第130話  王都の朝、歓迎の宴

 




 金がいる。

 ディド・ズマが吼えるように号令した。

 あまたの傭兵を束ねる怪物。

 粘っこい、暴力と残忍が凝縮した視線。

 手下達を睨む。


 戦場を渡り歩き、人倫など捨て去った男どもを震え上がらせる迫力。

 命令を実行できなければ何をされるか分からない。

 手足の肉を削ぎ落とし、その肉を自分自身で食わされるおぞましい拷問で殺された者は数え切れなかった。


 それでも一攫千金を夢見て流浪の戦士、凶状持ちが寄ってくる。

 食うに困った者たちが、奪う側に変貌するために傭兵団に飛び込む。

 どうせ死ぬぐらいなら荒稼ぎをして、せめて好き放題やってから死にたい。

 そんな刹那の渇望に駆られた者たちの群れだった。


 事実、皇帝国の都市を攻め落とせば、税金と称して奪うばかりの恨み積もった貴族を遊びで殺し、富を奪い取り、ついでに女を犯し放題だった。

 一度やれば忘れられなくなる。


 ディド・ズマなら造れると噂される、傭兵の国。

 そこで広大な荘園を持ち、数百人の奴隷を持つ。

 小さな王のごとき存在。

 抜きん出た働きをしてディド・ズマに認められれば、そんなものにすらなれる。

 欲望に突き動かされた野獣のような戦士たちが溢れるように蠢いていた。


 ディド・ズマの持つ莫大な金。

 ただ蔵の奥に積み上げておく……などということはない。

 必要としない分は運用する。

 金の半分以上は商人に預けるなり、貸すなりしてある。


 王都の商家や組合を回って、手下達がその金を集め出した。

 当然、唐突な貸し剥がしに応じられないと悲鳴を上げる者が居る。

 関係ない。

 百人ほどで徒党を組み、ごねる連中を襲って金を取り戻した。

 本当に金がない場合は、抵抗する商人を殺して担保を奪った。


 相手が戦士を雇い、牽制してくる場合もあった。

 そうとなれば斬り合い、殺し合いの連続。

 もともと治安が極端に悪い王都が、さらに争いで血生臭くなる。


 誰も文句など言えない。

 一応、ディド・ズマと商人たちに正式の契約がある。

 求められればいつでも金に利息を付けて返さなくてはならないことは、分かりにくく説明されていたが。


 横暴を極めるディド・ズマに派手な抵抗ができない、さらに決定的な理由もある。

 ディド・ズマの背後に第一王子イエルリングが控えていた。

 イエルリングの政治力は本物だった。

 多数の有力貴族に支援されている。

 絶対的なイズファヤートの王権に次ぐ存在。


 王子公認の傭兵軍団、その頂点である「心臓と栄光」に逆らう者などいない。

 しかも、ディド・ズマの集めた金は最終的にはイズファヤート王に渡されるはずだった。

 血と憎しみを吸い上げて生み出される、ハーディア王女との結納金。


 ディド・ズマの前に積み上がっていく金貨、延べ棒。

 山のようになっていく。

 偽金が混ざっていないか、一枚一枚と調べさせている。

 他にも宝石や装身具、名剣などが集められてきた。

 纏まったところで王宮の財務官に検めさせる。

 金貨二十五万枚相当……できればそれ以上の財貨だと認めさせなくてはならなかった。


 ディド・ズマの脳裏。

 怨念と欲が渦巻いて、それらはグチャグチャに混ざり合っていく。

 怒りの対象は、ほとんどこの世の人間全てであった。

 俺の実力を認めようとしない奴ら。

 醜い傭兵の頭領……汚らわしい下賤と見下してくる。


 無能な貴族、愚鈍な手下ども、無関係を決め込む市民たち……。

 本来、全員が奴隷に等しいゴミの様な者ら。

 いつか必ず自分たちが人間でなくディド・ズマの家畜であったことを分からせてやる。


