第7話  八歳の秋

 



 魔獣退治から二年と少しの月日が経った。

 毎日は淡々と過ぎていく。

 一人で魔力と剣術の修練をする日々だ。


 ウォルターに剣の稽古をつけてくれとせがんでみたこともある。

 すると父は面白そうに笑って答えた。


「いいか、アベル。敵が近くいるとは限らないぞ。むしろ何日も歩いて探す場合の方が多い。さらには重たい防具など装備している。すると剣を振る以前に疲れてしまって、そんなことで負ける奴がたくさんいるのだ。つまり強くなろうとして剣を取るのは正しいようで順番が間違っている、というわけさ」

「まず体を鍛えてから、という意味ですか」

「ああ、そうさ。荷物を担いで走ってみろよ。重たい物で腕力を鍛えるのも効果がある。ちょっと剣を振り回すとカッコいいけれどな、そんなんじゃ使いものにならんぜ」


 そういう熟練者らしいありがたい助言を貰った。

 アベルは素直に受け取り、以来、たった一人で砂袋を担いで朝から夕方まで山野を歩いてみたりした。

 

 だが、時にはアイラやウォルターと山に入って狩りを学び、薬草を採る機会もあった。

 薬となる植物を理解しておけば、これはかなり有用な知識となる。

 両親はそれを意識してかアベルへ丁寧に教えてくれた。


 それから書物からも情報を得ている。

 本はウォルターに頼んで、新たに二十冊ほど買ってもらった。

 ちなみに印刷技術はないので本というものは全て写本なのであった。


 魔法で転写できないのかとウォルターに聞いたが、そういうものはないらしい。

 しかも、羊皮紙を大量に買うと金がかかるから便利な技にはならないだろうと指摘された。


 アベルは意外に思う。ウォルターはこの世界ではかなりの知識人である。

 本の重要性も認識している。

 しかし、本を大量に作ろうという発想はないのであった。


 それは、そもそも本の需要が少ないということにも起因しているかもしれない。

 読み書きができなければ本など無価値だ。


 アベルは一瞬、印刷機を作ろうかと思うが即座にその考えを打ち消した。

 確かに己の半生を投資するぐらいのつもりで臨めば、製紙も印刷もできそうな気はする。

 でも、この世界に干渉しすぎないと決めていた……。


 昼下がり、アベルが緑陰で捲るのは歴史書だった。

 書名は「国家の誕生と滅亡」となっていた。

 著者はライ・カナ。

 アベルはシャーレに後で本の内容を説明してやるつもりで、読み進めていった。



 文字が作られたのは、今から五千年ぐらい過去のことらしい。

 だから、五千年以前のことは記録としてほとんど残っていない。

 ただ口伝はされていた。その口伝を集めて、最初の本が作られた。


 それが「始書」と呼ばれている最古の歴史書だった。

「始書」は人間族のワスル・タターハ部族の言い伝えから始まる。

 いわく、全ての種族は神の息吹に吹き飛ばされて遥か遠い世界からやって来た……という伝説だ。


 そのワスル・タターハ部族は騎馬民族である。

 小さな部族であった彼らは少しずつ力をつけ、やがて大陸の中央平原を掌握することによって大国を形成した。


 建国が成功してから、しばらく王様とか家臣の話が続く。

 それから、たまに「アス」という名の人物が出て来る。

 性別は女性のようで魔女という仇名がついている場面もある。


 だから魔女アスとも呼ばれているようであった。

 これが面白い人物で、ある時、ふらっと現れては助言をしたり、実際に強力な魔術で手助けをしてくれたりする。


 しかし、三百年ぐらいするとワスル・タターハ部族も滅んで、次はスターキ部族というのが出て来るのだけれど、ここでまたアスが出て来る。

 この魔女アスというのは実在した、絶大な力を持った魔法使いだったらしい。

 ときどき、人間族の前に現れては国作りに協力していた。

 どこの戦争で活躍したとか、どこに橋を作ったとか、そういう逸話が残っている。


 それからも無数の戦争があって、憶えきれないぐらい数多くの国が造られては滅んでいく。

 人間族と亜人たちは時に戦い、時に協力していることが読むと分かる。

 四千年ほどの間、いくつもの文明が生まれて、やがて例外なく消えていった。

 ずっと時代は流れていく……。



 現在から約千年前のこと。

 人間族の歴史に特異な出来事があった。

 初めて人間族の統一政権、大帝国が誕生したのだ。

 それまで決して一つの旗のもとに集結しなかった人間族が、やっと統一されたわけだった。


 大帝国の指導者は始皇帝という人物である。

 始皇帝の本名は伝わっていない。

