第25話 イースの記憶
アベルの実家。
イースは寝台に身を横たえる。
清潔な寝具が心地よかった。
今日、久しぶりに家族というもの感じた。
家族……。
常にないことだが己の肉親について思い返す。
~~~~~~
私の名はイース。
体には魔人氏族の血が流れている。
ゆえに髪は黒く、瞳は赤い。
私の最も古い記憶はなんだろうか?
積み重なる景色を強引に剥がしていく。
それは赤子が生まれたときのことか。
男の子だった。
両親が激しく喜んでいたのを思い出す。
あんな様子は初めてだったから、なにが起きたのか不思議だった。
なんてことない。ただ、人が増えただけだった。
増えた人間はすぐにいなくなった。
数日たらずで弟は死んだ。
子供が死ぬのは珍しいことではなかった。
病にかかり、酷く簡単に失われていく命。
次の弟は生まれてこなかった。
私は少しだけ胸がざわつき、息苦しくなった。
後から知ったが、薄かったとしてもそれが悲しみという感情であった。
私の家族。
祖父。母親。父親。
これで全部だった。
祖父は魔人氏族と人間族の合いの子だった。
黒い髪、やや赤い瞳。
容貌は人間族でいえば四十歳ぐらいに見える。
魔人氏族は長命種だから、見た目で年齢は分からない。
私も十歳ぐらいまでは人間族と同じように成長していたが、その後、徐々に体の成長は遅くなっていった。
私の父親は純粋な人間族……だと、そう信じていた。
母親は祖父の子だから、魔人氏族の血を引いていた。
私とよく似た黒髪、赤い瞳をした美しい女性だった。
いつも家にいて、微笑を絶やさない母。
まだ私が幼い時。
父親と祖父が庭で剣の稽古をしていた。
私はその様子を、特に意識していたわけでなく自然と見入っていた。
二人の体の動きが、手に取るように理解できた。
どう見ても、父は祖父より弱かった。
祖父の誘いに乗せられて、体勢を崩したまま攻撃。
そこを突かれていた。
私は見たままを父親に伝えた。
「そんな攻撃、おじいさまには効かない」
激しい怒りと憎しみも露わな父の形相。
拳が私の顔面に炸裂した。
体が宙に浮き、倒れる。口の中に血が広がる。
吐き出すと白いものが一緒に落ちた。乳歯だった。
さらに殴ろうとした父親を祖父が止めた。
「落ち着け。興が乗った。イースにも剣術を仕込もうではないか」
笑うでもなく怒るでもなく、祖父は淡々と決めた。
祖父が私の頬に手を翳すと、治癒魔法を唱える。
掌がぼんやりと光る。
痛みは消え去った。
私は、生まれつき強かった。
宿った魔力は濃く、まるで火柱のごとく体内で燃えていた。
自分の身長と同じ長さの剣を、棒切れのように振ることができた。
最初は振っているだけだったが祖父の真似をしてみれば、術理というものを理解した。
もはや、その頃に父は私を憎み切っていたのだろう。
父親もまた剣士だった。
夢幻流という流派の使い手。
第七階梯の使い手だから、決して弱いわけではなかった。
むしろ、人間族のなかでは確実に強者だった。
だが、祖父には敵わない。
祖父は遥かに強い者であったのだ。
だから私はまず、精巧にできた祖父の複製物のごとく剣を扱えるようになろうとした。
毎日、弛まぬ訓練を続けた。
十年、一日も休まず鍛錬を繰り返した。
目指すのは巨岩を割り、それでいて針先を穿つような、精緻にして極大の領域。
小さな積み重ねが、やがて技へと高まっていく。
技と技が組み合わさり、さらに広い技術へと進化していく。
新しい技術を会得したなら、それはすぐに捨てなくてはならない。
捨てて、また新しいものを探す。
瞬間、瞬間、ただそれだけを続けた。
人間族と魔人氏族の成長は異なる。
父は確実に若さを失っていった。
その頃、私は少女の姿にまで成長していた。
