第11話 君の前だから

「三条!」


 二階に上がり辺りを見回す。――いた。三条は、二人の男女と睨み合っていた。

 どうやら、逃げるはずだった窓から回り込まれてしまったらしい。三条は大江さんを後ろにかばい、じりじりと後ずさっている。

 二人の男女は、ナイフを握りしめ、その切っ先を彼らに向けていた。しかし、二人とも動く様子は無い。――それはそうだ。彼らの目的は、階下の魔法陣が発動するまで三条を足止めすることなのだから。


「三条! 三階に逃げろ!」


 三条は青ざめた顔でこちらを見た。口の端から、ごぼりと黒い液体が垂れる。

 ナイフを持った男女のうち、女の方が僕の口を封じようと向かってきた。

 ヤベェな。しかしチャンスでもある。


「大江さん! 三条を三階へ!」


 三条の体が階段に引っ張られた。それにつられ、三条も足を動かす。もちろん男もそれを追うが、それなりに距離があるのできっと三条らは階段を上りきれるだろう。

 ――さあ、間に合うか。女の一撃を避け、僕も三階に向かって走り出す。途中、男を背中から蹴たぐり、昏倒させた所を踏み越えなお走る。

 そして三階に上りきる直前で、何とか二人に追いついた。


「景清さん…!」

「大江さん、よく頑張ったね」


 三階に続くドアに入り、急いで鍵を閉める。大江さんは、三条に肩を貸しながら泣きそうな顔をしていた。

 三条は今や、口の端や目からダラダラと黒い液体を流している。


「三条、僕がわかるか」

「わかるよ、景清」


 それでも、三条は笑って返した。


「一刻も早くこの建物から逃げなきゃいけない。三条、立てるか」

「もちろん。余裕だよ」

「でも景清さん、どうやって脱出しましょう。ここは三階です」


 ドアがドンドンと叩かれている。あいつらが追いついてきたようだ。

 どうしたらいい。カーテンで縄を作るか? いや、そんな時間は無い。怪我を承知で飛び降りるか?いくら三階とはいえ、打ち所が悪けりゃ死ぬぞ。

 どうすればいい。どうすれば。


「――景清さん。確かここ、プールと隣接してましたよね」


 大江さんが口を開いた。そして、窓を開けて身を乗り出す。


「幸い、あまり距離も離れてもいません。そこの机を窓の下に並べて滑走路にすれば、飛距離も出るでしょう」

「よし、それでいこう」

「判断早いですね。いいんですか?」

「悩む時間すら惜しいんだ。急ごう」


 大急ぎで机を並べる。ドアは、今にも破れんばかりに打ち鳴らされている。


「――三条さん、無事に帰れたら、約束ちゃんと守ってくださいね」


 大江さんがポツリと言った。三条は、液体を袖で拭いながら笑顔で頷く。


「遊園地だろ? いーよ!でも夜にやるパレードは大学生になってからな?」

「そ、それって大学生になっても一緒に行ってくれるってことですよね?」

「おう! 男に二言は無いぜ」

「絶対、絶対ですよ?」

「おう!」


 良かった、と大江さんは呟き、ドアの所へ向かう。そして、彼女は自分の背でドアを押さえ込んだ。

 三条は、彼女の行動に、黒い液体が頬を伝うのも構わず問いかける。


「……何してんの、大江ちゃん」

「三条さん、景清さん、行ってください!私はさっき足を挫いてしまったみたいで、飛ぶことができません!」


 大江さんは、強い口調で言った。


「この人達の狙いは三条さん達です! だから、私に危害を加えることは無いと思います! 一緒に行けない分、ここで時間を稼ぎますから、早く!」

「大江さん、そんなバカなこと――」

「いいから! 行って!」


 ドアが一層強く叩かれ、大江さんの体が跳ねる。しかし、彼女は力を込めてそれを押さえつけた。

 ――これは、覚悟を決めるしか無いのだろうか。

 曽根崎さんの言葉が頭を掠める。“ 私達の目的は三条君を助ける、それだけだ ”。その為に、彼女をここに置いていくのか。いや、僕が残ればいいのではないか。しかし、そうなるとこの状態の三条を一人にすることになる、


 僕は――。


 知恵熱が出そうなほど考えている横で、ふらりと三条が前に出た。


「――ねえ、大江ちゃん。前も、今も、どうしてオレが煙草をすっぱりやめられて、そんですぐ正気に戻ったか、わかる?」


 大江さんは、大きく目を見開いて首を横に振る。


「なんでかって言うとね」


 三条は微笑んでいるのに、彼の目から流れた黒い液体は、まるで涙を流しているかのように見えた。


「……大江ちゃんの前で、格好悪いトコ、見せたくなかったからなんだよ」


 その言葉と同時に、三条は駆け出した。そしてドアの前に陣取る彼女を抱き上げると、机に飛び乗る。


「しっかり掴まってて!」


 ドアが派手な音を立てて壊れるのを合図に、三条は窓から飛んだ。それに続いて、僕も窓から飛び出す。一瞬空中で時が止まったような不思議な浮遊感のあと、水柱を上げて僕らはプールに落ちた。

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