第90話 宴の前に
アベルは旅立ちの前、カザルスに挨拶をしておこうと考える。
なにしろ下手をすれば二度と会えなくなる。
戦争と長旅を共にした仲間だ。黙って消えるのは惜しい気がした。
ケイファードに居場所を聞くと彼は大邸宅の半地下室を与えられているらしい。
建物の最も西側に移動して階段を降りる。
木戸を叩くと中からカザルスが変わらぬ姿で出てきた。
細面に浮かんだ茫洋とした笑み。
やや細目の奥に知性の感じられる褐色の瞳。
戦争の最中は危険なほど戦闘を厭わない戦士であったが、今ではだいぶ昔の面影に戻ってきた。
ただ、長い旅で少し日焼けしているし、やや精悍さも身につけている。
「どうしたんだい。アベル君。まぁ、入んなよ」
机が並んでいて本や金属の板が転がっている。
半地下なので壁の最上部に小さな窓があって、僅かに日光が差し込んでいた。
「また学者生活ですか」
「そうだよ。でも、カチェ様の教師は解任されているからねぇ。まるで潤いがないぞぉ」
「カザルス先生、かわいそう……。けれど研究者を続けられるなら、それはそれで本望でしょう?」
「まぁね。でも、飛行魔道具や爆発の研究は止めたから。次は何を研究するべきか。バース公爵様は戦争に役立つものを作れって言って来るけれど……どうも気乗りしないんだ。だから望遠鏡なんかを作って誤魔化している」
「ははあ……。まぁ、望遠鏡は凄く便利ですから。喜ばれるでしょう」
「う~む。しかし、ボクは職人で生涯を終えるつもりはないのだよ。長い旅をして、見聞も広くなった。社会には随分と欠陥があるのも理解できた。さて、どうするべきか」
かつてカザルスは浮世離れした孤高の研究者であった。
しかし、カチェに出会い、さらには戦争に巻き込まれたおかけで、およそ学者とは程遠い生き方をすることになった。
結果的には人生が良い方向に転換したということだろうか。
研究はあくまで手段であって、目的が必要だろうとアベルは考えたが言わないでおく。
カザルスの方がずっと賢いのだから。自分で気づいているだろう。
黙っていた方がいい……。
「あのさ。先生。今日は別れの挨拶に来たんだ。ちょっと仕事でここを出ることになったから……。いつ帰ってこられるか分からないんだ」
「なに! そうか……。お役目では仕方ないな」
「先生は祝賀会に来るの?」
「貴族じゃないボクが呼ばれているわけがないだろう」
「そりゃそうか」
「あ……そういえば君に伝えておきたいことがあったんだ。実はこの前、ボクは両親に会ってきたんだ。一応、生きていることを知らせにさ」
「はい」
「君の友達のリックという少年を、僕の親父の見習いにしただろう?」
「はい! あいつ、彫刻職人になりたいって。先生の親父さんは彫刻家だっていうから」
「それで、リック君。家具なんかも作りながら木彫を頑張っていたよ。アベル君が生きているって伝えたら、もの凄く喜んでいたぞぉ」
「そうか!」
アベルはリックを思い出す。
別の道を歩んだ幼馴染。
でこぼこの芋みたいな顔をしていて、可愛げなんか全くないやつだった。
百人隊長になる夢はさっさと捨てて、彫刻職人が新しい目標になっていた。
怪我をしたり捕虜になったりと散々だったけれど、なりたかった職人になれそうなら幸福なことだ。
「カザルス先生。あいつ、その道でいけそうでしたか」
「ああ。家具は生活のために作っていて、彫刻はまだ高値では売れないみたいだったけれど何とかなるじゃないか。あと、結婚をすると言っていたぞ。なんか街で知り合った娘らしいけれど」
「結婚。まぁ、あいつも十九歳ぐらいだから不思議でもないか」
なんだかリックは自分よりよほど健全な人生を歩んでいるように感じられた。
魔法も使えなくて剣の腕も全然ダメだったけれど、だからといって悪い人生を送っているわけではない。むしろ素晴らしいではないか。
心でリックの成功を祈る……。
それからカザルスと少しだけ世間話をして別れた。
カザルスは帰る様子のアベルへ、カチェのことをどう始末つけるのか問おうか迷ったが、聞かないことにした。
もはや己が干渉することではない。
あれこれと口出しをして、それで何が良くなるものか。
いくら考えても人の心など明確に分かりはしない。
想像はついても、それは推測にすぎないのだから……。