忘れもしない、あの日。
滅多に話しかけてこない父が私に剣を渡してきた。
そして、こう言った。
今、俺とお前の力は拮抗している。
あと数年すればお前は俺より強くなる。
今日は、俺がお前に勝てる最後の日だ。
だから、今から俺と戦え。
そして、稽古をした。
稽古と言っても、真剣を使用した死と隣接した行為であった。
それは、もはや殺し合いというべきものだった。
父の顔。気迫。斬撃の数々。
そのどれにも極まった殺意の鋭さがあった。
私は、生まれて初めて本気で剣を扱わされた。
紙一重の攻防。
時間を忘れる死闘。
揺れることが無いはずの私の心。
だが、激しく昂っていた。
命を賭けた攻防は激しい疲労を呼ぶ。
ところが魔人氏族の血によるものか私は、それほど疲れなかった。
だが、父は確実に疲労していった。
そして、やってきた最後の駆け引き。
凄まじい技の冴えを見せる父を相手に、私は手加減など出来なかった。
交わる刀と剣。
あまりにも速い父の攻撃だった。
私は無我夢中で返し技を仕掛けていた。
腹の奥にまで食い込んだ切っ先。
私の剣は、父を刺していた。
父に深手を負わせてしまった。
床に広がっていく赤い血だまり。
這い蹲り、どうして敵わないのかと悔しそうに呟いた父。
祖父が治癒魔法で治さなければ、死んでいたほどの傷だった。
血塗れの父は、怨念を絞り出すように私へ語り始めた。
お前は俺の子でははない。
俺は本当の父親ではない。
いくら子供を作ろうとしても、あいつとの子は流れるばかりだ。
七度、流産した。
やっと生まれた男児はすぐに死んでしまった。
お前は涙一つ流さなかったが、あれは俺の本当の子だった。
あのときは本当に悲しかったぞ。
そうだ。あまりに何度も流産するから、もしかしたら俺に原因があるのかもしれないと思ったのだ。
たまたま皇帝国に来ていた魔人氏族の男がいたから、あいつを抱かせてみた。
そうしたら、たった一度で妊娠して生まれたのが……イース、お前だ。
俺にとって、お前は他人だ。
しかも、俺はお前より弱い。
もう、お前に教えることなど何もない。
娘として扱うのも今日限りだ。
これが父との最後の会話だった。
以降、意味ある言葉のやりとりは二度と無くなった。
どうしたわけか私は子供の頃から感情が薄かった。
恐怖、怒り、悲しみ、憎しみ、喜び……。
どれもが淡い霧のようであった。
しかし、父ではないという父親の顔は、恐怖に値した。
私は本物の殺意と憎しみを教えられた。
それから私は祖父に付き従い、あらゆる敵と戦い続けた。
従者から騎士見習いになり、前の皇帝陛下が亡くなる直前に騎士にしていただいた。
皇帝陛下が代替わりして亜人が冷遇されだすと、私たちも仕える相手が転々と変わっていった。
母が度重なる流産と産褥により体を損ない亡くなると、祖父と父は戦争へと赴いた。
私はハイワンドで、一人になった。
私と共に戦う者など、どこにもいなかった。
一人で任務を遂げる他にやれることなど何もない。
戦いは危険なら危険なほど素晴らしい。
死が迫って来ると命が燃え上がる。
命というものは大事にすればするほど腐っていく実感があった。
そして、死線の先にこそ混じり気のない真実の心が見つかる。
そのはずだった。
だが、今は一人ではなかった。
そして、奇妙なことにアベルと共にいると心が波打つ。
時に踊るように楽しくなり、時に底知れない不穏を感じ……。
このまま行けば何が見つかるだろうか。
未知なるものを求めて死ぬことになったとしても、きっと満足するに違いない。
最後の瞬間、新しい心を見つけることが出来るから。
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