第163話 闇の奥で
ヒエラルクに促された囚人班が地下二階へ降りていく。
下層になるほど魔獣は強くなると言われているので、さらなる地下は、より危険であると見て間違いない。
さて、命令されるがままヒエラルクの荷物持ちとして引きずり回され、得体の知れない化物や勝手に恨んでくる弟子たちを逃れて無事に済む可能性は……とアベルは考える。
どうしたところで分の悪い賭けだ。
それならば、おのれの力を振り絞り、僅かでも生存の確率を高めたい。
迷ってはいられなかった。
アベルはヒエラルクの前に立つ。
「ヒエラルク様。この奴隷アベルにも手柄を立てさせてください」
「ほう! どうしようというのだ」
思った通り興味を示した。
「お弟子さんたちに守られているだけでは手柄など無理な事です。それでは」
アベルは小走りで囚人らを追う。
背後からプラジュが、待てとか声を上げたが無視する。
なぜならヒエラルクは止めなかったからだ。
一瞬だけ剣聖を見れば、爛々とした笑顔だ。
これは予測していた。
ヒエラルクは戦いが緊迫すればするほど喜びを見出すようなので、そこさえ邪魔しなければ認める、というわけだ。
アベルは階段で囚人たちに追いつき声を掛けた。
「僕も入れてくれ。協力しよう」
ドルゴスレンは嬉しそうに破顔する。
「わざわざ囮である我ら囚人に加わろうとな。物好きな青年よ。ヒエラルクに守ってもらう方がいいだろうに」
「あっちに僕の仲間なんか居ないんですよ。むしろ敵ばかり」
「お互い難儀なことだ」
「何とか生きて戻りましょう。こんな迷宮でくたばるなんて馬鹿げている」
「我らは帰ったところで監獄に戻るだけだがな」
「刑期が短くなるのでは」
「二十五年が二十年になるだけのことだ。実際のところ面倒な者らを纏めて処分するのが狙いだろうて」
すると盗賊キヌバが怒声を上げた。
盗賊だけあって鼠に似た粗野な顔をしている。
「俺はここを無事に切り抜ければ放免なんだ! おめぇらと一緒にするな、この極悪人どもめ!」
「ぐははっ。これは失礼したのう、盗賊どの」
階段を降りた先は左右に分かれているのだが、キヌバは長い棒で床を探りながら迷わず右へ進んでいく。
アベルは囚人班を改めてよく見た。
まず、元将軍という経歴や人格からして指揮者になるしかないドルゴスレン。
それから少年にして罪人となり、こんな迷宮に送り込まれてしまったリティク。
魔光を発現させているマイヤール。
あとは名前を知らない二十歳ぐらいの男がいる。
背はアベルよりも高く、なかなか体格がよい。
どんな人物なのか確かめねばならなかった。
「ねぇ、僕は奴隷のアベルという者だけれど貴方の名前を教えてもらっていいかな?」
「ギャレットだ」
「貴方も囚人ですよね」
「ああ。大したことはやっていないのだが過分な罪を頂戴した」
ギャレットという男は濃いブラウンの髪とグレーの瞳を持った二十代後半ぐらいの若者だ。
どう見たところで貴族的でしかない面長の顔。
乱暴な気配はなく、知識人の雰囲気があった。
「ギャレットは俺と同じ民衆議会派なのさ」
そう教えてくれたのはマイヤール。
以前、彼とは地下牢で少しだけ会話をしたことがある。
たしか、税金の用途を議論する民衆議会を作ろうというグループの人間だった。
民衆議会派は専制政治からすると不穏分子でしかなく、そうした思想を支持しているだけで犯罪とされる。
二人は政治犯といったところだろう。
確かにマイヤールといいギャレットといい、どことなく育ちの良さを感じる。
「もしかすると、お二人は貴族階級だったのですか」
マイヤールが皮肉気に笑っていた。
彼とて若く、どう見ても二十五歳ぐらいだった。
牢暮らしでいくらか痩せているが、瞳には失われない希望があった。
「まぁな。下級の貧乏貴族さ。こんなところまで来たら貴族も平民もありゃしねぇが。少しでも世の中を良くしようとミサロ師の教えについて学んでいたら、いつの間にかに罪人になっちまった」
「そして牢獄送り……」
「ギャレットと一緒に裁判も受けたけれど茶番劇だ、あんなの。そういや、お前には地下牢で頼んだよな。どうにかして外に手紙を出せないか?」
「無理ですよ、そんなこと。そちらこそ賄賂とかで何とかならないの?」