ただ、そうだとしても……相手が何を思っているのか分かるような瞬間が旅の間にはあった。
カチェは明らかにアベルを異性として慕っているのにアベルはそれを充分には理解していなかった。
もっとも、自分が教師でありながらカチェに過大な好意を抱いているなど飛行魔道具の騒動がなかったら一生、誰にも気づかれることはなかっただろう。
そんなものさ……。
カザルスはアベルの去っていく背中を見詰めながらそう考えていた。
「アベル君。きっと帰って来るんだぞ。ボクも何者かにはなっているつもりだからさ。ボクと君の人生がまた交わることがあれば、何かデカいことでもやってやろう」
アベルは無言のまま手だけを振り、カザルスの研究室を後にした。
アベルはついでに厨房の様子も見物してやろうと思い付いた。
祝賀会はいよいよ明日、催される。
さぞかし忙しいことだろう。
厨房は大邸宅の西側、一階にある。
覗いて見たら思っていた通り、戦場さながらの修羅場だった。
大量の食材が庭にまで山積みになっていて、数十人の料理人やその見習いが一心不乱に料理をしていた。
今日は下ごしらえをしておくわけだ。
アベルは驚く。
激しく働いている料理人の中に忘れられない人物がいた。
犯罪者のような面構えの中年。料理長のピエールだ。
従者であったころ食材やワルトの餌をいつも融通してくれた。
「ピエールさん! お久しぶりです」
大鍋で煮込み料理を作っていたピエールが振り向いた。
睨みつけるような感じだが、これが常の人だ。
口髭が生えていて、眉間には深い皺が刻まれている。
荒くれでも思わず後ずさるほどの迫力。
「僕、アベルですよ。ポルトで別れた」
鬼瓦のようなピエールの両目から、ぼたぼたと涙が出ていた。
あまりにたくさん流れるので、びっくりするほどだった。
アベルの肩を物凄い力で掴む。
「アベル! ロペス様たちと帰って来たとは聞いていたぜ! だけれど、この目で確かめるまでは信じられなかった……おお……」
アベルは長旅で戻るのに時間がかかったとだけ、簡単に説明する。
ピエールは細かいことは聞いてこなかった。
ただ、無事で良かったと、それだけを喜んでいる。
自分の領分を知っている職人とは、大抵そういうものだった。
「大変そうですね。また手伝いましょうか?」
「そんなことを言うな! 今度、アベルはハイワンド家に列するそうじゃないか。遠縁の者だとは聞いていたけれど、いよいよ大出世だな。料理人なんかさせられるわけがないだろう」
「気なんか遣わなくていいのに……。また、カツレツを作りましょうか」
「止めろ止めろ。そいつは俺が作るんだよ。お前は食べるのが役目だ」
アベルの主張は通らなかった。
御主家の人が来るところではないからと厨房からも追い出されてしまう。
腕によりをかけた料理を食べてくれとピエールは言い、仕事を再開する。
ほとんど徹夜で明日の祝賀会の御馳走を作るらしい。
邪魔するわけにもいかないのでアベルは立ち去ることにした。
もう、何もやることが無かった。
ロペスなどは跡取りの序列一位なので、演説などをしなければならないから練習をしている。
アベルは言うことなどない。名前とハイワンド家の後継者第四位の立場を明らかにするだけなので、実質は立っているだけだ。
大人しく家に戻り、旅支度を進めることにした。
大邸宅を出て、夕闇が静かに広がりつつある庭を横切り、林の中にある家に戻る。
家の扉を開けるとシャーレとダンヒルが居間の椅子に座っていた。
シャーレが慌てて席を立ち、駆け寄ってきた。
胸元まで伸びた癖のない金髪を振り乱している。
ちょっと興奮気味だ。
エメラルドのような瞳が輝くようである。
「アベル! 親方から聞いたよ。テナナにあたしを連れて行ってくれるって。詳しいことは聞かずに夫婦のふりをして潜入に協力すればいいんだよね」
「ああ、そうなんだ。シャーレのことは必ず守るから僕について来てくれるかい」
「もちろんよっ! お父さんとお母さんにも会えるし、絶対に連れて行ってね」
シャーレは喜びを満開にさせる。
故郷の両親に会えるのだから嬉しいに決まっていた。
居間の机には見慣れない箱が置かれている。
箱の大きさは大人の胴と同じぐらいの幅。高さは頭二つ分ほどだろうか。
檜のような木で作られている。
