第8話 アベル、従者へ
日々は過ぎていき、アベルは十歳になった。
アイラからは木剣ではなく本物の刀の手解きを受けるようになっている。
母は攻刀流という片刃の刀を使った剣術の使い手だった。
第六階梯の認定を受けたというのだから、腕は中級以上である。
また、ウォルターは防迅流という流派の使い手だった。
防迅流は盾と剣を使う流派であり、どうやら第五階梯ほどの実力があるらしい。
こちらも教えてもらっている。
以前のように基礎体力ができていなければ剣を振り回してみても無駄だ、というようなことは言われなくなった。
ウォルターのように剣も魔法も使える者は魔法剣士という分類になるそうだ。
アベルは、なんてカッコいいんだと思わず感激してしまう。
訓練にも気合が漲ってくる。
アイラの使う攻刀流は字のごとく攻めの流派だった。
多彩な攻撃技が特徴で、まずは先手で相手を圧倒するのを尊んでいる。
刀の流派ではあるが極めて実戦を意識したもののようで、蹴りや体当たり、レスリングじみた格闘術も併用する。
対して防迅流は盾と剣を組み合わせた技なので必然、防御力の高い流派だった。
ウォルターのような魔法も使える者は剣だけで攻撃に持ち込み、勝負しなくてもよいわけで、守りに強い防迅流は向いているそうだ。
ちなみに武術の流派は、もう誰にも分からないぐらい数多くが乱立していて手が付けられない状況だという。
とにかく実力がすべての分野なので、弱い流派は発足してもすぐに消えていく。
それから流派の潰し合いも盛んらしい。
そうした弱肉強食の末に、また新しい流派を誰かが打ち立てるというのを繰り返していた。
そんな混沌とした様相だけれども、やはり名門の流派がいくつかあるという。
たとえば刀なら攻刀流や斬流がそれ。
槍なら一槍流、理天流など。
それからあらゆる武器を使用する暗奇術という流派もあるそうだ。
流派についてはアベルも聞いただけではよく分からないので、それぐらいしか習っていない。
ナイフ、刀、両刃の剣、槍、薙刀、棍棒、斧。
騎士や戦士が使うのは、だいたいこういう武器だ。
その他にも細かくは存在するがそれは少数派という説明だった。
ちなみに魔力で肉体強化ができる武術使いの達人になると、素手で石を割ったりできるらしい。
そこに鉄の棍棒でも加われば、どれほどの破壊力か分かろうというものだ。
飛び道具は弓、投石器、弩がある。
しかし、この世界には鉄砲や大砲はない。
たぶん魔法があるせいで、わざわざ貴重な鉄や火薬を大量に必要とする武器は発達しえないのだろう。
火薬を壺に詰めて爆発させる榴弾というものはあるそうだが、城攻めに使われる程度の武器らしい。
それより火薬類は狼煙に使われる方が多い。
もちろん内燃機関と言うものもなかった。
動力は風車と水車、あとは動物とか人間を使うのが常識である。
ただ、魔法機工という分野があって、極めて精巧な自動人形や機械式時計が存在しているそうだ。
そうウォルターから聞いただけで、実物は見たことがない。
魔法は便利なのだが、長距離を通信できる無線のような魔法はアベルが調べた限り無かった。
午後、リックがやってきたので剣術の訓練を再開する。
リックは二歳年上だから十二歳になる。体もけっこう頑健になってきた。
彼は農作業の手伝いをしなくてはならないのだが、よくサボってくる。
本人は畑をやりたくないというより作業を忌み嫌っている節すらあった……。
しかし、アベルから見たところリックに戦闘の才能はない。
なぜなら魔力がほとんど使えないからだ。
初級の魔法すら使えないし、体内魔力を利用して肉体を強化することもできない。
言ってみれば凡人そのものであった。
しかし、本人が好きでやっていることだ。
無駄だから止めろとは、どうしても言えなかった。
昼下がりにリックは帰っていく。
村長の家柄とはいっても農家の五男が丸一日、仕事を手伝わないとさすがに叱られてしまう。
だいたい、この世界に義務教育はない。学校というのは全て私塾ということになる。
大きな町にはそうした教育を受ける場があるけれど、田舎にはない。
だから普通、農家の子は長男なら農家になるし、木こりは木こりになる。
字の書き取りすら全くやったことがないという人は珍しくない。
簡単な字の読み書きという程度の識字率にしたところで、テナナ集落に限れば二割以下だろうと思われた。
子供はだいたい七、八歳から家の仕事を手伝う。
そして、十三、四歳ぐらいまでに跡継ぎ以外は、いずこかへ弟子入りや出稼ぎへと行く。
