第35話  カチェのお願い、死霊退治





 アベルはバース伯爵からの手紙を読み始めた。



 ~~~



 カチェへ。

 この手紙には人に知られてはならない秘事が記されている。

 決して、人のいるところで読むな。

 手紙は自室にて、一人きりで読むこと。

 たとえスタルフォンやケイファードであろうとも読ませてはならない。

 そして内容を憶えたなら、直ちに完全に燃やせ。


 まず、騎士フォレス・ウッド以外の者がこの手紙をお前に渡したのなら、それは手紙が偽物であるか、細工をされている可能性がある。

 いかなる理由があるにせよ、疑え。


 お前が賊退治で活躍したことはスタルフォンの手紙で知っている。

 また、呼び寄せた騎士ダンテ・アークからも聞き及んでいる。

 思えばハイワンドの始祖はアリス・ハイワンドという女性の魔法剣士であったという。

 お前にも武門の血が流れたのであろう。

 私は今後、お前を大人として扱う。


 まずは、帝都の政治状況を知らせる。

 お前は知らないだろうが、皇帝国の貴族、帝室は政治的に分裂している。

 今のところ一つはウェルス皇帝派。

 次に長男コンラート様を中心とした戦争継続派。

 そして、私の和平派である。

 また、複数いる皇子の政治的関係も絡み非常に複雑化しているのが実情だ。


 私は十五年以上も和平派の一員として働いてきた。今後も、である。

 ハイワンドは中央平原との接続領域にあり、もし戦に負ければ真っ先に戦禍を受けるだろう。

 私は何としてでも戦争を止めさせたい。

 ところが、戦争で金儲けをしている者だとか野心のある貴族、思惑があって戦を焚き付ける者も大勢いる。


 ウェルス皇帝陛下はご高齢のこともあり、最近では執政能力に大きな陰りがあるのが否めない。

 第一後継者は長男のコンラート様であるが、かの皇子には数々の欠点がある。

 意志薄弱、夢想家、占い好きと上げればきりがない。

 平時ならば善良な皇帝になられたかもしれないが、戦時のお人ではない。

 それにも関わらず、コンラート様は中央平原の全ての将兵を束ねる総執軍官として戦地におられる。

 戦争継続派などがコンラート様を抱き込み、無責任にも戦へ追い立てているからだ。

 我々、和平派はこの現状に危機を覚えている。


 我々和平派の旗頭は第二後継者のテオ様であるが、テオ皇子のご気性は思慮深い。

 将の器がおありである。

 また、三男のノアルト様も勇気をお持ちだ。

 我々、和平派はテオ様、ノアルト様に働きかけを続けている。

 とはいえ、時局は悪くなるばかりだ。


 中央平原には信じられないほどの兵が集結している。

 王道国は王族らに軍団を編成させるだけに留まらず、さらに傭兵を集めて本来の動員能力を超えるような人数を擁しているようだ。

 特に、亜人界で傭兵王とも統領とも呼ばれているディド・ズマとその傭兵集団を金ではなく、地位と領地を与えて使役しているようだ。

 傭兵に立場や土地を与えるなどということはあり得ないことで、非常に驚いている。

 ズマは有能だが極めて残忍なことでも名が通っているような男だ。

 そんな男を貴族扱いするのだろうかと訝しむ者も大勢居る。


 どうやら、王道国は決戦に持ち込む意志を本気で持っていると私は考えている。

 皇帝国はこれに応じないことを懸命に運動しているが、行く末は不明だ。


 今後、何が起こるか誰にも分からない。

 あからさまな暗殺はこれまで控えられてきたが、近ごろは我々、和平派の近辺に不審な動きがある。

 遠からず、毒殺や暗殺が蔓延るようになるだろう。

 私も警戒しているが、どのような罠に掛けられるか分からない。


 カチェにはこうした政治の世界に関わって欲しくないと考えているが、無関係ではいられぬかもしれない。

 よく注意しろ。


 なお私の私生児で、お前の叔父にあたるウォルター・レイの一家を呼び寄せることにした。

 ベルルや私と折り合いが悪くなってしまったが、アベルの出世を契機に関係を取り戻せると考えているからだ。

 政治については複雑極まるので、さらに詳しくは別の機会に教える。


 そして、お前に特別の頼みがある。

 本来ならば私が解決しておくことなのだが、どうしても帝都を離れられない。

 ロペスとモーンケは領内平定で多忙だ。

 お前だけが頼りである。


 実はポルトの本城の地下には、外部に繋がる秘密の通路がある。

 通路を辿ると最後は壁にぶつかるが、薄い壁を破壊すると郊外の下水道につながる、と言われている。

 

 ところが地下通路には深刻な問題がある。

 建設のために動員された罪人や魔法使いたちは、通路が完成すると秘密保持のため殺害され地下道に遺棄された。そうした死体の一部が歩く屍に変異したほか、死霊になっている。

 

 そのような不手際をしたのはハイワンド家の人間ではない。

 もともと城を作ったベルグリヒ公爵家が、百年ほど前にやったことらしい。

 かつて領地替えでポルトにハイワンド家が入る際、領主同士だけがそのことを話し合った。

 地下通路を整備しようとした私の父自身が潜入したところ、通路は死霊のせいで手に負えない状況だったそうだ。


 そこで、カチェは地下通路の安全を確保すること。

 それが無理なら、土砂で埋めるなどして必ず使用不能にせよ。

 できればハイワンド家中の者だけで事に当たるように。

 どうしても無理なら少人数、せいぜい一人か二人までの協力者と事にあたれ。

 地下通路の存在は決して部外者に洩らすな。


 健闘を祈る。


 バース・ハイワンド。





