六
六
私は自分が死んだことを理解していなかった。というか、これは夢だ。悪夢だ。そう思い込むことで気持ちを保っていられたんだと思います。
ことの発端はそう、ある男が声をかけてきたことによります。
初めて来たところだとかで道が分からず迷子になったので地図を描いて欲しいと言われました。そこで私は地図を書いたんです。でもよくわからない顔をしていたので可哀想になって、近くまで案内してあげることにしました。どうせ暇だったし、散歩がてら歩こうと、そう思ったので道案内を。ん? ああ、妖怪の話ですね、ここを話さないとならないところなのでちょっと黙って聞いててもらえます侍さん。で、道案内をしてたんです。途中までは当たり障りのないことを話しながら並んで歩いていました。でも、途中から雲行きがおかしくなったんです。天気のことじゃありません。男の態度です。
人通りが少なくなったところで男が私の後ろからついてくるようになったんです。今までは並んで歩いていたのに、いきなり後ろにさがって。なんで後ろに行くのか聞いても、いいからいいからと手を顔の前で振るだけで笑っているので不安になりました。
でも、男は私に有無を言わさず背中を押して歩けと言ったんです。その手にはナイフが
握られていました。いつどうやって出したのかはわかりません。
こんな田舎、昼でも夜でも人なんてそんなに遠らない。
初めて来たんじゃないのか聞いたんですけど、それは私を連れて行く口実だってはっきり言われて、怖くなりました。恐怖しかありませんでした。でもナイフで脅されてるので前に歩くことしかできなかった。
今思えば、無理やり走って逃げればよかったのかもしれませんけど、あの時は何も考えられませんでした。
山道を上り、くねくね曲がった道を奥まで進むと山の中に一軒の民家あったんです。結構大きな家で、更に怖くなりました。
男は、ここには俺が一人で住んでいると言っていました。これからは私が一緒に住むことになるとも。
でも、私はほんの十一才でした。そんなこどもでした。それなのに一緒に住むなんて、考えただけで恐ろしくて泣いていたのを覚えています。
そんなとき、視界が歪んだんです。ガンという衝撃が頭に響き、目の前に星が浮かび、そしてそのまま倒れました。
気がついたら真っ暗な部屋の中にいたんです。
「こうやって話をしていくと、忘れていたことを思い出せるんですね。それに、まだ思い出していない新しいことも思い出せそうな気がします」
たまこが一息ついた。
オレンジジュースの入っているグラスが汗をかいている。かまわず半分ほど飲み干し、「そこで妖怪に会ったんです」ちゃんと忘れていませんよとばかりに付け加えた。
「その部屋の中に妖怪がいたっていうのかい?」
「暗闇に潜む妖怪か。もしくはただ通りかかっただけか。それにしてもどいつだ?」
昭子と太郎が向かい合って、どの妖怪だかを探っている。侍はメロンソーダを最後の一滴まで啜っていた。「今から言うってえのに本当にこいつらはああだこうだ言うのが好きなんだな」とたまこに同意を求めた。たまこも二人のやりとりを見ながら頷いた。
「何言ってんだい侍。もしそこに妖怪がいたならばなぜたまこちゃんを助けなかったのかって話になるじゃないか」
「そうだ。どこのどいつだか知らなきゃ俺らだってなんかしようにもしようがないじゃないか」
昭子と太郎が侍に食ってかかる。
もし、我ら仲間がそこにいたにも関わらず助けられなかったのならば許せんといったところだ。
鼻息荒く喚き散らす二人を冷めた目で見ていた侍は、まったくこれだからこの世に長くいすぎる妖怪はダメなんだよ。と二人に聞こえるようにわざと言う。
静まった二人は、同時に侍の方を睨む。その顔は本気で怒っているように見えた。
体を斜めにして一歩後ずさった侍は、困った顔をしているたまこと目が合った。
おもむろに二人に向き直り、
「だってそうだろう。妖怪は人の生き方に口出し出来ないって教えてくれたのはおまえさんがたじゃあないか」
人のやることに手を出しちゃいけないって決まりがあるって言ったよな昭子さん。と今にも侍を切り刻もうとしている風に見える昭子に向けて声を放った。
自分の名前を呼ばれ、侍をどうバラしてやろうかと考えていた昭子は思わず太郎の様子を見る。同じように目をパチクリしている太郎に安心したのか、
「そうさね、そんなもんわかってるさ。だから、どの妖怪がそんなバカな真似をしようとしたのか気になったんじゃないか。なあ、そうだろ太郎」
と取ってつけたように太郎に同意を求める。
「そりゃもちろんですよ」
太郎も昭子に話を合わせた。
侍が指摘してきたことが的確すぎたのが二人には許せなかったのだ。
「昭子さん、あんた今本気で俺のことどうにかしようと考えてたろ。あの目つきはそんな感じだった。なあ、そうだろ? やめてくれよそういうの。俺、結構怖がりなんだから」
侍が昭子を問い詰める。昭子は、「うるさいねえ。気のせいだろ」と突っぱねる。
ふんと鼻を鳴らすと、「で、そこでどんな妖怪に会ったんだい?」とようやく脱線させた話をまともな路線に戻した。たまこは一つ頷き、続ける。
「名前はわからないんですけど、それは黒くて大きくて、真っ赤に燃えていて、例えるならまるで巨大な犬みたいでした」
思い出すように人差し指と中指を両のこめかみに当てて強く押す。うーんと唸り話を続けた。
私は暗い部屋の中にいました。最初は部屋だと思ったんですけど、少し埃っぽいのと土っぽいにおいなどから、もしかしたらここは外かもしれないって思いました。
