第74話  帰還

 




 アベルの目の前で懐かしいスタルフォンが激怒していた。

 顔が真っ赤だ。


「この間抜けが。アベルは片目を戦闘で失っているのだ。どうやって顔を写したのか……そんな魔法があるとはな」

「左目は治してもらったんですよ! 高位の魔法使いに出会ったのです」

「……」


 スタルフォンが黙ったまま睨みつけて来る。

 どうやら言葉だけは説得できないらしい。


「胸に家紋メダルが入っています。初めて会ったとき、カチェ様が見せてみろと言って、それでスタルフォン様にも見せた……あの刻印の入ったやつです」


 スタルフォンにメダルを渡すと、震える手で何度もじっくりと調べていた。

 本当に手はガタガタと震えていた。

 徐々に、信じられないものを見たという風に表情が変化していった。


「あの、本当なんです。カザルス先生の飛行魔道具……失敗して、あらぬ方向に飛んで、魔獣界まで行ってしまったんです。でも、無事に帰ってこられました。カチェ様、ロペス様、モーンケ様……あとガトゥ様やカザルス先生もいます」


 がらんと音を立てて剣が落ちる。

 騒ぎを聞いた衛兵がアベルを捕まえようとするが、スタルフォンが制止した。


「やめるのだ! その少年は……大事な人だ。無礼を働くな!」


 スタルフォンのチグハグな態度に衛兵たちは途惑っていたが上官の命令では従う他にない。

 禿げ頭を掻きむしり、スタルフォンは何をどうしていいのか分からないようであった。


「あのスタルフォン様。とりあえずロペス様たちを、どうするか決めてくれませんか。今日はどこか適当な宿にでも泊まって……」

「待て待て! そんなことはしない! 今日これから公爵様のお屋敷に来ていただくのだ!」


 スタルフォンは大慌てで準備を始めた。

 衛兵五人を選抜して臨時の護衛隊を作り、馬を用意する。

 アベルは馬を置いてきたので、仕方がないから走ってついていった。

 城門まで大した距離ではない……。

 走りながらアベルはずっと気になっていることを聞いてみる。


「スタルフォン様。僕の両親と妹のこと、何か知りませんか?」

「ウォルター様のことだな。安心しろ。ご家族は皆、ご健在であられるぞ。邸宅の傍に住んでおられる。今日にも会いに行くと良い」


――今、ウォルターのことを様付けで呼んでいたよな。

  準騎士の父上にどうして……。何かあったのだろうか。


「バース公爵様は帝都の貴族区に広大な屋敷を持っておられる。これというのも全て、皇帝陛下がハイワンドの武勲を認めてくださったおかげだ。早くロペス様をお連れせねば!」


 アベルは入って来た城門から平民区に戻る。

 喧騒と猥雑に満ちた世界に一変する。

 アベルは、すぐ近くにある居酒屋にスタルフォンを伴って入った。

 奥のテーブルに仲間たちが座って待っていた。

 スタルフォンが泳ぐように歩き、しまいには床に跪いてしまった。


「ロペス様……! カチェ様。それにモーンケ様……。よくご無事で! おおおぉぉぉ……」


 スタルフォンはそれから男泣きに陥り、嗚咽も激しく何も喋れなくなってしまった。

 真っ赤な顔に涙が流れている。

 店員や他の客が何事かと呆気にとられていた……。


「このスタルフォンは……この愚か者は……、共に城で死ななかったことを、ずっと後悔しておりましたぁ……。お若いカチェ様まで最後の突撃に加わったというのに……この、老いぼれが落ち延びたと……無駄に生き残ったと……」