 ~~~~~~~~~~





 手紙の文面はそうして終わった。

 別紙には隠し通路までの経路が詳細に書いてある。

 アベルは大きな溜め息がでる。


「なんか陰湿な話ばかり……。重たいし、政治の絡みと来たもんだ。コンラート皇子? だれ?」

「ウェルス皇帝陛下のご長男よ。皇帝国の跡継ぎ様のはずだけれど……スタルフォンは人物がよろしくないと言っているわ」

「要するに政争が起きそうで、さらに王道国と大合戦になりそうだと。で、それを和平したいバース伯爵様は、なんとか止めようとしている」

「そういうことね」

「問題なのは、お城の地下に死霊や動く屍がいるって? ……最悪。どうりで陰気な城だと思った。僕ら、そんなものの上で生活していたのか」


 アベルは顔をしかめた。

 動く屍など見たくもない。


「アベル。わたくし、困っているの。死霊となんか戦ったことないわ」


 カチェは、いつもの鋭い目つきを湛えて弱気になってはいない。

 しかし、困っているのがありありと知れた。


「どうしたらいいの?」


 カチェは、見詰めてくる。

 無視することなど出来ないのであった。

 放っておいたらカチェの性格を考えると一人でも任務を実行してしまうだろう。


――何とか助けてやらないとな。


「イース様に聞きましょう。僕らだけで解決は不可能な件です。イース様は絶対に秘密を洩らさないですから」


 カチェは頷いた。

 そして、「魔火」を唱えると、受け取った手紙をその場で完全に灰にした。

 二人が城を出てイースの部屋に行くと、服の繕いをしていた。

 イースは料理というものはほとんどしないのだが、針はよくやる。

 破れた服を着るのは嫌いだと言っていた。


「イース様。教えてください。死霊と戦ったことはありますか?」


 期待はしていない。

 いくらイースでも経験はないだろうと思っていた。

 ところが、イースは平然とした態度で「あるぞ」と、事も無げな返事をくれる。


「えっ! さすがイース様……。どうやって戦いましたか?」

「死霊に剣や弓は効果がない。一番良いのは魔法だ。それも火魔法が最も効果ある。しかし、私は初歩以上の火魔法は使えない。だから、松明で戦った」


 アベルは思わず呟く。


「松明……?」

「松明を死霊が姿を現した瞬間に押し付けるのだ。死霊は姿を消すことに長けているが、生ける者から生命を吸い取る際には姿を現す。そこを狙って反撃するわけだ。しかし、死霊は音を立てないから、気配と視覚だけが頼りだ。死霊は気体のような存在であるから、背後、頭上、足元と万遍なく注意がいる……」