 いつもいつも、欲望の渦の中心にいる女。

 ハーディア王女。

 色香漂う豪奢な金髪。

 どんな女も霞むような美しい容貌。

 鷲掴みにしたくなる豊かな乳房や尻……。


 夢想する。

 あの肉体を思う存分、舐め回す。

 ありとあらゆる陵辱の果て、無上に高貴なはずの姫は子を孕む。

 他の誰でもない、ディド・ズマの子を……。


 イボ蛙の怪物は大口を開き笑った。

 敵を殺すと時と、ハーディアを犯す日を思い浮かべることだけが喜びだった。


 十傑将、ロシャという男。

 ディド・ズマの前で跪き、報告してきた。


「ズマ様。どうやらガイアケロン王子とハーディア王女が王都に帰ってきたという噂は本当らしいです」


 怪物の顔つきが変わる。

 獲物を見つけた肉食獣のそれとなる。


「ハーディアはどこにいる」

「どうやらエイダリューエ家の邸宅らしいです」

「らしい、じゃねぇだろが。調べてはっきりさせろ。分からないでは済ませねえぞ」


 ふてぶてしい、岩石を削ったような顔をしたロシャが慌てて頷く。

 ディド・ズマが苛ついていることぐらい長年の付き合いで分かる。

 分からなければ、とっくに殺されている。


「骨虫とくびり鼠も連れて行け」

「奴らをですか?」

「ああ? どうやって内部の様子を調べるつもりだ。てめぇの臭くてデカい体が出入りして見咎められねぇとでも言うつもりか! いいか、邸宅の中まで調べろ。ハーディアの居る場所を必ず探り出せ」


 ロシャは顔に似合わず、恭しい返事をしてズマから離れた。

 骨虫と縊り鼠というのは仇名である。

 それぞれが異様な術を身につけた者らであるが、戦士と呼ぶには値しない。

 傭兵から見ても外道としか呼びようのない曲者たちである。

 妖人と蔑称する者もいるほどだった。


 彼らは表舞台の名誉に関心を示さない。

 ただ金のためなら何でもする。

 赤子でも女でも殺せと言えば殺す。

 普段なら主に暗殺や敵地への偵察のために使う。


 ズマの前から犬のような手下が走って出て行く。

 それを冷たい視線で見届けた。

 ズマは金を集めているこの場所……大商人エゼルフィルの邸宅から、そうそう出て行くつもりはなかった。

 自分がもはや、途方もなく巨大な恨みを買っていることぐらい知っている。

 金のために人を脅し、騙したあげくに惨殺したことなど数えきれなかった。


 どれだけの人間を家畜以下に扱ったか、いちいち確認などするものか。

 ここ三年間だけでも十万人を捕らえて奴隷として売り払った。

 迂闊に王都を歩くなとイエルリング王子から言い含められていた。

 それは襲撃を恐れろという忠告ではない。

 戦闘になれば王都が混乱するからなるべく注意しろ、という意味だった。


 ディド・ズマと選び抜いた千人の傭兵どもが暴れたら、そうそう簡単には治まらない。

 敵をどこまでも追い詰め、皆殺しにするのでなくては終わらないのだ。

 かなりの無茶をやっても王子が取りなしてくれる。

 傭兵軍団は今や王道国の戦争に必須。

 イズファヤート王とて、金づる相手には黙認するはずだ。


 ズマは舌なめずりをした。

 あと半ばでハーディアに手が届く。

 途轍もない金だが、集めるしかない。

 他の誰にも渡さない。


 それにしてもどうにか機会を作り出して……あの女を犯してやりたい。

 女なんぞ強姦するしかないではないか。

 どうせ抵抗するのだ。


 そうでなければ金銭が目当てでしかない売春婦どもの演技に彩られた笑み。

 過去、数千人に及ぶ、どんな女も犯して踏みつけてやった。

 所詮は肉の塊……。

 しかし、それでもハーディアだけはそうじゃない気がする。

 何なんだ? この気持ち……。

  