 ロペスは口を堅く結び、沈黙している。

 カチェは紫色の瞳に、うっすらと涙を浮かべていた。

 モーンケは困ったような顔をしていた。


 やがて濡れ雑巾みたいな顔をしたスタルフォンが立ち上がり、急いでバース公爵に引き合わせると言う。

 今日、このまま貴族区にあるハイワンド公爵の邸宅へ向かうことになった。

 アベルはスタルフォンに声をかける。


「あの。実は旅を共にした人たちがいます。こちらの少女はバルティアの名家ゼノ家の息女様。隣の方は家令職を務めているハンジャ様」

「バルティア……。たしか東方の属州でしたか」


 シフォンが折り目正しく、貴族の礼儀を執る。


「私はシフォン・ゼノと申します。ロペス様やカチェ様、アベル様などハイワンド家の方々には命を助けられてございます。私どもはバルティアで王道国が行った残虐を属州総督官様へ訴えなくてはならず、この帝都までやってきました……」

「スタルフォン様。できたらハイワンド家でしばらく保護していただくことはできませんか」


 カチェも言葉を重ねた。


「スタルフォン。お願いよ。シフォンは郎党や家臣のほとんどを王道国に殺されて、そのうえ両親は囚われているの。助けが必要です」


 スタルフォンは頷く。


「それはご苦労されましたな。ぜひハイワンドへお越しくだされ。そうした事情でしたら、当主様も喜んで迎え入れるかと思います」


 シフォンは笑顔で何度も頭を下げた。




 アベルたちは馬に乗り、スタルフォンに誘導されて平民区を移動する。

 絶えず流動する物資と人に揉まれながらアベルたちは馬を進めた。

 何度も鞍に付けている荷物に手を伸ばしてくる奴がいて、それを払うので大変だった。

 馬上のアベルを刺すような視線で見て来るのは、元はどんな色をした服だったのかも分からなくなった布きれを纏う浮浪者の群れ……。

 物乞いの数は、これまでの街とは比べ物にならない。

 ざっと見渡しただけでも数百人はいそうだ。

 帝都全体では、途方もない人数になるだろう。



 やがて、高さ四メートルほどの簡素な城壁に行き当たる。

 スタルフォンが説明してくれた。


「この壁が平民区と貴族区を分け隔てる壁だ。あそこに大きな城門があるだろう。ウール門という名だ。貴族区に物資を運ぶため商人がよく使う」

「許可がないと入れないのですか」

「そうだ。だが、貴族区には公爵家から男爵家や騎士に至るまで、貴族院ぐらいしか把握できないほどたくさんの貴族が住んでいる。それぞれが適当に許可書を発行しているから……そう厳密な検問ではない。あからさまな武装集団や浮浪者の侵入を防ぐためのものだ」


 アベルは何度も頷いた。


「なるほど。僕ら帝都の地理には詳しくなくて」

「わしとて赴任してから二年半ほどだが、ごく一部しか知らない。隅々まで知っているのは、郵便や配達業をやっている者とか、あるいは警備隊の者ぐらいか。地理をひどく大雑把に分けるなら、南北という理解でいいぞ。帝都の北側は貴族。南側は平民と」

