一乗谷へ、再び
一歩遅かった。慶充は峰継の元に駆け寄る。峰継の後頭部からは血が流れていた。
篤英の取り巻き二人にしてやられた。佐奈井の危機に焦り、刀を振る腕に力が入りすぎた。一人と鍔迫り合いになったところで、もう一人に後ろから組みつかれた。そして、取り巻きたちを逃してしまったのだ。
峰継に石を投げつけた取り巻きは、そのまま篤英の元へと向かっていた。何食わぬ顔で、篤英からぐったりした佐奈井を受け取っている。
篤英は、慶充に気づいた。こちらに目をやる。
「私と来なければ、この少年がどうなるかわかっているよな」
卑怯だ。
「なぜ峰継と佐奈井にこんな仕打ちをする?」
「でないとお前は来ないだろう。香菜実も」
篤英はそう、香菜実に視線をやっている。
続く言葉は、わかっていた。もし来ないというのならば、篤英は、峰継と佐奈井に手をかけるだろう。二人は無防備で、自分だけで守りきれる自信はない。
「わかった。ついていく。だから佐奈井は置いていけ」
篤英の卑劣に、これ以上二人を巻き込むわけにはいかない。
香菜実が警告の声を上げた。
「兄さん、ついていっては……」
「いや、この少年も一緒だ」
篤英の声が、香菜実を遮った。慶充は、篤英の言葉が信じられなかった。
「何?」
「一緒に来てもらう。さっきは殺そうかと思ったが、このほうがよい」
つまりは、人質ということか。
父は、三年前の垂井の時と変わらない。関係のない人を平気で傷つけて、巻き込む。
「なら……」
怒りで自分の声が震え始めている。
「佐奈井にこれ以上の乱暴はするな」
峰継は目が覚めた。慌てて半身を起こす。
後頭部が痛んだ。手を当てると、傷口を巻いている布の感触がする。
「急に動かないで」
すぐそばにいる園枝が声をかける。
「手当てはしたけど」
園枝は、そのまま口をつぐむ。理世も頼孝もいるが、無言のままだ。
峰継は順に記憶を整理していった。頼孝の家の前で、佐奈井を抱える篤英を見た。息子を取り戻そうとした時に、頭に衝撃が走って……、そして……
「私は、どれくらい寝ていた?」
そして篤英はどこにいる? 佐奈井は無事なのか。
「状況から先に話そうか。篤英といったかしら、あの男は、まだ遠くには逃れていないはずよ」
園枝が話した。
「それだけ話してくれれば、充分だ」
峰継は起き上がろうとした。頭を打ったせいで、視界がぼやけている。上手く体に力が入らなくて、倒れそうになると、園枝が体を支えた。
「ごめんなさい。息子が大変だという時に、何もできなかった」
「構わない」
もし園枝が佐奈井や香菜実をかばおうとしていれば、この家の者がやられていた。動けなくなるのは、仕方がない。
「傷の手当ては、園枝が?」
「いえ、理世が」
その理世は、園枝の背後で腹に手を当てているところだった。着物のその部分は、土汚れている。蹴られた跡だ。
「篤英にやられたのか」
「それどころじゃないから」
ねぎらおうとしたところで、理世に遮られる。焦っているみたいだった。
「止めようとしたという言い訳も、私たちにはできないし」
どういうことだ? 峰継が言いかけた時、理世は頼孝のほうを向いていた。明らかに目に怒りを浮かべている。
「どうしてあっけなく佐奈井を引き渡すような真似をしたの?」
対する頼孝は、冷静そのものだった。佐奈井が連れ去られたことなど無関心、といった様子だ。
「あの時点で隠しとおすだけ無駄だった」
「まだどうにかなったはず」
「無理をして、こちらが巻き添えになるいわれはない。もし香菜実などいないと言い張って、見つかれば、今頃はここが血の海になっていたぞ」
峰継は、理世と頼孝の言い争いなど聞き流していた。無意味だ。起こったことに対して言い合ったところで何にもならない。
「それに、おかげで慶充がいなくなった。敵になるのか味方かわからない者を置いておくよりは、かえって好都合だ」
「その彼はどこにいる? 篤英を追いかけていったのか」
「厳密には追いかけていったのではなく、篤英と同行している、といったところかな。一乗谷に戻っている。もちろん香菜実や佐奈井も一緒に」
峰継が気を失っている間のことだろう。慶充がいるならば、篤英は、佐奈井に下手な手出しはできないはず。
でも、頼孝の言葉には不穏なものも混じっていた。慶充は敵になるのか味方か、と……?