 歯軋りをする。

 己でも正体の掴めない衝動を持て余す。

 だが、結論はいつでも単純だ。

 邪魔する奴は殺すだけ。

 力があれば全ては許される。





 ~~~~~~





 アベルは目が覚めた。

 朝だ。

 起きずに横になったまま、いくつもの考えが浮かんでは消えていく。


 はたしてガイアケロンは本当に反逆を起こすだろうか?

 直接、本人に問うわけにはいかない。

 彼は父王への殺意を厳重に隠している。

 誰も気がついてはいない。

 非の打ちどころない英雄を装っていた。


 強い信頼関係を作ったとはいえ、ここで下手なことを言えば……何もかも崩壊しかねない。

 向こうから打ち明ける時が来るまで、黙っているしかない。


――知っていても口にできないってのは苦しいものだな……。


 制限の多い中で何が出来るだろうかと自問する。

 やはり命懸けになることぐらいしかない。


 イズファヤート王の他に許せない男がいる。

 ディド・ズマ。

 せめてこの二人だけは始末しなければならない。

 どちらも顔を見たことすらないのだが……殺すべき怨敵だ。

 絶対に逃すものか。

 

 自分の内側から、ふつふつと沸き立つ憎悪の念を抑えられない。

 あの小男と重なる。

 弱い者を虐げて満足する種類の人間。


 ……殺してやる。必ず殺してやるぞ。

 何度でも殺して地獄の底に落としてやる。


 清潔な寝台から身を起こす。

 窓を塞ぐ木戸には、青銅で作られた精巧な飾り鋲がついていた。

 閂を外して開ける。

 小鳥の囀り、夜明けの光が空を鮮やかに輝かせていた。


 場所は参謀オーツェルの実家だった。

 彼はエイダリューエ家という王道国でも屈指の名門貴族の出自。

 当主はセム・エイダリューエ。続柄、オーツェルの父親ということであった。

 オーツェルは次男になる。

 跡継ぎである長男はギムリッドという名らしい。


 エイダリューエ家は有力貴族の中では唯一、ガイアケロン王子とハーディア王女を明確に支援する家だった。

 皇帝国においても酷いものだったが、貴族の権力闘争は王道国にあっても熾烈そのものだという。


 一見はイズファヤートの王権に絶対服従。

 王に意見することすら出来ない有様。

 しかし、それならば狙うは次代の権力中枢である。


 イズファヤート王が死ぬなり、引退した後はどうなるか……。

 その日がいつ来るのか、誰にも分からないのである

 旨味のある立場、利権を求めて日々、貴族や商人達は策動していた。


 アベルは与えられた個室を出る。

 ワルトが扉の横で寝ていて、すぐに立ち上がって付いてきた。

 逗留しているエイダリューエの屋敷はかなりの規模だが、約三百人いる旅団全員の個室などあるはずもなく、多くの仲間たちは倉庫で雑魚寝している。

 かなり優遇してもらっているなと思う。


 エイダリューエの大屋敷は帝都にあったハイワンドの邸宅に比肩するものだった。

 象牙色の大理石で造られた三階建ての構造は雅やかなようで、ほとんど城砦に近い。

 登ってきた朝日が、壁の精彩なモザイク画を照らし出していた。


 アベルは井戸で顔を洗う。

 カチェはハーディアの侍女ということになっているから、あちらは任せておくしかない。

 身支度をしているとエイダリューエ家は朝から騒がしくなってきた。

 それはそうだろうとアベルは感じる。

 何しろ英雄と戦姫が帰ってきたのだ。

 接待や警護のために様々な者が集まっていた。

 工夫を凝らした見事な庭を眺めていると、馬廻りのヴァンダルが走ってきた。


「アベル。御方がお呼びだ。すぐ来い」


 誘導されるまま邸宅の奥深くに進む。

 二階の、もっとも上等の客に提供される寝室の前まで来た。

 部屋の前にはエイダリューエ家の衛兵が立っている。

 挨拶をして中に入る。


 ガイアケロンが正装の着付けをしていた。

 純白の長い衣で、いわゆるトーガと呼ばれるものだった。

 彼は知らない奴隷など身の傍に近づけないので、一人で長衣を纏おうとしていたが、あれは単独でやるのは大変なのだ。

 基本的に上流階級の服というのは、着付けを手伝う者が前提の構造になっている。

 裕福な貴族なら衣装や着付け専門の奴隷がいるものだった。


「アベル。ちょっと手伝ってくれ。やっぱり一人では上手くいかなくて難儀している」


 アベルは言われるままガイアケロンの鍛え上げられた、凄まじいまでの肉体に衣を羽織らせた。