「地方の監獄なら出来ただろうが王宮の施設ではなぁ。さすがに役人ども固くてな」
「誰に手紙を送りたいのですか」
「婚約者だ」
それぞれに事情のある面子で地下道を歩いていく。
離れた背後にヒエラルクらが付いてきていた。
床は少し湿っていて、そこかしこに光る苔や茸が生えていた。
そんな植物や菌類によって迷宮は妖しく彩られ、来訪者を奥へと誘っていく。
アベルは床に落ちている拳大の石を拾った。
なるべく硬質な重たい石がよい。
もちろん武器とするためだ。
こんなものでも無いよりマシだった。
やがて三叉路にたどり着いたがキヌバは舌打ちをした。
何度も地図を見ていたが、首を振る。
「地図が間違っていやがる。こんな通路は書いてないぞ!」
「ちょっと見せてくれよ」
アベルがキヌバから受け取った地図は三枚。それぞれ階層ごとに記されている。
地下三階のものには広い空間の存在が示されていた。
つまりそこが目標の神殿跡だ。
アベルは内容をなるべく憶えつつ調べてみたが、キヌバの勘違いではなかった。
「確かに、地図と違う」
「ヒエラルク様に相談しないと……」
そんな遣り取りをしていると仄暗い奥から、複数の不気味な足音が聞こえてくる。
緊張が走った。
会話を止め、身構える。
盗賊キヌバは慌てて後退、リティクはドルゴスレンの背後に隠れる。
こんな戦力にもならない少年を囚人班に入れたのは、やはり処分という意味合いしかないだろう。
すぐに姿を現したのは、二足歩行のバケモノ。
上階で戦った
体格がまるで異なる。身長は二メル以上あった。
襤褸すら纏わず裸体。
巨人とまではいかないが、見上げるような感じだ。
しかも、二体もいる。
よく見ると、一匹は乳房があるのでメスらしい。
筋肉が発達した野太い腕や足。
棍棒を手にして、狂暴そのものの顔は食欲で歪んでいた。
牙を剥き出し、涎を流している。
マイヤールが上ずった声で言う。
「あっ! まずいな、かなり強そうだぞ!」
ドルゴスレンが闘志を漲らせ無言のまま前に出た。
アベルは、さらに前に出て先頭に立つ。
「攻撃魔法を使うから見ていてください」
「頼む!」
アベルは魔力を集中。
炎弾ぐらいの爆発ならこちらまで被害は及ばないと考えて使うことにする。
一気に三つの炎弾を発現させた。
相手が防御魔法を使ってくるようだと数を増やしたところで防がれ無意味なのだが、あの醜悪な卑鬼に魔法は使えまい。
炎弾を射出。
暗い地下空間を鮮やかな炎が飛翔していく。
狙い違わずメスの卑鬼に命中。
炸裂する。
太い腕は半ばまで千切れ、胸部が肉と骨を撒き散らして破裂。
「ヒィギイィィ!」
不快な、血の気が引くような苦痛の叫び。死んではいないが致命傷だ。
ところが残った卑鬼は逃げるどころか、狂ったように走って来る。
もう目の前だ。
血走った眼を開き、牙を剥き出しにして恐ろしい唸りを上げた。
ドルゴスレンが飛び出し、アベルを防御する。
卑鬼の巨体から振り降ろされた棍棒をドルゴスレンが巧みに受け流した。
さらに、がら空きになった卑鬼の顔面へ反撃。
ドルゴスレンの振るう棍棒が重たく当たる。
まるで石が衝突したような音が響く。
だが、化物の強靭さは半端なものではなく、流血しながらも手足を振り、暴れ回る。
アベルは危うく横殴りの拳を避けた。
息が荒くなる。
怒りと共に頭が熱くなってきた。
そして、氷槍をイメージする。
魔力によって急速に氷の結晶が集まり、即座に鋭い槍状になった。
大きく成長したそれを射出。
狙い通り、氷槍は卑鬼の目玉に飛び込み、回転しながらメリメリと音を立てつつ肉を突き破っていく。
「グアァイイィィ?」
強靭な化物は自らの肉体が破壊されていく状況を理解できないらしい。
混乱したような悲鳴。
卑鬼が顔を押さえ苦しんでいる隙を突きマイヤールとギャレットが棍棒で滅多打ちにした。
肉の潰れる湿った音、おぞましい呻き。
徹底的に頭部へ攻撃を繰り返す。
頭蓋骨が潰れるまで続けられた。
アベルは他に魔獣が現れないか警戒して辺りを見回すと、壁に窪みがあるのを見つけた。
そこは小さな空間で、直感的に巣穴だと気が付く。
中を覗くとボロ布や蔦が敷き詰められていて、腐りかけた肉の塊が転がっている。