 アベルは絶句した。

 そんなやつとどうやって戦うか。


「死霊はとても厄介な相手だぞ。私も好んで戦いはしない。かつてある罪人を追っていたところ、その者が洞窟に逃げ込んだ。魔素の濃い場所で嫌な予感がした。警戒はしていたのだが、奥へ進むと罪人はすでに死んでいた。凍死に似た死体だったが顔は激しい苦痛で歪んでいた。その直後だ。背後に気配を感じたので咄嗟に松明を振った。直ぐそば、すでに間合いを越えたところに死霊がいた。避けられるのなら戦うべきではない」

「イース様。死霊ってそもそも何なの?」

「はっきりと分かっていない。人間の魂や思念が、死の際にその場に残留して魔素と結合したもの……という見解が有力だ。死霊は自分が死んだ場所から遠く離れることができない……」

「話をしたりできるのですか」

「意味の通る会話ができる死霊はいないと思え。死霊は生きている者の生命を奪い取るバケモノだ」


 これはマズいぞとアベルは悩み、何か良い手はないかと腕組みして策を探すが、やはり経験が少なすぎる。

 イースをして嫌な相手だと言わせる死霊……。

 カチェと視線を合わせて首を振る。


「イース様。実は……」


 アベルは手短に事情を説明する。


「なるほど。理由は分かった。伯爵様の依頼であるなら準備を整えてやるしかあるまい。松明を複数と、できれば死霊と戦うのに便利な魔道具があればいいのだが」

「魔道具か。そういうのもあるのですか。だったらカザルス先生ですね」


 さっそくアベルたちは本城のカザルスを訪ねた。

 相変わらず、実験の道具や本が乱雑に詰まった部屋だった。

 例の飛行魔道具は、いよいよ製作が佳境に入っているらしくカザルスは深夜まで作業をしているということだった。


「や、やあ。カチェ様まで来て。どうしたのかな」


 カザルスは顔を赤くさせている。

 アベルは純情な態度だなぁと思った。


「あのさ、カザルス先生。死霊を滅ぼしたりする魔道具を持ってないかな」

「死霊? ああ、要するに魔素を吸引する装置のこと?」

「あるの、そんなの」

「もともと魔素の研究のため開発された魔道具だよ。死霊対策で作られたわけじゃない。結果的に死霊を封じられるから、そういう風に使われるってことだねぇ」

「封じるってことは……滅ぼすわけじゃないの?」

「吸い取ったあと、炎で炙るのだよ。そうすれば中の死霊は簡単に消える」

「なるほど……。その魔道具って貸してもらえますか」

「ああ、いいよ。いつもアベル君には助けてもらっているからねぇ」


 乱雑な部屋の奥からカザルスが木箱を取り出してきた。

 アベルの前にあるその道具は、チューブのついた掃除機にそっくりだった。


「え~? こんなんで本当に死霊を封じられるの?」

「ボクが作ったんだ。性能は保証するよぉ」


 カザルスは何が面白いのか、にやにや笑っている。

 やっぱり変人だ……。


 死霊掃除機には肩紐が付いている。

 アベルはそれを背中ではなく、お腹側に装置が来るように装着した。

 機械についている取っ手をグルグルと回転させると、吸引できるカラクリだった。

 そして、中にあるガラス瓶に死霊が入ると、外には出られなくなるらしい。

 後はそのガラス瓶を松明などで炙る……という手筈だ。


 備品庫から松明を貰って準備が整ったので、嫌で仕方がないがいよいよ行動に移す。

 カザルスには通路の秘密を伝えられないから黙っていた。

 アベル、イース、カチェが地下階へと降りる。

 空気がひんやりしていた。

 松明に火をつける。

 地下一階は倉庫になっていた。

 保存食とか、酒、材木や煉瓦などもある。


 地下一階の北側の片隅、手紙によると隠し部屋があって、そこの床が外せるようになっているはずだ。

 アベルが煉瓦の壁を叩くと、空洞の音がした。

 煉瓦は簡単に外れる。

 人が屈んで入れるぐらいの穴が壁にできた。

 アベルが中に入ると、イースの部屋の半分ぐらいの広さがあった。

 何もない。がらんとしている。


 三人で中に入る。

 イースが床を蹴ると、空洞になっていることが音の響きで分かった。

 アベルが煉瓦を取り去ると、縦穴が伸びていた。

 壁で封じられていた死霊が城へ逃げるとまずいので、隠し部屋への穴は「土石変形硬化」で塞いでしまった。


 いよいよ地下通路へと進入する。

 アベルは固唾を飲んだ。

 魔獣を相手にするのとは違った不気味さがある。

 人間の精神の残り滓みたいなものとの戦い……。