ここは田舎ですよ。私の家の庭にもこういう物置があったので、だいたいはわかります。
両手両脚を後ろ手に縛られていたんですが、脚は前後左右に激しく揺らしたり擦ったりしたらなぜかすんなりとすぐに紐をすり抜けたんです。
外は、たぶん夜でした。
辺りはしんと静まり返っていて静かでしたが、外で鳴く虫の声が夜のものでした。
田舎に住んでいる人は虫の声で時間かわかるんですよ。だから、今が夜遅い時間だろうって予測することができたんです。
助けを呼ぶのに声を上げたらあいつが来ると思って、怖くて声は出せなかったんですが、脚は動くので小屋の中を四方八方を確認するため歩いてみました。
小屋のどの位置かはわからなかったけど、箱のような物が一つ置いてあるきりで、あとは何もありませんでした。
四畳くらいの広さだったと思います。
次に、背を壁につけてドアが無いか探しました。手を後ろに縛られていたので背をつけて上下に動きながらどこかに鍵がないか探しました。
最初は何もなかったんです。というかみつけられなかったんです。でも、諦めずに何周かしたとき、金具のようなものに触れました。
背伸びをしないと触れない位置にあったんです。
私は何度も爪先立ちをして手を近づけました。
丸いものに指先が当たり、それが鍵であることに気付きました。
うちの物置もこのタイプの鍵でした。
横にスライドさせて開けて玉の部分を下げる昔ながらのあの鍵です。
今思えば、なんで内側に鍵があったのか、不思議に思わなければならないところでしたが、当時の私はそこまで頭が回りませんでした。
なので、玉を上に上げ、左右にガチャガチャやりました。何度か試しているとかぎがスライドし、ドアが軽くなったんです。
開いた。
そう確信し、私はゆっくりと慎重にドアを開けました。
月明かりがすうっと中に入ってきました。
辺りに気を張り、近くに男がいないかどうか、目を細くして見て、ようく耳を澄ませて辺りの音を聞きました。心臓がドキドキしました。
体が通るくらいドアを開けてすり抜けると小屋に背をつけて周りがどうなっているのか見回しました。
辺りは雑草が茂っていました。これはいい隠れ蓑になると思いました。
小屋のドアを背にして右側に大きな家がありました。たぶん母屋でしょうか。見える範囲ではそれしかなかったので、あの男はきっと母屋にいるんだと思いました。
左側は、そうですね、細い木が何本か立っていて蔓状のものがありあした。ああ、そうです、畑になっていました。家庭菜園かなにかだと。
え? だから妖怪はどこから出てくるのかって? 昭子さんまでそんなことを言うんですか。ちょっと待ってくださいよ。私だって思い出してるところなんですから静かに聞いててもらっていいですか。
それで、そうそう、家庭菜園のような畑がありました。
暗闇の中だったのでどのくらいの広さなのかはわかりません。ぐるっと見回しましたが、玄関といいますか、門がどこか探しました。
ええ、田舎の家は広いんですよ。門を入ってから母屋までが長いんです。
この家は裏門がない造りになっていました。だから逃げるためには母屋の前を通過して表門まで行かなきゃならなかったんです。
何も身を隠すものがないところを歩いて行くのは恐怖しかありませんでした。
しかも両手は縛られたままです。
うまく歩けないし走れない。
何かを踏んで音がしたら気づかれてしまう。
そう思うと全身から冷たい汗が吹き出しました。拭うことも出来ず、肩をあげて服で顔を拭きつつ息を殺して門まで歩き始めました。
母屋は真っ暗で静かでした。
良かった。寝ていると思いました。
地面に何か無いか、音のするものや金属音を響かせる物がないか目を凝らして歩きました。
なので、腰を低くして歩いていたんです。
門が見えました。門の外は街灯で明るく光っていました。
助かった。出たらすぐにお巡りさんに助けを求めよう。
そう思ってホッとしたのがいけなかったんです。油断してしまったんです。
腰を思い切り伸ばして走り出そうとしたところに物干し竿があったんです。
頭にガツンと当たり、金属音が夜の中に響き渡りました。
やばい。そう思いましたが思い切り頭にぶつけて目の前に星がたくさん飛んでいたんです。クラクラして足取りが悪くなりました。
逃げなきゃと思えば思うほど足がもつれうまく走れない自分自身にもどかしくイライラしたのを覚えています。
そうこうしていうちに母屋に明かりがつきました。
玄関にも明かりがさしたとき、ドアを思い切り開け放つ音と共に私の姿を見つけた男が何か罵声を私に浴びせながら走ってくる音が後ろに聞こえました。
私は恐怖でもつれる足をなんとか動かそうとしましたが思うように足は動きませんでした。自分の足じゃないみたいでした。
本当に心から自分にイライラしたのは後にも先にもあのときだけでした。
私は簡単に男に捕まりました。
思い切り頭を殴られ、首根っこを掴まれて引きずられているのがわかりました。足が地面に擦れて熱かった。痛かった。力の入らない指先も地面に擦れて痛かった。ヌメッとしたものが指先に触れました。鉄の匂いが鼻につきました。
自分の血の匂いだとわかるまでに時間がかかりましたが、悲鳴をあげる間も無く私は小屋に投げ入れられました。
しばらく呆然と床に転がっていました。動けなかったんです。
そのうちに小屋の外がガチャガチャ音がしたんです。
その音は男が小屋に南京錠をかける音だったんです。そんなことを言ってたのを消えゆく意識の片隅に聞きました。
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