極限的に
それからよく見ると何か金属が落ちている。
「おっ」
手に取ると思わず声が出た。
それはダガーに分類される短剣だった。
指先から肘ほどに相当する全長。
片手握りで十字の鍔がついている。
両刃で先端は鋭さを失っていない。
魔獣の類いは光る金属を貯め込む習性があるという。
ある種の鳥類などもそうするように、ただ巣に持ち込んで収穫品のようにするというから不思議なものだ。
ともかく久々に武装した。
刃物というものは持っているだけで気分が高揚してくるし、なんなら攻撃衝動まで湧いて来る。
「やっぱり戦士に武器は付きものだからな。これが無いと始まらないぜ」
そんな独り言を呟きつつアベルは何度か握り方を変えて、手に入れたばかりのダガーを馴染ませる。すぐにしっくりきた。
ふふふ、と密かに笑う。
ヒエラルクは奴隷に武装はどうしたとか言っていたが、あれは単なる虐めというか、従わせるための圧迫だろう。
迷宮で拾ったものに関しては好きにさせてもらう。
どうしても捨てろと命令してきたら、そのとき捨てればいい。
息を吐く暇もなく背後が騒々しい。
ヒエラルク隊が何かと戦っているようだ。
少し引き返してみると、唖然とするような光景が繰り広げられていた。
双頭の巨大な蛇に襲われている。
蛇の胴回りは大人三人分はありそうな太さで、人間など簡単に丸呑みにしてしまうだろう。
爬虫類の眼が赤々と貪欲に輝いていた。
ザルーファなど弟子たちが必死に戦っているが、力任せに刀で斬りつけても大きなダメージにはなっていない。
硬い鱗に阻まれていた。
それを見た魔術師のサレム・モーガンが火魔術「竜息吹」を行使する。
火炎放射の発生と同時に吸い込まれるような強風が発生した。
ぞっとするような熱波。
逃げようもない火力で勝負は決まったと安堵したが……なんと双頭の蛇は生きている。
「なんで死なねぇんだ!」
驚いたアベルが観察すると理由が分かった。
双頭の蛇が氷の息吹で結界を創っていたのだ。
中和され、サレムの強力な魔術すら通用しない。
意外な結果にアベルは呻く。
やはり特別な魔獣がいる場所だ。
魔法が効果ないと見るや巨漢のエルナザルが雄叫びと共に突撃した。
噛みついてきた蛇の頭に大刀を繰り出す。
甲高い金属音。
エルナザルの剛力で、いくらか刃が入るものの浅い。
繰り返される蛇の頭突きを、どうにかして押し返すが、残ったもう一つの頭がエルナザルの横から襲い掛かる。
次の瞬間。
ヒエラルクが居合い斬りを仕掛けたように見えた。
あまりに速く、完全には捉えきれなかった。
蛇の頭が一つ、ごろりと床に落ちる。
噴き出る血。
人間の胴体よりも太い蛇の首が切断されている。
双頭の蛇は不可分だったはずの相棒を失い、のたうち回った。
その隙を逃さず、サレムが何らかの魔術を練り上げ、発動させた。
変化はたちまち現れる。
どす黒い気体というか霧のようなものが蛇を覆い尽くす。
すると蛇が激しく苦しみ悶えていたが、すぐに動かなくなった。
気体はサレムが術を解除すると雲散霧消した。
どうやら強烈な毒を発生させる類いの魔術だったらしい。
見たことも無い秘術のようなものだ。
短時間ながら、激しい戦闘が終わり皆、息切れを起こしていた。
体力的な消耗もさることながら、対戦経験のない奇怪な魔獣と命の遣り取りをして精神が酷く疲れていた。
ヒエラルクが弟子たちに言い聞かせている。
「いいか。魔獣どもは人と行動がまるで異なる。戦い方を変えるのだ。隙を見出そうと小技を出すのは悪手となる。急所への一撃に賭けろ」
剣聖の教示に弟子たちは頭を垂れて聞き入っている。
アベルもそれとなく盗み聞きしていたが、ヒエラルクの言っていることは竜殺流の極意に近いものがある。
つまり主導権の奪取と、敵を圧倒する攻撃だ。
そうした意味でヒエラルクの斬撃は本物だった。
もしかするとイースをも超えるかもしれない。
あんな男を殺そうというのは、気が遠くなりそうな望みであった……。
一段落したところで盗賊キヌバは地図と実際の迷宮が一致していないと訴えるがヒエラルクは意に介さず鷹揚な態度で答える。