「その中央が皇帝城ですか?」

「そういうことだな」


 検問を通過して、ウール門から貴族区へと入って行った。

 貴族区の中は平民区とは、まったく様相が異なる。

 まず店舗というものがない。

 スタルフォンに聞けば、商業を営むことが禁じられているので販売店が存在しないという。

 他にも様々な制約がある。

 たとえば貴族の雇い人でもなければ、貴族区に平民は住むことができない。

 道の中央を通行できるのは貴族だけ。

 使用人は道路の隅を歩かなければならない……など。


「つまり、貴族区にいるのは原則として貴族か、その関係者だけということですか」

「まぁ、そう思っていいぞ。業者や御用商人の出入りは多いがな」


 貴族の邸宅は小さくても大きくても、一種の砦として機能するように造られた物が多い。

 まず外壁があり、それから庭がある。建屋にある窓は高い位置に設けられていて、矢を放てる構造になっていた。


 大貴族のものとなると、その敷地は全体を把握できないほど広大であった。

 延々と壁が続いている。

 各敷地を囲む壁と壁の間に道路がある、という景色であった。

 スタルフォンが、右の屋敷はどこそこの伯爵が住んでいるなどと適宜に教えてくれる。


「この敷地はベルグリヒ公爵家の別邸だ。本邸宅はもっと北の方にあるが、そちらは十メルテ四方に及ぶ広々としたものだな」

「時々ある小さい屋敷はなんですか?」

「子爵家や男爵家のものだろうな。わしも公爵家や伯爵家の邸宅はだいたい理解しているが、それより下爵位の方は把握しきれていないのだ」


 スタルフォンが怪訝な顔でアベルに聞いた。


「ところで、イースがいないな。信じられないが……まさか」


 アベルは力なく答える。


「戦死ではないです。……その、生き方についての問題といいますか。事情があって別れたんです」


 深い事情を知らないスタルフォンは、彼なりに解釈したようだ。

 何度か頷く。


「そうか。生きているなら幸いだ。今の皇帝国は亜人には暮らしにくい……。仕方ないの。イースはガイアケロン王子と決闘をして良い勝負にまで持ち込んだ勇者だがな。亜人ゆえに冷遇されていた」

「……はい」


 道では巡回している騎士が多いことに気が付いた。

 魔法使いを引き連れていて、何となく本気の警戒心が放たれているのが分かる。


 一時間ほど移動しただろうか……。

 やがて、いかにも古く重厚な壁が姿を現した。

 その壁に沿って移動をしていると、やがて門が現れる。

 馬車が一台、通れるほどの幅。

 鉄枠のついた、見るからに頑丈な門扉。

 門番、衛兵が厳重に警戒していた。


「ここがハイワンド公爵家の邸宅である」

「やけに警戒が固い気がしますが……」

「いま帝国の政治は荒れに荒れておる。いつ何が起こるか分からないのだ」


 中に入ると石畳が奥へと続いていた。

 遥か先に、大理石で建築された豪華と言ってもあまりある、城のような建築物があった。

 モーンケが歓声を上げた。


「うおおぉ。スゲェぞ!」


 乗馬したまま先へと進む。

 スタルフォンはアベルに説明した。


「この大邸宅は、もともと帝室のものであったのだ。ハイワンドが公爵に家格を上げていただいたとき、皇帝陛下より下賜された」

「負けたのに、ずいぶん気前がいいのですね」

「こうでもしなければ死守命令を下したコンラート皇子の面子は立たぬよ。ここでハイワンドに報いるところがなければ、いよいよ貴族の気持ちはコンラート皇子から離れただろう。コンラート皇子の派閥はそれを恐れて、ウェルス皇帝に働きかけてハイワンドに異例の好待遇をしたのだ。ついでにハイワンドにも恩を売る狙いもあった」

