第4話 三条と煙草

「遅かったな。大丈夫?」


 席に戻ると、既にオムライスを平らげた三条が心配そうに僕を見上げてきた。それを払拭できるよう、笑いながら返す。


「大丈夫。時々ああなるんだ」

「ヤベェんじゃね?」

「小さい頃喘息だったせいか、今も少し呼吸器系が弱いんだよ。症状は出てないんだけど」

「へー」


 嘘ではない。僕はかつて、小児喘息を患っていた。体が弱く、他の子どものように外で走り回れない僕を見て、両親はがっかりした顔を浮かべたものだ。

 まあ、そんなことはどうでもいい。それより、件の話を聞き出さなければ。

 わざとため息を吐き、肩肘で頬杖をつく。


「……だから、未だに煙草の煙とかダメでさ。三条は煙草とか吸う人?」

「オレ? うーん、ちょっと言いにくいんだけど、こないだまで煙草吸ってたんだよな」

「吸ってた?」

「うん、今は禁煙中」


 おや、依頼が解決したぞ?


「一時期超吸ってたんだけど、カテキョしてる子に言われてさ。オレ、こんな真面目な子に怒られるぐらいめっちゃ吸ってんだなって思ったんだ。そんで、やめなきゃなって」

「そっか。うまくいってる?」

「……」


 三条の顔が曇る。言うべきか言わざるべきか悩んでいるようだ。

 これは、何かあるな。

 テーブル越しに身を乗り出し、三条に言う。


「……三条、僕でよかったら相談に乗るよ。会ったばっかだけど、逆にそういう関係ないヤツの方が話せるってこと、あるだろ」

「でもな」

「勿論何も変わらないかもしれないけど、もしかしたら力になれるかもしれない。助けになりたいんだ。だって、僕たちもう友達だろ」


 うわ、なんか恥ずかしいこと言ったな。慣れない言葉に自己嫌悪したが、三条はパッと明るい目をこちらに向けた。


「友達……そうだよな! オレ達、友達だもんな!」


 ああ、効果は抜群だ。こいつ絶対、悪い人間のカモになるよ。良かれと思ってネギも持ってきちゃうヤツだよ。大江さんが女子高生ながら、お節介なほど世話を焼いてしまうのも頷ける。

 頭痛を堪え、僕は続きを促した。すると、三条は自信なさげに縮こまる。


「……オレ、頭あんま良くないから、長い話になるかも」

「いいよ。ちゃんと全部聞く」

「ありがとう。そういうところまでイケメンだな」


 三条は少し頬を緩めた。


「……この煙草、同じ研究室の先輩から貰ったんだけどさ」


 彼は、鞄の中から煙草の箱を取り出し、おずおずと話し始める。それは、数分前に僕の見た物と同じだった。


「元々オレ、煙草って吸わなくてさ。だから最初は、付き合いで一本だけ吸うつもりだったんだよ。でも、一本吸ったら二本目を渡されて、二本目吸ったら三本目を渡されて……それで、なんか病みつきになっていって……」

「やめられなくなったのか」

「市販の煙草と違って、先輩からタダで貰えるから金もかかんなかったんだよ。お得だなーって思ってたし、いい匂いもするからどんどんハマってった」

「いい匂い……って煙草が?」

「うん。花の香りのような、女の子ウケしそうなやつ」


 へえ。香りのいい煙草ってのは時々聞くけど、これもそうなのか。


「ごめん、続けてくれ」

「わかった。それでしばらくは良かったんだけど、段々、変な考えに取り憑かれるようになってさ」

「変な考え?」

「――なんで皆、こんないいものを吸ってないんだろうって、疑問を抱くようになった」


 三条は、煙草をテーブルの上に置いて、人差し指で転がした。


「依存ってやつかな?」

「……いや、そんな症状は聞いたことないよ」

「やっぱり? 今ならオレも変だなと思えるんだけど、その時はそればっか頭にあってね。だからだろうな、家庭教師してる女の子の前で、煙草を吸おうとしたんだ」


 ――自分が吸っているのを見たら、この子も吸いたがるに違いない。だって、こんないい香りなのだ。最初は躊躇うかもしれないけど、一本、二本と吸っていく内にきっとその良さに溺れてしまうに決まってる。

