第79話  嵐を呼ぶ少年

 





 アベルは夜明け前に目覚める。

 家族を起こさないように、そっと家を出た。

 準備運動してから家の周りを走り込み、刀の素振りを繰り返す。

 短時間ながら極限まで体を敏捷に動かしてみた。


 それから精神統一をして、心に創り出すのはイースの姿だ。

 イースと同じように動いてみる。

 あるいはイースが仮想の敵として現れ、攻防をしている場面を脳裏に生む。


 別れてから、より明瞭に理解できたこと。

 心技体の全てにおいて突き抜けていたイースの強さの神髄は、突き詰めれば、いかなる状況でも動揺しない特異な精神にこそある。


 もし仮に予備知識なくイースのような戦士と戦うことになったらどうなるかとアベルは想像する。

 表情から意図も見抜けないし少しも焦らない様子に圧倒されることだろう。

 そのうえ異様なまでの力と速度、技術の高さ、機の謀りがある。

 戦っていたら、もうパニックになってしまう。


 そうなったら自滅に向かって真っ逆さま。

 ただでさえも超絶的なイース相手に苦し紛れから混乱した一撃を繰り出して、あっさりカウンターで終わりだ。


 イメージトレーニングを終えて、次には恐ろしい敵を想定してみる。

 イエルリングやダレイオズ、それからハーディアとガイアケロン。

 どの相手でも今のままで勝つことはできない。


 最後は魔力の鍛錬。

 これこそ全くの独創の世界だ。

 誰に教えられるわけでもない、自分だけで鍛錬しなければならない。

 体に満ちる魔力を活性化させて腹や掌に集めてみる。

 さらに集中力を高めると、魔力が煮えたぎるマグマのようにパワーを孕み、膨張していった。


 アベルは自分に師がいないことを強く自覚していた。

 最大の師であるイースは、この場にはいない。

 心の中にはいるけれども……。


 自分を引っ張ってくれる師。

 これが必須だった。

 そうでなければ独習するしかない。

 独習は、自分で自分をどこまで追い込めるかの勝負になる。

 その追い込み方というのは半端なものでは意味がない。

 それこそ殺されても離すな、という執念の世界だ。

 狂気の領域といってもいいだろう。


 だから師を持たず、自分だけで何かに到達した者は異様な個性を持っている場合が多い。

 人格に激しい偏りでもなければ、あるいは狂気の手助けでもなければ、独習は成り立たない。


――俺はどうすればいいんだ……。


 心の内のイースは、やりたいようにやってみろと語りかけてくる。

 これは単なる願望なのであろうか。


 鍛錬を終えたアベルの体は極めて快調。

 汗だくになっているから服を脱いで、お湯で体を清めた。

 最後に冷水を浴びて、体を魔法「熱温風」で乾かす。


 こうしていてもイースに追いつかなくてはと、そればかり気になる。

 あと数日は家族と過ごそう。

 しかし、そう長居はしない。

 動き出さなければ……、煮え立つように、そう思う。


 朝食をとってからシャーレを職場まで送り届ける。

 アベルはシャーレに告げた。


「もし、今日は迎えに来られなかったら下宿先に行ってくれ」

「アベル……。あたし、今日もそっちに行きたいよ」

「ごめんね。これでも一応、ハイワンドの見習い騎士だから」


 シャーレは悲しそうな顔をして頷いた。

 アベルは馬脚を取って返して、ハイワンド公爵家に向かう。

 邸宅に戻った後はケイファードにカチェの居場所を聞き出す。


 スタルフォンの授業を受けているということなので、顔を出して共に歴史を習う。

 カチェは約束を守ったせいか、やけに喜んでいる。


 授業内容は大帝国が崩壊したあと、群雄割拠の状態が三百年間ほど続いていた時期について。

 この分裂戦争時代は侵略や独立運動が激化していて、延々と戦争が繰り返されていた。


 合戦も激しく、たった一度の戦いで数万人が戦死した記録が残っている。

 そうした凄惨な闘争の果てに皇帝国が真の大帝国の後継として建国されたとあるが、アベルには信じられない内容だった。