 もうどうなるか全く分からない。


「僕が先頭になります。カチェ様が真ん中。イース様が最後尾でいいですよね」

「アベル。死霊は襲う瞬間だけ姿を現す。つまり、接近を許してしまうということだ。四周すべてに感覚を研ぎ澄ませろ。一度や二度、力を吸い取られても死にはしないが、何度もやられると極端に力を消耗して動けなくなるぞ。傷ができるわけでなく、経験のないことだから、気づいた時には身動きできなくなって殺される者が多いと聞く」

「はい」


 アベルは、より明るいほうが良いと考え「魔光」を唱える。

 縦穴には窪みがあって、足や手が引っかけられる。

 降りると暗闇に向かって一本道が伸びていた。

 通路は天井の高さが二メートルぐらいに見える。

 幅は、人が三人並んだら隙間ない程度。


 アベルは緊張してくる。

 脂汗みたいなのが出てきた。

 暗くて狭いところは嫌だ。

 以前、巨大な蛙に食べられそうになった。

 今度は死霊に歩く屍……。


 溜め息をついて首を振った。

 刀の柄を握って、そっと抜いた。

 ぎらりと白く輝く刀身が出てくる。

 右手に抜き身、左手に松明。


 アベルが振り返ると、五歩ほど離れたところにカチェがいる。

 そのさらに後ろがイースだ。

 背後はイースに任せていい。

 カチェは自分が守らねばとアベルは気を張る。


――いつどこから死霊が出て来るか、わかんねぇ……。

  どうしよう……?

  反射神経だけで乗り切れるだろうか。



 地下道を進む。壁から水が染み出している。

 歩き続けていると、道が分岐していた。

 一本は先に続いて、突き当りで右に折れている。

 もう一本は突き当りの手前で、支道のような形で左側に通路が伸びていた。

 嫌な予感がする。


 アベルは体内の魔力を加速させる。

「魔火」をいつでも発動させられるように準備した。

 魔法の特性で、マッチほどの火しか発生しない。

 死霊を消滅させられなくても、牽制ぐらいにはなる気がした。

 もっと強力な火魔術は、こんな密閉空間で使えば自分自身が危ういので発動できない。


 アベルは手前の左の通路を、まず確かめることにする。

 もし、この支道に敵がいると、無視して先に進んだところで挟み撃ちの危険があると考えた。

 アベルは進路を折れて、支道に進む。


 二十歩ほど進むと、突き当りで道が左右に分かれていた。

 思ったよりも複雑な構造だと呆れる。

 脱出用ならもっと簡単に造ればいいのに……。


 突き当り、頭だけ出して右の通路を見る。

 何かいた……。

 人が蹲っている。


 埃に塗れたぼろぼろの服を纏っていた。

 光に反応したのか、首だけを動かした。

 ミイラのように干からびた顔が見えた。

 濁った眼球だけがやけに生々しく見える。

 背筋が、ぞっとする。

 あれが動く屍か。


「うげ……」


 アベルは思わず後退る。


――ゾンビだ!

  ジューシー系の奴じゃなくて、からからに乾からびましたって感じの!


 ふと、背後にも気配がある。

 カチェかなと思って後ろを振り返ると、青白い影のような不透明の塊。

 空間上から、顔と手が忽然と現れてきた。


「え? 死霊!」


 アベルの顔に白い手が伸びてきて、頬を撫でた。

 ぞっとするほど冷たかった。

 ずん、と体力や魔力を吸い出されるような感覚があった。


 混乱しそうになるアベルはどうにか正気を保ちつつ顔を引き攣らせ、必死に松明を死霊に押し付けた。

 死霊の腕が炎に触れると飛び散っていく。

 しかし、死霊はしつこく顔や腕を伸ばしてきた。


 アベルは松明と刀を足元に放り棄てると死霊掃除機の吸入口を死霊に向けて、取っ手をグルグルと回す。

 カチェから見ればちょっと間抜けな姿だが、やっている本人は大真面目だ。

 死霊が煙でも吸い込まれるように吸入口へ消えていく。


「マジで効いたよっ!」


 それからアベルは動く屍を思い出す。

 すぐに支道の突き当りから、屍が歩いてきた。

 カクカクと関節を不自然に動かしている。

 緩慢なゆっくりとした動きだった。

 操り人形のようだ。

 だが、眼球には異様な飢えが現れていて歯を剥き出し、明らかに食物を求めていた。


「きゃあ! なにあれっ!」


 珍しくカチェが驚いている。

 そりゃ驚くだろうとアベルも感じる。

 というか悲鳴を出したいのは自分のほうだ。

 