ダンヒルが手招きしているので近づくと、箱を開けた。
中は仕切られていて、袋に入った生薬が無数に入っている。
「これが例の薬箱ですか」
「おおよ。底板が外れるようになっていて……」
アベルの目の前でやってみせてくれた。
中に詰まった袋を全て取り出して、仕切り板を外す。
それはパズルのようになっていて、決まった手順で無ければ仕切り板は外れないようになっている。
全てを取っ払って、底板を外すと二重底が現れる仕組みだった。
そこに金貨や手紙を入れるわけだった。
金貨を何十枚も持っている薬師など普通はいない。
隠さねばならなかった。
仕切り板は良く見ても外れるようには思えないので、普通ならば取れないものとして扱うだろう。
アベルは手順を暗記する。
ツァラがそうした様子を興味深そうに見つめていた。
幼い妹には知られても構わないだろう……。
ダンヒルは外出から帰ってきたウォルターに挨拶をすると、さっさと帰っていった。
夕食の支度が終わり、晩餐が始まる。
アイラの様子が変だった。
表面的にはいつも通り明るく振る舞っていたが、どこか落ち着きがない。
いよいよ説明というか、白状しなければならないようだ。
「あのさ、父上、母上……。ちょっと話しがあるんだ」
「そうね。お母さんに説明してちょうだい」
ウォルターの顔は普段通りだが、アイラの表情は固かった。
珍しいことだ。
「あの。任務です。詳しい内容は話せないのですが、旧ハイワンド領に行きます。それで、男が一人で前線を通過するのは怪しまれるので、シャーレと夫婦を装って。それで、とりあえずポルトかテナナへ行きます」
アイラは首を振って、溜め息を吐いた。
だが、何も言わず不機嫌そうに黙っている。
アベルは母の心の内を想像してみる。
やっと帰って来た息子と、可愛がっている親友の娘が二人とも去ってしまう。
しかも、いつ会えるかも分からない。
下手すれば一生会えないかもしれないのだ。
心穏やかなわけがなかった。
アベルは何だか、すまない気持ちになってきた。
だが、適当なことを言って誤魔化すのも気が退ける。
するとウォルターが口を開く。
「アベル。自分でやるって決めたのだろう?」
「……はい。上手くすればシャーレを両親の元に届けられるし、僕もここを出なければならないと思っていて」
両親の近くで、ずるずると楽に生きたら駄目だ。
それだけは直感的に分かる。
行動の果てにイースが待っていてくれると信じよう。
「僕の人生は……旅みたいなものです。土地や地位に愛着を持たず、ここからどこかに、また別の所にという具合に……。それがいいと思っています」
「家を捨てて冒険者をやっていた俺らには文句を言う資格はないだろう。なぁ、アイラ」
「私はこの公爵家が自分の家だとは思えないけれどね。でも、アベルはここに戻ってくるんだよ。みんなで待っているから」
「一応、今回のことで僕はハイワンド家の継承権利を得ます。第四位ですけれど。まぁ、建前です。貴族は貴族しか人間扱いしないから、一門衆であることを知らせておかないとならないらしくて」
母アイラは不満や繰り言を飲み込んで、息子の新たな旅を認めた。
ツァラは幼いなりに慕っているシャーレと兄がどこかにいくと理解したようだ。
シャーレに甘えながら、いつ帰ってくるのか問うていた。
困ったようにシャーレは首を傾げる。
「遠くだから……いつになるか分からないかな」
「とおくって、どれぐらい?」
「う~ん……。お馬さんに乗って、五十日間ぐらいかな。あれ? もっとかも」
「えっ! そんなに?」
「ツァラだって、ここまで旅してきたでしょう。憶えていないの」
「はい。ばしゃにのってきました……」
アベルはワルトに聞く。
「お前はどうする。ここに残りたかったら、それでもいいぞ。ツァラの子守になるか」
「変なこと言わないでほしいっちよ。おら、どこまでもご主人様についていくずら」
「……そうか。じゃあ荷物持ちだな。今回は秘密の旅なんだぞ。人から何を聞かれても、おら、腹が減ったとか言っているんだ」
「おら、腹が減ったっち!」
ワルトはお座りのスタイルで、尻尾をぶんぶんと振りながら涎を垂らした。
とても演技には見えなかった。
「おお……すげぇな。本当に食い物のことしか頭にない獣人にみえるぞ」