「数百年も前の地図ゆえな。だが、階段の位置に大きな違いはなかろう。俺は邪教神殿に何がいるのか、どうしてもこの眼で見てみたいのだ。盗賊、行け」
「うっ……は、はい」
ヒエラルクに睨まれて逆らえる者は狂人ぐらいのものだった。
そうして当然のように前進は再開。
アベルは盗賊キヌバの後ろを進む。
先ほどは魔獣が前後から襲ってくる形になった。
狙ったものか偶然か分からないが、いずれにしても後ろだから安全というわけでもないのがハッキリした。
それはヒエラルクらも理解しているらしく、二つの隊の間隔は先ほどよりもさらに接近している。
複数から攻撃があっても分断されないように、という判断のようだった。
アベルは囚人たちの表情を見る。
キヌバには焦りのようなものが見え隠れしていた。
どうやら自分が地獄と大差ない所に居るのを自覚しつつあるようだ。
ドルゴスレンは眼力を失っていない。
それどころか怒りか戦意によって歯を食い縛っていた。
マイヤールとギャレットにも、まだ、やる気がある。
少年リティクは明らかに動揺してドルゴスレンの裾を掴み、どうにか付いて来る様子だ。無理もない。
アベルは少年に声を掛けてみる。
「ねぇ。君はリティクっていうんだろ」
「は、はい」
「僕はアベル。今は奴隷なんだけれどさ」
「あ、貴方は魔術師なんですか。さっき凄い魔法を使ってました」
「大したことは無いよ。それより、こういう時は楽しいことを考えた方がいいんだぜ」
「楽しい事を?」
「ああ、そうだ。嫌な事ばかり考えていると、何にもやる気が無くなる。考える気力も無くなるからね。それでは生き残れない」
リティクは少しだけ笑顔になり素直に頷いた。
先ほどまで褐色の瞳は恐怖に揺れていたから、いくらか不安を和らげることが出来たようだ。
「君は何歳なの?」
「十四歳です。私はもう大人です」
冗談みたいな言い草だが、少年リティクは至って本気らしい。
イズファヤート王に従わず首を刎ねられた武将ナバルジャンの息子だというので、それなりの教育を受けているだろう。
武家の意地みたいなものかもしれない。
「立派な態度だけれどバケモノが襲ってきたら戦わないで見ていろよ。前に出たら殺されるぞ。生き延びりゃ、たまには良いこともあるさ」
アベルの忠告というより命令を受けてリティクは沈黙する。
反抗的というわけではなく、途惑っているようだった。
どうあっても、こんな少年が目の前で死ぬところは見たくない……。
盗賊キヌバは地下道の分岐点を曲がるごとに目印をつけていく。
地図を頻繁に確かめるが舌打ちばかりしていた。
やがて通路は蔦が生い茂るようになり、天井がまったく見えないほどだ。
何だか嫌な場所だなとアベルは本能的に感じる。
いっそう警戒して歩いていくと……、前を歩くキヌバの姿が一瞬で消えた。
「えっ?」
理解できずアベルが立ち尽くしているとキヌバの悲鳴が上がる。
「た、助けてくれぇ!」
声は上の方から聞こえてくる。
つまり、頭上から生い茂った蔦のなかだ。
キヌバの悲鳴はどんどん遠ざかる。
マイヤールとギャレットが追い駆けた。
「キヌバ、どこにいる!」
アベルらも急いで追跡。
繁茂する蔦の隙間、僅かに見えたのは
奴を助けようと走っていた時。
アベルは床の感触に異常を感じる。
背筋がゾッと寒くなる。叫んだ。
「引き返せっ!」
アベルは身を翻すが、突然、床が崩落して体が浮遊するのを感じる。
穴は直下ではなく急傾斜していた。
とっさに頭を抱え、体のあちこちを衝突させつつ、最後は転がりながら落ちていく。
死ぬのか……。
そんな思いが意識を過るが、やがて体の回転が止む。
手足を動かすと、いくらか痛むが普通に動く。
背負った荷物籠がクッションのようになったらしい。
アベルは魔光を唱えた。
薄暗い迷宮を紫の光が照らし出す。
ドルゴスレン、リティク、マイヤール、ギャレット……盗賊キヌバ以外は全員がいる。
みんな生きていた。どうにか立ち上がる。
誰しも黙ったまま辺りを見回していた。
そして、気が付く。
地図も無く、仲間はさらに減った。
そんな有様の自分たちは迷宮の、さらに奥深くへ迷い込んでいることに。
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