行かない場合は寝食だけが保障されるものの、家の手伝いだけの人生になってしまうことも多いようだ。
アベルは鉱物魔法で人が横になれるほどの穴を作って、さらに硬化させた。
それから水魔法で水を入れる。加熱の魔法でお湯にする。
服を脱いで風呂に入った。汗が流れて気持ちがいい。
運動の後の風呂は最高だ。
ウォルターも同じことはできるのだが、いつも桶一杯分のお湯しか作らない。
理由がある。
魔力の消耗を極力、控えているからだった。
もし、魔力を無駄遣いした直後に大怪我をした人がきたら治療に差し障りがある。
下手をすれば助けられたのに死なせてしまうことになる……。
それがウォルターの説明だった。
アベルの核にいる男はそんなウォルターを、いつしか本当の父のように感じていた。
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その日の夕刻、食事時に家へと帰る。
アイラの料理を手伝って、食卓に並べた。
アベルはよく両親の冒険者時代のことを聞く。
世界の広大さについて想像せずにはいられなくなる話が多かった。
例えば海の話だ。
海は、すなわち魔境なのであった。
沖に出れば出るほど、巨大かつ凶暴な水棲魔獣が現れる。
人間が木で作る帆船を遥かに上回る大きさだ。
襲われれば、どんな戦士や魔法使いでも死が近い。
なぜなら、たとえ本人は無事でも船を破壊されてしまうからである。
強大な魔法を使える者でも、大海原で海に投げ出されて生還できる可能性はかなり低い。
まして魔法の使えない者にとってはどうか。ほぼ、死ぬのである。
だから、沖合に行くことはありえない。
それがこの世界の常識だった。
人間族は海の多くを利用できない。
せいぜい、沿岸で魚を取ったり、沖に出過ぎないように注意しながら輸送船で荷物を運ぶのが限界ということだ。
それから大陸のこと。
一応、始皇帝や伝説的な大魔法使いは宇宙まで行ったことがあるとされている。
そのとき理球体を見ると、巨大な一つの大陸があり、いくらかの群島が芥子粒のように散らばり、あとの残りは全て海だったそうだ。
それから過去、様々な冒険者や国が地図を作った。
それらの情報を統合すると、この星の大陸は南極から北極にまで及ぶらしい。
一般にパンゲア大陸と呼ばれている。
現在、人間族の支配地域はパンゲア大陸の僅か四分の一だとか、あるいはもっと少ない地域に過ぎないと言われていた。
残りは亜人界と魔獣界である。
亜人界には人間族も出入りするから、ある程度の現地情報はあるが魔獣界となるとほとんど不明らしい。
ウォルターとアイラは魔獣界の手前まで行ったことはあるのだが、そこから先は危険すぎて理由もなしに行く地域ではなかったそうだ。
そんな魔獣界は砂漠や大湿地、熱帯雨林などがあって、魔獣が犇めいているという。
かつて、人間族が最も繁栄した大帝国時代、その魔獣界にすら拠点がいくつもあったというが、もはや失われて久しく位置すら判然としていない。
密林に覆われた古代遺跡に、莫大な財宝が隠されているという伝説がある。
また、ある古代迷宮の奥には、始皇帝がみずから錬成して創り出した「皇剣」が隠されているという。
数知れない命知らずの冒険者たちが富を目指して探索を続けている……ウォルターがそんな話を聞かせてくれた。
翌日、いつもの朝が始まる。
天気がいいので、山野を駆ける訓練をする。
体は軽く、呼吸はどれほど走っても苦しくならない。
前世では軽い喘息だったので、走り込みなどすれば気管支は窄まり、息切れするありさまだった。
今はそんなことはない。鍛えれば鍛えるほど体は成長していった。
なんと素晴らしいことなのか……。
しかも、魔力による身体強化まである。
大袈裟だが地の果てまでも駆けていけそうな高揚感を得ていた。
昼食のために家へと戻る。
シャーレがアイラと一緒になって料理をしていた。
彼女は薬師の修行としてアイラに弟子入りしている。
アイラから学ぶことは実に多い。
薬草の採取、取った薬草の処理の方法、使い方。
それから看護婦としての技術。
シャーレはやる気があって賢いので、短期間のうちに成長を続けていた。
それに、いくらか魔法の才能もある。
初歩の水魔法はすでに身につけていた。
将来はかなり有望だった。
シャーレは九歳だけれども、既にしっかりと職業のことを考えているようだった。
アベルの核にいる男にとって、九歳というのは随分幼く思えるのだが、それは前世の常識というものだった。
この世界の人間族は男女ともに十五、六歳で婚姻をはじめる。