「相手の事を分かったつもりになっている者は、騙しやすいっちよ」
「……お前、実はけっこう頭がいいのか?」
ワルトは答えずに、食事を始めた。
大きな骨付きの豚肉にかぶりついている。
狐ならぬ、犬に抓まれたような気分……。
なんとなく、しんみりした雰囲気で料理を食べた。
アベルは台所から葡萄酒の入った樽を持ってきて、そのまま銀杯に注いだ。
食事の後片づけはシャーレに任せて一人で飲み始める。
一気に何杯も飲む。
無性に飲みたい気分だった。
交じりあう思考や感情、やがて前世のことを思い出した。
欲の塊のような人間たち。
朝早くから働いて、深夜に寝床へ戻る繰り返し。
夜は酒ばかり飲んでいた。
嫌なことを紛らわすために。
時間の経過を誤魔化すために。
何か大事なものが毎日毎日、少しずつ消えていった。
分かっていたが止められない人生。
自分の居場所が分からなかった。
何年かおきに限界が来たところで仕事を辞めて、別の場所へ行った。
どこに行っても、しっくりこなかった。
他人の撒き散らしたヘドを始末するような、くだらない生活。
美しい人間など、どこにもいなかった。
誰も俺の心を理解などできはしない。
それは当然すぎる。
父親殺しの心など、誰が理解するものか……。
己の核で、いまだヘドロのようにマグマのように煮え滾る憎しみと殺意。
あの小男……。
陰険で、常に他人の粗探しをしていて、いつもいつも罵り、殴ってきた糞虫。
殺したわりには実感がなかった。
思い出すだけで脳髄が破裂するほどの怒り。
何度でも殺してやりたい。
いっそ、どこかへ自分を丸ごと投げ捨てたい衝動に駆られる。
その欲求に従い野垂れ死にしたとしても……構わないじゃないか。
もしかしたら、魂だけはイースのもとに行けるかもしれない。
あれほど清らかな女の側に魂だけでも寄り添えたら……限りない幸福ではないか。
母アイラに帰ってきてほしいと頼まれ、その直後にはイースに会えるなら死んでも構わないと考えている自分。
胸の中の欲望は溢れ出る寸前だ。
衝動をどこにぶちまければ正しいのか、もはや自分自身にも良く分からない。
錯綜、混乱していた。
もともと、そういう人間だった……。
「酔っているわね。眼つきが……怖い」
そうアイラが声を掛けてくる。
襟の開いた服から、形のいい胸の谷間が見えた。
もう三十も半ばなのに、少しも若さを失っていない。
華やかな金髪、生気の宿った瞳、健康的な色香の漂う女だった。
アイラは母親に決まっているのだが、どうも女に見えてしまうときがある。
魂が息子ではないからだ。
何かの間違いでアベルの中に入り込んだ……。
自嘲気味に苦笑いした。
明らかに飲みすぎている息子をウォルターが心配そうに見ていた。
ツァラは眠くなってきたのか欠伸をしている。
たらふく食べて、床の上で寝ているワルトの背中が見えた。
アベルは腕に結束している短剣「心臓縛り」を外して妹に渡す。
それから首にかけている「双眼の首飾り」も目の前においた。
二つとも両親から譲られたものだ。
今度はツァラの物になるべきだった。
「ツァラ。これは僕がお父さんとお母さんに貰ったものだ。今度は君が使うといい」
「お兄さま。これはなんですか?」
「短剣は武器だよ。首飾りは魔道具」
「ぶき……。かっこいいけれど……こわいです」
「自分や人を守るために使うんだ」
「人をきずつけるのは……いけないこと」
「そうだね。でも、自分を守らないのも悪いことなんだ。守りたいものを守れない事は、もっと悪いことだろう。そう思わないか」
ツァラはじっくり考えた後に、頷いた。
「その短剣を上手に使えば、人を殺さなくて済むかもな。使い方は母上や父上に習うといい。僕も魔法と剣を教わった。きっと強くなれるぞ」
ツァラは嬉しそうに笑った。
~~~~~
祝賀会当日。
早起きしたウォルターとアベルは時間をかけて盛装に着替えた。
靴も磨き込まれた革のものを履いている。
アイラも招待されていたのだが、辞退していた。
家でシャーレやツァラと留守番である。
シャーレは品のある
手で口を覆い、首をぶんぶんと振っている。
顔が赤い。
「大げさだなぁ」
「そんなことないよ。皇子様みたいっ!」
「ははは。不敬罪で逮捕されちゃうぞ」
「だって……凄いんだもん!」