 三条は、完全なる善意から、彼女にそう持ちかけたという。


「結果、その子にコテンパンに怒られたんだけど」


 あ、はい。その辺は聞いてます。


「それで良かったんだよ、オレも目が覚めたから。オレ、未成年の子に一体何をしようとしてたんだろうって後悔した。その子めちゃいい子でさ、それから後もずっと連絡くれてんだよ。けど合わせる顔が無くて、でもちゃんと謝りたいから、今禁煙してる。そんで絶対大丈夫! ってなったら会いに行こうと思ってるんだ」


 なんだ、やっぱりイイ奴じゃないか。三条の人間性にホッとしながら、僕は大江さんに良い報告ができそうだと確信していた。


 ――彼の次の言葉を聞くまでは。


「でも、無理かもしれない」


 ――僕は気付いていなかった。ずっと、三条は顔を強張らせていたのだ。

 周りは食事する学生でごった返している。それなのに、僕には三条の掠れたような声がやけにクリアに聞こえた。


「……どうしてそう思うんだよ」

「研究室の先輩が、最近おかしいんだ」


 三条の目線は、じっと煙草に注がれている。


「前からおかしかったのかもしれない。でも、オレが煙草を吸わないようになってから、それが顕著になった。オレの行く先々に現れて、煙草を吸ってるんだ。そう思えてくると、先輩以外にも吸ってる奴がやたら目につくようになって……」

「それだけじゃないだろ。何されたんだ」


 僕の発言に、三条は驚いたように顔を上げた。


「よくわかるな」

「いいから。教えてくれ」

「……うん。この間、研究室に行ったら、先輩ともう一人いてさ。そこで、煙草を勧められたんだ。で、自分はもう禁煙するって決めたんだって言ったら、そのもう一人に羽交い締めされて、先輩に無理矢理煙草を咥えさせられそうになって……。幸いその時、開いてたドア越しに廊下を通る人がいて、それに気を取られた隙に逃げ出すことができたんだけど……」


 三条は、両腕で自分の頭を抱えこんだ。


「……オレ、もう怖いよ」


 ――そうか。

 ふと、酷く腑に落ちた。

 ――勿論、元々の性格もあるだろう。だけど、普通では考えられないほど友好的だったのも、耳触りのいい言葉にすぐ落ちたのも、耐え難いほど不安だったからではないのか。


 煙草一つで豹変した人間に囲まれて。


「三条」


 できるだけ、優しく聞こえるよう声をかけた。


「会って間もないけど、僕は三条の話を信じるよ」


 三条は、何も言わない。……こんな言葉じゃだめだろうか。つい焦って、身振り手振りを交えて話す。


「大丈夫だって。壺とか売ったりしないから。えーと、なんだ。僕って結構変な体験してて、そういった話もわかるというか、受け入れられるというか、そんなとこあるんだよ。だから、三条も大船乗るつもりで僕を信用してくれていいっていうか」


 ふふふ、と笑い声が漏れた。見ると、三条が口元に手を当ててこちらを見ていた。


「……なんだよ」

「景清、すげぇいい奴だな」

「からかってんのか」

「違うよ、泣きそう」


 泣きそうなのか。それじゃあんまり突っ込んじゃいけないな。

 三条は、姿勢を元に戻した。確かに、その目は少し赤くなっている。


「オレ、何とかなるかな」

「うん、なるよ。協力するから、その研究室と先輩の名前を教えてくれ」

「教えてどうするんだよ。まさか説得するとかじゃないだろな?」


 三条は不安げに眉をひそめている。僕は、あえてヘラリと微笑んだ。


「僕も僕で、アテを持ってるんだ」


 頭には、先ほど別れた不審者然とした男の顔が浮かんでいた。

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