Flancia - ひなたの錬金術師 ~ 巨乳眼鏡なおっとりお姉さんとツンデレ少年召使いのイチャイチャ相談屋デイズ ~

稲庭風

錬金術師と枯れた温泉

(1)目覚めは胸の中で

 新芽で己を飾り立てた木々の枝に、新しい鳥の巣が作られる早春の朝。幾重にも重なる小鳥の鳴き声が、少年を眠りからまどろみへと引き上げる。

 感じるのは布団ではない何かの温もり、柔らかさ、そして甘い香り。少しずつ意識が覚醒する中で彼が薄目を開けると、目の前にミルク色の丸みがあった。

 顔の下半分が埋もれてしまっている若干の息苦しさから逃れようとして、少年はその丸みにぼうっとしたまま手をかける。自分の肌と真逆の色をしたそれはとろけるような感触で、さほど力を入れずともたやすく形を変えた。


「んん……」

「!」


 その時、頭の上から降ってきた、鼻にかかったようなむずがり声が彼の前髪をくすぐる。

 それで目が覚めたのか、少年はぱちりと両目を開いた。ひとつ、ふたつ、まばたきしてから、彼は己の今の状況を確認する。


 カーテンの隙間から朝の光が細く差し込む寝室のベッドの上に、少年は自分の主人である錬金術師と抱き合って横たわっていた。二人とも下着姿で、あまつさえ彼の顔は彼女の豊かな胸の中に埋もれてしまっている。

 意識にかかった霞が薄れ、己の状態を改めて認識すると、少年の頬がかあっとのぼせたように熱い火照りを持った。女性の甘い香りに息をひそめながら、彼は女主人を起こさぬように少しずつベッドをずり下がり、そっとその腕の中から抜け出す。


 きし、と、わずかに軋む床に降り立つと、少年は寝室の姿見に写った己の姿を眺めた。細い腕、細い脚。褐色の肌と金色の髪。母親によく似ているが、幼さのまだまだ残る顔。白い袖なしシャツに白いハーフパンツ。体を捻って、露出した細い肩や首筋、うなじに寝ている間につけられたキスマークなどの妖しい痕跡がないことも確認する。

 そうして、若干の寝癖がついていること以外はどこも昨夜と変わらない自分の姿に、彼は小さなため息をついた。何もされていない安堵と、何も成長していない失望を胸に、少年は金色の髪を細い指で撫でつけ、紺の膝丈ズボンを穿いてスリッパに足先を突っ込む。


「フェレスー……? どこ行くんです……?」


 その時、ベッドの上で彼の主人がそう問いかけながら身を半分だけ起こした。

 するりと彼女の肩の上をシーツが滑り落ち、露わになる女性的な丸みに富んだ白い肌。その肩の上を、亜麻色の長い髪が、朝の光を弾きながらさらさらとこぼれ落ちていく。

 まだ眠いのか、糸目のようにまぶたを閉じたままの彼女にフェレスと名を呼ばれた少年は、その姿から目をそらしつつ、まだ声変わり前のボーイアルトで答えた。


「……朝食の準備」

「そう……」


 ふにゃりと緩んだ笑みを浮かべて、錬金術師は再びベッドの中へと潜り込む。それを雰囲気で察したフェレスは、形の良い眉を呆れたように寄せ、早足に家の裏手へと向かった。

 調理場と一体化した食堂を抜けて、スリッパを揃えて脱ぐと靴に履き替える。流し台のハンガーにかけていた手拭いをつかみ、それを首にかけて扉を抜けると、鳥たちの声がまた彼の耳に届いた。


 一羽、二羽のものならまだ美しいと楽しめるそれも、森の入り口に建っているこの家ではやかましくすら感じられることがあった。特にヒナが孵ったばかりの今の時期、親鳥に餌をねだるその声はもはや騒音に近い。

 よくこれを聞きながら寝ていられるな、と、呆れと感心の混じった表情で寝室のほうを見やってから、フェレスは井戸に釣瓶を投げ込んだ。一瞬の後、木製の釣瓶の底が水面を打った音が聞こえてから、彼はロープを何度か左右に引いてそれを揺らして十分に水を汲む。そして彼はぐっと足を踏ん張ると、テンポよく重いロープを引っ張り始めた。

 8つの頃に拾われてそろそろ5年。最初の頃はよく水を入れすぎて重くなった釣瓶を引き上げられなくなって主に笑われたことを少年は毎朝思い出す。一人で井戸水を汲みあげることを許されてだいぶ経つが、いまだにこのロープを軽いと感じたことはなかった。


「よ……っいしょ」


 引き上げた釣瓶を井戸の縁に置き、少年はロープ跡が残った自分の手のひらを眺める。指も、腕も、相変わらず頼りなく細く感じて、彼は短くため息をついた。

 あんまり若くから筋肉を激しく鍛えると背が伸びなくなるって言いますから、と、主人からは鍛錬を制限されているが、もう少しぐらいは、と、少年は思う。いまだにその主人より頭半分程度も低い自分の身長が伸びなくなるのは困るが、強くもなりたいのだ。

 釣瓶から水差しと桶に水を移し、残りで顔を洗ってそんな葛藤を眠気と主の肌の感触に覚えた火照りごと洗い流すと、少年は持ってきた手拭いで雫を拭う。


 そして、桶を持つ手の片方の指に水差しの持ち手を引っかけた不安定な状態で、フェレスは出てくるときに閉めなかった扉を抜けて調理場へ戻った。

 持ってきた桶を床に、水差しを調理台に置いてから慣れた手つきでエプロンを身に着けると、フェレスは保存庫から野菜を取り出す。彼はそれらを手早く洗った後、適当な大きさに切って綺麗に器に盛りつけた。そのサラダを食卓に移してから、今度はしゃがみこんでかまどに干し草を投げ込むと、彼は両目を閉じて深呼吸する。