 要所を掴み、肩と腰の留め金を付ける。

 留め金は精緻な金細工に宝石が嵌め込まれていて、見紛う事なき一流品だ。


 皇帝国では乗馬服から発展した釦留めの服がわりあい主流だが、王道国ではこうした緩やかな服が好まれる。

 これは夏の暑さが関係していると思われた。

 王道国の方が南に位置しているので気温が高いのである。


 特に夏の一時期、海側から吹いてくる熱波は強い。

 その季節における昼間、人々は屋内で寝て過ごすという。

 屋外で働くのは午前中と夕方だけらしい。


「アベル。これからかなり忙しくなるぞ。我とハーディアは押し寄せて来る貴族や商人の相手をしなければならない」

「僕は何をすれば……?」

「まずは王道国がどんなところか理解してくれ」

「ズマの方はどうします」

「アベルはズマの顔を見たことがあるのか」

「いえ。軍団を偵察したことはありますが、本人を見かけたことは無いです」

「まずはズマの一味を知らなくてはならないな」

「奴については風聞しか知りません」

「いいか、アベル。あの男、簡単に行く相手ではないぞ。以前は奇襲で、それもズマ本隊ではなかった。たかが会計の部隊だ。ズマの周囲には強力な魔術師や戦士がいる。だいたいズマ自身がかなりの強さ。易々と暗殺できるような奴ではない。絶好の機会を待つしかないぞ」

「待つと言っても時間は許しますか。もし結納金が集まってしまったらハーディア様は……」


 もし婚儀がなればガイアケロンは妹ハーディアという唯一無二の相棒を失ってしまう。

 そうなれば後継者争いは、ますます敗色濃くなる。

 また後継者争い以前に、ハーディアが納得するはずなかった。


「此度で金貨五十万枚など集まらない……はずだ。とはいえ奴の金集めを邪魔するのが、まずは取れる手か」

「じゃあ逆に奴を焦らして隙でも作りますか。機会は作るものです」

「アベル。そういうの得意そうだな」


 ガイアケロンが静かに笑った。しかし、眼つきは真剣だった。

 長衣の着付けが終わり、衣裳がすっかり整う。

 特に肩から胸にかけてのドレープが優雅に流れ、なんとも立派な男の晴れ姿だった。


「おおっ。アベル。着付けをやらせても上手いじゃないか」

「下積み長いですから……」

「ふふ。そういうのは三十歳ぐらいの者が言うものだぞ」

「とりあえず僕は王道国の掟や習慣を知らないから、まずはそこらを学びます」

「なに、皇帝国と大差ないさ。亡者たちが金と権力に群がる国だ……。さぁ、食事に行こう。アベルも知っての通り、我は仲間たちと食べる方が好きなのでな。主だった側近は皆同席する」


 旅の最中に、ガイアケロンとハーディアは自分たちだけ特別な物を食べることなど無かった。

 いつも兵士たちと同じ鍋で煮た、豆と肉の煮込みなどを食べていた。


 移動した先、会食室は二階の陽当たりの良い大部屋だった。

 輝くような白い大理石で壁や天井は作られている。

 大部屋自体が屋敷から突き出すように造られていて、大きな窓を開け放つと開放感があった。

 精巧で優美な女性の彫刻がいくつも置かれ、華やかな織物は壁を賑やかに飾っている。

 最も上流階級にしか持てない調度品の数々がこの家の飛びぬけた裕福さを現わしていた。


 すでにエイダリューエ家の一族、郎党が揃っていた。

 総勢二十人あまり。老若男女の多彩な面々。

 ガイアケロンが姿を現すと、歓声のようなものが上がる。

 オーツェルが速足に寄り、王子を席に導く。


 ガイアケロンと相対席にいるのは当主のセム・エイダリューエ。

 既に六十歳を超え、白髭を蓄えた老人であるが、眼光は鋭い。

 アベルは祖父バースに似た雰囲気を感じ取る。

 貴族の世界に精通しきって、陰湿な闘争を生き残ってきた古強者の気迫がある。


 その隣には知らない男性。

 ガイアケロンとの会話からオーツェルの兄にしてエイダリューエの次期当主である長兄ギムリッドなのが分かった。

 オーツェルの一歳年上で、顔や体格は全然似ていない。

 もしかしたら腹違いかもしれないと感じる。


 老け顔で三十代半ばに見えるオーツェルより、むしろ若々しく見えるのがギムリッドという男だった。

 鍛えられた体躯をしていて、戦士であるのが見ているだけで伝わってきた。

 いかにも上流貴族を感じさせる理性的な顔つき、爽やかな男子である。


 次々にエイダリューエ家の郎党が挨拶を続ける。

 オーツェルの続柄、叔父や従兄など。