 アベルは取り合えず、動く屍を「氷槍」で攻撃してみる。

 イメージを高めて、魔法名を詠唱。

 氷柱が射出された。

 動く屍の胸に命中。

 屍は脆かったらしく、大穴が空いて氷の槍は貫通してしまった。

 屍は座るような態勢で腰を落としたが、まだアベルの方を見てくる。

 這いずり寄ってきた。


 動く屍は、うう~、という感じの呻きをたてる。

 アベルは刀と松明を拾い上げた。

 勇気を出して前に進む。

 狭いから刀は大振りできない。


 屍は近づくと腕を伸ばしてきた。

 その腕を小振りで斬り飛ばす。

 それから頭を蹴っ飛ばして、踏んだ。

 足で押さえて動けなくしてから、首を切断した。

 動きが止む。


 アベルは荒い息をつく。

 精神的にきついものがある。


「アベル。そいつ死んだの?」


 カチェが心配げに聞いてきた。


「たぶん……。僕も動く屍と戦ったことなんかないです……たぶん死んだ? ってか、もう死んでるし……。すでに死んでいる奴なんかどう殺すんだよ」


 最後尾から冷静に状況を見守っていたイースが言う。


「屍は念のため、いくつかに分断しておけ。どうもこの地下通路は魔素が濃いようだ。長い年月が経つと、首なし死鬼に変異するかもしれない」


 イースの命令に従い、渇いた体を切断した。

 血は乾燥しきっているらしく一滴も流れなかった。


 それから死霊掃除機の蓋を外して、中からガラス瓶を取り出す。

 ガラス瓶の口は自動的に閉まるようになっていた。

 瓶の中に黒い煙みたいなのが充満していた。

 よく見ると顔のようなものが、浮かび上がる。


 カチェに松明で瓶を炙ってもらうと、中身の色が薄くなっていく。

 すぐに透明になってしまった。


「これにて除霊かな」

「やったわね。アベル」

 

 死霊を退治できることがはっきりしたので、カチェは少し心が軽くなった。

 アベルは先に進むが、左右の支道は直ぐに行き止まりだった。

 念のため壁を叩いたが、空洞の音はしない。

 つまりこの支道は何らかの理由で延長を放棄されたのだろう……。


 結局、来た道を戻り、本道を進む。

 イースと位置を交換して、再び先頭に立つ。

 突き当たるので、右に折れる。


 数歩ほど歩いたところで、アベルは妙な気配を捉える。

 頭上に、ざわりとした感覚。

 慌てて見上げると、白い腕が虚空から伸びている。


――死霊だ!