 実際は血みどろの大戦争に飽き果てた結果、辛うじて成立した妥協や休戦によってできた国体だったのではないか。

 そうだとすれば、この皇帝国にどれほどの価値があるというのだ……。




 午前の授業の後にカチェと昼食を食べることになった。

 大きな食堂の席にアベルとカチェが座る。

 ケイファードは別件で忙しく姿が無い。

 代わりに女官と給仕が二人ずつ控えていた。


 料理が出てきた。

 青豆のスープ。

 子牛の脾臓のローストに鱒のムニエル。

 数種類の凝った形をしたパンが出てきた。

 アベルは感心して言う。


「こんな凝った料理、久しぶりだ」

「一人で食べてもつまらないわよ。焚火を囲んで皆で食べた肉の塊の方が美味しかったわ。塩と胡椒を、しこたま振りかけたやつ。あとは、ずっと前にアベルが作ってくれたカツレツっていう料理。あれ、また食べたいわ」


 食べ終わったらカチェが稽古に誘ってきた。

 相当ストレスが溜まっている様子なので断れるはずもない。

 アベルが承知するやカチェは自室で素早く旅装に着替えて、外に出て行く。


「あら……。あの人」


 ノアルトは一昨日の夜、朝までろくに眠れなくさせた女戦士が男連れでやってきたのを見ていた。

 心中、穏やかではない。


 実際のところ、昨日もここに来ていたのだが、相手が姿を現さなかったのだ。

 稽古をしても勝てないと分かっていた。

 むしろ、再び痛めつけられるだけだろう。

 それでも堪らずここに向かっていた。


 しかし、待てども女戦士はやってこなかった。

 情けなくなり、さらに不安になった。

 暇な身ではないので秘密の会合室に戻ったが、気分はむかついていた。

 もう会えないのかもしれないと思えば素性を聞き出せなかったことを心底、後悔した。


 皇帝国の皇子たるノアルトをどうしようもなく苛立たせる件の女戦士が今日はやってきた。

 紫水晶のような瞳が、それまでと全く別物の色を浮かべている。

 喜び。

 親しみ。

 ……愛情。


 この男が想い人かと、ノアルトは悟る。

 胸に鉄の棒が突き刺さったような気持ちになった。

 自分で驚いたほどだ。

 どんな男なのかとよく見てみる。


 くすんだ金髪。

 特徴的なのは群青色の、どこか陰鬱な影ある目。

 年齢は十八才ぐらいだろうか。

 背は大人並みだが、少年と呼べる風貌をしている。

 体つきは鍛えられていて均整が取れていた。

 どこからどうみても貴族。

 

 顔立ちは端正だが、華やいだ雰囲気は感じられなかった。

 だが、どことは指摘できないが妙な魅力を感じなくもない。

 よく言って落ち着きがある少年。

 悪く罵れば暗い男だ。

 こんな男が想い人なのかと、憤懣が湧き出た。

 ノアルトは女戦士に語り掛ける。


「頼みがある。今日はこれから私たちの鍛錬所に来てくれないか」

「どうして」

「私よりも強い者に引き合わせたい。そこで稽古をしてもらいたいからだ。それと……お前はバース公爵と懇意の者と見た。これは私の想像だが、違うか」

「……、そうね。正解ではあるけれど」

「バース公爵と私は格別の仲である。心配はいらない」

「いいわ! 退屈していたから」

「馬は用意してある。来てくれ」


 アベルは心配しつつカチェに話しかける。


「この人たち誰ですか?」

「知らない。けれどバース公爵様の知り合いなら、どっかの貴族じゃないの」


 アベルは四人組を観察する。

 間違いなく貴族だ。

 中年の男を除いて、着ている服は最上等といっていい。


 それから武器に注目する。

 女性も含めて全員が両刃拵えと思しき剣を腰に帯びていた。

 柄や鞘の作りは、どれも丁寧なものだ。

 特に頬の痩せたシャープな印象のある二十代半ばの男が装備している剣は、見たことがないほど精巧な拵えになっている。

 黄金の彫金に数種類の宝石が嵌った柄。


 持ち主の彼は、どういうわけか睨むように見てくる。

 カチェは四人組にさっさと付いて行ってしまう……。

 こういう勢いのあるところは昔っからだ。

 アベルはカチェの性格に慣れていた。ちょっと呆れるときもあるのだが。

 

