(2)関所の街

 関所の街サンズウォールまでは、フランシアとフェレスの家に近い湯治の村カナベルから馬車で一時間ほどの距離である。


 サラージン王国との国境の関所であるこの街は、ぐるりと周囲を高い壁に囲われた半城塞都市であり、かつては隣国からの侵攻を防ぐ前線基地であった。

 サラージンの一代前の王と和平が結ばれ、現王の即位後は交易すら行われている今、この街に当時ほどの厳めしさはすでにないが、それでも隣国との国境を越えようとする人と物との出入りは厳しく調べられている。


 当然、外壁の国内側にも門はあってそこには門番も立っているが、関所に比べればその監査は甘く、門番が直感的に怪しいと思った人物を呼び止める程度でしかない。フェレスも最初こそ呼び止められたものの、何度も勉強のために図書館に通っているうちに門番ともなじみになってしまい、たまに新人がいる時以外は顔パスになっていた。

 カナベルからの乗合馬車を降り、フェレスがフランシアに手を差し出していると、そんな門番の一人が、彼を見つけて声をかけてくる。


「よーおフェレス。馬車で来るなんて珍しい……うおっ」


 鱗板鎧スケイルアーマーを着こみ、足が悪いわけでもないのに槍を杖替わりにしていたその門番は、馬車から現れて少年が差し出した手を取ったフランシアを見ると、驚いたような声を上げて立ち止まった。その声に反応したもう一人の門番が、がしゃがしゃと鎧を鳴らしながら駆け寄ってくる。


「なんだ、どうした」

「ああ、いや。なんでもねえんだ。すまんな変な声上げて」

「脅かすなよ……と、フェレスか、って、うおっ、なんだお前。どうしたその美人」


 やってきたもう一人の門番にも同じような声をあげられ、フェレスの手を取って馬車の数段だけのタラップから地面に降りたフランシアは、少し困ったようにはにかんでみせた。その手を離したフェレスは二人の門番のほうを振り返ると、呆れたように眉を寄せる。


「ライダー、バリー、自分の仕事をしろ。なんだ楯も持たずに」

「うっせー。お前は相変わらず偉そうに言いやがって。あんなデカい楯ずーっとぶら下げて立ってたら、いざって時に腕が動かなくなっちまわあ」

「それよりこの美人紹介しろよ。あれか、前に聞いたお前の先生か?」


 街門の柱の壁に立てかけられた長楯タワーシールドを指さしながら言ったフェレスの言葉をものともしない若い二人の門番に、フランシアはくすりと笑いながらスカートの端をつまんで軽く膝を曲げ、上品に頭を下げてみせる。


「錬金術師のフランシアと申しますです。いつもフェレスがお世話になってるですよ」

「ラ、ライダーです! 門番やってます!」

「バリーです! お、俺も門番です。いつもフェレスの世話してます!」


 口々に言いながら前に出てくる二人の門番に、どんな世話をしているというんだ、と、胸中で呟きながらフェレスはじとっとした目を向けた。

 フランシアの姿を見た男の反応は多かれ少なかれこうであることを理解はしているが、彼女の生活のだらしなさを毎日目にしている彼からすると、毎度毎度男の愚かさを見せつけられているようでいたたまれない気分になる。

 男の業とは度し難いものだ、と、老人のようなことを思いながら短くため息をつくと、フェレスは彼らの横をすり抜け、フランシアの方を振り向いて彼女を呼んだ。


「行こうフランシア。のんびりしていると今日中に帰れなくなる」

「そうですね。それじゃお二人とも、お仕事がんばってくださいです」


 もう一度、とびきりのよそ行きの笑顔を二人に向けて頭を下げると、フランシアはフェレスを追って街の門をくぐった。ずっと自分を視線で追ってくる二人の存在を感じながら彼女が少年の隣に並ぶと、フェレスが彼女を横目で睨む。その視線を受け止めながら、フランシアはからかうように言った。


「ふふ、なんですフェレス。やきもちです?」

「どこにそんな解釈をする余地があるんだ。家でもあれぐらいきちんとしていて欲しいだけだ」

「嫌ですよ。だったらわたし、フェレスにいつ甘えたらいいんです?」

「甘えなくていい。行くぞ」

「あん、ちょっと待ってください」


 土の地面がむきだしの村とは違って石畳で舗装された道を早足に歩いていく少年の背中を追いながら、フランシアは久しぶりの街の様子を眺めた。

 ほとんど木造の小屋のような家ばかりのカナベルと違って、石やレンガと漆喰で出来ているサンズウォールの建物は見た目からして堅牢で、外壁があるせいで土地が限られているせいか土地の有効活用のために二階建てや、中には三階建ての建物までがひしめき合っている。