 間一髪、伸ばされた腕を避けた。

 空間上から伸びた腕が何かを求めるように蠢く。

 カチェが松明を白い腕に押し当てると、死霊の腕が雲散霧消した。


 アベルは急いで吸入口を突き出して、死霊掃除機の取っ手をグルグル回す。

 目には何も見えないが、掃除機の瓶が黒くなっていくから吸い取っているらしい。


「成仏してくれよ。なむあみだぶつ……」

「えっ? アベル、なにそれ? おまじないなの」

「そ、そうです。深い意味はないので……気にしないでください」


 瓶を炙って除霊する。

 また前進だ。

 ポルトの郊外に出るのなら、それなりに歩くはずだった。

 地下通路はときどき僅かに折れるが、もう支道は現れない。


 地下道はたぶん、土石変形硬化で粗方を造り、煉瓦や木材で補強という方法で作ったと思われた。

 一日、二メ-トルとか三メートルを掘るので精一杯じゃないかとアベルは想像した。

 それでも三年ぐらいかければ、郊外までの長い地下道が完成する。

 そして、口封じで殺されて、捨てられた。

 あわれな罪人の末路だった。


 このまま順調に行けばいい、アベルがそう思ったとき。

 暗闇の先に何かいる。

 四つん這いになっている……首がない死体だ。


 突如、体を震わせる。

 そして昆虫まがいの足運び、急速に近づいて来た。

 しかも、後ろからさらにもう一体。

 あれが首なし死鬼なのか。


「げぇっ! 氷槍!」


 アベルは魔法名を叫ぶように唱えた。

 射出される氷の槍。

 しかし、首なし死鬼は、素早く動いて氷柱を避けてみせた。


「なんで顔も無いのに分かるんだよっ!」


 背後から叱咤のようなイースの声。


「そいつらは目がないから魔力で位置を探ると言われている! 刀で始末しろ」


 首なし死鬼の食道らしき穴から胸にかけてが、バコッという音を立てて縦に裂けた。

 肋骨だったものが牙のように蠢いている。

 上半身全体が巨大な口となった首なし死鬼。

 壁を走るように移動しつつ飛びかかってきた。

 アベルの頭がカッと熱くなる。


 飛びかかってきた先頭の首なし死鬼に、刀を振った。

 肩から巨大な口にかけて、輝く刀身が切り裂く。

 アベルの足元に倒れた。

 バタバタと四肢を滅茶苦茶に動かして暴れた。


 さらにもう一匹の首なし死鬼が仲間を飛び越えて襲いかかってきた。

 カチェがアベルを守るように横に並び、肋骨だった牙を刀で弾いた。

 松明を足元に捨てる。

 カチェは空いた右手で腰から手斧を外すと、渾身の力で首なし死鬼の腕に叩きつけた。

 バキッ、という乾いた音がして死鬼の腕がへし折れる。


 尽かさずアベルは氷槍を打ち出す。

 カチェが腕をへし折った死鬼の大きな口に氷柱が突き刺さった。

 勢いで死鬼がよろける様に後退した。動きが鈍る。

 アベルは足元で暴れる死鬼の始末に集中した。

 刀を押斬りにして腕を切断する。

 何度か刀を突き入れると、動きが目に見えて鈍くなった。


 機転を利かせたカチェが「土石変形硬化」で一匹の足を拘束した。

 アベルとカチェは二人がかりで滅多斬りにして、死鬼をバラバラにした。

 狭いのでイースは大剣を突くようにして、もう一匹を切り分けていく。

 やっとのことで二体の首なし死鬼を倒した。

 アベルは心底、嘆息して言う。


「意外と速くてビックリした! こういう奴、嫌い……もう気持ち悪い」


 アベルはカチェの顔を見る。

 こんな暗くて最悪の場所でも、気品のある綺麗な顔をしていた。

 瞳は戦いの意志に満ちている。

 少しも怯えていない。

 アベルも改めてやる気を燃やす。

 男の見栄かもしれないが、女の子の後ろに隠れているわけにはいかないのだ。


 結構歩くが、もう死鬼も死霊も現れない。

 そして、行き止まりになった。

 アベルは壁を叩く。

 空洞を感じさせる音だ。


 それによく見ると隙間があって空気が流れていた。

 その隙間に短剣を抉じ入れて、煉瓦を取り払う。

 人が一人通れるだけの穴をあけて、向こう側に行くと下水道だった。

 幅はやはり狭くて、人が二人並んで歩くと一杯になってしまう。


 濡れずに歩けるような足場はない。

 仕方がないから下水に足首まで漬かって歩く。

 水の流れる先に進むと、出口がある。

 しかし、鉄柵で封鎖されていた。

 鉄柵のうち、一本をイースとアベルが力を入れて押すと、根元から簡単に折れてしまった。

 水に浸かっているから腐食していたらしい。


 できた隙間から、ついに外界へ出る。空気が新鮮で心地よい。

 あたりは森林だった。

 アベルは、ポルトの街の北側は森になっていたのを思い出す。