――まぁ、いいさ。

  鍛錬がどうしたとか言っていたから、ちょっと腕試しでもするか。


 馬屋に行くと五頭の馬がいた。

 アベルはカチェと二人乗り。

 手綱を握るのはカチェだったからアベルは腰に掴まって、ただ乗っているだけ。


 公爵家の門を出て、しばらく北東に進む。

 なぜか四人組は全員、顔に覆面をつけて移動しはじめた。

 顔を見られたくないわけでもあるのだろうか。


「カチェ様。なんか怪しくない? あいつら」

「変な人たちね。けれど敵ならハイワンドのお屋敷にいないでしょう。わたくし、もう体を動かしたくて仕方ないのよ!」


 貴族区の道路を進み、それほど離れていない場所にある中規模ほどの貴族の邸宅に到着する。

 アベルは、なんとなく伯爵程度の屋敷かなと感じた。

 門番は慣れている様子で覆面たちを迎え入れた。

 アベルとカチェも門を潜る。


 警戒は厳重だった。

 軽装ながら鎧を着込んだ男が門だけでなく庭にも配置されていた。

 石造り、平屋建ての建物に到着。

 どことなく住居ではなくて、集会所のような趣であった。


 併設の厩に馬を預けて、アベルとカチェは覆面を外した四人組についていく。

 アベルは思わず、おっと声を上げる。

 そこでは百名ほどの人間が様々な稽古をしていた。


――これが流派の道場か! こういうところ、初めてだぜ……。


 男も女もいる。

 ほとんどが若者で十代から二十代らしい。

 割合は男性八割、女性二割ぐらいだろうか。

 魔力による身体強化があるから女性だから力が弱いとは限らない。

 現にイースやカチェが相手となったら、そんじょそこらの男では勝ち目などないのだ。


 鍛錬場の床は石畳だった。

 靴のまま中に入る。

 アベルは広さを確認する。

 天井は高く、屋根を支える木材の梁が四メートルほどの部分に架かっていた。

 奥行は五十メートル、横はその半分ぐらい。

 訓練をしている者たちは一様に、四人組へ頭を下げていた。

 畏まった態度で貴族の礼を執る者も少なくない。


 一番奥。質素な椅子に腰掛ける男がいた。

 年齢、四十五歳ぐらいか。

 白髪交じりの茶色の頭髪。

 鼻の下にだけ口髭を生やしていた。

 顎はガッシリとしている。

 顔つきは荒々しくない。

 むしろ静か。

 しかし、目線は炯々と油断なく光り、普通ではないものをアベルは感じた。


 椅子に座っているのは鍛錬所で、ただ一人。その男だけ。

 脇には二十歳ほどの女性が控えている。

 ここに誘った例の男が椅子に座る年配に言った。


「師範。ひとり有望な者を見つけてきた。女の方だ。男の方の腕は知らない。見て欲しい」

「第四階梯の者から相手をさせましょう」


 正体不明の、どこか尊大な態度をした頬の削げた男が試合の規則を説明しだした。


「おい。聞け。得物は木刀か木剣、槍でもいい。盾を使いたければ使え。全て壁に掛かっている。好きなものを好きなようにしろ。

 それから木剣と言えども頭や顔に命中すれば死に至ることもあるゆえ、この鍛錬所では冑をして訓練することになっている。頭と顔への攻撃は、なるべくやらないように。ただし、これは禁じているわけではない。手加減できるのなら攻撃するのは自由だ。