 中には年頃の若い娘から三十歳ぐらいの女性もいた。

 ガイアケロンを見る眼差しは憧れと好意に彩られている。

 いずれも名家の子女らしく華やかな服装に化粧を施していた。


 ガイアケロン側は千人長のアグリウスやスターシャなども同席していた。

 本来、いくら有能な武将とはいえ配下である彼らが、貴族王族と同席するのは珍しいのだが、これは逗留にあたって顔合わせ的な意味も兼ねているのだった。

 末席にアベルが座る。

 カチェはハーディアの侍女という建前のため、姿すら見かけなかった。


 やがて、最後になってハーディアが室内に姿を現した。

 思わずアベルも驚くほどの美しい姿だった。


 兄と似た白い長衣を身体に羽織り、豊かな金髪は波のようにうねりながら輝いている。

 二の腕まで露出させ、濡れた絹のような魅力的な肌を見せていた。

 黄金とエメラルドの首飾りが似合う。

 化粧はほとんどしていない。僅かに口紅を引いているのみ。

 それでも零れるような艶と気品がある。

 エイダリューエ家の面々が立ち上がり熱烈に拍手をした。


「姫、よくぞ戻られた!」

「戦女神の御光臨だぞ!」


 ハーディアが当主セムの前に立つ。

 王族と家臣では厳格な身分の差がある。

 老齢のセムと言えども、王女に頭を深く垂れた。


「セム殿。いつも兄と私を支えてくれて感謝しております。また、オーツェルの働き、まことに精勤そのもの」

「エイダリューエ家は損得で動きませぬ。今までも、これからもですぞ。このセムめは無念ながら病のため、お傍で使えることも叶いませぬが息子ども、一族郎党、これ全て御二方のために働きまする。どうか王道国を栄えさせたまえ」

「セム。貴方の力がまだ必要です。私の薬師がいます。診察させましょう」

「お気遣いのみで。手は尽くしましたが齢を考えれば当然のこと。わしが死んでから、より動きやすくなるよう準備は整っております。さぁ、今日は祝いの日。つまらぬ話題はこれきりにしてくだされ。皆よ、祝杯を」


 王族は王以外に首を垂れないので、その代わりにハーディアは典雅な身のこなしで感謝を表し、席に座る。

 銀杯が配られ、葡萄酒が注がれる。

 宴の主であるセムが乾杯を告げた。


 アベルは葡萄酒を口にしてみると、かなり上等な酒であるのを感じた。

 味が濃くふくよか、それでいて雑味が全くない。

 素晴らしい香りが鼻を抜けて、幸福感すらある。


「ノルヴァ産の二十年ですな。薄めてなどいないですから少々濃いですが、味は無類にて」

「こんな美味い酒は飲んだことがない」


 ガイアケロンは柔らかい笑顔で主セムにそう答えた。

 場はさらに和む。

 会話に弾みがついた。

 ガイアケロンもハーディアも話術に長けている。

 笑顔は絶やさず、会話から疎外されている者など出さないように均等に話しかけていく。


 次々に皿が並べられていった。

 料理は極めて豪勢だった。

 まず数種類の野鳥をじっくり焼いて、ソースをかけたものが並べられる。

 次に蒸し焼きにした魚を香草とオリーブ油で味付けした料理が、特大の皿に盛られて饗された。

 給仕が小皿に取り分けていった。


 それから香辛料の効いた肉の煮込み料理もあった。

 香ばしく焼かれたパンが小山のように積まれている。

 その横にはたっぷりと蜂蜜にバター。

 

 赤く色付いた新鮮な果実と瑞々しい野菜も並んでいる。

 まだ春なのに果実があるのかと不思議に思い聞けば、南方から船で運ばれてきたという。

 魔獣の襲撃に耐えられる船によって辛うじて成立している航路があるらしい。

 当たり障りのない話題は尽き、際どい政治、経済、軍事の会話が始まる。


「王都に来る途中、ダマールからナルブにまで新しい橋や道路が出来ていた。そのおかげで七日は行程を短縮できたぞ」

「それは……イエルリング様がお命じになって造られたものでしょう」


 セムの答えにガイアケロンは頷いた。

 あの兄にはそういうところがある。


 決して私腹を肥やすことだけを目的としていない。

 むしろ、民衆が喜びそうなことで、他の誰にも実行できないような事業を興すのに長けている。

 恐ろしい男だ。ガイアケロンはそう思わざるを得ない。


 アベルが横で話しを聞いている限り、数ある貴族たちは王の絶対権威に平伏している状況のようだった。

 だが、人間に裏表があるのは常の事。

 腹では過酷な暴虐に反発心を持っている者も少なくないと窺い知れた。

