駿岳

 男は足を止め、燃え盛る谷を見つめていた。

 織田信長の命を受けた柴田勝家しばたかついえの部隊、五千の兵に攻め入られて、一乗谷は壊滅したといっていい。朝倉方の残党による多少の抵抗はあったが、すでに鎮圧も済ませた。

 火矢を放たれるか、別の家の火が燃え移るなどして、もう火に包まれていない家はない。焼けて完全に崩れ落ちた家もたくさんある。その黒煙で、周囲は薄暗かった。

 燃え盛る家の間を、男と同じ甲冑をまとった兵が駆けてくる。

「そちらはどうだ、駿岳しゅんがく

 兵が、男に声をかけた。

「ここにも敵らしい兵はいない。さっきのあの敵だけらしい」

 駿岳は、そう言った。谷の住民が逃げ惑う姿は見えたものの、それだけだ。襲ってくる兵は、一人もいなくなった。

「こちらも同じだ。抵抗してくる者はもういない。皮肉なものだな。京の都もしのぐともいわれたこの地が、このような有様だ」

 その兵は、皮肉に笑みを浮かべた。駿岳は、その兵に冷めた視線をやるだけだった。

 ――この世に不変のものなどあり得ない。


 兵たちは移動を始めた。駿岳もまた、後に続く。

 朝倉義景あさくらよしかげは先月、居城を包囲されていた浅井長政あさいながまさを援護するために、一乗谷から兵を繰り出した。

 だが織田信長の軍勢が豪雨の中で奇襲を仕掛けたことで、急きょ兵を退けた。織田信長の軍勢は追撃し、敦賀の南、刀根坂とねざかで、朝倉義景の軍勢を壊滅状態に追いやった。

 それからの進軍に苦はなかった。敦賀から峠を越えて越前に侵入し、拠点を確保した後、今こうして一乗谷に攻め入っている。

 先陣として兵を率いているのは柴田勝家だが、越前領内の道案内を務めたのが朝倉義景の旧家臣、前波吉継まえばよしつぐなのは皮肉だ。

 つまり、それほど朝倉義景が人心が離れているという証でもある。

「敵将はいないらしいな」

 移動しながら、兵の一人が毒づいた。

「多少の抵抗はあったが。これはとうに逃げ出したな」

 朝倉義景の姿を見たと話す者もいなかった。逃げたとすれば、その先は一乗谷から東方の大野郡しかない。


 谷に散っていた兵たちも合流を始めている。一乗谷に留まることはないはずだ。もう夕暮れだから、どこかで駐屯して、さらなる進撃命令が下るだろう。

 ――それにしても、あの者はいなかった。

 朝倉義景ではなく、かつて少年の面影を残していた若い男だ。垂井の地で刀を振るって、家族を守ろうとしていた。

 一乗谷にいるかもしれない、と薄々と思っていた。それでこっそりと彼の姿を探していたのだが、すでに一乗谷から逃れたのかもしれない。

 あるいは、あれから何度も戦があったのだし、戦死しているのかもしれなかった。

 どのみち、再会するはずのない相手だ。

 駿岳は余計な思考を振り払って、先へと進んだ。

 

 駿岳たちを率いている柴田勝家の部隊は、翌日、いまだに火に包まれている一乗谷を後にして、東へと進んだ。

 一乗谷からの避難民の物だろう。道には時々、着物や履物が落ちていることがあった。さらには、斬られ、道端に倒れたままこと切れている者もいた。避難の最中、賊の類に襲われたのかもしれない。

 だがさすがに、賊に大多数の軍隊を襲う気概はないようだ。駿岳たちは襲われることなく先へと進んでいく。

 これまでと同様に、進軍には余裕があって、特に急ぐことはなかった。途中で休憩も挟んでいる。一乗谷から大野郡まで、急げば一日で着く距離だが、これだと到着は翌日になりそうだ。

 近江にいる敵将浅井長政あさいながまさはいまだに存命だが、居城の小谷城は織田信長の勢力によって包囲されている。攻撃を仕掛ければ、いつでも突き崩せるだろう。

 加えて朝倉義景は、兵の大半を失って抵抗できる勢力などないに等しい。残った味方も、朝倉義景を見限るだろう。朝倉義景の敗戦によって、その多くの家臣が討ち死にしただけでなく、織田信長に寝返るか、降伏しているのが根拠だ。

 この攻略は、間もなく終わる。

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