 それと当たり前だが、隠し武器や攻撃魔法は使うな。もし、そうした行為があった場合、この施設の者を全員敵に回すことになる」


 アベルとカチェは言われた通り、壁から道具を取る。

 薄い鉄板と革で作られた冑を貸してもらって、装着した。

 頭が防御されるものの、面頬はない。

 得物は二人とも木刀一振り。

 木刀にも木剣にも、鍔が付いていた。

 渾身の力で振られた木刀は指ぐらい千切る威力があるので、鍔はあった方がいい。

 アベルは取り合えず、二刀流を隠すことにした。


 アベルは選抜された男の訓練生と対峙する。

 攻刀流、下段の構えをとる。

 十八歳ぐらいの相手は上段の構え。

 やがて打ち掛かってきた。


 まるで止まっているように見える、凡庸な攻撃だった。

 アベルは自分に向かって振り下ろされる鋭さのない木剣を横薙ぎにすると、強烈な打撃で相手の得物は手を離れて、すっ飛んでいった。

 それで勝負あり。

 カチェも最初の相手を難なく打ち倒していた。


 アベルは次の相手と向かい合う。

 第五階梯の人間らしい。

 今度は上段に構える。

 打ち合いになったが、やはりアベルは危なげもなく相手を追い詰めた。

 仕上げに相手の腕を掴んで、強引に引き倒した。

 転ばせたところに木刀を突きつける。


 カチェの方は乱暴な蹴りを決めて、相手をしていた女性の訓練生を床に転がしている。

 本当に荒々しい、癖のある攻撃。

 木刀を使っていないから剣術と言うにも難のある手段だった。


 アベルは次が第六階梯かと、不思議に思う。

 第六階梯というと、もう完全に上級である。

 そうそう世間にいない段階なのだが……。


 出てきた相手は三十歳ぐらいの男。

 顎から頬まで髯だらけで、表情がよく分からないぐらいだった。

 背丈は自分と同じぐらいであったが、体つきはずんぐりしていた。

 筋肉が鍛えられていて、熊のようだ。


 ちょっと手強いものを感じるので、癖技を用いる。

 木刀をあえて構えない。

 右手で持ち、だらりと提げただけ。


 相手の熊みたいな男の動きを想像する。

 なんとなく、押し技を仕掛けてくると踏んだ。

 そうとなれば近寄らせないのが最良である。


 試合が始まり、流れるように摺り足で移動。

 アベルは間合いを僅かに許した後、突如として突きを入れた。

 相手の攻撃と完全に機が一致した。

 アベルの相手は攻撃の出鼻で、予想できない鋭さの突きを入れられ、躱しきれない。


 脇腹に木刀の先端が腹にめり込む。

 苦しさに悶絶したのか、熊に似た男は腹を押えて伏した。

 治療魔術を掛けてやろうかアベルは迷う。

 なんとなく隠したくなる。

 そうしているうちに四人組の一人。唯一の女性が呻いている彼を治癒魔法で助けた。


 カチェも試合に難なく勝ち、鍛錬場は静かになってきた。

 誰しもが、突然やってきたアベルとカチェを見ている。

 こいつら何だ、という風情だ。

 頬の削げた眼つきの鋭い男が言った。


「ベルティエ! あの少年と手合せしろ」


 脇に控えるベルティエと呼ばれた長身の男が準備を始めた。

 鍛錬所が騒々しくなりだした。

 アベルはきっと強敵なのだろうと感じる。


 アベルはベルティエと呼ばれた相手の身の熟しをよく観察した。

 体格は長身で百八十五センチはありそうだ。

 軽い運動をしている。

 受ける印象は、しなやかで強靭。

 顔つきを見る。

 眉は上がり気味に、すらりと伸びていた。

 頬は引き締まっていて、怯えの気配など微塵もない。

 さぞかし女性の好意を集めるだろうという、雄々しい顔貌をしていた。


――本気で戦ってもいい相手だな。

  そうだ。もし半端な戦い方をしたら怪我をするのはこちらだ。


 アベルは、そう直感した。 

 これまで隠していた二刀流を用いることにする。

 壁に掛けてある木刀から、ちょうどいい物を手に取る。


 ベルティエの名が呼ばれて鍛錬所が大きくざわめいたのには理由があった。

 ノアルト皇子の腹心の部下でもあり、武帝流の若手として抜きん出た実力の持ち主だった。

 加えて人格も高貴かつ洗練されていて人気がある。

 第七階梯に相応しいと、誰しもが認めていた。

