第12話 プールの中で

 ぶはっ、と水面に上がり大きく息を吸う。どうやら、助かったようだ。あとは三条と大江ちゃんが無事なら……。


「三条さん! 三条さん!」


 殆ど悲鳴に近い大江さんの声が聞こえた。僕は急いで振り返り、月明かりの中姿を探す。

 二人は、僕より少し離れた場所にいた。必死で名前を呼ぶ大江さんの腕の中で、三条がぐったりとしている。彼の目や鼻や口からは大量の黒い液体が流れ出し、周りの水を黒く染めていた。


「大江さん! 三条は!?」

「わかりません……! 落ちた時に水を飲んだのか、最初は咳き込んでいただけだったんですが……!」

「……息はある。三条! 聞こえるか、三条!」


 しかし三条は呼びかけに応えない。苦しそうに時折咳き込みながら、黒い液体の塊を戻している。

 ――塊を戻している?

 大江さんは三条を抱え、プールサイドに目を向けた。


「とにかく、早くここから出なきゃ……! 三条さんが死んでしまいます!」

「待って、大江さん」

「なんですか! だって三条さん、こんな苦しんで……」

「物は試しだ。よいしょ!」


 僕は三条の頭を掴むと、思い切り水の中に押し込んだ。ゴボゴボと、三条は今までより目に見えて多くの黒い液体を出し始める。――やっぱりだ。


「大江さん、これ……!」

「お馬鹿さん!!」


 成果報告をする間もなく、大江さんにしばき倒された。いや、そりゃそうだよね。瀕死の想い人の頭を、物は試しと水に突っ込まれたら怒るよね。ごめん大江さん。

 謝りながら、恐る恐る水面から顔を出した。


「……三条はもう大丈夫だよ、大江さん」

「何がですか! 一回死んどきゃ二度とは死なないとかそういう理屈なら頭埋めますよ!」

「埋めないでくださいそうじゃないです。とりあえず聞いてくれませんか」


 自分の弁解の仕方にどっかのオッサンを連想しかけたが、すぐさま頭からかき消した。


「三条は、今まで体に尋常じゃない量の“ ブラック ”を体に貯めてたんだよ。ブラックは、喫煙者の許容量を超えるか、もしくは何か別のキッカケで命を奪うと思われるんだけど、死んだ人はその時に黒い液体を出していたとは聞いてない。この状況はまるきり逆だろ? つまり――」

「つまり?」

「――これ、解毒してるんじゃないかと思うんだ」


 げどく、と大江さんは繰り返した。三条は、未だ黒い液体を吐き出している。苦しそうではあるが、生きている。


「だから、もうしばらく水の中にいよう」

「……はい」

「とはいえ、いつ容体が変わるかわからない。しばらく僕もついてるから、様子を見て……」

「その必要は無いわ!」


 闇の中、颯爽と柊ちゃんが現れた。あの人ダーティーな登場の仕方似合うな。


「話は聞かせてもらったわ! 今からどんどんヤニ中をプールにぶち込んでいくわよ!」

「え…でもまだ確定じゃな」

「はい一人目せぇのー!」


 ザブンと縛り上げられた男が放り込まれた。死ぬ! 死んじゃうよ柊ちゃん! あの人滅茶苦茶だな!?

 慌てて水の中から男を抱え上げると、三条と同じく口から黒い塊を吐き出した。

 ただし、量は圧倒的に少ないが。


「……あれ、ここは……?」

「ああ、気がついた?」


 よく見たら、その男は山之辺だった。僕の顔を見て目を白黒させていたが、その目にはもうさっきまでの虚ろな狂気は宿っていなかった。


「大丈夫ですか?」

「あ、はい……。えーと、オレ、どうして……。いや、すいません。あなたに迷惑をかけましたね」

「僕も僕であなたにタックルしたり肘鉄やったりしてすいませんでした」

「いいえ……。そうだ、高城准教授は――」

「二人目どぉーん!!」


 柊ちゃんにより二人目が投げ込まれる。今話してる途中でしょうが!どうせその人も縛られているであろうので、山之辺さんの縄を手持ちのカッターで切って急いでそっちに向かう。


「柊ちゃん! ちょっと急過ぎでしょ!」

「何よ、ボクのあまりの手際の良さに惚れちゃいそうって?」

「言ってない言ってない」

「タダスケに言われて学生外に出してたら、アンタらがプールに飛び込んだって電話で聞いてね。ちょっと助けてやろうかしらって思ってきたら、ブラックの解毒方法見つけちゃってるんだもの。大したものよねぇ」


 そういや、まだスマホ通話中にしてたな。忘れてた。

 あれ?ってことは、まだ阿蘇さんは……。


「タダスケ? ああ、倉庫にいるわよ」

「倉庫って……高城准教授がいるんじゃないですか?」

「タダスケなら大丈夫でしょ。相手も弱そうだったし」

「……僕、見てきます! 柊ちゃんは大江さん達をお願いします!」

「あ、ちょっと!」


 プールを飛び出し、倉庫に向かう。全身ずぶ濡れなので、動きにくいことこの上ない。重たくなった上着は脱ぎ捨て、できるだけ軽装で走った。

 柵を乗り越え、目的の倉庫の前まで到着する。


「阿蘇さん!」


 ドアに鍵はかかっておらず、難なく開いた。しかし、目の前にあったのはあまりにも受け入れ難い光景だった。


「……なんだ、あれ」


 がらんとした倉庫。学生がいなくなった今、そこにあるのは、床に描かれた魔法陣だけのはずだった。



 そう、そのはずだ。

 ならば、あれは、なんだ?



 ――魔法陣の上に浮かんでいたのは、数メートルはあるであろう巨大な漆黒の手であった。

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