 たしか伯爵家の土地で立ち入り禁止の地域だ。

 間違いなく、ここはもう街を囲む壁の外側だった。


 下水から出た小川が、森の中を通っていく。

 ずっと下流まで続いていき、ハイワンド領で最も大きな河へ合流するはずだった。

 時間はすでに夕方。

 カチェが気持ちよさそうに伸びをしていた。


「イース様。一応、もう一度だけ通路を調べて、それで任務終了ということでいいですか」

「壁を塞がなくてはならないから、その判断でいいだろう」


 アベルたちはやって来た下水道を戻る。

 鉄柵は壊してしまったが、それらしく元に戻しておいたから、わざわざ押さなければ隙間なく立っているように見える。

 下水道と地下通路を隔てる壁を塞ぐ。

 少しだけ隙間はあるが、こんなもの気にする者はいないはずだ。


 死霊がいないか気配を探りながら歩いたが、もう出てこなかった。

 アベルはイースに聞く。


「死霊が潜んでいる可能性はないですかね」

「やつらは生命を前にすると襲わずにはいられない存在だ。我々を見つけたなら、我慢などできないさ。隠れるという上等な思考も持っていないだろう」


 アベルは死霊について考える。

 考えの及ばない不気味な存在だ。

 誰しもが死霊になりうる可能性があるのだろうか?


 なんとなくだが、こんな密閉空間で死んだときになりやすい気がする。

 そうでなければ、あたり構わず死霊だらけになってしまう……。

 死霊になると意識というものは無くなるのだろうか?

 深く考えると、暗い穴の淵を覗き込むような恐怖が生まれて来る。


「イース様……。僕、怖くなってきました」


 イースは赤い瞳を向けて言う。


「考えても分からない事について考えていると、悪い妄想が広がる。それは思索とは別物だな。ただの心の動揺だ。アベル。おおかた死霊について、あらぬこと考えていたのだろう?」

「うっ! その通りです」

「死霊が出たら炎で消すか、逃げるか。それだけだ。それ以上、考えを凝らすに値しないさ……」


 アベルは嬉しくなる。

 イースの感性は明瞭だ。


「分かりました。割り切ります」

「イースは、はっきりした考えなのね。そういうの好きだわ」

 

 カチェらしい賛同だった。彼女はバース伯爵からの依頼が成功したせいか軽やかな笑みを浮かべている。

 アベルは救われる気分だった。

 本城地下で、壁を再び塞いで通路を隠す。

 これで任務完了だ。


 三人が一階に移動して、廊下を歩いていると衛兵が慌てて声をかけてきた。

 スタルフォンとケイファードが探しているということだった。

 城の控室に行くと、何やら従者が走り回り騒々しい。

 カチェがスタルフォンに声をかける。


「儀典長! どうしたのよ」

「あっ! カチェ様。どこにおられましたか! 探しましたぞっ」

「大切な用事があったの。遊びじゃないわ」

「実は今しがた、中央平原から危急の使者がありました……。内容は皇帝国の軍勢、後退の知らせです」

「後退?」


 カチェは伯爵の手紙を思い出す。


「もしかして、大きな合戦があったの?」

「そのとおりです。皇帝親衛軍、公爵連合軍、伯爵盟軍……いずれも全面敗退でございます」


 アベルは知っている知識を思い出す。

 皇帝国は主に三軍団で成り立っている。

 第一は最精鋭の皇帝親衛軍。

 これは皇帝や皇族の直属で練度や装備では最強だった。


 次に皇帝国に十家ある公爵家が連合して作られた軍団。

 それが公爵連合軍。


 そして、ハイワンド騎士団も参加しているのが伯爵盟軍である。

 主に伯爵家で結成された軍団ということになる。

 他にも市民軍団というのもあるが、それは農民や都市市民の自警団であるから、騎士たちは軍として認めていない程度のものだった。

 アベルは思わず聞く。


「負けって言っても……どれぐらいですかね」

 

 スタルフォンは苦渋の表情で首を振って、まだ分からぬと絞り出した。


「ベルル様の使者によると、中央平原からは撤退。国境で王道の奴らめと再戦を挑むらしい。領内の騎士や兵士は総出で国境の街リオンへ行くことになるだろうて」

「これからどうするのですか?」

「バース伯爵様へは使者を立てた。しかし、バース伯爵様の帰還を待つことはできないであろう。今、ロペス様にも伝令騎士を派遣している。明日にも戻ってこられよう。方策はそこで決める。おそらく、残った手勢を連れてリオン付近で敗退した出征軍と合流だろうな」


 思わずアベルは刀の柄を握り締めた。

 長い間、不気味な恐怖を感じさせていた戦争が、ついに迫っていた。




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