「政治的な駆け引き……」

「そういうことだ。詳しくはバース公爵様から聞くといい」


 趣のある木々や、珍しい花が植えられた花壇が配置された優雅な庭を横切る。

 アベルは、いよいよウォルターやアイラの近くまで来て何だか胸が高鳴ってきた。

 正直、バース公爵との面会は後回しにして二人に会いたいぐらいである。


 警戒は厳重だった。

 軽武装をした騎士風の者が定期的に庭や邸宅の周囲を巡回していた。


 やっと正面玄関に到着。

 アベルたちが馬から降りると、馬丁が駆け寄ってきて轡を取ってくれた。


 玄関は家格を表す部分なので特に凝った造りをしている。

 重厚な樫材に飾りがついた鉄枠の扉。

 壁には様々な浮き彫りが施されていて、見るものを圧倒するように作られていた。

 それから等身大の立像彫刻がいくつも設置されている。


 衛兵が八人、直立不動で番をしていた。

 スタルフォンが合図すると、扉は内側からゆっくり開いていく。

 気が急いているのかスタルフォンは速足だった。


 色鮮やかな陶器の欠片を組み込んだ床を歩く。

 大理石で造られた豪奢な建築物だが、窓ガラスというものはない。

 採光は木材で作られた鎧戸を開けることで取られていた。

 夜間は燭台でも使うのだろう。


 玄関を過ぎると広間となり、二階へ上がる階段を昇る。

 突き当りの部屋に入ると、再びアベルが見覚えのある人物に出会った。

 家令のケイファードだ。


 別れた頃に比べて少し老けていた。

 白髪が増えている。

 タキシードに似た黒い礼服を着ていて、背筋を伸ばした姿勢。

 適度な緊張感の漂う、いかにも仕事のできそうな初老の男。


 皺の刻みが深くなったケイファードが、アベルたちを見ていた。

 彼は恐怖にも似た顔で口を半開きにしていた。

 ケイファードはどんなことがあっても、こんな動揺した表情はしない印象があったのでアベルは驚くしかない。

 走り寄る。


「ケイファード様! アベルです。僕らやっと帰ってこられました」


 ケイファードは一言も発せず喘ぎ、苦悶の表情をして胸を押さえ、フラついてしまった。

 倒れそうになる彼をアベルが支える。


「お、おお……神よ」


 そんなことをケイファードは呟いている。

 アベルたちは少し待つようにスタルフォンから言われた。


 ただ待っている間、アベルはカザルスの様子をそっと見る。

 彼は眉根を寄せて、拳を堅く握りしめていた。


「カザルス先生。貴方が罪に問われないよう、僕からバース公爵様に訴えてみます」

「アベル君。ありがとう。だが、気持ちだけ受け取っておくよ」


 カザルスは顔に諦念を滲ませていた。


「ボクは罪に値することを仕出かした。責任から逃げるつもりはない」

「結果的には僕らが無事に済んだわけだから。そこを汲んでもらいましょう」


 カチェも賛同する。


「カザルス先生には恨みなど何もありません。わたくし、この旅で腕を上げたつもりです。武者修行をさせてもらったと思っております」

「カチェ君……」


 カチェはカザルスを、しっかりと見据える。

 

「先生は、わたくしを想って飛行魔道具に導いたのです。あの時は城で討ち死にするか、それとも敵に突入して死ぬか……。貴族としての義務をどのように果たそうとばかり考えていました。でも、東の果てに飛ばされて、これで死なずに済んだと思ったら、嬉しくなってしまいました。カザルス先生は、わたくしに大切なことを教えてくれました。さすが先生です。今度は、わたくしが先生を全力で守る番です」


 カザルスは泣きそうな顔をしていた。

 


 控室の扉をケイファードが開き、バース公爵のいる執務室まで移動した。

 ロペスが先頭になって中へと入る。

 アベルは椅子に座っている男性の顔を見た。

 もう随分以前、初めてポルトの城に行った日に会った祖父。

 バース・ハイワンドが、そこにいた。


 やはり歳を取っている。

 たしか年齢は六十代前半になるはずだ。

 白髪も皺も増えていた。

 しかし、身分と立場の高さを漂わせる威容は、むしろさらに色濃くなっている。

 しっかりした鼻梁。

 白い口髭。

 傲慢とも冷酷とも取れるような眼つき。


 スタルフォンやケイファードと違って、表情にはいささかの揺らぎもないのであった。

 アベルはこれが真の貴族の態度なのだろうかと、わずかに呆れると共に恐ろしくも思える。

 死んだと思われていた孫たちが帰ってきたというのに……。


 唇を堅く引き締めて、バース公爵は一同を睨むように見ていた。

 しばらく誰しも言葉が出せず、やっとロペスが話しかける。


「バース公爵様。このロペスはモーンケとカチェを連れて帰って来ました」


 バース公爵が重々しい態度で、ゆっくりと頷いた。

 それから低い声で答える。


「詳しい事情を聞かせろ」


 アベルは長い長い話になりそうだと感じる。

 しかし、ついにカチェをハイワンド家へ送り届けることに成功した。

 これが旅の終わりなのだ……。




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