹田景清という人間を思い出す。


 ――ああ。


 ――どうして私は、これほどまでに鮮烈な君の強さを忘れていたんだ。


 目が覚めたような心地で景清を見つめていた曽根崎の真上に、一つの影が現れた。


「ここまでだ。潔く死ねよ、怪異の掃除人」


 その影が何をしようとしているのか。それ自体、曽根崎にとってはどうでも良い事だった。

 何故なら、ようやく彼は取るべき行動を決めたからである。


「……景清君、借りるぞ」


 曽根崎は、景清のベルトに引っかかっていた水鉄砲のようなものを取ると、振り向きざまに教団員に噴射した。狙いは寸分違わず、仮面の覗き穴に直撃する。

 水鉄砲は、催涙スプレーだった。

 教団員は曽根崎を襲うどころではなくなり、手にしていたナイフを落として苦しみ始める。

 その隙に、曽根崎は景清を抱え走り出した。


「聞こえるか、景清君!」


 精神世界の中で戦っているだろう彼に届くよう、曽根崎は声を張り上げる。


「そっちは君に任せたぞ! 私は私のやるべき事をやる!」


 恐れは無かった。ただそこにあるのは、絶対的なまでの、彼に対する信頼。


 曽根崎の呼びかけに応えるように、景清は空の拳を握った。

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