第73話 帝都へ
アベルたちは街道をひたすら馬で進み続ける。
比較的地理に詳しいガトゥが先導して、最後尾をアベルが警戒する隊列を組むことが多い。
皇帝国に入ったわけだが治安は概ね悪く、全く油断はできなかった。
シフォンなどは隊の中央に配置して、間違っても襲われないようにしてやる。
道路に関しては皇帝国のものは素晴らしいと言えた。
雨が降っても泥濘化しないように、石灰や火山灰を利用した固い層で舗装されている。
なるべく直線的に道路が伸びているところにも建設への確固たる信念を感じた。
大河ドナからの利水が得られる地域では穀物の栽培が盛んだった。
季節は初夏。
地平線まで広がる青い麦が、爽やかな風に吹かれて絨毯のように靡いた。
見渡す限りの麦畑を貫く一筋の街道。
これが皇帝国であったかと、アベルは再発見する思いであった。
一行の中ではシフォンが体力的に最弱なのであるが、いっさい弱音を吐かずに馬を操り続けていた。
だが、隠した辛さを察したカチェがときどき二人乗りをして、面倒を見てあげている。
カチェの背中にしがみ付いているシフォンは何だか、やたらと健気だった。
これは大変だろうとアベルがカチェに二人乗りを代わろうかと提案したら、決然たる態度で断られてしまった……。
カチェいわく、絶対にダメだそうな。
何故なんだぜ……とアベルは首を捻る。
そうしたわけで女性は二人だけなので協力しなければならない場面が多く、カチェとシフォンの結束は強まるばかりだった。
シフォンはカチェを姉とも師とも呼び、敬慕しているのが言動から良く分かる……。
皇帝国の治安が悪化しているというのは本当のことだった。
街でも道でも、いたるところに浮浪者や流浪の武人、どんな職業や出自であるのか得体の知れない人間たちが無数にいる。
浮浪者は王道国の攻勢に圧迫されて住処を追われ、着の身着のまま逃げてきた人が多い。
あるいは税金が払いきれずに耕作放棄した農民も少なくない。
主要な道路はともかく、間道になると強盗のような輩が襲ってくることもあるという。
そういうわけでアベルたちは野宿をやめた。
よほど田舎でない限り、宿場制度が発達している皇帝国では宿に困ることはない。
また、皇帝国を揺るがしている事案に物価高がある。
理由は貨幣の改鋳であった。
深刻な規模で不足する歳費を補うために皇帝国は貨幣の刷新を断行。
それまで流通していた貨幣より金純度の低いものを新貨幣として大量に発行していた。
額面上は旧貨幣と新貨幣は同じ価値なのであるが、実際は新金貨の方が金の含有率は低い。銀貨も同様。
要するに悪貨であった。
当然、物に対して貨幣の価値が落ちたのだから、それまで銀貨一枚で買えていた小麦が銀貨二枚でないと買えないというような現象が発生している。
さらには実質的に価値の高い旧貨幣は貴重になるため、資産家が溜め込んで流通しなくなるという悪循環まで発生していた。
これがインフレーションというものかとアベルは唖然としながら物価の混乱を見ていた。
そうした悪政が招いた騒擾に増税と負け戦が加わり、皇帝国の世情は狂乱に近かった。
街道の要所、橋や交差点では徴兵官が目を光らせている。
彼らは通行人の中から兵士にできそうな者をその場で捕まえて、そのまま兵士にしてしまうという乱暴極まりない男たちのことだ。
誘われて、下手に逆らうと何をされるか分からないという非常に厄介な存在だった。
ロペスが当然と言うか当たり前なのだが徴兵官に目を付けられた。
橋を渡ろうとしたところ、声を掛けられる。
「おいおい。すげぇ戦士がいるぞ!」
「本当だぜ!伝説の戦士様かよ。待て待て。ここはマリエンブルク伯爵様の領地だ。不審者のあたらめをしておる。馬から降りよ」
不審者なのか伝説なのか良く分からないが止められてしまったら仕方がない。
ロペスが迷惑そうに、しぶしぶ下馬した。
それから徴兵官による怒涛の褒めちぎりが始まった。
やれ立派な体をしているとか、装備も整っているから一流の武人とお見受けしたとか……。
それで、なんだかんだと言い包めて、このまま兵士になる宣誓書に著名させるのが目的だった。