 道と言うよりは建物の隙間のような入り組んだ路地を抜け、やがて広い通りに出ると、フェレスはそれに面したいくつかの店のうちの一つの前で足を止めた。黒い髭と髪が一体化したような風貌の店主は少年をじろりと見たあと、そこにフランシアが追い付いてくると、怪訝そうに伸び放題の眉を寄せて低い声で言う。


「何の用だ。うちは苗と種の店で、花は売ってねえぞ」

「もちろん、種を分けていただきに来たですよ。黄色い花が咲く種、あるです?」

「黄色い花? ……変な客が来たと思ったら、やっぱり変な注文をしやがるな。まあいい、入れ」


 見ようによっては大柄なドワーフのようなずんぐりした体型の店主は、ぼやくように言いながら手のひらを上に向けて手招きすると、のっそりとした足取りで店に入っていく。その背中を追いかけながら、フランシアは若干不満げに彼に訊いた。


「わたし、変なお客さんでしたか? どのあたりが変なのか、伺えるです?」

「たまに物好きな貴族の奥方が庭師と一緒に来ることもあるが、うちの品はお前さんみたいに土の匂いがしない奴には用がないもんだ。だから変だと言ったのさ。……で、どんな花だ」


 たくさんの黒い粒が入ったたくさんの木の箱が並ぶ棚がひしめく店の中で、箱に貼り付けたラベルを指でなぞって確かめながら店主が訊ねた。数秒の沈黙。答えが返ってこないことに不審を抱いたのか店主が振り返ってぎろりと二人を見ると、フランシアは困ったように笑って答える。


「えーっと……黄色い花ですけども」

「それはさっき聞いた。黄色い花って言ってもいろいろあるだろうが」

「そうなんですけど、それしかわからなくて……」

「あぁ?」


 フランシアの答えに、不機嫌そうに店主の眉が寄る。そして彼は深いため息をつくと、太い指を店の入口に向けて言った。


「呆れた客だ。やっぱりお前らは花屋へ行け。花を直接見ればどれが欲しいかわかるだろ」

「それが、花には用事がないんですよ、わたしたち。欲しいのは種なんです」

「……どんな種だ」

「どんな種です? フェレス」

「どんなって、黒くて丸くて小さい……」


 フランシアが経由した店主からの問いにフェレスが返せたのは、具体的ではあるがその特定には何ら足しにならない答えだけだった。片手で顔を覆いながら、店主が深いため息とともに肩を落として言う。


「あのな坊主。たまに違うやつがないこたあないが、種なんてのはどれも大抵黒くて丸くて小さいんだよ」

「そうだな……済まない」

「本当にわけのわからん客だぜお前らは。なんだ、俺をからかってんのか? 花はいらねえのに黄色い花の種が欲しいってのはどういうことだ。花の種なんてものは植えて育てて花ぁ咲かせるもんだろうが」

「そうじゃなくてですね。実は、搾って油を採りたいんですよ」

「油?」


 ぎょろりと、また店主の目玉が二人を睨んだ。そして彼は棚に向かうと、指でなぞりながら年季の入ったラベルの記述を確かめ、木箱を引っ張り出して二人の前に突き出す。それには、フェレスの言った通りの黒くて丸く小さな種が入っていた。


「それならこいつだろう。油菜花という。花は黄色で、葉と茎は苦いが一応食べられる」

「これですかね? フェレス」

「わからないが、専門家の言うことだ。信じていいだろう」


 箱の中を覗き込んでいたフェレスが、問いかけたフランシアを見上げてうなずく。それにうなずき返すと、フランシアは店主に笑顔を向けて訊ねた。


「じゃ、これいただくですか。おいくらです?」

「小分銅一個分の重さで銀貨二枚」

「……結構しますね」


 ほんの数グラムの小さな種が数日分の食費に匹敵する値段だと知り、思わず苦笑いするフランシア。ふん、と、鼻を鳴らしながら天秤と分銅を準備し、一粒ずつ種をそこに乗せながら店主が短く答える。


「いらないなら帰れ」

「あん、買いますってば。……これ、どれぐらい油採れるんです?」

「確か、見た時は大人が両手で抱えるかごいっぱいの種から、いつも使っている井戸の釣瓶に半分ぐらいだったと思うが……」

「……そんなに買えないですねえ」


 銀貨十枚ぐらいは予算があるが、それではまるで足りないだろう。必要なぐらい油を集めようと思ったら金貨が何枚もいるんじゃないでしょうか、と、嘆息するフランシア。そんな彼女に、小分銅一つ分の重さを測り終えた店主がまたぎろりと目を向けた。


「うちとしてはどっさり買ってくれりゃありがたいが、無理なら勝手に増やしゃいい。油菜花を育てるのはそう難しいことじゃない。ただし、こいつの植え時は木の葉が色づく頃で、咲くのはちょうど今頃だ。早くて来年だな」