アイラはどこからどう見ても、累代の貴族の末であるとしか感じられない我が子を見詰める。
明日、旅に出てしまう。
しかも正式にハイワンド家に列することになるから、いよいよ自分の手を離れたわけだ。
もう、これから本当に遠い世界に行くのだと感じ、胸には不安が渦巻いた。
子供の頃から、ふと何かを考え込んでいる様子の息子……。
とても子供とは思えない奇妙な態度を示す時があった。
幼い時に頭をぶつけて重傷を負ったことがある。
怪我はウォルターが治した。しかし、頭を強打すると性格異常者になることがあると聞いた覚えがあった。
アベルには、まるで他人のように余所余所しくなる不自然さが見え隠れしていた。
理屈ではなく、そう感じるときがある。
不思議な子供だ……。
アイラは親に教えられた伝承を思い出した。
生まれ故郷のアララト山脈にある山村。
子供が、ちょっと目を離した隙にいなくなってしまうことがある。
神隠しにあった子供の多くは、そのまま行方不明になってしまう。
どんなに探しても見つからないので、神のものになったと言って納得するのだ。
だが、稀に帰ってくる子がある。
しかし、帰還した子供の性格は以前と変わり果てているという……。
数年後かにアベルが帰ってきても、別人のようになっているのではないか。
そんな取り留めもないことをアイラは考えていた。
息子は振り返りもせず大邸宅に向かって歩いていく。
アイラは見送るしかなかった。
アベルは大邸宅に向かう途中、観賞用に植えられているオリーブの木の下で、ガトゥを見かけた。
実用的な冑や鎧を身に纏っている。
今日は祝いの日なので赤や緑の飾毛が派手に付けられていた。
「あっ! ガトゥ様。久しぶりです」
「おぅ。アベルか! おっと、もうアベル殿だったな。見違えるほど立派じゃねぇか」
「気持ち悪いから敬称なんかつけないでくださいよ」
「へっへっへっ……」
ガトゥは相変わらず無精髭を生やした顔で、にやにや笑っていた。
「ガトゥ様も祝賀会に来たのですか」
「来たって言っても警備のためだぜ。今、屋敷の周りを見て回っているところだ。俺は今となってはハイワンド騎士団の幹部だしよ。なかなか忙しいぜ」
「未婚者のための舞踏会もありますよ。どうですか」
「ははっ。バカ言うなよ。いまさら嫁探しか? いくら未婚者といっても三十歳ぐらいまでだな。ああしたお祭りに加われるのは」
「ガトゥ様なら嫁ぐらい探せば見つかるでしょ」
「欲しくないんだよ。家庭なんか持っていたら戦働きにも出難い、女遊びもできねぇしよ。なにが面白いんだ。そんな生活」
ガトゥらしい答えだなとアベルは口の端を歪めて、それ以上は何も言わないことにした。
「ガトゥ様は戻ってから、どうしていたのですか」
「帝都から馬で三日ぐらいのところにハイワンド騎士団の駐屯地がある。ポルトで被った損害は三年経っても完全には回復してねぇ」
「そうですよね。四割ぐらいの騎士が戦死しましたからね」
「ああ、それで方々から戦士を募って再建しているんだけれどよ。まぁ、練兵や統制に苦労していてなぁ。遣り甲斐はあるけれどよ」
「根っからの武人の貴方には最適じゃないですか」
「ああ、けっこう楽しいぜ。ところで、アベルは騎士団に配属されるのか? だとしたら頼もしいかぎりだが」
「いや、実は詳しいことは言えないのですが、お役目でここから離れます」
「……そっか。まぁ、アベルだったらどこででも大丈夫さ」
ガトゥは何かを察したのか任務については聞いてこなかった。
警備の仕事のために忙しく、会話はそれまでだった。
「それじゃ、もう行きますね。これでもやることがあるので」
ガトゥが背中から語りかけてきた。
珍しく心配気な声。
「なぁ。イースのことは一端、忘れたらどうだ? 時期が来れば、また会えるだろう。無暗に探しても見つからないと思うぜ」
「忘れるのは……無理です」
「愛せる女から愛せばいいんだ。面倒臭いこと考えるなよ。そこらへんに幾らでも女のケツがあるぞ」
「ふふっ。僕、愛ってやつが分からないんです。だから……それも一緒に探してみます」
少しだけ哀しそうな顔をしたガトゥへ手を振って別れた。
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