第13話 追い込まれた男
昨日面接に行った。涙が頬を伝った。
まずは楽しい話。
ドコモのネットワーク暗証番号のロックを解除して貰うためにインフォメーションセンターへ電話したのだが、俺のスマホの契約者は父になっているので、父を騙る必要があった。その事は知っていたので、契約者ご本人様ですかと聞かれたときも即答できた。
話を進めて行くにつれて、ボロが出始める。俺はどうしても若者言葉を使ってしまうのだ。「~っすねー」みたいな話し方をする50代は中々おるまい。でも俺はそういうところまで取り繕いたくなかったので堂々としていた。
生年月日か家の電話番号のどちらかを要求されたのだが、俺は飛びつくように電話番号を選んだ。この時点で電話のお姉さんは半笑いだった。俺が契約者本人でない事は明らかで、それがバレているのも明らかだった。
ショップへ行くことを進められて困っていたのだが、時間が掛かっても良いなら郵送できると説明を受けた。俺の「マジすか」が飛び出した。もうお互いに笑いを堪えていた。
俺はお姉さんを好きになった。
これが面接3時間前の出来事だ。お姉さんのおかげで、非常に良いメンタルで面接を迎えることが出来た。
地獄はここからだ。
今回語る面接は、後に応募した方の求人だ。先に応募した方の求人はお祈りメールが届いていた。名前と生年月日と電話番号しか教えてないのに、電話すらしてくれずに落ちた。本当に援交サイトだったんじゃないだろうな。書類は破棄するって、貴様等に書類なんて渡しとらんわたわけっ!
んで面接だが、ここの面接は珍しく、実際に働く現場で行われる。だから面接官も現場のリーダー、警備用語で言うと隊長だ。ここでの面接をパスしたら、本社に呼ばれ、そこで説明会があるらしい。
俺にしては珍しく、10分前に現地に着いた。それほど気合いが入っていたのだ。
この面接のために、年単位で育てていた両サイドの髭を剃った。良い感じに汚かった髪も切った。絶対に負けられない戦いだと思ったのだ。求人を見た限り、そこまでするだけの価値を俺は感じていた。
期待は裏切られた。
面接官の開口一番の台詞
「ウチはアットホームなんでね」
終わりだ。俺は絶望の淵に沈んだ。面接が終わるまでにアットホームという言葉を10回は聞いた。
だがまだ諦めはしなかった。多少の人間関係での苦労は仕方がない。仕事内容さえ、俺の思い描く、本が読めて楽な仕事でさえあれば良い。
しかし、面接中に他の人達を見ていると、一生薄ら寒い会話をしていて、本が読めそうな感じはしない。仕事内容も、俺が思っていたものとは違った。
「大きい電卓取って」
「大きい電卓ってwこれ?w」
「そこボケるとこやでw」
終わりだ。この世界は汚染されている。
俺は頑張った。相手のくだらない冗談にも全力で付き合った。何回か相手の笑いを誘った。緊張ではなく愛想笑いで口の中がカラカラになった。
一つ良かったことは、引きこもっていたにもかかわらず、俺のコミュニケーション能力は成長していたことである。人と話すんだ、面白いことを言うんだ、この手のメンタルコントロールが上手く機能していて、一切緊張することなく、以前よりも上手く人と話すことが出来るようになっていた。瞑想でもコミュニケーション能力が成長することを俺は証明した。
だが、引きこもり生活で一つの事実を忘れてしまっていた。
世の中の大抵の人間は面白くないんだ。
俺はずっと自分の頭の中で生きていた。そこは楽しい世界だ。俺の好きなことばかりが起きる、素敵な世界。
それでも俺は現実に足を踏み出したのだ!
昔、「しょーもない奴は声がでかいから目立つだけで、実際には悪い奴ばっかりじゃないんだぜ」みたいな話を聞いて、なるほどなと思った記憶がある。しかし、そんなの嘘っぱちだ。世の中しょーもない奴ばっかりだ。この世界で使われている“普通”という言葉は、もう相当低い位置にある。普通ってのは、しょーもないってことなんだ。俺の理想が高すぎるのか? いいや、世界が甘えすぎてるんだ。
俺は自分の世界に長く留まりすぎた。面接を受ける前、ここでなら自分の理想の労働が出来ると思った。とんだ馬鹿たれである。
理想の労働? たわけっ!
労働なんて苦しみでしかないんだ。そんなこと俺は知っていたはずだろう。俺は弱くなっていた。ここ数年の、労働から解放された、幸せな生活で。
幸せは長くは続かない。金は無くなる。
何をやっていたんだ俺は。俺が本当に何もしてこなかったのは、今まで書いてきた通りである。
俺は生きていたはずだ。なのに自ら死を選んだ。そしてこれからは、強制的に死へ向かう。
俺は追い込まれた。金が無い。
就職活動には金が掛かる事に気付いた。俺は今回の面接で800円を無駄にした。800円あれば2日は飯が食える。
2日分の飯と1年分の髭を犠牲にして、自分の愚かさに気付いただけだ。
もうマジで金が無い。本当にまずい。携帯乗り換えとか言ってられない。
本格的に実家へ帰ることを視野に入れなければならない。恥ずかしい。どの面下げて帰るというのだ! だが、正直受け入れて貰える算段はある。大いにある。
賃貸は解約するのにも金が掛かるから、実家に帰ってもすぐに働き出さなければならない。帰るにしろ、帰らないにしろ、労働が眼前に迫っている。
仕事を探さねば……望まぬ労働望んでる……
俺は今回の面接におそらく受かったが、蹴る。これはもう絶対だ。あそこでは働けない。というか、警備員はやっぱり違った。俺は何も知らなかった。
通勤はスーツを着ろなんて言われても、俺には無理だ。俺は友人の結婚式にも私服で行く男である。それなのに、仕事だからってスーツを着たら、俺が仕事より友人を下に見ているみたいではないか。
それは断じて違う!
俺はスーツを着ないと決めた男。いや、着ても良いが、仕事が友人を上回るものか!
断固拒否する。
何の仕事をするのか。これはもう農業しかあるまい。
俺は人間を愛せない。だが野菜ならば愛することが出来る!
農家の爺さんを洗脳して農地を貰い、この世界の王になる。
もう俺にはこれしかない!
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