腕が良くても兵士になってしまうと安い給料で軍隊の最下底に組み込まれるわけだ。
もちろん、このまま兵士になるわけにはいかないのでアベルは仕方なく賄賂を渡す。
とにかく役人連中を手早くひっこめさせるには、これが一番だった。
賄賂賄賂……また賄賂だ。
皇帝国は制度や法律では亜人界より遥かに整っているわけだが、その代りに小さな権力を持った役人たちによる賄賂が横行していた。
穀倉地帯を通り過ぎると、森林が豊富な山岳地域が現れた。
街道は続く。
道路はあいかわらず良く整備されていた。
谷底のような増水や落石の恐れがある場所に道は通っていない。
稜線や山岳の中腹といった比較的安全な地形を進むことができた。
旅の途中、シフォンが風邪をひいて熱を出した。
逃亡と長旅で疲労が蓄積したせいとも思われた。
もはや移動は無理なのでアベルたちは通り掛かった農家の納屋を頼んで借りた。
そこにシフォンを寝かせる。
年相応の小さな体が、ぐったりと毛布の上に横たわる。
悪寒がするらしく震えていた。
幸い、咳などは出ていなかった。
家令のハンジャが心配そうに薬が手に入らないかアベルに相談してきた。
あいにくと解熱薬の類は切らしていた。
「僕は薬草にちょっと詳しいので、これから買いに行ってきます」
母親アイラに習った病気や薬草の知識をあれこれと思い出す。
意識が混濁するほどの高熱でなければ、ある程度は発熱してから解熱薬を与えた方がいい。
咳や気管支の炎症は早めに消炎の薬草を与えて長引かないようにしなければならない……。
アベルはいくつかシフォンの症状にあった薬を思い出した。
近くの村で目的の薬草を数種類ほど金を出して分けてもらい、それを調合してシフォンに与える。
シフォンは明るい栗色の瞳を発熱で潤ませていた。
「アベル様。申し訳ありません。わたしのせいで……旅が遅れております」
「気にしなくていいよ。他の奴らが頑丈すぎるだけだから。カチェ様なんか、もしかすると僕より強いよ。そういやカチェ様が体調を悪くさせたところなんかみたことないや」
「まぁ。さすがはカチェお姉様です」
「薬を作ったから飲んでみて。軽い解熱効果があるから……」
「アベル様は薬まで作れるのですか。何でも出来るのですね」
「母親が薬師なんだ。子供の頃から薬草の採取とか調合を手伝っていたからね……。他にも狩りの仕方から剣術まで、いろいろ教わった」
「すごいお母様なのですね……」
「ああ、そうなんだよ。生きていくために必要なことをほとんど全て教えてくれた人だ。そういう人が母親だったから死なずに済んだ。心から感謝している」
アベルは母親アイラを思い出す。
明るい笑顔で、元気の塊のような女性。
華やかな金髪が美しかった。女性にしては長身で、格好良くって……。
働き者だから、いつも何かをしていた。
食事の支度や裁縫といった家庭内のことに加えて、薬師としての活動も全力で打ち込んでいた。
薬草の知識だけではなく狩りの仕方、様々な道具の製作方法と教え込まれた。
もうじき会えるとなると嬉しくなってくる。
ふと、前世の母親も思い出す……。
音信不通になっていた。
会いに行こうとも思わなかった。
実家の住所に手紙を何度か送ったものの、一度たりとも返事は無かった。
生きているのか死んでいるのか、それすら分からない。
子供の頃から無視されていた。
何かを教わったり、一緒に楽しんだ記憶はない。
母親の根底にあったのは無関心であったと思う。
陰気で貧相な女だった。
よく部屋の隅の暗い場所で煙草を吸っていた。
それでも母親だった……。
「アベル様。この薬、苦いです!」
シフォンが顔を顰めていた。
その仕種は何だか可愛らしい。
彼女は一族の命運を背負った緊張感を湛えた表情をしていることもあるが、今は年相応の女の子だった。
「あ、ああ……。苦いほど良く効くんだよ。だからシフォンには特別に苦いやつを作ってやった」
「えっ!」
「次はもっと苦いのにするぞ」
「アベル様。ひどい」
シフォンは困ったような顔をした。
その表情がどうにも面白くてアベルは笑ってしまった。
「あはは。冗談だよ……」
カチェは横で二人の会話を聞いていた。
アベルの母親ということは自分の親戚でもある。