 そういう男の出馬をノアルトが命ずるというのは、珍しいどころか無いと言っていい事態だ。

 何か妙なことが始まったらしいと、皆は感じる。


 アベルとベルティエが準備している間にカチェの試合が始まった。

 相手は武帝流第六階梯の男。

 ものすごい攻防戦になった。

 鍛錬所の中をところ狭しと駆け巡り、お互いに一歩も譲らず木刀を打ち合う。


 カチェの剣技は実戦的で、そのうえ様々な流派の特徴を感じさせるものだった。

 その多彩な攻撃、偽攻撃、防御、それから粗暴なまでの蹴り技に、見る者は圧倒されていった。

 アベルが試合の様子を見ていると、徐々にカチェが優勢になっていく。

 手数が多くて、敵を休ませない。

 しかも、相手の意図を読み取って、先手で嵌め技を仕掛けさせなかった。

 これなら勝てると確信する。


 ノアルトは固唾をのんで勝負を観戦していると、カチェは変化技を使った。

 突然、地を這うような低姿勢で相手に突撃する、あの動き。

 自分が全く対応できなかった技だと気が付く。

 訓練生が足に痛撃を食らい、倒れた。

 やはり、今度もカチェの勝利だった。

 感嘆の声が方々から上がった。

 ノアルトも溜め息をついた。

 やはり見込み通り、本物だ。

 何が何でも傍に置きたい人材としか言いようがない。


 カチェは試合をやめて、観戦に集中することにした。

 アベルなら勝てると疑いなくそう信じられる。

 いよいよベルティエの準備運動が終わり、アベルの試合が始まろうとしていた。

 念のため、ベルティエは呼びかける。


「繰り返すが、これは試合だから攻撃にせよ防御にせよ魔法は禁じ手とする」

「はい。心得ております」

「……君、名前は?」

「アベル」

「俺はドット・ベルティエ。君は何流なのだ」

「教えたくないです」

「そうか」


 ベルティエは頷き、木剣を両手持ちにする。

 アベルと名乗った少年はこれまでと違って二振りの木刀を手にしていた。

 それを、ゆっくり構える。

 ベルティエの背筋に怖気が走る。

 本当の戦場に立たされている感覚。

 少年から猛烈な殺気を感じずにはいられない。

 手にしているのは木刀なのに、まるで血が滴っているようだった。

 ベルティエは目の前にいるアベルという少年が、こうした殺人剣法を用いて数えきれないほどの人間を殺してきたのだと確信した。


 アベルはベルティエに対して攻撃的な二刀構えで臨んだ。

 右手の一刀が上段。

 もう一方が突きの構え。

 アベルは思う。

 名が上がればイースと再会できる可能性が高まるかもしれないと。

 この鍛錬所がどういう場で如何なる流派であるのか不明だが、ここで全力を出さないようでは名がどうしたとか馬鹿げた妄想になってしまう。

 死力を振り絞ろうと決心。


――せめて訓練ぐらいには勝たなければ……。


 この場にいる訓練生は例外なく貴族であった。

 騎士もいるが子爵や伯爵家の一族も大勢いる。

 彼らにとってノアルト皇子は忠誠を誓う主であり、側近ベルティエは尊敬する戦士であった。

 なにしろ、あの王道国の英雄ガイアケロンや戦姫ハーディアとも戦い、勝利したほどの人物たちなのだから。

 そういう面子が連れてきた二人の男女。

 まだ若い。

 そして、強かった。

 今まさにベルティエみずからが相手をしている。

 興奮に値する。注目しないわけにはいかなかった。


 実戦を経験した者、勘の優れた者はアベルという少年の二刀流に緊張を強いられる。

 手に持つ武器が木刀なのにまるで真剣に見えた。

 本当の殺し合いになると感じずにはいられない。


 いよいよ試合が動く。

 アベルは、すり足を続ける。

 流れるように移動するが、決して一定の速度にしない。

 緩急をつけて、一気に攻撃に転じた。


 二刀のうち、突きだした木刀は囮だ。

 邪魔とばかりに、その餌に反応した瞬間、上段から最速の打ち下ろしを仕掛ける狙い。

 相手のベルティエという男はそれを察知しているかもしれない。

 それでもいい。

 分かっていても対処できない攻撃をしてやる。


 ベルティエは斜め後方に移動しながら、冷や汗を掻く。

 壁が迫ってくるような重圧を感じる。

 かつてない状況であった。

 

