動乱の始まり

 頼孝よりたかは、一人家の中にたたずんでいた。

 子どもが巻き込まれた。おまけに頼孝は、香菜実かなみの父親という男にあっけなく、彼女を引き渡すような物言いをした。腹を立てたのだろう。園枝そのえ理世りせも、この家から出ていってしまった。

 引き止めれば、二人とも振りほどこうとしたはずだ。あんな場面を見せられた後で、のうのうとしているような二人ではない。だから警告だけで済ませた。

 ――何が起こるかわからない。気をつけろ。


 戸が叩かれた。頼孝が何か言うよりも先に、戸が開かる。

「入るぞ」

隣の家に住む、善郎よしろうという男だった。頼孝は土間へと迎えにいく。

「だいぶ静かになったな、この家は。さっきの一騒動のことで、聞きたいことがあるんだ」

 篤英あつひでという男と、峰継と慶充よしみつの争いは、佐奈井さないと香菜実が連れ去られるという形で終わった。さらには、峰継や慶充、園枝や理世といった、戦乱を免れるために逃れてきた者たちは皆いなくなった。

「何だったんだ? さっきの。あのことまでは、知られていないな?」

 善郎は家の中に入ってきた。外の者たちに聞こえないようにか、頼孝に近寄ってくる。

「慶充と香菜実という二人の、父親らしい。生き別れていたのを連れ戻しに現れただけだ」

「連れ戻すだけだろうな。あの連中は他に何か話していなかったか」

「何も。我々のことなど、何も知らないようだった」

 頼孝が答えると、安心してか、ふう、と善郎は大きく息を吐いた。

「もし露見して、罠を仕掛けられたらたまったものではないからな」

「何を恐れているんだ? こちらにはもある。目標を仕留めるとして、有利な状況だ。多少のことがばれたとして、何の影響がある?」

 密かに現れた使者が、味方する者がいると話していた。朝倉義景の旧家臣だった男――富田長繁とんだながしげが、桂田長俊かつらだながとしに対して反旗を翻す。打ち倒すことができれば、もうこれまでのように搾取めいた圧政など施さず、民草を大事にしていく、と話していた。

 蜂起のことは園枝や理世も知っている。それが峰継に話し、そして慶充や篤英の耳にまで届くことも考えられたが、今さら知られたところでどうでもいい。

「まあ、そうだがな」

 善郎はうなずいている。

「それで、園枝さんや理世の娘さんは? 峰継ならわかるが、どうして二人までどうしていなくなっているんだ?」

「佐奈井という少年のためというよりは、園枝が俺たちを警戒しているから、といったほうがいいかもしれないな」

 もしも蜂起することになれば、間違いなく戦闘に巻き込まれることになる。理世が無事に生き残れるかも怪しい。それを警戒したのだろう。

「いいのか? 一乗谷に向かったというなら、彼女らも戦闘に巻き込まれるぞ」

 頼孝は黙っていたが、

「いい」

 とだけ答えた。

 今さらどこに逃げたところで変わらないだろう。蜂起の奇声は、越前国の至る所で上がろうとしている。

「そちらも、攻め上がる準備はできているんだろうな」

 頼孝が尋ねると、善郎の口元が不気味に歪んだ。

「ああ。止まるつもりもない」

 この善郎という男も、朝倉義景の圧政に耐えかねてきた。冬を越せないほどの税を巻き上げられ、子を戦に駆り立てられた。その子は、家に帰ってきていないという。

 頼孝と、同じだ。

 息子たちは、殺された。

 朝倉義景による織田信長攻略の最中に。三年前のことだ。

 田を耕すのが生業だった息子たちは、望んで戦地に赴いたわけではない。朝倉の家来らが突如家に押しかけて、出征を命じてきたのだった。頼孝まで出征を命じなかったのは、年を取っていて長い移動に耐えられないと判断されたことと、田を守り稲を育てる者も残さないといけなかったからだろう。

 そして戻ってこなかった。越前を出た後、近江での戦で死んだのだと、同郷の者が伝えた。

 妻もまた、失った。息子たちを一度に失ったことを悲観して、食も細くなっていたのに加えて、過労だ。夫と二人きりで田の仕事をしなければならないことに疲れ果てて倒れ、そのまま亡くなった。

 朝倉義景が、家族を奪ったも同然だ。

 恨みを持て余していた時に、妹の園枝たちと一緒に現れたのが佐奈井たちだった。

 慶充と香菜実は武士の身分ということは見抜いていた。出征を命じてきた朝倉の家来たちと同じだ。死んだ妻子を思えば、恨み追い出すのが筋だったのかもしれない。

 だが、受け入れた。

 慶充が、死んだ息子たちと同じ年頃だったこと。それが理由の一つだ。まだ年端もいかない妹を連れてもいて、見放すことはできなかった。

 何よりも、峰継と佐奈井だ。

 香菜実と同じ年頃の小さな息子を抱えている峰継を、路頭に迷わせることはできなかった。佐奈井は佐奈井で、農民の子にしか見えない。その彼は、慶充や香菜実と身分の差も気にする様子もなく接していた。三人を見ていると、どこか兄弟めいたものまで感じさせて、正直、どういう関係なのか首を傾げたくらいだ。

 ――あの四人は、家族も同然だ。

 自分が失ったもの。彼らはいつしか空き家に移り、別々の屋根の下で暮らすようになったが、愛おしさすらも覚えていた。できればずっと、四人が全員、幸福でいてくれればいいとも。

 だが今は乱世の最中だ。ここにいて、束の間、穏やかな時を過ごせていても、何らかの形で戦火に巻き込まれる。

「頼孝さん、あんたも用意はできているのか?」

 善郎が問いかけてくる。この男からしてこうだ。好戦的で、敵がいれば今にも襲いかかろうとするような殺気に満ちている。今の越前では、搾取された怒りと、支配者への不信が種火となって、燃え上がる時を待っている。

 自分だけが無関係というわけにはいかない。当然、佐奈井たちも同じだ。

「いつでも出られる」

「もうすぐ号令がかかる。そうなったら、一気に攻め上がるぞ」

 攻め上がる先は、一乗谷。

「桂田長俊を討ち取って、長年の圧政を終わらせる」

 佐奈井たちは、戦闘に巻き込まれるだろう。そうでなくとも、この地も、越前国の別の土地でも、同じように民衆が決起しているのだ。とどめようが、どこかへ逃げようが、何らかの形で戦に巻き込まれる。

 むしろ、佐奈井や園枝がいなくてよかった。

 血に飢えて残酷なまでに人を殺めていく自分の姿を、見られずに済むから。

「では、行くか」

 善郎は歩き始める。頼孝もまた、彼に続いた。

 外では次々と人が出歩きつつあった。皆、向かう先は同じだ。


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