今では公爵の家柄であるハイワンド家中に薬師の人物がいるというのは……変わっている。
貴族社会では、まずあり得ないことであった。
どういう人なのか会ってみたいと思った。
カチェはよくよく考える。
アベルが今度はどういう扱いをハイワンドで受けることになるのか。
帰還がいよいよ現実的になり、そうした心配事が生まれつつある。
祖父であるバース・ハイワンドと再会したら、そのことを特に頼もうとカチェは決心する。
アベルを一門衆として認めてもらって、それから自分の側仕えにしてもらおう。
側仕えということは起床してから寝るまで常に共なる生活だ。
いや、夜は夜でごく近くに警護として控えているのだから、実質は丸一日ということになる……。
それがいい。
カチェは一人、得心して何度か頷いた。
二日後、シフォンの風邪が治ったので旅は再開される。
山岳を越えて、帝都までの最短ルートを進み続けた。
大きな街に逗留する理由はないので、なるべく近寄らないようにする。
それというのも街は人が多いので治安がさらに不安定になっているからだ。
皇帝国は基本的には肥沃な地域である。
北方は雪深く、寒冷地帯なので農作には向いてないらしいのだが、その代りに森林が多く、獣が無数に棲息しているという。
その辺りには獣人族も大勢が住んでいて、しばしば皇帝国と争いが起こっているらしい……。
山岳を通り抜けた後は、ふたたび耕作地が多くなる。
帝都が近づくにつれて人口密度や交通量が増えていった。
街道はさらに立派になって、馬車が擦れ違うことのできる幅がある。
両脇には人が歩くのに充分な広さもあった。
アベルたちは商友会などに立ち寄り、ハイワンドのことを聞いたが確実な情報は少なかった。
ただ、一様に恐らく帝都の貴族院とか執政院に関係者がいるだろうという答えである。
皇帝国に入国してから二十九日目、アベルたちはついに帝都の郊外に辿り着いた。これはかなり早い行程であっただろう。
街道の交通量は、これまでのどこよりも激しい。
馬車の渋滞が発生するほどだった。
隊列を編成した軍隊が、数百人の単位で帝都から地方へ行く光景を何度も目にする。
彼らは帝都の近傍で編成され、訓練を受けたのちに国境地帯で警備をしたり、あるいは王道国と直接に戦うため出征する。
カザルスが帝都の地理などを大雑把に説明してくれた。
彼は帝都にある皇立魔術学院で学んでいたので、いくらか土地勘があった。
帝都と呼ばれる地域は、非常に広大な範囲を指す。
まず帝都の中心部。これは皇帝の住む皇城である。
皇城は幾重もの堀と城壁に囲まれた、世界で最も大きく堅牢な城だという。
その皇城の周辺には国の重要施設が立ち並んでいる。
たとえば皇帝国執政院。
執政院には皇帝に任命された様々な大臣がいて、そこで国政が運営されていた。
通常、大臣職は公爵か伯爵が務めるものであった。
皇城の周囲には、帝室の者や大貴族の邸宅が連なっている。
この貴族たちが住む地域が、帝都の約半分を占めていた。
そして、もう半分は非貴族階級たちが住む、平民区となる。
平民区は裕福な者が住む整備の行き届いた場所もあれば、貧民が住む混沌とした地域もあるらしい……。
アベルたちは、とりあえず皇帝国執政院を目指すことにした。
きっとハイワンド家の関係者がいるはずだ。
郊外は畑と建物が入り混じった景色だったが、運河を越えてさらに帝都に接近すると耕作地はほとんど姿を消した。
代わりに工房や長屋のような建物が並ぶ。
労働者、職工の街という雰囲気だった。
そこも過ぎると、今度は集合住宅が並ぶようになった。
建物は四階建て、あるいは五階建てという規模のものまであった。
一階は飲食店や店舗になっている場合が多い。
こんな民衆用の高層建築はポルトにも無かった。
ガトゥが言うには、ああした集合住宅地はどちらかというと貧しい者が住まうものだという。
こういう建物を必要とするのは土地が高価なので、少ない面積になるべく多くの人間を住まわせると利益があるためと思われた。
帝都に住む人間の数は、正確には分かっていない。
税金を徴収する必要性から戸籍管理と住所登録の義務はあるが、流動人口が多すぎるのである。
