連れ去られた佐奈井
突然現れた男に蹴られた佐奈井は、床の上で背を丸めると、気を失って動かなくなった。
子どもへの乱暴に、園枝はさらに怒る。
「何をするの? こんな子どもを」
「こいつはもらっていく」
香菜実の父親だという男――篤英という名なのは、慶充から聞かされた――は、そのまま佐奈井を担ぎ上げた。連れ去るつもりだ。
「こいつがいれば、お前はついてくるのだろう。香菜実」
香菜実は無言のままだ。自分の父親が相手、しかも生死もわからなかった中での再会なのに、やけに怯えた様子でいる。
なるほどな、と園枝は思った。香菜実の父親は北近江の戦に赴いて、生死不明になっていると聞いてはいた。だが香菜実は、その父親に対して妙なまでに恋しがったり寂しがったりする様子を見せなかった。兄である慶充や、肉親ですらない佐奈井ばかりをおもねっていたのである。何か、よからぬ関係なのではないか、と感づいていた。
「娘を連れ帰るだけなら、佐奈井にそんな仕打ちをする必要はないでしょう?」
園枝は、篤英の前に立ち塞がる。相手は刀を携えているが、こちらには武器の類もない。しかし無抵抗の子どもを相手にこんな乱暴を見過ごすことはできなかった。
「どけ」
「佐奈井を降ろして」
言い張るが、突如として肘を掴まれ、引っ張られた。よろめいて、驚く。
園枝を引きずったのが、頼孝だからだ。
「よせ、園枝」
驚いて、園枝はすぐに声を出せなかった。
「佐奈井!」
理世が声を飛ばす。篤英が佐奈井を抱えたまま、土間に降りたからだ。理世が篤英の背に掴みかかり、止めようとした。すると、篤英が回し蹴りを仕掛けた。理世の体が飛んで、土間の上に転がる。
「理世もやめろ」
頼孝が声を飛ばす。
篤英は冷めた目で、横になったままの理世を見ていた。
「香菜実、どうする? お前が来ないというなら、ここの者たちに未練が残らないようにするが?」
自分たちが人質に取られた。園枝はますます、動けなくなった。佐奈井に乱暴してのこの仕打ちは許されないが、下手に動けば、娘の理世も無事では済まされない。
篤英はそのまま、土間に降りた。急ぎ戸を開けて外に出ていく。香菜実は、戸惑う様子を見せたが、父親の背中を追いかけていった。戸から外に出ていく。
「……ごめんなさい」
やめなさい、と園枝は言おうとした。まだほんの子どもの香菜実が、こんなことに巻き込まれるいわれはない。いくら父親だとしても、こんな方法で娘を連れ帰るのは間違っている。
しかし、園枝は止めることができなかった。自分はともかく理世まで人質に取られている。
香菜実はそのまま、外に出ていった。
――峰継に伝えねば。
直後、園枝は峰継の姿を見つけた。すぐ家の前まで来ていた。背後から男二人と、慶充が駆けてきている。
峰継は、頼孝の家から篤英が出てくるのを見ていた。ぐったりとした佐奈井を抱えている。もう手にかけたのか、と一瞬だけぞっとしたが、佐奈井の手がかすかに動いた。生きている。
篤英と頼孝は目が合った。
「殺しはしない」
篤英は言い放つ。
「だがついてきてもらう。息子の無事のためなら、来るように慶充に伝えろ」
篤英は歩き出す。後ろには香菜実がいた。動揺したまま、篤英の後ろをついていく。
峰継は、歯を食いしばった。佐奈井が人質に取られた以上、下手に動くわけにはいかない。恐らく頼孝の家でも、あの男は刀で脅したのだろう。
篤英は走り出した。佐奈井を抱えたまま。
「待て」
追いかけようとしたとたん、後頭部に衝撃が走った。何か硬い物が投げつけられたのかもしれない。蹴られて痛む足から力が抜けて、立てなくなる。
息子を追わないと、という意地とは裏腹に、峰継の意識が薄らいでいった。
横たわる峰継の頭のそばで、何者かによって投げつけられた拳大の石が転がった。
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