最後の三分間 赤

エリー.ファー

最後の三分間 赤

 最後の三分間というと、僕にとってはすべてが新鮮だった。

 同じような感覚に陥る人もいるだろう。

 何せ、どんなに最後というものを味わってきたとして、その三分間、つまりは、三分前の状態で、今、三分前だ、と認識することは間違いなく少ないからだ。終わった後に、確か、あの瞬間が三分前くらいだったのではないか、と思うにとどまると思う。

 大切なのは、だ。

 その三分後には終わりとなる、ということを認識したうえで残りの三分をどう使うか、ということに他ならない。

 何せ、そこから先の三分間の中で組み立てられる予定というものは確かに大切であるし、それこそ、結果を大きく変える場合もあるのだ。

 最後が目に見えているからこそ、そこで、それが本当の意味での終わりにするのか。

 それとも。

 何かの始まりに変えるのか。

 それはその今が三分と気づいた後から始まる。

 一瞬一瞬の積み重ねの中で形作られる、一つの人生の破片そのものなのだ。

 僕の手元に猫がいる。

 可愛い猫だ。

 最後の三分間をこの猫と共に過ごすということに、いささかの疑問もなければ、何の不満も出てこない。

 僕は猫を見つめる。


 電車の発車まであと、三分。

「お別れだね。」

「うん。」

「今までありがとう。」

「僕も。」

「僕もって何よ。」

「あぁ、ごめんね。」

「謝らないでよ。そういうことじゃないじゃん。それに。」

「これで、最後だもんね。」

 僕の手元にいた猫はそのまま車両を降りた。

 車両の出入り口、そこの扉が開いている。

 なのに。

 僕も幼馴染もそこを越えて、触れることも、視線を合わせることもしなかった。

 ただ、僕らの足元を猫だけが当然のように歩いていき、その出入り口を通り、駅のホームへと降りる。

 駅のホームには大きな桜の木があった。とてつもなく、大きく、そしてとてつもなく美しかった。

 確かに桜の木であれば学校にもある。でも、ここまでの立派なものになるともうここくらいでしか見られない。

 それも見納めだ。

「しっかりやりなよ。」

「うん、頑張る。」

「堂々としないと、あたしがいない学校でいじめられちゃうよ。」

「ううん。大丈夫だよ。僕は一人でも頑張れるから。」

 その言葉が、明らかに間違いだったことを知ったのは幼馴染の表情を見てしまったからだった。

 笑っているのに、残念そうだった。

 そういう。

 そういうことじゃなくて。

 ただ。

 これからも頑張るよって。

 そういう意味で。

 あの。

「電車が発車いたします。黄色い線の内側にお下がりください。」

 扉が閉まってしまう。

 もう閉まってしまう。

 あと少しで。

 あとほんの少しで。

 扉は。

 閉まった。

 その瞬間。

 涙が出た。

 溢れていた。

 頬を伝った。

 僕は前を向く。

 幼馴染も泣いていた。

「大好きっ。ごめんっ、あだじぃっ、意地悪ばっかりでぇっ。」

 僕は扉に顔を近づける。

 あの、勝気で、強くて、強情な幼馴染が僕を見つめていた。

「あんだのことが、大好ぎぃっ。」

 鼻水が出ていた。

「あんだのお父ざんの仕事の都合どがぁ、何よぉ、ぞんなの知らないわよぉっ。」

 幼馴染は何度も何度も扉を叩いた。

 僕も何度もう頷きながら扉に顔を近づけて、幼馴染のことをひたすら見つめる。

「大好ぎぃだからぁっ、行がないでよぉぉっ。」

 列車がゆっくりと動き出す。

 幼馴染がそれに合わせて歩きながら扉を叩く。

 僕も、涙で見えない視界をぬぐいながら扉を叩いた。

「六駅先のホームで起きた事故のため、電車発車できません。今しばらくおまちください。ドア開きます。」

 ドアが開く。

 走りながら僕を追いかけ、駅のホームの先で僕の乗った電車の後ろを、泣き崩れながら見つめ続ける予定だった幼馴染。

 同じくその予定だった僕と対面。

 幼馴染は上がった息を整えながら、電車の先の方を見ながら首を傾げる。

 ほら。

 なっちゃうじゃん。

 こういう空気。

 なっちゃうじゃん。

「じゃあ、あの、あたし、ほら、スカイプするから。」

「あぁ、そうだね。離れててもね。あの、全然ね。今の時代ね。」

「まぁ、ね。あと、あの。」

「あっ、うんうん。僕も大好き。」

「あっ、良かったぁ。うん、あぁ、嬉しい嬉しい。」

 それから十五分ほど動かなかった電車。

 それから十五年もかかることなく。

 結婚した僕ら。

 

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