いずれにせよ数十万人か、あるいは百万にもなる人口なのは間違いない……。
数十の交差点を越え、アベルたちはひたすら帝都の中心部に向かって進む。
騎乗を続けるが、ゆっくりした速度でないと衝突の恐れがあるほど往来が激しい。
ありとあらゆる人間が犇めいていた。
擦り切れた作業服を着た労務者。一抱えはあるような食用油の入った壺を背負っていた。
豪華な輿に乗り、華麗な絹の衣装を纏う婦人。
身体の至る所に付けた金や銀の飾りが日光を反射して光り輝く。
水を売り歩く男。目立つように羽根の付いた帽子を被っている。
辻では大道芸を披露している旅芸人のような者が意外と多い。
アベルの横で宙返りなどの軽業を演じているのは十歳ぐらいの少女だった。
音楽も盛んに聞こえて来る。
ちょっとした飲食店から弦楽器や笛の音が漏れてくることが頻繁にある。
通りで音楽師が楽器を演奏している場合もあった。
人間族だけでなく獣人や森人族の姿も、ちらほらとは見えた。
獣人はそのほとんどが奴隷のように見える。
アベルたちが馬をゆっくりと進ませている間だけでも、あらゆる場所で喧嘩や窃盗の騒ぎが起こっていた。
武装した警備隊が、そうした混乱のもとへ走り込んでいく。
棍棒で叩いたり怒声を張り上げて鎮圧していた。
アベルはその様子を、じっと観察する。
――皇帝国の繁栄と混乱、ここに極まりだな……。
これは、かなり酷いぞ。
人心が乱れている気配がしている。
適当な店で焼いた豚肉をパンで挟んだものを買い、素早く食べて移動を再開した。
正午を過ぎた頃、やっと平民区と行政区を隔てる城壁に辿り着く。
目的の執政院は行政区にあるのだが、城門では検問があるようだ。
衛兵が何十人といて、入ろうとするものを調べていた。
とりあえずアベルが衛兵の一人に話しをきく。
「すみません。僕たち西方商友会の者なのですが、商用で執政院に行きたいのです」
「商友会の者でも貴族様の許可が無ければ武器を持って行政区に入ることはできない。その刀だとか胸甲はどこかに置いていくんだな」
「そんな規則があるのですか……」
「物騒な襲撃が相次いでいる。貴族様が何度も襲われているのさ。商用なら武器はいらないだろう?」
アベルは仲間たちに言う。
「そういうことなので僕だけ丸腰で執政院に行ってみます。みんなは、あそこの居酒屋みたいなところで待っていてください。暗くなる前に戻りますから」
カチェが心配そうに言った。
「わたくしも行こうかしら」
「カチェ様は待っていてください。状況が良く分からないのですから、なるべく目立たないようにしたいです。今日のところは情報収集するつもりですから」
アベルは丸腰になり、検問を通過して行政区に入る。
知らない所なので何があるか分からない。
それなら偵察は一人の方がいい……。
行政区というだけあって、様々な役人機関が軒を連ねていた。
どれも見たこともないほど立派な建築物ばかりだ。
御影石のような石材や、大理石で造られた柱を並べた重厚な趣。
いずれも二階建て、三階建ての構造になっている。
歩いている人の層が異なっている。
小奇麗な格好をした人が多いし、地味だったとしても不潔な姿をしているものは一人としていない。
どうみても貴族という者が数名の従者を引き連れて歩く姿が、そこかしこにあった。
しばらく彷徨うと、列柱廊に囲まれた三階建て、大理石造りになった破格に巨大で豪華な建物がある。
鍍金された青銅製の巨大な表札に「皇帝国執政院」と刻まれていた。
他に方法がないので門番に聞く。
「すみません。こちらにハイワンド公爵家の関係者は居られませんか」
「……許可のない者にそういったことは一切、教えられない。それよりお前、何者だ。ハイワンド公爵家に何のご用事だ」
さっそく四人ほどの衛兵に取り囲まれてしまった。
アベルは久しぶりに胸に掛けたハイワンド家紋が刻まれたメダルを取り出す。
商用で来たという説明より、このほうが良いはずだ。
「あのう。これを見ていただけますか。僕はハイワンド家の遠縁にあたる者なのです。これはバース・ハイワンド様がまだ伯爵位であられたときに僕へ下賜されたものです」