 アベルという少年は、ごく僅かな隙も逃さず付け込んできた。

 警戒すべきは二刀流特有の攻撃と防御の両立、特に上段からの攻撃だ。

 戦い方を考える。

 二刀だからといって有利な事ばかりではない。

 隙は必ずある。

 ひとつ勝つ方策を見出す。

 突きだした右の一刀を弾き飛ばし、上段を凌いだ後に、体当たり。

 ベルティエはそう思い決めて魔力を燃え立たせ、バネのように踏み込んだ。


 アベルは突き出した右の木刀を瞬時に下段に落として、バックステップ。

 ベルティエの攻撃を回避する。

 普通、剣戟では我武者羅に力押ししたほうが有利となる場合が多い。

 後退は、癖技を仕掛けるための準備だった。


 攻撃を空かされたベルティエは横薙ぎを仕掛けようと、さらに大きく踏み込んできた。

 ここでアベルはワルトがやるような変則的な横跳躍を組み入れて、相手を幻惑させる。

 機がやってきた。

 ベルティエの上半身が、間合いに差し掛かる。

 アベルは頭を狙うと見せかけて、実際は腕を落とすイースの得意技を繰り出す。


 ベルティエは本能的に頭を防御しようと木剣で防御。

 しかし、吸い込まれるようにアベルの木刀は腕に伸びてくる。


 嵌められたとベルティエは悟る。

 だが、負けるわけにはいかない。

 ベルティエは決死の覚悟で逆に突撃。

 みずからの木剣を強引に上段から振り下ろされたアベルの木刀に当てると、そのまま体を衝突させようとした。


 アベルの木刀はベルティエの防御を押し切った。

 木刀はベルティエの左鎖骨あたりに激しくぶつかった。

 だが、それにも関わらず、ベルティエは体当たりを仕掛けてくる。

 アベルは横に跳んで逃げたが捨て身のベルティエは右手一本で木剣を薙ぎ払い、その剣先は右上腕を掠めた。


 ベルティエは派手に倒れる。

 立ち上がろうとしたが、できなかった。

 体幹を折られたような激しい衝撃が体の中を反響していた。

 駆け寄ってきたユーディットが慌てて治療に入る。

 鎖骨が折れていた。


 アベルは右の木刀を落とした。

 からんと乾いた音がする。

 右腕の感覚が麻痺していたが、すぐに脈打つような痛みが始まった。

 服が破れていて、見る見るうちに赤く腫れてきた。


 それを見たギョームは素早く準備をする。

 盆の上に金貨を一枚乗せて、アベルという少年の前に捧げる。

 人のいい笑みを浮かべ、陽気な仕草で大袈裟に語りかけた。


「アベル殿。いや、若いのに大した腕前! ベルティエと引き分けとは驚きやした! これは些少ながら貴殿の腕前に対する褒賞と治療費も兼ねての金貨にございやす。どうか街の魔法治療院で治されてくだせえ。ベルティエに破られた服を繕ってくれる娘に困っているようには見えませんや。そちらの方はお任せってことで! へへへっ」


 アベルという少年にこれ以上、試合をさせるわけにはいかない。

 あのベルティエを無様に叩き伏せるような男は危険すぎた。

 怪我にかこつけて、さっさと追い返そう。

 ギョームは金貨の乗った盆をさらに前へ持っていく。

 早く受け取れ。


「……あのベルティエという人、階梯はどのくらいですか」

「武帝流第七階梯の使い手でございやす」

「じゃあ、あそこで椅子に座っている年配の方は」


 嫌なことを聞きやがる。さっさと帰れとギョームは思ったが、黙っているわけにもいかない。


「あの方は師範様でございやす。武帝流の第八階梯。師範ヴィム・クンケル様と言えば帝都の剣術界隈で知らない者は居ないんですがねぇ」

「ふ~ん。あのさ。お前らは目が見えているの? 勝手に引き分けにすんなよ」


 場の空気が凍りつく。

 訓練生の誰の顔にも、非難と怒りの表情。

 アベルはわざと挑発しているのだった。

 なんとか、第八階梯の者と戦ってみたい。

 勝てば、名が上がる。

 イースが近くなる……。

 そのためならば、どうなってもいい。

 その一心で、ムチャな難癖をつける。


「分からないのなら剣術なんか止めちゃえば? あっ! そうか。君らは棒を振るのが仕事なんだ。棒振り職人さんかな。楽そうな仕事だね。僕も引退したらやろうかな。退屈で死んでしまいそうだけれど」


 雰囲気が凄まじく悪くなってきた。

 アベルはさらに大げさな身振り手振りで訴える。


「僕の打ち込みの方が速かった。真剣なら、体を切り裂かれていたのはベルティエという人の方だ。苦し紛れの横薙ぎは、そもそも放つ暇もなかった。だから僕の勝ちだ。次は師範クンケルと立ち合いたい。これは当然の権利だ」