「……、……!」


 かっと目を開いて干し草を指さすフェレス。そして一秒、二秒。彼は呼吸を詰めて干し草を金の瞳でじっと睨みつける。

 だが、いくら待ってもかまどの中では何の変化も起こらず、結局フェレスが肩を落として息を吐き出すと、干し草はあざ笑うようにかさかさと音を立てて揺れた。


「ふふ、まだ無詠唱は無理ですねえ」


 いつの間にかやってきていた少年の主が、彼の背中に覆いかぶさるように覗き込んで笑った。むにゅりと頭を包み込んでくる柔らかな感触と重みから逃れようと、彼は女主人の体を持ち上げながら強引に立ち上がろうとする。


「すぐできるようになる。そんなことより乗ってくるな、フランシア……!」

「そこで重いって言わないところが、フェレスの素敵なところですよ」

「言わない……だけだっ!」

「あん」


 払いのけられて数歩下がったフランシアのほうをフェレスが振り返ると、彼女はまだ下着姿のままだった。盛大にため息をついて彼は眉を寄せ、一瞬動揺したことをごまかすように彼女に背を向けながら言う。


「ガウンでいいから着て来い。下着で朝食は取らせないといつも言ってるだろう」

「あら、フェレスだってまだ下着じゃないです?」

「ズボンは穿いてるしエプロンもしてる。それに食べる前にはちゃんと着替える」


 自分に背を向けたまま話を続ける少年に、フランシアはくすりと笑った。彼が背伸びして物入れから鍋を取り出す姿を眺めつつ、彼女は間延びした言葉を返す。


「はぁーい。ガウン、ガウン……お風呂場だったですかね。ついでにちょっとお風呂入るのもいいかもです。わたしの分ゆっくり作ってくれます? フェレス」

「わかった。早くいってこい」

「あと、それ。そのお鍋でスープ作ると、中のものが凍っちゃいますよ」


 水差しを手に取っていたフェレスの動きが困惑したように止まった。そして彼はゆっくりと水差しを置くと、かまどに乗せていたほうの鍋を彼女のほうへ背中を向けたまま突き出す。


「……変な発明品をアトリエの外に置くなと何度言わせるんだ」

「あん、怒らないでください。飲み物冷やすのにちょうどよかったんです」


 外を熱するほど中が冷えるという『あまのじゃくの鍋』を困ったような笑顔で受け取ると、フランシアはぺたぺたとスリッパを鳴らして食堂から出ていった。

 その滑らかな背中を見送ったあと、フェレスは別の、おそらく普通の鍋を取り出してかまどに乗せ、目分量で水差しの水をそれに注ぐ。


「やれやれ……」


 自分が来る前はどうしていたのか、と、まだ朝だと言うのにフェレスはもう何度目かのため息をついた。

 最初に意図した機能は実現できているものの、性能が過剰だったり仕組みが歪んでいる発明品がそこらに転がっていたせいで、この家ではしょっちゅうトラブルが起きる。


 宙に浮くので引き上げやすいはずと用意されたが、井戸に投げ込んでも投げ込んでも水面に届かなかった『浮遊釣瓶』

 収穫を倍増させようとしたが、果実の量ではなく大きさと重さが倍になったせいで、熟する前に全て地面に落ちてしまった『収穫倍化剤』

 飲んだ結果三日の間眠れなくなり、その後は五日間眠り続けるはめになった『眠気覚ましの秘薬』

 あらゆるものが透けてしまうため、結果として何も見えない『透視眼鏡』

 中でもひどかったのは『高跳び靴』だった。名前の通り高く跳び上がれる靴なのだが、それ以外の機能がないので、うかつに高く跳びすぎると着地の時に大怪我を負ってしまうのだ。


 そのようなガラクタばかり作っているのかと思えば、特定の――口に出すのがはばかられるような――用途のものだけは精緻極まるものを作り出す。

 普段はわざとおかしな物を作っているのではないかと問い詰めたこともあるフェレスだったが、結局その問いはうやむやにされてしまった。


 実用的なものをまともに作れるように努力すればいいのに、と、呟きながら彼が手に取ったのは、数少ない実用可能な発明品である『火打ち箱』だった。箱から伸びているひもを引っ張ると、中で回転した火打石と火打ち金がこすれあい、大量の火花が吐き出されるという簡素な道具だが、火をつけるのに失敗することはほとんどない。今回も、ぱっと飛び散った無数の火花が干し草の上に降り注ぐと、あっという間にそれに赤い火が灯った。


 そして、少し悔しげにそれを見ながらかまどに薪をくべ、火勢を高めようと足踏み式のふいごにフェレスが足をかけたその時だった。ばたばたと慌てた雰囲気の足音が聞こえて、一枚のタオルを体の前に当てただけのフランシアが調理場へと駆け戻ってくる。


「フェレス、フェレス! 大変ですよ!」

「僕は服を着ろと言ったんだ! 脱いで来るな! いま客が来たらどうする――」


 あられもないその姿を見てしまい、フェレスが顔を赤くしながら怒鳴り返す。が、彼の言葉も空しく、言い終わらないうちに玄関の扉がけたたましく開いて、年若い娘が家に飛び込んできた。


「フランシア先生! 助けてください! 村の一大事……」

「あら」

「きゃああああっ!? すみませんすみません!!」


 そしてフェレスの危惧通り、やってきた客はフランシアの格好に動転して家の外へと飛び出し、玄関の外に置いてあった掃除道具に足を引っかけたか、派手な音とともに昏倒した。

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