 それはそうだ。

 遠く離れた皇帝国へ攻め込むため……という大義名分。

 搾り取られる税金と兵力。

 どちらも諸貴族にとって激しい負担となっていた。


 イズファヤート王直轄の王宮軍団は国内の巡検を怠らない。

 少しでも反逆や怠慢の証拠があれば、徹底的に追及され、取り潰される。

 民衆は重税と作物の不作に加えて、方々からの流動難民に苦しめられていた。

 王道国の周辺にある藩国の情勢も不安定。

 戦争の勝利に沸いているようで、どこもかしこも悲鳴を上げている……。

 そんな王道国の生々しい実情をアベルは知った。


 やがて様々な種類の葡萄酒が少量ずつ運ばれてきた。

 思わず嬉しくなるほど心地よい香りの白、深みのある味わいの赤。

 昼前だと言うのに、ちょっとばかり良い気分になったところで自己紹介のような感じになった。

 アグリウスやスターシャ、ヴァンダルが挨拶をする。

 最後に末席のアベルの番だった。


「アベルです。名もなき身分からガイアケロン様に取り立てていただきました」

「彼は騎馬隊の百人頭。伝令も兼ねている。活躍目覚ましく、色々と仕事をやってもらう予定である」

「名もなき、と言うわりには気品ある物腰に顔つきのようです」


 鋭くオーツェルの兄であるギムリッドが問い質してきた。

 賢明そうな視線がアベルに注がれていた。意外な追及に少し驚く。

 やはり素性は隠さなくてはならない。

 皇帝国公爵家の者と知られれば説明は難しい。


 何と答えようか迷っているとハーディアが取り成してくれた。

 いわく、名門の出身ではないが見どころがあるので重用しているとの説明。

 実際は、さる貴族の出だがそれ以上は聞かないでくれと頼めば、ギムリッドは素直にそうしてくれた。


 ガイアケロンの配下には中小の貴族、あるいは全くの平民出身などが多い。というよりそれがほとんどだった。

 どこかの小貴族の子弟と思ってくれただろうか……。


 話題は当然、ハーディア王女の婚姻にも移っていく。

 それが始まると二十人近くいるエイダリューエ家の面々は揃って悲痛な、実に嫌なものを見たという顔になる。


「たかが傭兵どもの頭領がハーディア姫君を娶るなど……」

「何かの間違いでは?」

「いや、これは実現不可能な条件を出して相手を諦めさせる策です。さすがはイズファヤート王の手練手管」

「しかし、ディド・ズマの奴め。相当な財貨を献上するつもりらしいですぞ。いま、王都のあちこちで騒ぎを起こしています」

「……呆れるやら腹が立つやら。不気味なやつだ」


 それまで優雅に微笑み、明るく話しをしていたハーディアの顔が無表情になる。

 それに気がつき、しまったという顔をした者もいた。

 長兄ギムリッドが苛立ちを抑えられず、食卓を叩いて口にする。


「あのような汚らわしい下賤! 誰か志のある貴族なら討ち取りましょう。もし誰もいないなら……この私が」


 アベルが見たところ彼は全く本気だった。

 演技ではない憤激が伝わってくる。

 どうやらギムリッドという男はハーディアに、並々ならない好意を抱いているようであった。

 態度の端々からそれか伝わってくるのだった。


 ディド・ズマは形式上、王に直接雇われているわけでもない。

 一応、ズマはイエルリング王子の配下であるが、累代に渡り王道国に仕えている貴族にしてみれば下賤と呼んでも足りないほどの男。

 傭兵一匹など痩せ犬に等しかった。

 たとえ些細な件でも正当な理由を見つけ、手討ちにして構わないと信じている。


 怒りの治まらないギムリッドを当主セムが嗜めた。

 その話題はそこで打ち切りとなり、せっかく楽しかった宴に影が落ちたようになってしまう。

 会食のあと、ガイアケロンの希望で軽く運動することになった。

 気分を変えたいようだった。


 セムやギムリッドに案内されて一同が風光明媚な大庭園を歩いて行くと、やがて広場がある。

 そこでエイダリューエ家の騎士や従者が何十人と居並び、訓練していた。

 彼らはガイアケロンとハーディアが姿を現し、非常に驚く。

 顔には畏敬の気配ばかり……。


 訓練用の模造武器はどの地方でも大差はない。

 木刀、木剣、木槍、楯など。

 アベルは久しぶりに木刀を手に取る。

 旅の間、本格的に稽古をしている暇はなかった。


 素振りをしていると誰か走り寄ってきた。

 カチェだ。

 機嫌の悪い山猫という感じ……。