また、どんなに遅くとも二十五歳ぐらいまでには結婚するのが慣わしだった。
つまり、それまでに家庭を持つための職業と技術を身につけていなくてはならない。
修行が十歳以前から始まるのは自然な流れだった。
ちなみにウォルターとアイラが出会ったのは、それぞれ十九歳と十五歳のとき。
アイラが二十歳になったのを機に結婚したそうだ。
一年後にアベルを妊娠した。
アベルが見知った範囲では、人間族の平均寿命は五十歳ぐらいだと思われた。
そうした生と死のサイクルでは、働くのも子を設けるのも早くなる。
アベルが席に着くと、シャーレが湯気の立つ皿を手に配膳をしてくれる。
シャーレは美しくなっていく一方だった。
エメラルドのような瞳、優しげな目線、まだ幼い頬……。
少し淡い色合いの金髪が、癖無く流れていた。
日光が当たると、輝くようである。
アベルは、つい見惚れてしまった。
ドロテアも加わって、五人で楽しい昼食をとっていたときだ。
扉がノックされた。
アイラが対応に立つ。
開け放たれた扉の向こう側に異様な姿の人物がいる。
鈍色をした鎧を装着していた。
その威圧感にアベルは思わず釘付けになってしまう。
使い込んだ様子の冑は外しているので顔が見えた。
見覚えのある、以前に会ったことのある人物だった。
騎士フォレス・ウッド。
「失礼する。準騎士ウォルター・レイ殿にハイワンド伯爵様の命令書を持って参った。謹んでお受けせよ」
急いで席を立ったウォルターは手紙を受け取る。
さっそく封蠟を剥して内容を速読する。
ウォルターの表情が珍しく動揺の色を見せたので、アベルは驚いた。
内臓が飛び出たような怪我人が担ぎ込まれても、あんな顔はしない男だ。
いったい何が書いてあったのだろうか……。
ウォルターは、しばらく黙っている。
無口に佇むフォレスは忍耐強く待ってくれたが、やがて返答を促した。
「どうした。字が読めないでもあるまい。返事をお聞かせあれ」
「し、失礼。内容が込み入っております……。いま読み上げます。あー。準騎士ウォルター・レイ殿へ。汝が主、バース・ハイワンド伯爵が命ずるところの書面、しかと読み解け。貴殿の子息は治癒魔法を使うと聞き及んだ。知っての通り、治癒魔術師は貴重な人材である。我が騎士団でも特に必要としている。よって、貴殿の子息を我が騎士団の従者として採用したい。忠義、知恵、力が相応しいならば、いずれは晴れて騎士に任命するであろう。汝が子息のためになると考え、こうした命を出した。応か否か、返事をせよ」
ウォルターはそのような内容を読み上げた。
シャーレが小さな呻きを漏らし杯を落とした。
自然とアベルは母アイラの様子を見る。
落ち着いていて特に動揺していない。さすがだなと思った。
逆にドロテアなんか別に親戚でもないのに驚愕のあまり口に手を当てて目を見開いている。
そんなに驚くなよ……。
「返事は即答しかねます。準備もありますし……、おって私から手紙なりで伯爵様にお伝えする」
騎士フォレスは怪訝な顔をした。
「ご子息が従者に取り立てられたこと、誠に名誉なるかな。当然ながら拝命するのであろう。もし、よければ拙者がこのまま馬にて子息をポルトの城まで送るが。二、三日ならここに逗留もできよう」
「いえ、けっこう。フォレス殿はお戻りあれ」
ウォルターは、はっきりと断った。
そうとまで言われれば騎士フォレスも引き下がらざるを得ないらしい。
小さく頷き、退去の礼をしてきた。
それから、なぜか部屋を出る前に彼はわざわざアベルのもとに来た。
「拙者は君に期待している。アベルならきっと立派な騎士になれよう。待っておるぞ」
ゴブリン討伐の件で、向こうは親しみを持っていたらしい。
去り際、そんなことを言ってきた。
シャーレが慌ててアベルの横にきた。
「アベル。騎士様になるの? テナナを出ていくの?」
シャーレは震えて泣きそうだ。
捨てられた子犬みたいだった。
「う~ん……」
正直なところ、良く分からない。
まずは体と魔法を鍛えて、それから将来のことを具体的に決めようと思っていた。
アベルの核にいる男は思う……。
俺は人間に対して不信感がある。
たぶん、この人生でも決して消え失せない感覚だろう。
早く成長して、ここを出ていく腹積もりもあった。
だが、ウォルターとアイラは素晴らしい人間だった。
子供を愛し、実力もあり、夫婦は固い絆で結ばれていた。
そんな二人を見ていると、怯みと同時に、妙な心の温かさを感じる。
どうしたらいいのだろう?
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