「頼孝、慶充のことを、今までどう思っていた?」
「どう思っていた、とは?」
「さっきあなたは、慶充が敵になるのか味方になるのかわからないと言った。まるで戦が起こる前の兵のように。どういうことだ?」
頼孝の目に怪しい光が灯った。元々隠していたものが、今になってあらわになったような。
「噂なら、聞いているはずだと思ったんだが」
「噂……?」
「近々、朝倉義景の旧家臣に反旗を翻すことになっている。戦で民草を疲弊させた上に、なお搾取しようとしている連中など、もうこの地にはいらない」
そして峰継は、大野郡を離れ、谷地の道を歩いていた。すぐそばに川が流れていて、せせらぎが聞こえてくる。夏に佐奈井たちと大野郡に出る時に通った道だ。今は、逆に一乗谷のほうへと戻っている。
峰継に同行しているのは、園枝と理世だ。
「なぜ、一緒に来る?」
峰継は背後の二人に向かって尋ねる。園枝と理世の親子には、ついてくる道理はない。夏に知り合うまでは、まったく見知らぬ者同士だったのだ。佐奈井や香菜実がどうなったところで、彼女らには本来のところ何の損にもならないはず。
だが、ついてきている。頼孝に一乗谷に向かうことを宣言して、簡単に荷物をまとめると、そのまま峰継に同行してきた。
頼孝は、やめたほうがいいとだけ警告したが、二人を止めることはしなかった。
「このまま佐奈井に何かあったら、責任感じてしまうでしょう」
園枝の目には、意地があった。子どもが意に反して連れ去られることに対する、怒りだ。
「それに佐奈井は篤英とかいう男に蹴られていた。怪我をしているかもしれないしね」
息子の怪我など、自分一人で手当てできる。そう言いかけたが、峰継は口をつぐんだ。一人で佐奈井の面倒を見てきた苦労は多い。佐奈井が急な熱を出したり、怪我をしたりするたびに、一緒に対処してくれる人がいなくてあたふたした。
「それで、理世は?」
「あなたの傷が心配だから、というのもあるけど、母さんと同じ。香菜実と佐奈井がひどい目に遭ったらいけないから」
「危険に巻き込まれるかもしれないが」
「どっちみち、危険な状況なのは変わらないよ」
園枝が皮肉な笑みを浮かべた。
「頼孝が話していたこと、本気で信じているんだな」
間もなく民衆が蜂起する、と話していた。
「信じたくないのが本音だけど、現状を考えたら頼孝の言うことは正しい」
朝倉義景は存命中、民衆に重税をかけ、織田信長との相次ぐ戦で領内をさらに疲弊させた。それだけでなく、朝倉義景の旧家臣が君主の首を差し出して織田信長に投降してからというものの、引き続き民衆に重税を強い続けている。加えて風の噂に聞こえてくる朝倉旧家臣同士の不信。朝倉義景の旧家臣であり、義景に代わって越前を治めることになった桂田長俊に対し、同じく旧家臣であり、わずかな領地しか与えられなかった富田長繁の不満はすさまじい。
頼孝に聞かれるのでもなく、峰継も薄々と察していた。
「どのみちどこも、安全な場所はないのよ」
篤英という男も、越前の不穏な空気を察しているのだろうか。だから、少しでも自分の身を守るために、慶充を呼び戻したのか。
がさ、という音が聞こえた。三人は話すのをやめ、周囲を見やる。
一乗谷から逃れてきた時と同様だ。いつ、賊が現れて、通行人を襲うのかわかったものではない。峰継は、腰の刀に手を添えた。
だがいつまで待っても、賊らしい人が飛び出してくることはなかった。
「ただの獣だ。でも警戒はしておけ。変な気配を感じたら遠慮なく言ってくれ」
峰継は刀に手を添えたまま言った。
警戒はする。だが気持ちは急いていた。
急がねば、佐奈井は無事でいられなくなる。今こうしている間にも、篤英に乱暴されているかもしれない。
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