 思わずアベルはたじろいだ。


「こ、これはこれは王女付き侍女殿。ご機嫌麗しゅう」

「あら。どこがそう見えるかしら? 言ってみてちょうだい」


 実に冷ややかな声だった。そして棘がある。

 アベルは苦笑いで言葉が上手く出てこない。


「さすが隊長さんはいいわねぇ。朝から美食にお酒と良い御身分だこと」

「えっと……カチェ様は朝食どうしていたのかな」

「控えの間で立ったまま食べるのよっ! 侍女なんかそんなものでしょ!」

「お、怒らないで……」

「ふん。じゃあ私にも稽古やらせて」


 さっそくアベルとカチェは向かい合って、打ち合いを始めた。

 ストレスの溜まったカチェの勢いは鋭い。いきなり紙一重の遣り取り。

 アベルは全く油断できない。

 執拗な揺さぶりには怯む寸前になる。

 先手先手と行動に移し、アベルに有利な形を取らせないように追ってくる。

 それでいて大振りの技は仕掛けず、隙は作らない。


 押される一方のアベルの木刀が防御ではなく攻撃のために動いたところ、逃さずカチェが踏み込んできた。

 激しい打ち合いと駆け引き。

 稽古なのでカチェを怪我させるわけにもいかず、決定打に欠ける攻防が続き、とうとう決着はつかなかった。

 二刀流でもなく手加減したとはいえアベルは内心、驚く。


――カチェ……強くなったな。


 才能が開花するように成長していた。

 子供の頃から稽古をしてきた仲だからこそ、よくそれが理解できる。

 生まれ育った皇帝国から離れ、安穏な将来を捨て、ずっと助けてくれるカチェ。

 厳しい戦いに磨かれて、いよいよ一流の戦士に変貌しつつある。


 周りの者たちも二人の打ち合いを見ていた。

 目が離せるようなものではなかった。

 凄い剣士がいると……驚きの気持ちが湧く。


 次にアベルへ声を掛けたのは、意外にもガイアケロンだった。

 剣の鍛錬は、よほど信頼できる者としかしないのが鉄則である。

 だからこれは、ガイアケロンが相手を認めている証拠でもあった。

 セムやギムリッドなどはそれにより、アベルの地位は低くとも重用された者であるのをさらに理解した。


 アベルは二刀流で応じようか迷うが、止めにした。

 知らない人間が多すぎる。

 死んだヨルグから易々と技を人に見せるなと言い残されていた。

 秘技を使って見せるときは、その場に居る人間を一人残らず殺せ。

 そんな遺言というか忠告。


 アベルは久しぶりに王子と対峙した。

 ガイアケロンは本来なら両手で持つ大型木剣を片手だけで持ち、肩の上で垂直に構えている。

 その膂力を考えれば、片手であったとしても受け流せるか分からないほどの強い打ち込みをしてくるに決まっていた。

 余裕のある、しかし、それでいて隙などどこにもない構え。

 緩慢に踏み込めば神速の上段斬り、下段から攻めても、ぶらりと空いた左手が邪魔しそうだった。


 膠着していても勝目などなさそうなのでアベルは、揺さ振ることにした。

 実戦なら棒手裏剣か魔法だが、これは訓練なのでガイアケロンの周りを走る。

 当然、周りを走っている方が体力を消耗するわけだが、こうでもするしかない。

 そして、突然、飛び掛かる。

 剣界に入るや、僅かに乱れた体勢からガイアケロンの木剣が振り下ろされた。

 アベルに向かって振るわれた斬撃は物凄い力だが、渾身の打ち込みでその軌道を弾く。


 前回の稽古で理解している。

 ガイアケロンの接近戦は圧倒的。

 時間を置けば不利にしかならない。

 

 一呼吸も置かず、アベルは腰に差しておいた短剣を模した木の棒を抜く。

 王子の腹部に突き当てる……つもりだったが、棒は掴まれていた。

 もはや動かない。


 力負けする前にアベルは棒を捨て、後ろへ飛び逃げる。

 ガイアケロンが間合いを詰めて連続攻撃。

 以前と同じだった。

 

 速いなんてものではない、重いと言ってもまるで足りない。

 そんな攻撃を辛うじて凌ぐが、腕は耐えがたい痺れに襲われた。

 つば競り合いに持ち込まれたところでアベルは追い込まれたと自覚した。


 ガイアケロンの圧力と進退は絶妙。

 揺さぶられている最中に、蹴りを入れられる。

 爆発のような衝撃。


 堪らずアベルは横倒れにされた。息切れが酷い。

 汗が全身から噴き出していた。

 見上げるとガイアケロンが鷹揚に笑っている。

 勝負あり。


――もはや技巧でイースに匹敵している……?

  それに力はロペス以上。