「なるほどです……」

「油が取れりゃいいなら……こういうのもある。太陽花の種だ。すぐ植えれば木の葉が色づく頃には種が取れる。小分銅一個分で銀貨一枚だ」


 言いながら店主は今度は縦縞模様の細長い種を出してきた。植物の種としては若干珍しいその見た目に、ふうん、と、興味深げに箱の中のそれをしばらく眺めた後、フランシアは彼の顔を見てまた訊ねる。


「これはどうして油菜花よりお安いです?」

「たくさん取れるんだよ。そこの坊主の背よりデカく育って、顔よりデカい花が咲く。で、花にどっさり種ができる」

「……少し不気味だな、それは」

「坊主の背よりデカい木や草なんぞ珍しくもねえだろう」


 巨大な茎に咲く巨大な花を想像して若干表情を曇らせたフェレスに、仏頂面のまま店主が言った。そして彼は眉毛の奥の目玉をまたぎょろりと動かして二人を見ると、目線だけで問いかける。買うのか、買わないのか。うーん、と、短く唸った後、フランシアはゆっくりとうなずくと、指を二本立てて店主に言った。


「わかりました。油菜花を銀貨四枚分、太陽花を銀貨二枚分いただけるです?」



-◆◆◆◆◆-



 予算の半分以上を使って買った種を大事に抱え、フランシアとフェレスは帰りの乗合馬車に乗り込んだ。

 すでに太陽は地平線にかかり、赤く染まった光が街道に長い影を伸ばしている。馬四頭立ての長い車体を支える車輪が奏でるがらがらという音を聞きながらフランシアが見回すと、最終便一本手前の車内には思ったよりもたくさんの客が座っていた。


 そんな中でフランシアはそっと身をかがめると、隣に座っているフェレスの耳元に唇を寄せる。気配を感じてくすぐったそうに身をすくめる彼の肩をそっと抱き、彼女はぽそぽそと小さい声で少年に囁いた。


「村に戻ったら、ちょっとどなたかに肥料を分けていただくですから、運ぶのお願いですよ、フェレス」

「これからか? 戻ったらもう夜だぞ。明日でいいだろう。どうせ太陽花の種が取れるようになるのには秋までかかるんだ」

「明日だとちょっときついですよ。フェレスには今夜いっぱい働いてもらっちゃいますし」


 フランシアの囁きにほのかに笑いのような響きが混じったことに、フェレスは怪訝そうな顔で彼女のほうに顔を向けた。顔を見合わせてにこりと微笑むと、フランシアはもう一度、振り返ったことで遠ざかった彼の耳に唇を寄せ、静かに囁く。


「秋までとかじれったいですから、高速成長剤を作ろうと思ってるです。その材料にね、あれがあるんですよ。オ・ル・ゴ・ン」


 最後の四文字をフランシアがひときわ甘く囁いた瞬間、フェレスの顔が夕日の差し込む馬車の中でもわかるほど真っ赤に染まった。もう一度振り向いた彼の唇の前に素早く人差し指を立てて言葉を封じると、フランシアは少年に蠱惑的な笑顔を向ける。


 オルゴン。それは生き物が持っている生命のエネルギーである。神や精霊、自然の力を借りない魔法を行使するための魔力の源でもあり、生命力そのものとも言える。動物は他の動物や植物を食べることでこれを己が身に取り込み、吸血鬼は血に溶けたこれを人から直接すするのだ。

 『気』や『精』とも呼ばれるこのエネルギーを抽出する方法はいくつもあるが、最も不純物が少なくなる手法は、それが最も濃く溶け込んでいるものから取り出すことである。


「今回はちょっと多めに欲しいですから、そうなるといくら若いって言っても、ちょっとぐったりしちゃうじゃないです? だったら、少しでも元気なうちに重いものは運んでおいたほうがいいですよ」

「で、でも……」

「今回はフェレスが何とかしたいって言ったんですもの。いいですよね?」


 フランシアの念押しに、フェレスは耳まで赤くして背中を丸める。その背中をゆったりとさすりながら、彼女は少しからかうような響きを声に混ぜて言った。


「大丈夫です? フェレス。お手伝いするです?」

「……いらない」

「そうですか、残念ですよ。フェレスがいいって言うなら、いつでもいくらでも喜んでお手伝いしちゃうですのに」

「いらない」

「あん、もう。頑固なんですから。……ああ、でも。前回から採取器はまた改良しましたから、それは使ってくださいね?」


 楽しげに、得意げに、少年の耳にささやくフランシア。

 フェレスは赤くなって目をそらしたまま、彼女に返事をすることはなかった。

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