 カチェはアベルの態度に驚く。

 なぜ、挑発するのだろうか。

 しかし、一方で血が滾る。

 そうだ。

 武門の血脈だからかは分からないが、こんな場面では食いついていくべきだ。

 もっと戦いたいというアベルの気迫に同調して胸が高鳴る。

 そして必死なアベルは何時にも増して魅力的なのだった。


 ギョームは、それまでの陽気な態度を完全に消す。

 睨みを利かせた。

 禿げ頭で顔中に戦傷があるギョームがそういう表情をすると、いかなる筋者でも黙る。伊達に戦場往来すること三十年ではない。


「お前さんは、しっかりと怪我をしていますからなぁ。万全でなければ師範クンケル様はお相手なさらぬ。弱っている者を虐めるような武帝流ではございやせん。さぁ、どうか今日はお引き取りを願いやす。それとも金貨が足りやせんか。お困りなんでやすね。あと二枚ばかり足させていただきやすか……」


 アベルは左の掌に魔力を集中させた。

 直後に白く淡い光が、零れ落ちるように掌から溢れる。

 それを腫れ上がった腕に注げば……、傷はもう癒えていた。


「お前さん、治癒魔術が使えたのか!」


 驚愕した鍛錬所の者たちから、ざわざわと騒ぎが起こった。

 ベルティエと互角の腕前で、さらに治癒魔術の使い手。

 もう、世の中に滅多なことではいない戦士だ。


「試合中ではないから治癒魔術は禁じていないよね。じゃあ、クンケルさんだっけ? 相手してくれよ。それとも、やっぱりできないのかな。本当は椅子に座った宣伝用のじいさんか……。そうだとしたら見栄えが悪いから早く買い替えたら?」


 ノアルトは、あまりの罵詈雑言に唖然とする。

 何なんだ、こいつは?

 未知の生き物を見ているようだ。

 貴族の汚い陰謀など腐るほど見てきたが、直接的な挑発には慣れていない……。

 顔が引き攣る。


 武帝流第八階梯、師範クンケルは表情を僅かも変えない。

 涼しげにしている。

 表情から感情は読み取れない。

 怒り。

 恐怖。

 そういうものが表れていない。

 アベルは首を傾げた。

 誘いは無駄であったのだろうか……。

 もともと人をバカにするのは得意じゃない。

 ちょっともう、これ以上の蔑みはさすがに出てこない。


 師範クンケルの隣に控えていた女性が前に出てきた。

 怒りで血相を変えている。

 黄褐色の瞳に怒りが漂っていた。


「戦場ではわざと相手を罵倒することもあると聞きますが、今日は命取りになりましたね。私が相手になります」

「あんたも第八階梯ってこと?」

「いいえ。私は第七階梯です」

「じゃあ、やっても同じだ」

「無駄かどうか、試してみましょう」


 アベルは本気の殺意を込めて、女剣士に言う。


「……木刀と言えども、即死することだってありうる。無駄死にするのはお前の方だ。殺したくないから引っ込んでいろ」


 女剣士は、なかなか美人だ。

 薄い狐色の髪を短くしていて、ちょっと少年のような感じ。

 黄水晶のように輝く瞳は澄んでいる。

 身長はイースぐらいだった。

 俊敏さで攻め立てるようなタイプかと想像してみる。

 いずれにせよ、戦う気はない。

 だが、女剣士は負けじと睨み返してきた。

 その時、師範クンケルと呼ばれていた男が立ち上がった。


「いいだろう。少年。立ち合い、させてもらおうか」


 鍛錬所は、今度こそ最大級の喧噪に包まれた。

 それはならないと抗議の声が無数に上がる。

 

 ノアルトも意外な展開に、ただ驚いていた。

 まさか、ベルティエが負けるなど思いもよらなかった。

 さらには師範クンケルまで引っ張り出されるとは……!

 事態の変移に成すすべがない。

 それにしても二人の少年少女は何者なのか。

 そして、これから何が起きるのか……。

 アベルと師範クンケルの試合は、試合といっても限りなく死闘になるのを誰しもが感じていた。

 




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