  どうすりゃ勝てるのだろう。

  やはり攻撃を見抜いて、カウンターで一撃。

  これしかない。

  接近戦で揉み合いになったら勝てる相手ではない。



 考えるほどアベルは戦慄する。

 実戦となれば防具を身につけ、隠し武器や魔法を駆使した上で、どんな卑怯な手でも使うから、この稽古一つで力量を測れるものでない。

 それでも、改めてガイアケロンの強さに背筋が粟立つ。


 訓練を見ていた者たちから自然と唸り声が上がる。

 技量未熟な者はガイアケロンの絶大な強さに感動する。

 逆に熟練者ほどアベルに注目せざるを得なかった。


 個人戦における王子の強さは当たり前のことであって、むしろ試合の形を成しえたアベルに関心が向くのである。

 エイダリューエ家の武人だけでなく次期当主のはずのギムリッドなども称賛の声を掛けてきた。


「なんだ。アベルとやら。随分強いじゃないか。さすがガイ様のお相手を勤めるだけある」

「いや、負けました。どうやっても勝ち目がない」

「そんなに卑下するものではないぞ。ガイ様とあそこまで渡り合えるなど珍しい。木剣に触れることも出来ず、体を躱されて突き飛ばされる者がほとんどなのだ。私も何度か手合せしてもらったが、今ほどの打ち合いにもならなかった」


 痩せた体格のオーツェルと違って長兄ギムリッドは鍛えられた逞しい姿をしている。

 戦闘において、かなり出来る男だろうとアベルは見抜いた。


 その後、アベルは興奮したヴァンダルや知らない騎士などから訓練を申し込まれた。

 いい経験となるので応じてやるとする。

 実戦を生き延びてきた戦士ならば、それぞれが得意技を隠し持っているが、いずにしても仕掛ける直前に「起こり」が現れる。


 夢幻流ではこの前兆現象をいかに欺きによって敵に悟られないようにするか……この技術について異常なまでに研鑽されていた。

 ヨルグの教えと、託された奥義書。

 読んだだけでは到底理解できず、こうして生身の人間を相手に試していると、突然会得することがある。


 奥義書には歴代の夢幻流剣士たちの経験知見が蓄えてあり、さらにヨルグによる加筆もあった。

 まるで怨念が漂ってくるような筆跡だった。



 訓練の時間はあっと言う間に過ぎてしまった。

 やがてエイダリューエ家に問い合わせの使者が殺到し始めた。

 いずれもガイアケロン王子とハーディア王女は逗留しているのか、という内容だった。

 否定すると後々面倒なこともあるので正直な返答を与えていた。

 使者たちは顔色を変えて急ぎ戻っていく。


 王族兄妹は邸宅の大広間で、関係の深い人物と会見を重ねるため戻っていく。

 アベルはディド・ズマに対抗する方法を探るため、王都に出てみることにした。


 いくらか王都の地理を知っているスターシャが案内してくれるという。

 放っておくと後で何を言われるか分からないのでカチェを誘うことも忘れない。

 声を掛けると、凄く嬉しそうにカチェが笑った。


「もちろん行くわよ! アベル、すぐ危ないことするから心配だわ」


 それから木陰で寝ていたワルトも連れて行く。

 アベルはスターシャに聞いてみる。


「なぁ。王都には何度か来たことがあるの?」

「あるある。これまで三回来たな」

「やっぱり治安とか悪いか」

「そりゃ、下手したら戦場より危険だぜ。特に夜はな。まずはハーディア様のための薬を買うのと、あとはディド・ズマの奴らがどこで何をしているか、偵察だ。あたいも奴らには遺恨ある身だ。あんな糞野郎どもに手加減するつもりはない」


 スターシャは元々、傭兵の出身。

 しかしディド・ズマの脅迫が激しく、傘下に収まるのを良しとしないため古巣の傭兵団は解散させられてしまったという。


 馬小屋に行き、アベルはガイアケロンから貰った愛馬を撫でる。

 楽しげに尻尾を振って答えた。

 素直な眼をした、美しい馬だ。

 頭の形は端正で、馬体は筋肉で引き締まっている。

 悪路も駆け抜けるため足は逞しい。飛び切り素晴らしい馬だった。

 

 馬具を付けて、正門から表に出る。

 優雅な庭園のある大邸宅からは想像しにくいが、ここは無尽蔵の混乱が渦巻く魔都でもある。

  

 アベルは少しばかり緊張しながら、悪徳と繁栄の極まる王都へ向かう。

 どんなものを見ることになるだろうか……。

 




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