 ただ、自らを始皇帝と呼ぶように命じている。


 気になるのは、ここで再びアスという名の人物がちらほらと出てくることだ。

 始書に魔女アスの逸話が記されてから何千年も経っているから、もちろん別人物だろうけれど……。

 また出てきたアスも女性で、しかも魔法使いだったらしい。

 二つ名は、いと賢きアス。


 アスは、とある部族の長に私生児が生まれるところから登場する。

 その私生児こそが、のちに始皇帝を名乗ることになる男の子だ。

 始皇帝が成長するのをあれこれと親切に助けたという。

 やがて、幼少の始皇帝は狂暴な魔力に目覚める。


 敵対する部族を、ほとんど単独で皆殺しにしたのが初陣だ。

 年齢は僅か九歳だったらしい。


 それから奴隷を集め、魔法使いを集め、戦士を集め、猛烈な征服を始める。

 天下泰平のためという理想を掲げていたが、つまりは侵略であり同時に虐殺の開始でもあった。


 亜人も人間族も関係なし、邪魔するものは全て殺して始皇帝は突き進んだ。

 アスは、そんな始皇帝の忠臣の一人だったようだ。

 始皇帝はアスをたびたび戦争や虐殺に用いて、莫大な報奨を与えている。


 あるとき強大な魔法使いである始皇帝は、自分が征服したこの地はどんな姿をしているか知りたいと望んだ。

 するとアスは助言する。

 それならば「宙界」に旅立つがよいだろう、と。


 始皇帝は様々な魔術を駆使して遥か天上の世界「宙界」に行く。

 そこで世界が球体を成していることを、人間族として最初に確認した。

 始皇帝は、この星を「理球体」と名付けた。


 始皇帝は歴史上、比類ない程の天才だった。

 そして、過去の何時いついかなる指導者よりも冷酷であったが、それでいて慈悲深くもあった。

 やがて始皇帝は人間族の全てと、亜人の大部分を征服した。


 始皇帝の率いる大軍団、優秀な家臣たちは邪龍や狂魔獣を討伐して、平和な時代がしばらく続く。

 この時代が人間族の最盛期と言われている。

 大帝国の拠点は大陸の至る所に造られた。

 人間族も亜人たちも、始皇帝というカリスマに従うことに喜びを見出していた。


 ところが世界の統一事業が一段落すると、始皇帝は引きこもりがちになる。

 あるとき始皇帝は、この世界のことは知り尽くした。

 退屈で仕方ないと嘆く。

 

 そこでアスにまた助言を求めた。

 アスはこう答えた。


 そろそろ嫁でも娶って落ち着けば宜しかろう……。


 ここで不思議な提案をする。

 アスは自らを始皇帝の妻とするよう進言したのだった。

 これまで要所において的確な働きをしたアスの申し出なのだが、始皇帝はこれを断ってしまう。

 理由は本には書いていない。


 アスは、次の助言を始皇帝へする。

 宙界をも知ったのなら別世界を見てみてはどうかと。

 これが歴史上に初めて、時空間魔術の現れた記録である。


 始皇帝は新しい魔術に夢中になる。

 そもそも魔術の探求に関しては狂的なところのある人物だったようだ。

 数年間、始皇帝はろくに姿も見せず、政治を家臣に任せて研究の日々を送った。


 そして、運命の日がやってくる。

 始皇帝は時空間魔術を完成させた……と宣言する。

 誰も見たことの無い未知の魔術体系であるから、それがどういうものなのか一人として理解していない。


 始皇帝はそれでは時空間魔術を実践してみせようと、家臣たちに話す……。

 皇帝の姿は、数多くの家臣の前で消えた。

 そして、二度と戻ってこなかった。


 過去に例がないほど強大だったはずの大帝国は始皇帝が不在となるや、驚くほど呆気なく滅亡する。

 始皇帝という超絶的な人物が、強引かつ急激に統一していただけに……かなめが居なくなった途端、爆発的に崩れたのだった。

 そして、長い長い血みどろの分裂戦争の時代が訪れる。


 いくつもの諸勢力が勃興しては滅びることを繰り返し、やがて皇帝国と王道国が建国された。

 二国は造られたときから宿命的に敵対関係にあり、緊張と緩和を繰り返すことになる。


 アベルは読み終えた「国家の誕生と滅亡の歴史」を閉じた。

 最後の頁に著者の来歴が簡単に記されていた。

 ライ・カナという人物で魔人氏族の出自らしい。


 探究心が強い人物で、大陸中の遺跡を調べ歩いているという。

 魔人氏族は長命種でもあるので、すでに五十年以上も活動を続けているようだ。

 アベルは次の本を手に取る。

 八歳の秋は、平穏に過ぎていく。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る