第3話 黒い男からの封筒

 あー、腹立つ! なんだよあのオッサンは! えっらそうに!!


 周りの目を一切気にせず、ズカズカと道の真ん中を歩いて行く。僕は、怒っていた。

 とても怒っていた。


 わかってはいるのだ。恐らく、今回は本当に危険なのだろうと。だからこそ、曽根崎さんは僕を遠ざけたのだと。

 でも、それならどうして今まで散々引っ張り回したんだ! 大体、僕がいないと困るんじゃないのか、あの人は!


 そこまで考えて、ふと歩みを止める。――僕がいないと困るんじゃないのか、だって?


 胸が締め付けられるような自己嫌悪に、うつむいた。口元を手で押さえ、速さを増して行く鼓動を必死で抑え込む。


 ――僕はいつから、こんなに思い上がっていたんだ?


 彼は僕を必要としていない。それだけなのだ。曽根崎さんには阿蘇さんを始め、能力の高い人たちが揃っている。僕がいなかった所で、何も変わらない。


 僕は所詮、使い所の限られたモノでしかない。

 また、僕は勘違いするところだったのだ。

 今までずっと、言われてきたはずなのに。


 ――僕は。


 背後にいた鳩が一斉に飛び立った。その音にすら反応できず、僕は立ち尽くしている。

 呼吸が苦しい。駄目だ。いけない。まずい。辺りには誰もいない。それでいい。誰かがいるぐらいなら、僕一人で――。

 混乱した思考と息苦しさの中、僕が膝をつきそうになった時だった。


「苦しそうですね」


 低い男の声がした。頭を上げると、いつのまにそこにいたのか、真っ黒なコートを着た背の高い人物が立っていた。

 ――一瞬、曽根崎さんかと思ってしまった自分が許せず、咳き込む。逆光と、目深に被ったつばの広い帽子のせいで、彼がどんな顔をしているかはわからなかった。


「大丈夫ですか?」


 黙ったままの僕に、彼は優しい言葉をかけてくれる。だけど、なぜかそれが僕には冷たい響きとして届いた。


「……心配してくださってありがとうございます。もう大丈夫です」


 突き放すように答えた僕に、男は呆れたような声色で言う。


「また、あなたは勝手に期待して裏切られたのですか?」


 その言葉に、心臓が跳ねた。――なぜ、この人は、それを知っているのだ。


「……何を」

「いいですか? 人は人に価値をつける。自分にとって、利となるか損となるか。だからこそ、誰かの価値になりたければ、君はその為の努力を怠ってはならない」

「そんなこと」


 ――わかっている。だから僕は、必死で誰かに関わって、助けて、手を伸ばして。

 目の前が暗くなる。元よりそれ自体無駄で、自分自身その努力をすることすら許されない立場では無かったか。

 走ったわけでもないのに、肺がヒューヒューと音を立てる。

 目の前の男は、そんな僕を見て笑っているような気がした。


「――大丈夫、まだ間に合いますよ」


 そう言い、彼は僕に黒い封筒を差し出した。


「あなたが、もしもまだ彼の役に立ちたいと言うのなら、然るべき時にこれを使うといいでしょう」

「……これは何ですか」

「見ればわかります」


 僕は、震える手でその封筒を受け取った。中を見ようとしたが、手がおぼつかず開くことができない。


「あの、これ……」


 話しかけようと彼の方を向く。しかし、既にそこには誰もいなかった。


「――え?」


 いない。見通しのいい道は、どこにも隠れる場所なんて無い。漆黒の男は、消えてしまった。


 ――彼は何者だったんだ。


 傾いてきた日に照らされながら、僕は黒い封筒を持って呆然としていた。









「――しかし、どうして藤田君がこの件を仲介してくれることになったんだ?」


 資料に目を通しながら、曽根崎は藤田に問いかける。対する藤田は、温くなったお茶を飲みながら笑った。


「一番最初にオレに相談があったからですよ。そこから阿蘇に連絡してあちこち確認してみたら、類似の症状が立て続けに起こってたって話です」

「なるほど。その相手とは?」

「いわゆるセのつくフレンド繋がりです」

「君との関係性はどうでもいい。具体的に誰かと聞いてるんだ」

「ああ、それだったらこちらのマダムです」


 ずいと藤田が身を乗り出し、曽根崎の見ていた資料の内一人の名を指差した。


和泉美知枝いずみみちえさん」

「そう。この方の娘さんからオレに相談があったんです」

「……そういえばさっき、君はとうとう人が死んだと言っていたな。それがこの人か?」

「いえ、亡くなったのはこの方の上の娘さんです」


 藤田は、痛ましいものを見るように目を細めた。


「……この日、たまたまお姉さんはご実家にいたのですが、寝ているところを美知枝さんに殺されました」

「家族仲は?」

「相談してきた子が言うには、悪くなかったそうです。ずっと女手ひとつで育ててくれたお母さんに感謝こそすれ、恨む理由は無いと」

「元々、病気の発症自体その相談者は知っていたのか?」

「はい。とはいっても、あまり詳しく知っているようではありませんでしたが」

「一度話を聞きに行った方がいいな。藤田君、その子に連絡を取れるか」

「わかりました。場所は近場のホテルでいいですか」

「いいわけないだろ。できれば事務所だ」

「タクシー代は?」

「出す」

「いつもならホ別二万で手を打ってくれる子だし、多分来てくれると思います」

「なあ君、本当に解決する気あるのか?」


 藤田との会話に疲れながら曽根崎は突っ込んだ。……早くも、景清がいないデメリットを感じる。彼ならこういう時、藤田をそこそこにいなしてくれるだろうに。

 頼みの綱である阿蘇は、藤田の扱いに慣れ過ぎているのか、逆に無反応である。


 ――事件が終わった後に謝ったら、彼は許してくれるだろうか。


 曽根崎は、電話をかける藤田の横で憂鬱そうに窓を見ていた。

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