しばらく、その家紋メダルを衛兵の長のような男が見ていたが、非常に途惑っていた。
「……仕方ないな。ハイワンド公爵家の事務棟があるから、そこまで案内してやる」
「ご親切にどうも」
「本物だったらまずいだけだ。騒ぎなんか起こすなよ。手の込んだ物乞いだったら叩き潰すぞ!」
しばらく歩く。
右も左も、前世的に言えば博物館や美術館のような荘厳華麗な建築ばかり。
また、至るところに精緻な彫刻が飾られていた。
二つの頭を持つ竜と死闘を繰り広げている勇者。
優美な肉体を大理石に移し替えて、その姿を永遠に留めた女性像。
なんだか別世界に来たようだ……。
地面は石畳になっていてゴミも落ちていない。
ここまでやってきた平民区とはとてつもない違いだった。
やがて二階建て、小さく纏まった感じの建物に案内された。
外壁があり、見苦しくない程度の庭に芝が生えている。
ちょうど下級貴族の邸宅ぐらいの施設だった。
事務棟というからには、ちょっとした書類仕事をやるための場所なのだろう。
門にハイワンドの家紋、翼を広げた大鷲が毒蛇を掴む意匠の旗が掲げられていた。
アベルは何だか無性に懐かしくて、少し目が熱くなってしまった。
ハイワンドにそう強い帰属意識などなかったつもりなのだが、不思議なものだ。
「ここがハイワンド公爵様の執政院付き事務棟である。いいか。念を押すが、もし悪さをしたら、その場で制裁されることになるからな」
「はい。分かっております。どうも、ありがとうございました」
アベルは門扉へと歩いて行った。
ハイワンドの衛兵が十名ほどいるのだが、いずれもアベルが顔の知らない者たちであった。
「すみません。僕はアベル・レイという者なのですが、こちらに儀典長騎士スタルフォン様か、あるいは家令職を務めているケイファード様。もしくは犯罪捜索隊長のポワレット・ワイズ様などは居られましょうか」
それから同じように家紋メダルを見せた。
衛兵たちは顔を見合わせる。
「スタルフォン様なら中に居られるが……」
「お願いします! 僕、本当に知り合いなんですよ」
「……仕方ない。家紋の刻印を見る限り、本物だからな。だけれど、何者だ?」
「ハイワンド家の遠縁にあたる者です」
「遠縁ね……」
アベルは衛兵に付き添われて入り口の突き当りにある執務室に案内された。
扉は開いたままになっている。
部屋の奥に、あの懐かしい禿げ頭があった。
儀典長騎士スタルフォン……。
役職の騎士で、しかし、その実態は上司部下に板挟みの中間管理職。
前世でも今生でも、中間管理職などというものは人生の試練の場のようなものだ。
カチェの欲求不満、思わしくない領内の治安、極めつけは戦争と悩みだらけの男だった。
その彼が席に座って、何か書類仕事をしていた。
禿げにはいっそう磨きがかかって、もはや側頭部に髪の毛の残骸がへばり付いている感じだ。
――あ~あ……。
すっかり散らかっちゃってるよ……。
衛兵が声をかけた。
「儀典長騎士スタルフォン様。お知り合いを名乗る方が面会に来られました」
うつむいて書類を読んでいたスタルフォンが顔を上げた。
アベルを見る。
きょとんとした顔をしていた。
あの、例の顔文字に似ていてアベルは苦笑いしてしまった。
「スタルフォン様……。あのぅ。信じられないかもしれないですけれどアベルです。アベル・レイですよ」
スタルフォンは無言のまま、じっと顔を見てきた。
だんだんと、その顔が朱に染まっていく。
目が据わってきた。
感情が激する寸前という感じ。
アベルは固唾を飲み込んだ。
スタルフォンが席を立った。
すぐ横の壁に立て掛けてある剣を手に取り、白刃を露わにさせた。
鞘を放り棄てる。
「わっ!偽物ではありません!本物です!」
アベルは両手を上げて降参スタイルをとった。
「誰が信用するかっ! また汚い手を使ってきたものだな! コンラート皇子かドラージュ公爵の差し金であろう!」
剣の先端をアベルの顔面に向けてきた。
スタルフォンの顔には本物の殺気が宿っている。
このままでは本当に攻撃されてしまう。
アベルは慌てて説明を始めた。
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